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雑誌目次

論文

精神医学19巻6号

1977年06月発行

雑誌目次

巻頭言

慢性疾患医療としての精神医療

著者: 原田憲一

ページ範囲:P.554 - P.555

 1.この表現はやや妥当でない。より正確にいうなら,「精神医療の慢性疾患医療的一側面」というべきであろう。
 精神疾患(今日,その中心は精神分裂病とよばれている一群である)を慢性病と規定することには異論もあろう。また精神医療を全体として慢性疾患医療の中に一般化してしまうのは誤りであろう。精神疾患,ひいては精神医療の特殊性は否定されるべきではない。しかしこの特殊性を強調するあまり,精神医療がもっているところの慢性疾患医療一般と共通する側面に無知でいるのも正しくない。精神医療の特殊性が,精神障害への偏見につながったり,他の医療から特別扱いされて孤立し,さらに或る場合には精神科医が一人よがりになる場合もあるように思う。精神医療が直面している多くの困難の中に,精神医療なるが故の困難ではなく,わが国の(あるいは世界中の)慢性疾患医療全体に共通する困難があるのではないか。精神医療の特殊性を正しく把握するためにも,その特殊でない部分を深く知る必要がある。

展望

地域精神医学の発展とパラ・ホスピタル・ケア

著者: 石原幸夫

ページ範囲:P.556 - P.572

Ⅰ.精神医学における治療モデルの転換
 Greenblatt, M. 32)はアメリカにおける精神医学の変化を次のように述べている。
 「1950年代半ばにアメリカ精神医学を集中的にかつドラマティックに変化させた大きな治療傾向が2つあった。1つは効果の高いpsychoactive drugの広範囲な応用であり,2つは主として治療共同体therapeutic communityというスローガンで一般的になった社会精神医学の発展であった。これらの2つの治療傾向はやがて精神医学に一つの大きな変化をもたらすことになった。施設を中心とした治療モデルthe institutional-based care modelから地域社会を中心とした治療モデルa regionalor community-based care modelへの政策転換というのがそれであった」と。

研究と報告

失われた自己の回復—させられ体験の発症から軽快過程への現象学的研究

著者: 山田幸彦

ページ範囲:P.573 - P.588

Ⅰ.緒言
 われわれは生まれおちてこのかた,他者なしに在ることのできぬ者である。胎内における母とのまったき合体より否応なく相隔ち,それ以上に分割しえぬもの(in-divide)としてこの世に在るものの,それゆえにこそ原始的な不安,分離不安(separation anxiety)において胎内にありし一体感を夢みるものであり,世界内存在として関心(Sorge)へと還元されるところの者である。われわれは欠けたる者,求めるところある者であり,求めらるべき他者,自己を預けいれうる他者の必要のあるところの者である。こうした根源的な出自のゆえにわれわれは,孤独を恐れ本来的な孤独を失ったものとして「personaという在り方をしている個体」であり,「根本的には,一般に彼自身対応する他の人々によって,形式的には汝の我として,したがって人間仲間として(der Mitmensch)―この原理的な『役割』によって―規定されている」13)者である。「もし,文化の世界と一つの共同体をつくることができなければ人間は生存できず,そもそも人間であることができない」とSullivan, H. S. 25)が述べるのも同様の事情を示すものであろう。われわれにとっては,他者の絶対的な不在のもとに自己を想定することは不可能なことであり,たとえできたとしてもその時それは,およそ人間という名にふさわしからぬものとなろう。Ortega y Gassetが深い根源的孤独とともに愛を語り,Buber, M. が根源語としての我-汝(Ich-Du)を取り上げるとき,われわれは間柄としての人間の真実が全身にしみわたり理想的に実現された自己を感じ深い共感をあじわうとともに憧憬の念を禁じえないのだが,しかし,現実にはわれわれはそのような本来的な孤独を直視した相響きあう愛の世界には住んでおらず,むしろ,本来的な自己を忘却した存在として,「社会的空想体系に没入しその体系を現実とみなすほどにそれにひたりこんで」(Laing, R. D.)11)おり,そこにおける自己とはなによりも,眼差すことにおいて眼差され能為において能為されるところのものである。Sartre, J. P. 23)が端的に,「人間は,人間に対していつも魔法使い(un sorcier)であり,社会的世界はまず何よりも魔術的なのである」と述べ,Löwith, K. 13)がピランデルロの戯曲「御意にまかす」の分析を通してわれわれに生ま生ましい真実を示したのはこうした事態についてである。
 このような魔術的な人間的現実を極端な偏りのかたちで,病理的,拡大的に表す一群の患者達がいる。要素的には作為思考,作為感情,作為行動などといわれ自我障害の系列に属し,旧くは島崎24)により他律体験(Heteronom-Erlebnis)の名称が提唱され,現今は総称して,させられ体験(Gemachtes Erlebnis, Beeinfluβungs-Erlebnis, passivity phenornena, delusion of influence, sentiment d'influence)といわれる。この病態の重要性はよく知られている。Schneider, K. がalles von andern Gemachte und Beeinfluβte auf dem Gebiet des Fühlens, Strebens (der Triebe) und des Wollensと,させられ体験を彼の分裂病の一級症状のひとつに挙げているのは周知の通りであり,現在も診断学的に有力な根拠として広く流布されている。しかし,ひるがえって考えてみれば,させられ体験がきわだって病理的な症状とされるものの,人という字が俗にいわれるように人と人との寄り合い,もたれあう姿を表し,そのいずれが欠けても成立せぬ共同的形成作業であってみれば,自己とはそれ自身において完結するものではなく自己ならざるものを含み,その合力においてはじめて成立するものであって,こうした人であることの構造を考慮する時,「〈私自身の行為〉の中で〈他人の意志〉を生きる」15)事態とは特に異とするに足らぬものではある。

テストに現れた分裂病患者と同胞の比較—両親との関係をめぐって

著者: 末次哲朗

ページ範囲:P.589 - P.597

 寛解状態に達した分裂病患者とその家族成員(父親,母親,同胞)に音調テストおよびICLを施行した症例を,従来の分析方法とは異なる方法,いわゆる質的分析方法を用いて検討し,主として患者と同胞の比較を行なって次の結果を得た。
(1)同胞は患者に比較して両親とステレオタイプの共通例が多かった。特に父親との間に共通例が多かった。さらに,同胞は量的分析結果で評価の良い反応を示しており,共感性という面において極端に2つの面を持っていることがうかがわれた。
(2)患者は音調テストでは両親との共通性が少ないがICLでの共通例が多くなっており,特に父親との間に共通例が多かった。
(3)テストを通して,親一同胞,親一患者の共通点の差を抽出し,その差を親の影響の差と考え,両者の生育過程での親との関係の差としてとらえてみた。
(4)患者の示すraw empathyとernpathicunderstandingとの2層間の解離について述べ,合わせて分裂病家族の“成全されざる併存”という様態との関係について触れた。

糖尿病患者にみられた特異なけいれん発作

著者: 高橋三郎 ,   千葉達雄

ページ範囲:P.599 - P.605

I.はじめに
 糖尿病とけいれん発作との関係については,以前から糖尿病治療薬としてのインスリンや経口糖尿病薬による低血糖症が注目されていた2)。また近年は,糖尿病患者にみられる特異な昏睡のなかで,ケトアシドーシスを伴わない非ケトン性高血糖性高滲透圧昏睡non-ketotic hyperglycemic hyperosmolar coma24)の際にしばしばけいれんが頻発することが報告されている。しかし通常のケトアシドーシスを伴う糖尿病昏睡diabetic coma with ketoacidosisにおいては,けいれん発作の出現は注目されていないようである。
 われわれは最近,多彩な発作症状を示した糖尿病患者の1例を経験したので,ここにその臨床経過とともに発作時およびその後の継時的脳波所見について述べることとする。

激烈な精神症状を主症状とした急性瀰漫性リンパ球髄膜脳炎の1治験例

著者: 宮真人 ,   藤田孝司 ,   前田進

ページ範囲:P.607 - P.613

Ⅰ.はじめに
 急性脳炎あるいは髄膜脳炎は,発熱,明瞭な意識障害,神経学的所見,髄液所見などにより,比較的容易に診断され得るが,病初期に精神症状が前景に立ち,上記の徴候に欠ける場合は,鑑別診断に困難があり,日常臨床上,重要な問題を含んでいる13)。殊に,急性瀰漫性リンパ球髄膜脳炎は,精神運動性興奮,昏迷などの精神症状が多彩な反面,神経症状や巣症状に極めて乏しい,致死性の高い疾患であり,そのため,急性致死性緊張病との鑑別診断を慎重にする必要性が強調されている4,7,12)
 今回,われわれは,昏迷をもってはじまり,激烈な精神運動性興奮,緊張病様症状を示し,種々の程度の意識混濁を伴うが,副腎皮質ステロイドの大量療法および,全身状態の維持に力を注いだことにより,昏睡に至らず,さしたる後遺症を残さずに治癒し得た急性瀰漫性リンパ球髄膜脳炎の1例を経験したので報告する。

短報

飲酒により誘発された急性Diphenylhydantoin中毒の症例

著者: 兼子直 ,   桜田高 ,   鈴木喜八郎 ,   大沼悌一 ,   福島裕

ページ範囲:P.615 - P.617

I.はじめに
 抗てんかん剤による副作用には,投与部位の局所刺激反応,生体の過敏反応および過量投与(overdosis)によるものがある1)。したがって,多量投与せざるを得ぬ場合はもちろんのこと,適量投与と考えられる症例についても,副作用の早期発見とその防止には十分な配慮が必要である。
 最近著者らは,通常の治療範囲量の抗てんかん剤を投与していたにもかかわらず,アルコール摂取を契機に急性diphenylhydantoin(DPH)中毒の症状を生じた症例を経験した。本例については,血清,唾液,および髄液内濃度を経時的に測定したが,その結果を治療に役立てることができたので,本稿では,臨床経過とともに上記体液内抗てんかん剤濃度の変動ならびに,脳波所見の推移を合わせて報告する。
 各体液からの抗てんかん剤の抽出ならびに濃度測定は,おおむね宮本ら2,3)の方法に従った。

古典紹介

—Richard von Krafft-Ebing—Epileptoide Dämmer- und Traumzustände

著者: 浜中淑彦

ページ範囲:P.619 - P.637

 最もよく知られた神経症Neurose訳注1)の一つに数えられるものがてんかんであることは確かである。近年の医学は,古典的なけいれん発作の代理症Substitutionや等価症Aequivalentとして,一連の運動性または血管運動性症状や精神症状の症状群があり,このような症状群は数カ月,いな数年間にすらわたって,意識喪失を伴う強直性・間代性全身けいれんのかたちで出現する通常のてんかん発作にとってかわり,この疾患を仮面で隠すことがあるのを明らかにした。
 フランスの研究者,殊にFalretとMorelの尽力のおかげで,小発作と大発作petit und grandmal訳注2)の型に関する限り,精神てんかんpsychische Epilepsieについてのかなり精密な知識が得られた。それだけでてんかん神経症の領域における精神症状群の系列が完結したわけではないことは,GriesingerがArchiv für Psychiatrieの第1巻1868に収録した様々な知見の教えるところである。Griesingerは,彼の観察例では明確なてんかん発作はないにしても,その代りに持続時間の長短はあれ眩暈Schwindel,夢幻状態Traumzustände,あるいは突発する不安発作Angstanfälleが見出されるという意味で,これを類てんかん状態epileptoide Zuständeと呼んでいる。そのような状態に襲われた患者は,幼時しばしば意識喪失を伴うけいれんを起こしたり,頭部外傷を受けたことがある。

動き

日本神経化学会の発展と現状—第1回から第19回に至るまで

著者: 柿本泰男

ページ範囲:P.639 - P.645

I.はじめに
 日本神経化学会の見聞記を依頼されてなかなか書きづらく,遂に正月をつぶさざるを得ないはめとなった。見聞記は少し傍観者的であることが望ましい。筆者にとってこの学会はそうはいかない。大学院学生の最終学年に第1回―当時神経化学懇談会として発足―が開かれ,今日に至るまでこの学会は筆者にとっては最も貴重な学問的交流というか1年間働き蓄積したものを一度に発散する場であった。毎年秋が来ると全国の先輩や同僚が1年の成果を持ち寄り,お互いに無遠慮な討議を交し,互いに人の研究が良かったことを喜び合いまた,つまらぬ研究をやったなとなぐさめたりして2日間を過ごすのが例年行事となって来た。このような仲間の仕事を見聞記で当たりさわりなく平均的に紹介してみても今さらそらぞらしいと笑われるだろう。それに過去数年は正直言って研究は全体的に継ぎ足しみたいなのが多く,力作に乏しかった。それが今年はもち直し始めた。現在は一つの過渡期にあると思われる。神経化学の研究者の層が急速に拡大し,つぎの若い層に研究の中心が移行する時期にさしかかっているように思われる。

チャド・ヴァラー博士の講演をきいて—自殺防止とサマリタンス活動

著者: 稲村博

ページ範囲:P.647 - P.653

I.はじめに
 1976年2月24日,東京において,有名な自殺防止機関「サマリタンス」(The Samaritans)の創始者チャド・ヴァラー(Chad Varah)博士の講演会が催された。博士の来日はかねて待望されていたが,社会福祉法人「いのちの電話」の招きにより,このほど実現した。近年わが国にもようやくたかまりつつある自殺防止や電話カウセリングの活動に与える影響は多大といえる。
 博士は,Oxford大学で哲学,神学などを修められたあと,心理学を学ばれ,第一線のカウンセラーとしてその後長く地道な実践を続けられた。「サマリタンス」もこの実践から生み出されたものである。
 「サマリタンス」活動は,1953年11月2日にロンドンで始められ,以来飛躍的発展を遂げてきた。今日ではイギリスに165支部と1万8千余人のボランティアがおり,またイギリス以外にも100カ所に余る支部があるという。世界各国にさまざまな類似の機関がある中で,電話の導入による自殺防止の組織的活動として歴史的役割を果たし,また自殺の防止効果に画期的成果を収めている点特筆される。
 当日の講演は,具体的実践的なものであり,平明ななかに強い情熱と個性の盛り込まれた感銘深いものであった。以下まずその要点を略述し,つづいて必要な解説と考察を加えたい。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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