古典紹介
—Kleist, K.—Über zykloide, paranoide und epileptoide Psychosen und über die Frage der Degenerationspsychosen—第1回
著者:
飯田真1
坂口正道2
所属機関:
1東京大学医学部精神神経科(分院)
2都立梅ケ丘病院
ページ範囲:P.1189 - P.1199
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ヒステリー,躁うつ(循環)病,パラノイア,てんかん,分裂病といった既知の疾患の種類に,即座に分類できるような体質的基盤の上にある定型的な精神病の他に,この大疾患型に編入できないような相当量の非定型的で一般的でない(ungewöhnlich)疾患例がある。それにもかかわらず,それらを無理してこのような診断に押しこめようとすれば,疾患の種類の境界をぼかしてしまい,そのことが結局このような疾患概念の解体をひき起こすことになりかねない。その際,その一般的でない精神病を大疾患群の一つもしくは他のものに入れるとか入れないということは意味のないことである。この精神病はどんな疾患群にもあてはまらないのだから。Kraepelinによる躁うつ混合状態の学説に従って,多くの人はこの一般的でない精神病を躁うつ混合状態として理解できるだろうと期待した。躁うつ病についてのKraepelin自身の記述もまた,彼自身が躁うつ性感情精神病の基礎症状からまったくはずれている少なからざる症例を,混合状態としてとらえうると信じていることを明示している。その後Gaupp,Kretschmer,Hoffmann,Kahnらはこの精神病の混合という考えを本質の異なる疾患にも応用し,ある種の一般的でない精神病を躁うつ病と分裂病の混合として,また他のものをヒステリー性の病状と循環性の病状の混合として,もしくは更に別の疾患の組み合わせとみなした。もちろんある場合にはある一般的でない循環病性の病像は,患者が躁うつ性素因の他に別の側面から受け継いだ分裂病性遺伝負因をも持っており,それが病気の形であらわれたものとして理解できるかも知れない。しかしながらこういった説明のしかたは,非定型疾患のすべてにあてはまるものではない。同じことは外的障害(脳損傷,中毒,感染症),身体的疾患現象(例えば重篤な貧血,代謝障害,脈管腺障害),年齢や性の有する形態変遷的影響,病的過程そのものの強さ,などの相互作用についても言える。すべてこういった事情を考慮することは重要であるが,しかしなお“構造分析”(Birnbaum)とか“多次元的考察方法”(Kretschmer)といったものの助けをかりてもあらゆる診断学上の困難さを克服することができないだろう。それは一つにはこういった絡みあいが,大部分の非定型疾患例において明白には存在しないという理由からではなく,また特に多くの非定型精神病の症候像が他の既知の病像のいかなる混合とも認められないという理由からでもなく,何か単純な本源的なものと思われるからである。
だから支配的な思考習慣から自由にならねばならず,一般的でない精神病をありのままにとらわれずに記載し,推移するままに観察しなければならない。その際定型的精神病との比較を決してためらう必要はない。逆にまず既知の病型を基点として用い,われわれの知識を更に発展させる場合に,それによって歴史的な関連を保つのがよい。そうすれば多くの非定型疾患がいろいろな定型精神病と近縁であることが分かる。たとえそれが精神病もしくはそれが発生してくる体質的基礎の部分現象に一致するものであれ,遺伝生物学的親和性にすぎないものであれ……。一般的でない精神病は一部はヒステリーの“副精神病”や“辺縁精神病”としてあらわれるし,一部は躁うつ病やパラノイア,てんかんの辺縁精神病として存在する。もちろん多くの場合,ある一般的でない疾患例がどのような“主精神病”の辺縁精神病として帰属されるべきなのかという疑問が生ずることはあろう。というのは症候学的,遺伝学的な糸は単に一つの主精神病からのみでなく,二つもしくはそれ以上の主精神病からたどれるからである。他方では大精神病圏と密接な近縁性がまったく証明されえないこともある。その際忘れてならないのは非定型疾患例を主精神病に併合することは,これらの領域に暫定的整理をつけるために,単に実践的歴史的な理由から歩まれた道であるということである。しかしながら一般的でない精神病がすべて大精神病圏との近縁関係をもっているはずだということではない。