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巻頭言
医療の近代化と精神医学
著者: 松本啓1
所属機関: 1鹿児島大学神経精神医学教室
ページ範囲:P.462 - P.463
文献購入ページに移動 医学は日進月歩であり,医療もまた同様である。ことに,ここ数年間は,医療の面での近代化は急テンポであり,情報化やシステム化が進んでいる。このような状況の中で,精神医学,および精神医療はどのような立場におかれているのか考えてみる必要がある。
終戦後,国民総福祉の名のもとに,わが国の医療は皆保険の道をあゆんできた。皆保険医療は国民に多くの利益をもたらした。反面現在に至って多くのひずみが生じていることは衆知のことである。精神医療においても同様であって,誰もがひとしく専門医の診療を受けられることや,慢性の経過をとる患者の経済的負担を軽くする利点があるが,一方では,保険診療記録による病名や症状の半公開や措置入院などにみられるような経済措置色の強い長期在院など,患者にとっては,不利益なことが多くみられる。このような現状をみていると,医療制度の近代化や皆保険と平行して,患者個人の秘密は明らかに侵害されている。これは何も精神疾患患者に限らず,他科の患者にもいえることであるが,この両者を同じ感覚で論ずることはできない。何故なれば,現在でも精神疾患患者に対する根ぶかい偏見や社会の差別が,世間一般人の間では勿論のこと,医療従事者の間にもあり,精神医療について真に理解をもっている人は甚だ少ないからである。皆保険が実施され数十年を経た今日でさえ,精神科を受診する患者の中には,多額の健康保険金を払い,保険証を有しているにもかかわらず,保険証を使用せず,現金払いで受診するものがよくみられる。また,よほどのことでないと,初めから精神科を受診しないし,多くは内科や他科を受診したり,あるいは,病院でもない教育相談所や祈?所あるいは占い所を訪れたあと,精神科を受診するものがあとを絶たない。このような患者やその家族の心情は,世間一般の人々や他科の医療従事者などには,到底判ってもらえないことである。このような患者や家族の態度は説明を要するまでもなく,精神科を受診したことが,他人に知れることを恐れるためで,自分で医療費を負担することより以上に,大きな不利益があることを恐れるためである。現在の保険のシステムでは,病名が医師だけでなく,他の病院従事者,さらには保険組合,会社や役所,学校などに当然知れることは明らかであり,病名によっては,失職,転職につながり,さらには将来の立身出世や結婚に影響することを恐れるのである。たとえ,保険診療を受けたとしても,多くの患者や家族は診断書の病名や内容に気をつかい,復職や復学への影響のない病名を希望することは,多くの臨床家の衆知の事実であり,多くの診断書にみられるところの神経症,神経衰弱,何々反応などの診断名が如実にそれを物語っている。このような世間一般の人々の精神医療に対する無理解や認識の不足は数えあげればきりがない程多々ある。これは世間一股の人人だけに限ったことではなく,精神医学を学び,いくらかでも精神衛生知識を身につけているはずの医師や看護婦でさえも精神医療を真に理解している人は少ない有様で,患者に対して早期に精神科受診をすすめる人は少なく,まして自分の知人や家族の場合となると受診は遅れ,治療の時期を失して来院するものが多い。このように,世間全体には,まだまだ精神衛生知識が不足しており,依然として精神疾患患者に対する偏見や差別があるが,一方では,医療の近代化はどんどん押しすすめられている。多くの医療施設では,医療設備や内容が改革されて,情報化,自動化,システム化が導入され,労働力や時間の無駄を少なくして,仕事の能率をたかめ,合理化がすすんでおり,それはそれなりに多くの利点があることは論ずるまでもないことであるが,そこには,人間疎外があり,医療の本質である医師対患者関係は,ますます薄れてきて,両者の対話は存在しない。最近では医療の中にコンピューターが導入され,診療は自動化されて,流れ作業となり,医師対患者の対話の場などとても期待できないし,往年の医師のイメージなど探しても見当らない時代になりつつある。したがって,そこには患者の人権尊重や秘密保持が守られないという危険がひそんでいる。たとえば,近代的病院においてみられる,中央カルテ,システムというものについて言えば,このシステムは,患者に一連の背番号をつけて,その病院に限って,どの科を受診しようとも番号は同一番号で,診療記録も全て一つのファイルに収められて,中央に保管し,必要あれば,何時でもひき出せるようにして,患者の健康管理,あるいは医師や看護婦の診療や勉強,さらには病院事務の迅速化,合理化,能率化をはかろうというものである。反面,患者側に立ってみる時,好都合ばかりではなく,多くの不都合もあるわけで,患者の秘密が侵される危険があり,特に精神疾患の患者にとっては,前述のごとく,不利益につながることが考えられる。たとえ,患者の秘密保持について,しかるべき処置や対策がなされたとしても,言うは易く行なうは難しで,他科の診療記録と一緒のファイルに収められること,病名別や科別索引,あるいは一連番号制,診療記録の閲覧など,どれをとっても秘密保持の確かな保証はどこにもない。精神疾患に限らず,遺伝病や悪性疾患,さらには,人の忌み嫌う疾患にも同様に当てはまることである。たとえ,このような近代化が大多数の人々の利益につながるとしても,ひと握りの不利益をもたらす人々を犠牲にすることはできないし,これは医師以前の問題であり,医療の近代化の流れにあって医師対患者関係が失われようとする時代にあっては,なおさら,現在の医療のあり方を,このような不利な立場にあるひと握りの患者の立場に立って考えて,見なおす必要があるように思われる。このような立場にある患者を一番多くかかえているのが精神科医であり,現在の精神医療の立場や苦悩というものが,世間一般の人々のみでなく他科の医師や看護婦,医療従事者においてさえも,なかなか理解していただけない現状である。現在でさえも人知れず受診をしている患者が多い実情をみれば,今後益々近代化していく病院への患者の足はだんだん遠のき,精神科専門医の診療を受ける機会を失して,早期発見,早期治療が益々困難になることが考えられる。
終戦後,国民総福祉の名のもとに,わが国の医療は皆保険の道をあゆんできた。皆保険医療は国民に多くの利益をもたらした。反面現在に至って多くのひずみが生じていることは衆知のことである。精神医療においても同様であって,誰もがひとしく専門医の診療を受けられることや,慢性の経過をとる患者の経済的負担を軽くする利点があるが,一方では,保険診療記録による病名や症状の半公開や措置入院などにみられるような経済措置色の強い長期在院など,患者にとっては,不利益なことが多くみられる。このような現状をみていると,医療制度の近代化や皆保険と平行して,患者個人の秘密は明らかに侵害されている。これは何も精神疾患患者に限らず,他科の患者にもいえることであるが,この両者を同じ感覚で論ずることはできない。何故なれば,現在でも精神疾患患者に対する根ぶかい偏見や社会の差別が,世間一般人の間では勿論のこと,医療従事者の間にもあり,精神医療について真に理解をもっている人は甚だ少ないからである。皆保険が実施され数十年を経た今日でさえ,精神科を受診する患者の中には,多額の健康保険金を払い,保険証を有しているにもかかわらず,保険証を使用せず,現金払いで受診するものがよくみられる。また,よほどのことでないと,初めから精神科を受診しないし,多くは内科や他科を受診したり,あるいは,病院でもない教育相談所や祈?所あるいは占い所を訪れたあと,精神科を受診するものがあとを絶たない。このような患者やその家族の心情は,世間一般の人々や他科の医療従事者などには,到底判ってもらえないことである。このような患者や家族の態度は説明を要するまでもなく,精神科を受診したことが,他人に知れることを恐れるためで,自分で医療費を負担することより以上に,大きな不利益があることを恐れるためである。現在の保険のシステムでは,病名が医師だけでなく,他の病院従事者,さらには保険組合,会社や役所,学校などに当然知れることは明らかであり,病名によっては,失職,転職につながり,さらには将来の立身出世や結婚に影響することを恐れるのである。たとえ,保険診療を受けたとしても,多くの患者や家族は診断書の病名や内容に気をつかい,復職や復学への影響のない病名を希望することは,多くの臨床家の衆知の事実であり,多くの診断書にみられるところの神経症,神経衰弱,何々反応などの診断名が如実にそれを物語っている。このような世間一般の人々の精神医療に対する無理解や認識の不足は数えあげればきりがない程多々ある。これは世間一股の人人だけに限ったことではなく,精神医学を学び,いくらかでも精神衛生知識を身につけているはずの医師や看護婦でさえも精神医療を真に理解している人は少ない有様で,患者に対して早期に精神科受診をすすめる人は少なく,まして自分の知人や家族の場合となると受診は遅れ,治療の時期を失して来院するものが多い。このように,世間全体には,まだまだ精神衛生知識が不足しており,依然として精神疾患患者に対する偏見や差別があるが,一方では,医療の近代化はどんどん押しすすめられている。多くの医療施設では,医療設備や内容が改革されて,情報化,自動化,システム化が導入され,労働力や時間の無駄を少なくして,仕事の能率をたかめ,合理化がすすんでおり,それはそれなりに多くの利点があることは論ずるまでもないことであるが,そこには,人間疎外があり,医療の本質である医師対患者関係は,ますます薄れてきて,両者の対話は存在しない。最近では医療の中にコンピューターが導入され,診療は自動化されて,流れ作業となり,医師対患者の対話の場などとても期待できないし,往年の医師のイメージなど探しても見当らない時代になりつつある。したがって,そこには患者の人権尊重や秘密保持が守られないという危険がひそんでいる。たとえば,近代的病院においてみられる,中央カルテ,システムというものについて言えば,このシステムは,患者に一連の背番号をつけて,その病院に限って,どの科を受診しようとも番号は同一番号で,診療記録も全て一つのファイルに収められて,中央に保管し,必要あれば,何時でもひき出せるようにして,患者の健康管理,あるいは医師や看護婦の診療や勉強,さらには病院事務の迅速化,合理化,能率化をはかろうというものである。反面,患者側に立ってみる時,好都合ばかりではなく,多くの不都合もあるわけで,患者の秘密が侵される危険があり,特に精神疾患の患者にとっては,前述のごとく,不利益につながることが考えられる。たとえ,患者の秘密保持について,しかるべき処置や対策がなされたとしても,言うは易く行なうは難しで,他科の診療記録と一緒のファイルに収められること,病名別や科別索引,あるいは一連番号制,診療記録の閲覧など,どれをとっても秘密保持の確かな保証はどこにもない。精神疾患に限らず,遺伝病や悪性疾患,さらには,人の忌み嫌う疾患にも同様に当てはまることである。たとえ,このような近代化が大多数の人々の利益につながるとしても,ひと握りの不利益をもたらす人々を犠牲にすることはできないし,これは医師以前の問題であり,医療の近代化の流れにあって医師対患者関係が失われようとする時代にあっては,なおさら,現在の医療のあり方を,このような不利な立場にあるひと握りの患者の立場に立って考えて,見なおす必要があるように思われる。このような立場にある患者を一番多くかかえているのが精神科医であり,現在の精神医療の立場や苦悩というものが,世間一般の人々のみでなく他科の医師や看護婦,医療従事者においてさえも,なかなか理解していただけない現状である。現在でさえも人知れず受診をしている患者が多い実情をみれば,今後益々近代化していく病院への患者の足はだんだん遠のき,精神科専門医の診療を受ける機会を失して,早期発見,早期治療が益々困難になることが考えられる。
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