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雑誌目次

論文

精神医学18巻6号

1976年06月発行

雑誌目次

特集 在宅精神医療—日常生活における指導と治療 巻頭言

特集にあたって

著者: 臺弘

ページ範囲:P.594 - P.595

 精神医療の本来のあり方が患者の生活する社会の中で日常生活に則してなされるべきものだ,という認識が一般的になってきたのはここ20年来のことである。これは一面には社会精神医学に対する関心の高まりとなって現れ,他面,外来診療やリハビリテーション活動のひろがりとなって現れている。地域を基盤とした総合的な精神医療体系が語られるようになってからもすでに久しい。
 理念の上ではそうであっても,実践の面では我国の状況は遅々として進まない。さまざまな社会的な阻害条件と医療者側の意識の不統一が,あるべき姿の実現を妨げている。

Ⅰ.在宅精神障害者の動態(実態)とその処遇—何に困っているか,何ができるか,何をなすべきか

都市社会(川崎)における問題

著者: 岡上和雄 ,   岸沢真理子 ,   栗田正文

ページ範囲:P.596 - P.604

I.はじめに
 精神障害者の動態を正確にとらえることは,結論的にいえば,今日の段階では不可能に近いことのように思う。特に,都市においては,その感が深い。その理由については,今,ここで深入りする必要はないであろう(加藤1)は,それについての問題の所在を集約している)。
 しかしながら,その大よその態様を頭に画くことは,みずからの実践の位置,実践の意義を探るために,大変,重要なことである。

地方中都市(北海道旭川)の精神医療

著者: 塚本隆三

ページ範囲:P.605 - P.613

I.はじめに
 まずこの報告は,今度の特集を企画された人の意図を充分に汲んだものではないことを,おことわりしておく。企画者から連絡のあった時にも,テーマに沿って意見を述べるほど当地方の患者の実情をつかんでいないことから辞退したが,再度の要請であえて引き受けたのは,これとは別に,当科を受診した精神分裂病患者の実態を調査中であったからである。
 私が当院の精神神経科の初代医長として着任して12年になり,この間にかかわりあってきた精神障害者,特に精神分裂病の患者の現状を充分認識することが,これからの私の仕事の方向づけをすることになると考えて調査を始めた。この種の報告は数多くあり,在宅患者に特別な対策がなされていない旭川の現状では,目新しい,報告しなければならぬようなこともないのかもしれないが,現状の分析をもとに,旭川という地方中都市の文化的・社会的背景を考慮しつつ,今後の方向をさぐるのが私にとって必要なことであり,それがある程度,今度のテーマに沿いうるだろうと考えたからである。

農村地域(群馬)における精神障害者の生活状況

著者: 国友貞夫 ,   伊勢田成子 ,   小川一夫 ,   小坂喜一郎 ,   宮真人

ページ範囲:P.615 - P.625

I.はじめに
 この論文の目的は,農村地域における精神障害者の生活実態を明らかにすることにある。農村での精神障害者の集団としての推移,個々の精神障害者の処遇の変遷,現在の生活状況と問題点などの分析を通して「何に困っているか,何ができるか,何をなすべきか」について考察してみたい。
 もちろん,農村と一言にいっても都市近郊,平野部,山間などと地域によりその実態は大きく異なっていると考えられる。
 著者らが,この目的のために選んだ農村は群馬県利根郡白沢村という人口3,000人余の山村である。この村を選んだのは,第1に昭和40年以降、保健婦により,いわゆる「地域精神衛生活動」が展開され,精神障害者一人一人の動きが,点としてではなく流れとして把えられていること,第2には小村のため,保健婦による精神障害者把握は悉皆調査に匹敵すると考えたからである。
 なお,ここで用いられる資料は日常活動の集積であり,必要な補足的調査は昭和50年11月に行なわれた。

閉ざされた地域(長野県木曽)における精神医療

著者: 金松直也

ページ範囲:P.627 - P.636

I.はじめに
 この小文は,精神医療の実践に際し,具体的に何に困っているか,何ができるのか,何をなすべきかを,木曽谷での6年間の体験を通してまさぐろうとする。この際,煩雑を省みず,いわゆる地域精神医療に対する私の考え方の経緯をつけ加えようと思う。何故なら,私が木曽谷で精神障害と取り組んできたこの6年間こそ,精神医学,医療界においては,疾風怒濤の時代であったし,今なお「精神医療とは何なのか」という根源的な問いが,問われつづけているからである。私はこの問いを意識せずに報告をなしえない。かつて,私は地域精神医療を実践する故に,自らを従来の精神医療に対する挑戦者と位置づけ,自分をこの社会構造と,それにつきまとう価値体系の埓外においていた。実践の中で,おぼろに芽生えていた私達のやり方についての疑問は,1972年,第6回地域精神医学会において,はっきり現れてきた1)。即ち,精神医療の治安性は,地域精神医療においても別ではなかった。否,地域精神医療においては,なおのこと危険だとする指摘2)は,正鵠を射たものであった。しかし何よりも,実践の中から試行錯誤しながら進むことを大切にしていた私は,指摘があまりにも論理的で,容赦ない形でなされたので,感情的な抵抗感をもったのも事実だった。この問題提起は,木曽で始めていくらもたたない私の気負いを打ち砕くのに充分であった。私は秘かに,実践によって答を示そうと期した。この時自分の中に生じた変化を,私は大切にしてきた。それから更に3年余が経過したが,私の目論見は果たされていない。その現実をここでもう一度点検しなおそうと思う。

Ⅱ.日常生活(在宅)における生活療法—その理念とプログラム

著者: 菱山珠夫

ページ範囲:P.637 - P.644

I.はじめに
 数年来,精神科領域においては,さまざまな疾病観,治療観の相違による論争が巻き起こっており,それが,現実の医療活動に,多くの影響を与えてきている。
 しかし,同時に,臨床医である筆者の目の前には,その原因は何であれ,精神機能に変調をきたし,その表現(症状)として,生活行動上(言動)にさまざまな偏りを生じ,その結果として,それまで過ごしてきた社会生活の場に対応できず,従って自己実現の機会,方途すら見失い,苦悩する多くの人々(病者)が存在している。彼らが,臨床医である私に問うていることは,その苦悩をどれだけ理解し,共感するかではなく,その苦悩をどれだけ軽減するかであり,そのために,医療技術者として,具体的に,どのような援助を提供できるのかということであろう。

Ⅲ.外来だけで支えられる人,支えられない人

著者: 長坂五朗

ページ範囲:P.645 - P.656

I.はじめに
 いかなる病気であれ,外来だけで支えられる病気と,そうでない病気とがある。その状態と状況に応じて,外来治療と入院治療とがある。精神障害もその例外ではない。興奮して,周囲の人をはらはらさせている人と,吐血して体をまるくしてうんうん捻っている人と,さして差はないと思う。後者の場合でも,必要な設備を持ち,適切な処置が行なわれ,本人なり,家族なり,あるいは医師なりが,外来(往診も含めて)だけで支えようと希望すれば,それはできるであろう。前者の場合でも,もちろんそのように考えてしかるべきである。ここ2〜3年の動向は,かつて私が「精神科診療所をめぐる諸問題22)」で,不毛,不用論に言及した頃より,かなり様相が変わり,まず外来で治療すべきである,入院中心主義を排し,社会生活の中で治療するべきだという方向に動いているようである。「外来だけで支えられる人,支えられない人」というテーマが,現実に問われてき始めたのも,そのあたりの変化に応じたものと,私は受けとめて,この問題を引き受けたものの,引き受けて4〜5カ月間,考えれば考えるほど,難問であることがわかってきた。というのも,例えば先述の吐血の例など,精神科医療以外の分野では,医学と医療がおおむね直結しており,医学医療の進歩と医療設備の高度化と同時に,管理体制が出来上がっており,24時間救急車は走りまわっているのである。もちろん行政的,経済的,人的諸要因で,ここにも問題は山積のようであるが,精神科にあっては,精神医学と精神医療の直結はなく,今なお精神科医療体系が問われつづけており,むしろ混乱しているのではないだろうか。精神障害は分裂病を以て代表されようが,その医療の方法論にコンセンサスのないことが,その最大の原因であろう。しかし入院施設を持たない東大病院精神科の外来治療や2,3),阪本の院内医療から地域医療へ14),群大グループの生活臨床7,10,17),大原らの「共同生活による分裂病者の社会復帰8)」,小坂の「精神分裂病患者の社会生活指導12)」,精神科症例集にみられる「治療の場9)」,谷向の「精神分裂病の通院療法18)」等々6,1,11,16)多くの具体的な提案が,問題解決の方向に向かっており,私はこのあたりから何らかの体系的なものが出てくるであろうと,希望的観測をしているが,日常の診療に追われている1精神科診療所にあっては,それも「針の穴から天のぞく」の的外れの期待かもしれない。
 ともあれ精神障害者の医療にあたって,外来治療はもはや,入院治療にもまして,重要であることは,精神科医一般の認めるところといってよいであろう。そして精神科診療所が,外来で支える重要な治療の場の1つであることには異論はないであろうし,現実にはいろんな形態,方法で実践されているはずであるが,その実体は不明であり,いわば各入各様であり,私の場合もその例外ではない。そこに私の困惑があり,難問とした所以があるわけだが,長期間「外来だけで支えられた人」(初期入院,休息入院を含む)と共に生活してきた経験を持つ私に,何らかの意見を提示しうるものがありとすれば,その体験のみであろう。以下多少の症例を示し,考察してみたい。

Ⅲ.精神科診療所における在宅医療

著者: 香内信一

ページ範囲:P.657 - P.663

I.はじめに
 わが国の精神医療には単なる入院中心主義から脱却し,外来治療・社会復帰活動・地域精神医療の確立へと進むべき一方向がある。現在我々は精神医療の持続的一貫性や地区責任性について論ずるほどの力量はないが,現実に全国に約2001),群馬県下でも14の精神科診療所が在宅治療とケアを精神医療の中心にすえて治療しているのである。診療所在宅医療の展開をめぐり,昭和44年に山越2)によって精神医療のなかで診療所の位置づけを行って以後7年,当時とくらべ部分的には変わったものもあるが,全般的には余り進歩しているといえない。これは単に診療所機能の不完全さとか,地域に対する働きかけのまずさといった主体的,技術的な側面だけの問題でなく,あいも変わらぬ低医療費政策の下では入院患者が病院にあふれている現象とうらはらに,わが国の精神医療政策の貧困と立ち遅れが大きな要因をなしていると思われる。今回の「診療所外来で支えられる人,支えられない人」についての報告は,群馬県下の精神利診療所(各医師は開業歴2〜12年の経歴をもつ)のうち8無床診療所と2つの総合病院精神科外来で診療をしている精神分裂病を対象とした。また「支える」という言葉をとりあえず「外来で入院させずに診療し生活をもちあげ,なおしてゆくこと」と規定する。

Ⅳ.要入院状況の解析と要件—東大精神科外来活動の経験,第3報

著者: 安西信雄 ,   豊嶋良一 ,   渡辺諄二 ,   岡崎祐士 ,   朝野潤二

ページ範囲:P.665 - P.677

I.はじめに
 さまざまな患者がさまざまな問題をかかえて受診してくる。その度ごとに精神科の臨床にたずさわる我々は「最も適切な治療は何か,どうすればよいか」と考える。そしてそのうちのかなりの患者について「この人を外来でどうしたら支えられるか」という問いに否応なしに直面させられる。この問いの重要性は,単に実践的に避けがたいということによるものでなく,行なわれる医療の本質に由来するものであると考えられる。なぜならば,臺1)が提唱するように,「精神障害は,それが疾患とよばれるものであろうと,適応障害とよばれるものであろうと,また発達障害や人格の偏りであろうと,一般に患者の生活面の困難として現れるものである。医療にはその人の生活をより健康な状態に近づけることが求められているのであるから,医療はできるだけ患者の生活に即して,社会生活の中で行なわれることが望ましい。したがって外来治療は本来精神科医療の中心となるべきもの」と考えられるからである。
 ところで外来治療の重要性は現在広く主張されており,精神科医の中での共通の認識となりつつあるといえようが,これが実践の段階で生かされ,精神科外来治療を更に発展させるためには,さまざまな分野での経験の集積とそこから抽出される技術論等の発展が必要であると考えられる。
 東大精神科外来では既報2,3)のように外来機能充実のための診療体制の改革を行なった。その主なものは,①医師の外来専門医化,②新来・再来予約制の導入,③新来・再来主治医一貫体制,④「初診時作戦」の強化(予診医と初診医の相談による適応決定と治療指導),⑤更に電話によるケアと相談の強化,時間外診療と訪問活動などである。
 このことは20数名の常勤医を擁する精神科施設で,スタッフが「できるだけ患者を外来で支えよう」という積極的な志向をもって外来活動に専念し,入院は必要最少限にとどめる努力をした場合に外来でどこまで患者を支えることができるかという,いわば治療的実験をかつてない規模で行なったことを意味する。

Ⅴ.日常生活で精神医療を支えるのは誰か

著者: 中沢正夫 ,   石川辰夫 ,   伊勢田堯 ,   桂あぐり ,   峰村光平

ページ範囲:P.679 - P.687

I.はじめに
 医療が,診断,投薬,手術などの狭義診療技術の行使だけで完結すると考える人はまずいないであろう。予防とアフター・ケア,リハビリテーションが前後につくとするのは現代では常識である。しかしこのように時間軸への発展は了としても,横軸,生活空間への医療の拡がりもまた常識として認められていることであろうか。たしかに狭義診療技術の十分な行使を保障する経済的・社会的・心理的条件を患者がどう整備するかは,医療にとって不可欠な要素であるし,患者の日常生活のあり方は疾病の転帰をきめるといってよい。それは古くから療養指導,養生訓としてある。だがこれらの分野で働く人達はなぜかparamedical staffと呼ばれる。そして,慢性疾患ほどこの分野とそこで働く人達にかけられる役割の比重は大きくなっていく。
 殊に精神疾患では原因不明の慢性疾患の例にもれず,生活療法という治療的アプローチを発展させている。これは一般疾患における療養指導という如き,やや添えもの的概念をこえて中心的治療法の一つとして期待されている。それは,患者の生活のあり様をかえることにより,その状態像を動かすことができる,あるいは改善させえるという共通の認識にたって各種の実践的手法が展開されている。

Ⅴ.保健所,ソーシャル・ワーカーと在宅精神医療—都市社会における問題

著者: 坂庭章二 ,   石原邦子 ,   桜井攻 ,   今井功 ,   東野忠和 ,   岡上和雄 ,   大河内恒

ページ範囲:P.689 - P.700

Ⅰ.保健所における精神衛生サービスの特徴
 周知のとおり,地域と保健所の関係は,必ずしも一様とはいえない。精神衛生の分野でも同様である。
 図1と図2は,そのことを示すひとつの統計的事実である。

Ⅵ.精神障害者の家族問題,家族への働きかけ

著者: 牧原浩

ページ範囲:P.701 - P.710

I.はじめに
 私にとって精神障害者の家族にどう働きかければよいかというテーマは常に大切な問題でありながら,同時にこれまでどうにもならない問題でもあった。というのも,私の主な関心は分裂病の家族に向けられていたのだが,数例の事例について病者をとりまく家族状況がわかってくるにつれて,家族との接触は,せいぜい患者のおかれた家族内の立場に対して治療者が理解を深め,その理解を患者個人の治療に反映させ役立たせるという範囲内でのみ意味があり,家族そのものに働きかけることは大変むずかしいことだと考えていたのである。
 しかしここ数年,再びこの問題についてまじめに考えなければならないと思うようになってきた。その最大の理由について述べると,私は分裂病に関して家族問題の重要さを感じながらそこに介入してゆく自信がもてず,患者に対する精神療法的接近を軸とする治療を長年重視してきたが,その円滑な進行を遮る一つの障壁としてやはり家族の問題があることに,あらためて思い至ったのである。アメリカでは最近個人精神療法家や,主に成因論的見地から分裂病家族を研究していた人人——例えばLidz,Alanenなど——が続々と分裂病家族への治療的働きかけ(この場合は家族療法)に力を入れ始めたと聞いているが,かかるアメリカにおけるダイナミックな変転も,私には大きな刺激になっているように思われる。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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