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雑誌目次

論文

精神医学2巻11号

1960年11月発行

雑誌目次

展望

病的酩酊の症候論

著者: 中田修

ページ範囲:P.713 - P.723

Ⅰ.はしがき
 私が昭和28年に都立松沢病院に赴任して初めて,林院長の助手として手がけた精神鑑定例は,病的酩酊かどうかという点に問題があり,林院長の鑑定を含めて合計4回の鑑定が行なわれ,結局は完全な責任能力を認められて死刑に処せられた。当時病的酩酊についてあまり知識のなかつた私にとつて,この鑑定はきわめて貴重な経験であつた。病的酩酊の可能性が大きいとした林院長の鑑定結果は採用されなかつたのみならず,4人の鑑定人の鑑定結果にかなりの相違がみられた。その後,少数例ではあるが酩酊犯罪例の精神鑑定に従事する機会にめぐまれたが,私が病的酩酊と鑑定したときにはたいてい,法廷において私は検事や裁判官の激しい追及をうけ,結局は再鑑定にまわされ,再鑑定では病的酩酊が否定されて,被告人は有罪の判決をうけている。
 こうしたにがい経験をかさねるにつれ,病的酩酊について文献を詳しく調べてみる機会をもちたいと考えていた。もちろん,精神医学のどんな教科書にも病的酩酊についての記述がある。わが国のこの方面の著書として,三宅鉱一先生の「責任能力」や菊地甚一氏の「酩酊責任論」のごとき立派なものがある。他方,精神神経学会の懇話会やシンポジウムのテーマとしてとりあげられたり,これに関する研究発表もいくつかなされている。しかし,私自身にはまだ納得でき書ないものがあつた。ごく最近ようやく機会をえて,古くからの文献をできるだけあさつてみた。そうしてみると,いままで私が疑問に思つていた多くの事柄がすでに論議されているのを発見し,これまでの不勉強を恥じ,あらためて何かを発表する勇気がなくなつた。しかし,私が読んだ文献を一応整理して発表すれば,それによつて多少とも利益をうけられる方もあるかもしれないと思いなおして,あえて筆をとることにした。

フランスの妄想研究(4)—第1部 症候論(つづき)—熱情妄想病(C.嫉妬妄想病),de Clérambaultの精神自動症,影響妄想,妄想直観—第2部 病因論—パラノイア体質論,Lacanのパラノイア心因論

著者: 小木貞孝

ページ範囲:P.725 - P.739

C.嫉妬妄想病(délire de jalousie)
 de Clérambaultは嫉妬妄想における熱情のもつ意義をみごとに指摘した。その後この線にそつてなされた研究は実に豊富な成果をもたらした。ここでは3つの代表的研究を展望してみたい。Minkowski,Lagache,Eyの研究がそれであるが,3人ともにおのおの独自の立場をもつていて相互の学説の比較という意味でも興味がふかいと思われる。
 Minkowski1)は嫉妬妄想患者の1症例を中心とする研究を行なつた。

研究と報告

分裂病様症状を呈したKlinefelter症候群の1症例

著者: 周維新 ,   山藤政夫

ページ範囲:P.741 - P.747

緒言
 Klinefelter症候群は,1942年,Klinefelter1),Reifenstein,およびAlbrightらにより初めて記載せられたHypogonadismの1特異型で,原著者らは17才より38才までの男子9例を示説し,おそらく原発性と考えられる高度の精細管変性(線維化),したがつて無精子症と睾丸発育不全(Leydig細胞はしばしば増生を示している),乳房女性化,尿中ゴナドトロビン増量を主徴候とする特異的症候群として指摘したものである。以来欧米においては,本症候群に一致すると思われる症例の報告数は逐次増加し,また本症候群の本態に関する検索が,多くの研究者によつてきわめて活発になされてきた。しかるに本邦においては,その知見の普及がはなはだしく遅れているためか,わずかに最近西村氏2)のインポテンツをともなう本症候群を思わしめる1例,松浦氏ら3)のGynecomastiaを有する定型的な本症候群の1例,江川・児玉4),高木・森5),小林・玉田6)らの計5例,および西7)氏らの脾腫とGynecsmastiaを主訴とする本症候群の1例,計数例がみられるのみである。
 しかるに,Klinefelter症侯群の精神病理学的考察に関する報告は,本邦には1例もなく,外国においても少ない。わずかにKlinefelter,Heller & Nelson8),Rosenblit9),Ernould10),Züblin11),Bleuler12),Pasqualini13),およびHermann14)らの記載をみるのみである。

定型・非定型精神分裂病のロールシャッハ・テスト

著者: 大塚文雄

ページ範囲:P.749 - P.753

緒論
 精神分裂病が単一の疾患であるか,あるいは症候群であるかという問題は,従来,種々議論のあるところであるが,こんにち,分裂病なる名称のもとに総括される疾患のなかには,臨床的に,あるいはまた遺伝的にも多様なものが含まれることは諸家のひとしく認めるところである。
 満田は,分裂病の遺伝臨床的研究から,分裂病をとくに狭く限定しないかぎり,それを遺伝的に単一の疾患とみなすことは困難であり,少なくとも遺伝素因の表現変異,あるいは遺伝様式について,明瞭な相違を示す2群,すなわち中核群(定型群)と,周辺群(非定型群)とに類別することができるとのべ,かかる2群の間には,臨床的にも種々の点で差異のあることを認めている。また,白石は,満田の周辺群と臨床的にほぼ一致すると思われる急性精神病の症例について,詳細なる生活史の研究を行ない,定型分裂病との間に,その人格構造のうえにも差異のあることを認めた。

Herdanfallの1例について

著者: 浅野楢一 ,   山田亨 ,   浅野楢次 ,   貴島千代彦

ページ範囲:P.755 - P.759

 従来,失語・失行・失認などの病巣症状が発作性に生じうることについては,すでにFaust,Pichler,Derwort,Kalman von Santha,Ajuriaguerra,Hécanら幾多の学者によつて注目されているところである。われわれも最近,脳外傷後におこつた頭頂・後頭葉の病巣発作と考えられる1例を経験し,この種の病巣発作は,けいれん発作と同様の危険性を有しているにもかかわらず,従来あまりかえりみられず,とくに交通関係の業務に従事している人などに,その危険性が大であることよりみても,頭部外傷患者の復職にさいして,今後は,かかる発作の有無についても十分顧慮さるべきであると考え,ここに報告し,あわせて若干の考案を加えたいと思う。

心的緊張および不安のMinor Tremor

著者: 小原貞利

ページ範囲:P.761 - P.765

はじめに
 Minor Tremor(MT)に関する研究は,自動周波数分析装置の利用によつてその応用面が拡がつてきている。まず正常人におけるMTの標準化が行なわれ1),その周波数分布が脳波のそれと類似していることが指摘された2)。婦人における月経周期とMTの周波数分布との関連3)が明らかになつたのは,周波数分析装置の応用によるところがとくに大きい。静穏剤を中心とした薬物とMTとの関連の研究から,MTのおもな成分であるα,β,θの3つの要素についての機能的な考察が加えられ,とくに中枢神経系機能の興奮および抑制の過程との相関が明らかにされた4)
 つぎに,MTを用いての心理的面の研究がくわだてられ,実験催眠中における情動変化にともなうMTの変化が観察された5)。筆者は精神過程とMTとの間の相関を検討してきたが,ここでは心的緊張および不安状態について報告する。

動き

精神病院のありかたと精神衛生審議会

著者: 津田信夫

ページ範囲:P.767 - P.769

 精神衛生法第13条によれば,精神衛生に関する事項を調査審議させるため,厚生省の付属機関として精神衛生審議会を置く,となつている。精神衛生審議会の委員は15人で任期は3年であるが,とくに必要があると認めるときは臨時委員を置くことができることになつている。精神衛生審議会の権限は,厚生大臣の諮問に答えるほか,精神障害に関する原因の除去,精神障害者の診察および治療の方法の改善,精神障害者発生の予防措置そのほか精神衛生に関する事項に関して関係大臣に意見を具申することになつている。
 本年からこの審議会に,相当数の臨時委員を任命してもらい,部会および小委員会を設けて,山積している精神衛生上の諸問題を審議検討し始めてもらうことになつている。

ドイツ通信(6)

著者: 関野やす

ページ範囲:P.771 - P.773

 北独へ行つたらシュトルムの小説の舞台をみてきたらという西丸先生の御提案をよいことにして7月26日から8月1日まで1週間北独からデンマークのJutlandの半島を1周してまいりました。テオドル・シュトルムの町Husumは初めからの予定でしたが,ほかはいきあたりばつたりのje nach dem Geldで,泊つたり,通りすごしたりというような,日本にいたときと同じような気のむくままの旅でございました。ハンブルグでは有名なSt. Pauliも,女の目にはおもしろい所がみつからないのか,こういう種類の所は昼間の太陽の下ではいつでもこんなふうにしかみえないものか,なんともうらぶれた感じで,戦災のあとはもちろん取りかたづけられてはいるものの,建物に統一がなく,戦争の惨害を感じさせられました。帰国が近づき,気がおちつかなくなつたせいか,あるいはそういう倦怠期にはいつたせいか,大学病院を目的もなく見学するのもばかばかしくなり,みてまいりませんでした。リュベックもキールも,ことに後者は戦前の建物は非常に少なく,見物価値はまつたくない町でしたが,リュベックではトーマス・マンが少年時代をすごしたBuddenbrookhausがFassadeだけ昔の面影をとどめ,その学んだGymnasiumはがつちりした煉瓦の建物でいずれもカラーフィルムによくおさまりましたので,いずれお目にかけられます。デンマークではJutland半島から汽車に乗つたまま行ける隣りの島Fünenにアンデルセンの生家があるそうですが,旅行案内を読むと,今生家として指定されている家は本物かどうかたしかでないとありましたし,わざわざ横道へそれるのもめんどうでしたので,みてまいりませんでした。汽車はときどきOstseeに沿つて走りましたが,のちにみたNordseeとはたしかに趣きが違い,静かに深い青をたたえて,湖水のようでした。美しいことは美しいのですが,Muller-SuurのいうようにNordseeのほうがたくましくdynamischで,私にはNordseeのほうがはるかに気にいりました。半島は北端に近いAlborgまで行き,ここから西におれて西海岸にまわり,ふたたび南下し,途中2泊,2〜3の町を見物いたしましたけれど,樹木もほとんど生えないようなWiese, Heideばかりで,町といつてもまことに貧弱でした。例の私流の勝手な臆測をたくましくいたしますと,どうもこんな所を,どこの国も,もらつても荷やつかいになるばかりなので,かえつて独立国として存在しているのではあるまいかと思えました。ヨーロッパ人のphysiognomieに多少なれた目でみますと,たしかにこの国の人はいかにもお百姓さんぜんとしており,北方人種のはずなのに体もずんぐりと貧弱で,やぼくさいと思つていたドイツ人が急に立派にみえてまいりました。もつとも同じデンマークとはいつても,コペンハーゲンに行けばきつと全然違うのだろうと思いますけれど。日本でも人様を大ぎようにもてなすのはいなか者のやることですが,デンマークでは汽車の中でお菓子を食べるときは同じボックスの中にいる者に,外人の私にも,必ず一応はすすめるという図がみられ,こんなことはヨーロッパにきて初めての経験で,ひどくheimischに感じられました。ふたたびドイツ領に入つてから,このあたりは有名な海水浴場なのでどんなふうか一見におよぼうとわざわざ横道にそれてみましたがWesterlandという海に近い駅は江の島さながらで,おしあいへしあいで,公衆道徳は地をはらい,ここからまた,混んだバスでもうひと乗りしないと海に行けないらしいので,おそれをなして,いまおりた汽車にまたとび乗り,ひつかえして,結局裸像の群はみる機会をえまぜんでした。もつとも横道にそれたのにはほかに目的がありました。というのはこの分岐点の近くにドイツ表現派の代表エミール・ノルデが生前住み,いまそこは彼の作品だけの美術館になつているというのを聞いたので,それをみるのが目的でしたが,そのへんにうろうろしている海水浴客はもちろんのこと,駅員も,土地の人らしいのをつかまえて聞いても,どこにあるのか,そのあたりを通るはずのバスがどれなのか,知つている者がいないので,これも残念ながらみることができませんでした。
 Husumに着いたのは土曜の午後で,翌日の昼まで滞在しましたが,こういう外国は不便で,私がHusumにいた時間はReiseburoも店もすつかり戸をとじ,町の地図を買うことも,記念品を買うこともできませんでした。土曜の夕方どしやぶりの雨のあい間をみて,やむなく宿のボーイに聞いた知識をたよりに,Stormの生家を書さがし,彼の遺品や写真があるというMuseumをさがしました。日曜日には,朝からぬか雨でしたが,とにかく教えられた港のほうに散歩しました。ボーイの教えてくれただけではたよりないので,日曜の朝の散歩をしているとおぼしい中年の,少しばかりインテリらしいのをつかまえて聞きましたら,これが図に当たり,1時間ばかり,案内,説明をしてくれました。もちろんいまは舗装され,かつてとは趣きが違つているのだそうですが,とにかく昔Stormが散歩したという港から北海に通ずる道を歩き,古い堤防とその外側にもう1つ作つた新しい堤防,その間にひろがるKog,そこに点在する,主として牛,所々に羊などをうすい霧をとおしてみてまいりました。このあたりは雨が降らなければほとんどつねに風なのだそうでして,いまでも外側の新しい堤防は嵐のたびに崩れ,そのときは北海の荒波はすさまじいものだそうでございます。私たちの歩きました散歩道の先端は今流の海水浴場に通じていて,そこには砂浜はなく,すぐ海におちこんでいるそうでございますが,町からすでに1時間も歩きましたのに,まだゆうに30分はあると聞いて,はるかに灰色にけむる北海を遠望しただけでひきかえしてしまいました。Husumでの雨はさみしい,うらぶれた光景にかえつて興をそえてくれましたが,その後ずつと雨にたたられたのは,いささか閉口いたしました。ブレーメンでは華麗なRathausやおもしろいBottcher strasseが雨で写真にならず,ハノーヴァーでは見物の意欲がそがれてしまいました。それでもせつかくきた思い出にと,ゲーテのウエルテルの悲しみのロッテとして書かれているSophie Kestnerの墓をさがしました。こんどの旅は先生のおすすめのおかげで,私にとつてはがらに合わない文学紀行となつてしまいました。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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