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文献概要
特集 在宅精神医療—日常生活における指導と治療
Ⅲ.外来だけで支えられる人,支えられない人
著者: 長坂五朗1
所属機関: 1長坂医院
ページ範囲:P.645 - P.656
文献購入ページに移動I.はじめに
いかなる病気であれ,外来だけで支えられる病気と,そうでない病気とがある。その状態と状況に応じて,外来治療と入院治療とがある。精神障害もその例外ではない。興奮して,周囲の人をはらはらさせている人と,吐血して体をまるくしてうんうん捻っている人と,さして差はないと思う。後者の場合でも,必要な設備を持ち,適切な処置が行なわれ,本人なり,家族なり,あるいは医師なりが,外来(往診も含めて)だけで支えようと希望すれば,それはできるであろう。前者の場合でも,もちろんそのように考えてしかるべきである。ここ2〜3年の動向は,かつて私が「精神科診療所をめぐる諸問題22)」で,不毛,不用論に言及した頃より,かなり様相が変わり,まず外来で治療すべきである,入院中心主義を排し,社会生活の中で治療するべきだという方向に動いているようである。「外来だけで支えられる人,支えられない人」というテーマが,現実に問われてき始めたのも,そのあたりの変化に応じたものと,私は受けとめて,この問題を引き受けたものの,引き受けて4〜5カ月間,考えれば考えるほど,難問であることがわかってきた。というのも,例えば先述の吐血の例など,精神科医療以外の分野では,医学と医療がおおむね直結しており,医学医療の進歩と医療設備の高度化と同時に,管理体制が出来上がっており,24時間救急車は走りまわっているのである。もちろん行政的,経済的,人的諸要因で,ここにも問題は山積のようであるが,精神科にあっては,精神医学と精神医療の直結はなく,今なお精神科医療体系が問われつづけており,むしろ混乱しているのではないだろうか。精神障害は分裂病を以て代表されようが,その医療の方法論にコンセンサスのないことが,その最大の原因であろう。しかし入院施設を持たない東大病院精神科の外来治療や2,3),阪本の院内医療から地域医療へ14),群大グループの生活臨床7,10,17),大原らの「共同生活による分裂病者の社会復帰8)」,小坂の「精神分裂病患者の社会生活指導12)」,精神科症例集にみられる「治療の場9)」,谷向の「精神分裂病の通院療法18)」等々6,1,11,16)多くの具体的な提案が,問題解決の方向に向かっており,私はこのあたりから何らかの体系的なものが出てくるであろうと,希望的観測をしているが,日常の診療に追われている1精神科診療所にあっては,それも「針の穴から天のぞく」の的外れの期待かもしれない。
ともあれ精神障害者の医療にあたって,外来治療はもはや,入院治療にもまして,重要であることは,精神科医一般の認めるところといってよいであろう。そして精神科診療所が,外来で支える重要な治療の場の1つであることには異論はないであろうし,現実にはいろんな形態,方法で実践されているはずであるが,その実体は不明であり,いわば各入各様であり,私の場合もその例外ではない。そこに私の困惑があり,難問とした所以があるわけだが,長期間「外来だけで支えられた人」(初期入院,休息入院を含む)と共に生活してきた経験を持つ私に,何らかの意見を提示しうるものがありとすれば,その体験のみであろう。以下多少の症例を示し,考察してみたい。
いかなる病気であれ,外来だけで支えられる病気と,そうでない病気とがある。その状態と状況に応じて,外来治療と入院治療とがある。精神障害もその例外ではない。興奮して,周囲の人をはらはらさせている人と,吐血して体をまるくしてうんうん捻っている人と,さして差はないと思う。後者の場合でも,必要な設備を持ち,適切な処置が行なわれ,本人なり,家族なり,あるいは医師なりが,外来(往診も含めて)だけで支えようと希望すれば,それはできるであろう。前者の場合でも,もちろんそのように考えてしかるべきである。ここ2〜3年の動向は,かつて私が「精神科診療所をめぐる諸問題22)」で,不毛,不用論に言及した頃より,かなり様相が変わり,まず外来で治療すべきである,入院中心主義を排し,社会生活の中で治療するべきだという方向に動いているようである。「外来だけで支えられる人,支えられない人」というテーマが,現実に問われてき始めたのも,そのあたりの変化に応じたものと,私は受けとめて,この問題を引き受けたものの,引き受けて4〜5カ月間,考えれば考えるほど,難問であることがわかってきた。というのも,例えば先述の吐血の例など,精神科医療以外の分野では,医学と医療がおおむね直結しており,医学医療の進歩と医療設備の高度化と同時に,管理体制が出来上がっており,24時間救急車は走りまわっているのである。もちろん行政的,経済的,人的諸要因で,ここにも問題は山積のようであるが,精神科にあっては,精神医学と精神医療の直結はなく,今なお精神科医療体系が問われつづけており,むしろ混乱しているのではないだろうか。精神障害は分裂病を以て代表されようが,その医療の方法論にコンセンサスのないことが,その最大の原因であろう。しかし入院施設を持たない東大病院精神科の外来治療や2,3),阪本の院内医療から地域医療へ14),群大グループの生活臨床7,10,17),大原らの「共同生活による分裂病者の社会復帰8)」,小坂の「精神分裂病患者の社会生活指導12)」,精神科症例集にみられる「治療の場9)」,谷向の「精神分裂病の通院療法18)」等々6,1,11,16)多くの具体的な提案が,問題解決の方向に向かっており,私はこのあたりから何らかの体系的なものが出てくるであろうと,希望的観測をしているが,日常の診療に追われている1精神科診療所にあっては,それも「針の穴から天のぞく」の的外れの期待かもしれない。
ともあれ精神障害者の医療にあたって,外来治療はもはや,入院治療にもまして,重要であることは,精神科医一般の認めるところといってよいであろう。そして精神科診療所が,外来で支える重要な治療の場の1つであることには異論はないであろうし,現実にはいろんな形態,方法で実践されているはずであるが,その実体は不明であり,いわば各入各様であり,私の場合もその例外ではない。そこに私の困惑があり,難問とした所以があるわけだが,長期間「外来だけで支えられた人」(初期入院,休息入院を含む)と共に生活してきた経験を持つ私に,何らかの意見を提示しうるものがありとすれば,その体験のみであろう。以下多少の症例を示し,考察してみたい。
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