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「精神障害分類についての一試案」に対する批判
著者: 三浦岱栄1
所属機関: 1慶大
ページ範囲:P.281 - P.284
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はじめに
精神病——というよりは精神障害という方がたしかにより適切である——の分類は精神医学が漸く体系的に編成されはじめて以来,精神障害の原因や治療の研究と並んで最も重大な研究課題の1つであつたし,現在でも引きつづきその通りである。したがつてここにPierre Pichot,中島宏の両博士が精神障害分類の新しい試案をわれわれに示されたことは,大いに歓迎すべぎことであり,またその要請に答えて若干の批判をすることは義務的でさえあるだろう。
しかし他方において,われわれに与えられた課題がいかに困難なものであるかは,分類の試みそのものが困難であるのとほとんど同一程度であることを私は知つている。全く感情を抜きにして——ほんとうはそうであるべきだが——あるいは偏見——意識的と無意識的たるとを問わず——を完全にはなれて,この批判を行うことができるだろうか? 私はむろん"批判"一般について言つているのではなく,"精神障害の分類の批判"についてこのような配慮をまず第一にもたざるを得ない。このようなexcuseのもとに以下私見を述べることを許されたい。
はじめに
精神病——というよりは精神障害という方がたしかにより適切である——の分類は精神医学が漸く体系的に編成されはじめて以来,精神障害の原因や治療の研究と並んで最も重大な研究課題の1つであつたし,現在でも引きつづきその通りである。したがつてここにPierre Pichot,中島宏の両博士が精神障害分類の新しい試案をわれわれに示されたことは,大いに歓迎すべぎことであり,またその要請に答えて若干の批判をすることは義務的でさえあるだろう。
しかし他方において,われわれに与えられた課題がいかに困難なものであるかは,分類の試みそのものが困難であるのとほとんど同一程度であることを私は知つている。全く感情を抜きにして——ほんとうはそうであるべきだが——あるいは偏見——意識的と無意識的たるとを問わず——を完全にはなれて,この批判を行うことができるだろうか? 私はむろん"批判"一般について言つているのではなく,"精神障害の分類の批判"についてこのような配慮をまず第一にもたざるを得ない。このようなexcuseのもとに以下私見を述べることを許されたい。
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