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雑誌目次

雑誌文献

精神医学2巻5号

1960年05月発行

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特集

精神障害分類についての一試案

著者: ピエールピショー ,   中島宏

ページ範囲:P.257 - P.274

序言
 精神医学が医学のなかの一部門として認められ,近代科学精神のもとに観察研究されるようになつてから,多くの分類が試みられて来た。しかし,この領域の科学的基礎知識の未熟性は,その疾患分類にあたって,しばしば伝統的または主観的な概念の導入をもたらし,これより現在世界各国の図式は一国内においても多数の学派を生み,さらに各精神医学者がそれぞれ異つた言葉を使用し,あるいは1つの言葉を色々な意味で語り合い多くの混乱を生ずるにいたつている。
 しかしながら,精神医学研究の進歩,とくにその病因学的・治療学的研究,また精神衛生などの国際的協力は,世界の精神医学者が共通の言語を持つ必要を要求している。この問題解決のため現在世界各国で種々の努力がされており,W. H. Oにおいても国際分類試案の作成を企画中であり,また米国を中心としてこの問題は盛んに討議されている。著者の1人,ピショーは1959年2月にニューヨークで開かれた集会(World conference on problems in field study in the mental disorders)に,これからわれわれの提示する分類試案の草案を持つて出席している。しかしわれわれの考えでは,この問題の討論は日本のように世界各国の精神医学のよき伝統がとり入れられ磨き上げられ成長したところで批判討論されるのが,この試案の改善発展のため最上の方法であると考える。これが,ここに発表を試みる所以である。

「精神障害分類についての一試案」に対する批判

著者: 西丸四方

ページ範囲:P.275 - P.280

〔1〕
 精神障害の分類は国により,学派により,また個人個人により多かれ少なかれ差異があり,万人が妥当とする分類はできそうもない。ここに批評を依頼された分類法も私からみると,クレッチマーがとりいれられているものの非常にフランス的であり,分類表はかなり複雑ですなおに頭に入りにくいように感じられるが慣れればいいかもしれない。実は私も10年ばかり前に小さな入門書を書いたときに多少これに似た表を作つてみて,その後改訂の度に手を加えて来たので,ここの批評にはどうしても自分のものを持出してこざるをえない。そして人間は誰でも,ことに意見を発表しようなどという者は,相当自信を持つているのが常であり,自分のものが一番よいものだと思うのはやむをえないことだろう。
 まずはじめに本論文を読んでいつて私の目についた気になる点を順次にあげてゆく。メランコリーをforme hypocondriaqueとかobsessionnelleというようにこまかく分つと,なおいくつも分けられることになるし,メランコリーのみならず,マニーにしても何にしてもいろいろの色彩によつて限りなく分たれうることになる。

「精神障害分類についての一試案」に対する批判

著者: 諏訪望

ページ範囲:P.280 - P.281

〔2〕
 精神医学が科学であるたあには,一定の体系をもたなければならないし,またそれには対象となるそれぞれの精神疾患の概念規定や分類が,まず確立されなければならないことはいうまでもない。ピショーおよび中島の両氏はこのような考え方から出発して,1っの分類をこころみているが,このような試みは,精神医学を学ぶすべての人が,多かれ少なかれ心にいだいているところであろう。

「精神障害分類についての一試案」に対する批判

著者: 三浦岱栄

ページ範囲:P.281 - P.284

〔3〕
 はじめに
 精神病——というよりは精神障害という方がたしかにより適切である——の分類は精神医学が漸く体系的に編成されはじめて以来,精神障害の原因や治療の研究と並んで最も重大な研究課題の1つであつたし,現在でも引きつづきその通りである。したがつてここにPierre Pichot,中島宏の両博士が精神障害分類の新しい試案をわれわれに示されたことは,大いに歓迎すべぎことであり,またその要請に答えて若干の批判をすることは義務的でさえあるだろう。
 しかし他方において,われわれに与えられた課題がいかに困難なものであるかは,分類の試みそのものが困難であるのとほとんど同一程度であることを私は知つている。全く感情を抜きにして——ほんとうはそうであるべきだが——あるいは偏見——意識的と無意識的たるとを問わず——を完全にはなれて,この批判を行うことができるだろうか? 私はむろん"批判"一般について言つているのではなく,"精神障害の分類の批判"についてこのような配慮をまず第一にもたざるを得ない。このようなexcuseのもとに以下私見を述べることを許されたい。

「精神障害分類についての一試案」に対する批判

著者: 村上仁

ページ範囲:P.284 - P.286

〔4〕
 ピショ・中島両氏の「精神障害分類についての一試案」は世界の精神病学者が共通に使用しうるような,できるだけ一般的な精神障害の分類方法をつくり出そうという目的でつくられたものである。このような試みが必要であることは誰しも痛感しているが,これが成功するためには,世界各国の諸学派の疾病分類の体系に精通している人が,公平な立場から,分類体系を作らなければならず,本人自身の個人的な見方を強調することは避けなければならない。ここに示された試案も,できるだけ常識的な見方に立つて,世界の精神病学者に広く使用されることを目標として作られているので,やや折衷的すぎる点があるのはやむをえないことであろう。以下に思いついたままに,この試案に対する感想をのべさせていただくことにする。
 まず病因的に内因性,精神的外因性,器質的外因性の3群に分類するという方法が,実用的見地からみてきわめて妥当なものであることには異論はないであろう。つぎにおのおのの病因が「発育完成前」に働くか,「発育完成後」に働くかによって区別するという方法は,精神薄弱と器質的痴呆とを臨床的に区別するさいなどには一般に用いられた規準であるので,器質性外因性因子群を2つに分ける場合などにはきわめて自然に感じられるが,心因性因子群もこの規準によつて神経症と反応に区別するというのはちよつと珍らしい。前者は主に性格神経症,後者は現実神経症と心因性反応とを含むことになるが,両者の区別は実際には必ずしも容易ではあるまい。

「精神障害分類についての一試案」に対する批判

著者: 村松常雄

ページ範囲:P.286 - P.287

〔5〕
 まえがき
 時間の余裕のはなはだしく乏しい時期に御依頼を受けたために原論文をただ通読しての印象のみを断片的にしか書きえないことをまずおわびせねばならない。したがつて筆者としての理解の不十分やあるいは誤解にもとづいての意見もありうるであろうことも,あらかじめお断わりしておく。
 精神障害の分類に,国際的にも共通なものを申し合わせうることはむろん望ましいことに違いない。その目的に対する原著者の御努力に対しては敬意を表する。

―座談会―「精神障害分類についての一試案」をめぐつて

著者: 井村恒郎 ,   林暲 ,   笠松章 ,   三浦岱栄 ,   懸田克躬 ,   島崎敏樹

ページ範囲:P.288 - P.293

骨子はどこか
 井村 この論文の最初に書いてありますように,この試みは要するに診断というものを国際的なものにしようという意図から発していると思います。つまり,これまで各国の学者によつてまちまちだった診断名というものを一定の診断基準を設けて体系化しようとしています。その基準を一方では病因が何かという観点からすることそれからもう1つは症候群単位に分けること,まあドイツ的にいいますと,Krankheitseinheitの理論とそれからSyndrom-Lehreを綜合しようという試みだと見受けられます。
 病因群は内因,外因,心因というふつうの分け方以上におよんで,つごう6つに分けております。つまり病因の作用する時期といいますか,病因の影響が発現する時期によつて,それぞれ小児期と成人期に細分しています。ですから横の軸が6つになるわけです。縦軸にくるのが症状群で,これが26あります。そういう枠を作つて,その枠の中でわれわれが病像といつておるものを位置づけております。こうして作られた一覧表をみると一見はなはだ合理的ですが,そこに幾つかの疑問ないし問題があるかと思います。

研究と報告

小頭症の4臨床例

著者: 渡辺位

ページ範囲:P.295 - P.303

Ⅰ.緒言
 精神薄弱児の頭囲は,その62.3%が平均値より小さいといわれているが,Tredgoldによると全精神薄弱中・小頭症の占める割合は僅かに0.5%に過ぎないという。その発生原因および分類についての記載は従来より多くなされていた。Maschen10)は小頭症を広義と狭義とに区別した。Giacomini1)は純粋の脳発育停止による真性小頭症(echte Form)と脳膜や大脳皮質の炎症過程に基づく仮性小頭症(unechte Form)とに分けた。Pelliz1)はechte Formをさらに大脳皮質に著変を認めない脳萎縮を主とする単純型(einfache Form)と炎症過程の残遺を伴つた脳萎縮を主とする混合型(gemischte Form)の2型に分類し,unechte Formは炎症過程による大脳皮質の不規則な萎縮が主要な所見であるといっている。Virchow9)は頭蓋骨が完全な発育を遂げる以前に,縫合化骨癒着し,そのために脳は二次的に発育障害を受けるのではないかと考えた,Evens1)はインド(パンジャブ)で遺伝性小頭症らしい白痴の1例を確認し,Hiltyはその両親が従兄妹の血族結婚による小頭症の1例を報告した。本症の家族的発現は,しばしばBernstein,Dannenberger,Goldbladt,Pilcz,Tambroni,Vivald1)らにより記載され,1906年Vogt10)により詳細に報告された。Giacomini,Pfleger,Pilcz1)は本症の原因因子が胎児の組織に直接加わるのではなくて,その尊族親に加わり,恐らく妊娠と同時に胎児に影響するのであろうという解釈をした。Riva(1912)1)はechte Mikrozephalieを遺伝性変質性疾患(一種の先祖返り)と考え,Dannenberger(1912)1)は本症の作因は母によつて伝えられ,胎児の結締組織や神経組織における炎症過程によつて起ると述べ,Bernstein(1922)1)は同胞10人中5人に現われた小頭性白痴の身体的および精神的所見の一致する点から,本症が劣性遺伝の型式をとるのであろうと述べた。
 本邦においては富沢・中村・渡辺・福沢・石井・塚永・満川・佐野・原・尾崎・田辺および中野らの諸氏により遺伝・臨床および剖見などの立場から報告がなされている。

特異なる器質性痴呆の1例—図式,グシュタルトおよび象徴について

著者: 越賀一雄 ,   浅野楢次 ,   浅野楢一 ,   小谷健治郎

ページ範囲:P.305 - P.314

 われわれは脳外傷後遺症として特異なる痴呆状態を呈した1例を経験した。われわれはこれについて種々の検査を施行し,以下述べるような興味ある知見をうるとともに,図式,ゲシュタルト,象徴について次のごとく考察を加えた。
 1.I.Q.107ないし97で知能はその限りおおむね平均知を示した。
 2.「失語,失行,失認の検査により軽い同時失認を認めたのみでその他の大脳病理学的な病巣症状は証明しえなかった。
 3.図式をカントのいうように感性と悟性との媒介的な役割を有するものと解するとき,図式は認識が成立するために必らず働いているものである。ある物体,ある絵が認識されるには,まずその左右上下の空間的関係が成立させられねばならないが,この関係を成立せしめる働きをなすものが図式である。しかして失認のみならず,失語,失行を含むいわゆる大脳病理学的症状は全て図式の障害と解することもでぎる。しかしながら本例ではかかる意味での図式の障害は存在しない。

動き

ドイツ通信(1)

著者: 関野やす

ページ範囲:P.317 - P.318

 いまヴュルッブルク大学精神科に滞在中の関野やす氏(元横浜市大精神科講師)から,以前研究上の指導をうけた信大西丸教授によせた通信がかなりの量になつているが,その中から,同氏の許可をえて読者の興味をひくと思われるところを抜き出して,まとめて紹介する。今回の分は昨年6月渡独したころを中心にのせる。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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