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雑誌目次

論文

精神医学20巻12号

1978年12月発行

雑誌目次

特集 精神鑑定 巻頭言

特集にあたって

著者: 笠原嘉

ページ範囲:P.1282 - P.1283

 本誌が特集にこのテーマを選ぶのはこれがはじめてのはずである。精神鑑定に必要な実際的知識の書はすでに何冊か出ている。最近では「現代精神医学大系」(中山書店刊)中に懸田・武村・中田編「司法精神医学」(1976)がある。それから大家の手になる精神鑑定書も「日本の精神鑑定」(内村・吉益監修,福島・中田・小木編,みすず書房,1972)のように市販されているものから,教授の退官記念集として編纂された鑑定書集まで何冊かあって,ケース・スタディ的勉強をするのにことかかない。したがってここでは同種の,屋上屋をなす企画を考えたわけではない。執筆を著者各位に御依頼したときの文章によると「できるだけ多くの立場の方から」「ミクロ的にもマクロ的にも多くの問題点を発掘」していただくことを期待している。精神鑑定についてそのようにする時代的意義があると考えたからである。
 「できるだけ多くの立場」は目次のタイトルと執筆者を一覧ねがえればおわかりいただけると思う。二人の法曹家にお加わりいただいている。同じく精神科医であっても鑑定経験の豊富な長老から比較的経験の浅い人までが,また司法精神医学の専門家,研究家から非専門家(?)までが含まれている。編者自身が司法精神医学の専門家でなく,かつその精神鑑定歴もそんなに豊富とはいえない人間である。

昨今の精神鑑定から

著者: 保崎秀夫

ページ範囲:P.1284 - P.1285

 精神鑑定を通じて感じたいくつかの点について触れてみよう。

わが国における精神鑑定の未来を望んで

著者: 中田修

ページ範囲:P.1286 - P.1290

I.はじめに
 筆者は先ごろ,本誌に巻頭言として「望ましい司法精神医学の発展」という小論を書いた6)が,そのなかでわが国の司法精神医学と精神鑑定について大まかに展望した。また,それより前に,筆者は懸田克躬,武村信義の両氏とともに編集した「司法精神医学」のなかで,わが国の司法精神医学の歴史に触れ,精神鑑定のわが国の実情にも言及した4,5)。その他,筆者は,精神鑑定にとって重要と思われる鑑定センターや司法精神医学の研究機関について論じたこともある3)。ここでは,これらの従来の論述を補足し,筆者が現在念頭にあることを披瀝したい。

責任能力の判定における鑑定人の権限

著者: 仲宗根玄吉

ページ範囲:P.1291 - P.1297

Ⅰ.ドイツにおける精神鑑定の歴史
 日本の刑事訴訟は,ドイツのそれを継受したものであり,とくに鑑定の規定において両者はよく似ている。そこで表題の問題を検討するためには,はじめにドイツにおける精神鑑定の歴史を知る必要がある。以下,これを概説する。
 まず精神鑑定を含む鑑定一般についていえば,古代ゲルマン法時代から,医者を法廷に呼んでその専門的意見を聞くという慣習はあった1)。しかしこれが一般化したのは,1532年のカロリーナ法典(CCC)以後である。

刑事事件における精神鑑定の問題点

著者: 荒川正三郎

ページ範囲:P.1299 - P.1311

I.はじめに
 刑事事件は,人間を対象とする以上,刑事事件に関与する法律家は,人間そのものに対する洞察と究明を怠ることはできない。とくに,人間の精神状態が生理的であるか病理的であるか,正常であるか異常であるかが問題となる事件に対しては,法律家は,その解決に役立つべき精神医学,臨床神経学を初め,これに関連する身体医学,心理学,社会学などへ十分な知識と理解をもたなくては,適正・妥当な処置を図ることはできない。わたくしは,多年にわたる刑事法廷の経験と部内研修機関の研鑽により,数多くの精神鑑定を必要とした事例にあたって,その問題の複雑さと困難さをますます痛切に味わされ,これと同時に,時代に即応して発展するこれらの学問へ絶えず多大の関心を抱いて近接し,最良と思われた決断とこれに対する反省を続けてきた。以下,わたくしが心労を要した数多くの精神鑑定を必要とした事件を念頭におきながら,精神鑑定の問題点を摘示して,これに関する考察を加えてみたい。

裁判前鑑定(簡易精神鑑定)

著者: 市川達郎

ページ範囲:P.1313 - P.1319

I.はじめに
 著者は長年東京地方検察庁診断室において主として被疑者の精神衛生診断に従事してきたが,その材料および経験を中心にして論じて責をふさぎたい。東京地検では精神衛生診断と名付けているが,これが表題の裁判前鑑定または簡易精神鑑定,あるいは起訴前鑑定などと巷で呼ばれているものに相当する。
 東京地検診断室は昭和30年1月11日に開設された。その頃はヒロポン中毒のはなやかなりし時期であり,当時の東京都衛生局医務部優生課から,精神鑑定医が定期的に診断室に来り,行政サイドの精神鑑定をなし,不起訴となり医療の必要となった者の流れを迅速にさばいていた。しかし,診断室に送られて来る被疑者は覚醒剤中毒のみでなく,他の精神障害者のほうがむしろ多く,検事サイドから常時精神科医の意見を求める等の需要が起こり,間もなく東京都より独立した診断室制度が確立され今日に至っている。
 現在東京地検診断室には毎週延べ4名の精神科医が定期的に来て,1日平均2〜3名の精神衛生診断に当っている。しかしここに来る対象者は必ずしも東京地検に送検された者のみではなく,地検傘下の区検からの者,すでに公判中の被告人も入ってくることがある。
 診断室の必要性について,松本卓矣検事は次の如く述べている。すなわち,大人の犯罪人にも少年鑑別所の如き鑑別制度の確立が刑事実務家として待望するところである。しかしその実現まで便便と手を拱いていることはできない。そこでその空間を埋めるものとして診断室の設置が考えられた。重罪または精神障害のおそれのある被疑者について,その同意を得た上で,精神科医の診察を依頼し,精神障害の有無および程度を比較的短時間で鑑別してもらい,短時間の診断では判定不能の事例のみについて正式に鑑定許可状によって精神鑑定をすれば,費用と時間の両面からして非常に経済的である。しかも一応精神障害者の早期発見,その適正処理が行なえるのではないかと述べている。
 著者も診断室を受けもってみる時,東京地検では精神障害者またはその疑いのある者に係わる犯罪が絶えることなく,非常に多いのに一驚しているものであるが,それらをいちいち正式の精神鑑定に付していては,いくら協力的な精神科医がいてもその応接に限度があり,犯罪者の適正な処置ができかねると思う。かくして少年における少年鑑別所の如き制度が成人の犯罪者に対しては存在しない現制度下においては,診断室は必要上生まれるべくして生まれたものと考えるものである。
 このようにして実際上必要にせかれて生まれた診断室は,東京地検のほか,診断室のあるなしに拘らず,各地検ごとにその都度精神科医に依頼していわゆる簡易鑑定を行なっている模様である。すなわち,昭和39年に京都,神戸,福岡の各地検,41年に大阪,福島,42年に熊本が始めており,現在では名古屋,広島,仙台,千葉等,ほとんど全国の地検で簡易鑑定を行なっている。

司法精神鑑定と措置入院

著者: 菅又淳

ページ範囲:P.1321 - P.1324

 日本で精神鑑定というと裁判の判決に必要な資料としての司法精神鑑定と,精神衛生法による知事の権限による精神障害者の措置入院決定の資料となる行政上の精神鑑定の2つがある。同じ精神鑑定といっても,その目的と,立場が異なるので,大きな差があることはもちろんであるが,民事上の司法精神鑑定は別としても,刑事上の司法精神鑑定と,行政上の精神鑑定とは,その対象の精神障害者の質は同一であり,刑事政策上はその間には密接な関係がある。しかし現実にはその間の連絡や協力はきわめて薄弱であるし,実際の患者に対する処理は当を得ていないことが少なくない。わたくしはこの2つの精神鑑定についての関係やその間の問題点などで色々の矛盾を経験しているので,ここにまとめて述べてみることにする。
 精神衛生法の措置入院と関連を持つ司法鑑定は上記のとおり,刑事事件(特別法犯を含む)に関する精神鑑定に限ることができる。刑事精神鑑定ではいうまでもなく,犯罪の行為に関して,被告人(または被疑者)が刑事責任能力を十分に有していたか否かが最大の鑑定の目標となる。その他にも犯行時ばかりでなく,現在(鑑定時)の精神状態も鑑定するよう合わせて問われる場合が多い。これは裁判の審理過程において,自己を正当に弁護する能力があるか否か,また訴訟に必要な尋問や,裁判に出廷することが,被告人の精神症状に著しい害を及ぼす恐れがあるか否か,さらに裁判確定後に受刑能力があるか否かなどが必要なので参考のために問われるものと考えられる。しかし主たる精神鑑定の目標は犯行時の刑事責任能力であり,有責行為として判決を受け得るかどうかであることはもちろんである。裁判の過程に入る前の段階で,警察における取調べの段階,あるいは検察官の取調べの段階においても精神医学的な診察や鑑定を要請されることもあるが,この場合も警察官は送検すべきかどうか,検察官は起訴すべきかどうかの資料を得たいことが目標で,要は有責の行為能力があるか否かの判断を求めているわけである。更に具体的にいえば何れの段階でも,刑法29条の心神喪失または心神耗弱に該当するか否かの判定資料を得ようということにある。

XYY個体の刑事責任能力—1鑑定例の報告

著者: 武村信義

ページ範囲:P.1325 - P.1331

I.はじめに
 XYY個体(47, XYY)については,すでに著者(1976)7)の展望に示したごとく,Jacobs, P. A.(1965)5)の業績以来,犯罪の原因としての意義が問題となっている。それはこの性染色体異常が一般新生男児集団よりも犯罪者集団においてはるかに高い頻度で見出される事実や,高度の犯罪性ないし反社会性,あるいは性倒錯を示す症例が少なくないことや,異常性格が頻繁なこと,あるいは早発犯罪が多く,矯正困難であり,患者の家族には異常者が見出し難いなどの報告があいついで出されたことなどに関係がある。そのためXYY個体については司法精神医学の領域においても刑事責任能力が一つの問題となっている。
 著者は最近Asakaら(1971)が以前発見し観察したことのあるXYY個体の非行少年のひとりについて第一審裁判所から精神鑑定を命じられた。これは成人のXYY個体の精神鑑定例としては本邦第1例であると思われ,その事例を報告し,司法精神医学的考察を行なうことは将来のわが国におけるXYY犯罪者の精神鑑定に資すると考える。また本症例はわが国では報告数の少ない淫楽殺人例であり,犯罪心理学的にも興味深い症例である。したがってこの報告では,できるだけ多くの紙面を症例の記載にさくこととした。

パラノイアの法的能力

著者: 山上皓

ページ範囲:P.1333 - P.1338

Ⅰ.緒言
 著者は東京医科歯科大学犯罪精神医学研究室に在職中に,妄想に基づいて殺人を犯した一パラノイア患者の精神鑑定に従事した。これはピアノ殺人事件として世人の関心を大きく喚起した症例である。
 E. Kraepelin14)によって,「内的原因による,持続工的で確固とした妄想体系の潜行性の発展であり,その際,思考・意志・行為において明晰さと秩序が完全に保たれている」と定義されたパラノイアについては,周知のように,その後精神医学者の間で多くの論議が交わされてきた。K. Schneider22),W. Janzarik9),G. Huber8)らは,これを体験反応性のものと病的過程性(精神分裂病性)のもののいずれかに二者択一的に分類しうるとし,特殊疾患としてのパラノイアを否定する見解を示しているが,R. Gaupp5)をはじめとし,パラノイアに独自の疾患としての地位を認めようとする学者もまた少なくない10〜12)

アルコールと精神鑑定

著者: 加藤伸勝 ,   谷直介

ページ範囲:P.1339 - P.1343

I.はじめに
 編集者から頂いた題は「アルコール症と精神鑑定」であったが,アルコール症の定義の曖昧さもあり,また,最近WHO研究者会議の紬論等から,アルコール依存症候群の概念の提唱2,3)などもあり,特に鑑定と密接な関係にある酩酊の問題はアルコール症の槻念からは外れるようでもあるので,ここでは「アルコールと精神鑑定」とすることにした。
 一般に精神鑑定を要求される場合は,ほとんど常に急性アルコール中毒としての酩酊が中心となり,アルコール依存症候群,すなわち,従来からの慢性アルコール中毒は直接的には対象とされず,アルコール精神病のほうがむしろ取り上げられる。しかし,一部には,傷害,窃盗,暴行,放火,性犯罪等の犯罪が慢性アルコール中毒者によって行なわれ,その犯行時の精神状態が酩酊を含めて問われることもあり得る。
 犯罪との関係で,アルコールが対象となる法律は「酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」(刑法,昭36,法律103号)と道路交通法の酒酔い,酒気帯び運転に関する項ぐらいのものである。しかし,精神鑑定と最も関係が深いのは,刑法第39条の「犯罪ノ不成立及ヒ刑ノ減免」に関する項である。もちろん,この条項はアルコールに限るものではないが,いわゆる心神喪失,心神耗弱の判断が要求されるのである。
 酩酊は大脳の機能低下であり,正常な精神活動が営まれていない状態であるには違いないが,罪を免ずるに足る重大な障害であるかどうかが問われるのである。確かに世界的にアルコールによる犯罪は増加しているし,犯行時に飲酒していたという例も統計的に有意に多いという。イギリスでも窃盗などの財産犯で酩酊犯罪が増加し,急性中毒と健忘が都合のよい弁解として使われる傾向があるが,常に有罪なる意思(mens rea)があったか,なかったかが法廷でも論議されるという4)
 わが国もアルコール消費量が増大の一途をたどる傾向があることからみて,中田5)は,窃盗のような財産犯にまで酩酊犯罪が高率であるという欧米の傾向にまで発展していないからといって油断はできないし,今後,アルコール関連犯罪はますます多様化する様相を呈するであろうといっている。この点からも,アルコール犯罪の精神鑑定の需要は決して減ることはなかろう。

薬物依存と精神鑑定

著者: 逸見武光

ページ範囲:P.1345 - P.1350

Ⅰ.薬事関係法犯の場合
 薬物依存そのものが犯罪でないことは,一般に当然のように考えられているようだが,例えばアメリカ合衆国の場合,カリフォルニア州麻薬取締法で有罪となったRobinson Caseに対し,1962年に連邦最高裁判所が違憲判決を下すまでは,薬物依存が証明され,使用された薬物が法によってその流通を規制されている時には,被告人がその薬物の入手方法を合法的に説明し,裏付けない限り,有罪とする考え方がしだいに強くなっていた6)。1962年当時,カリフォルニア州はヘロイン乱用対策に追われていたので,司法はとにかく,行政当局はこの連邦最高裁判所の決定に大きなショックを受け,以後の施策にかなりの修正を加えざるをえなかった。
 わが国でこれに類した判例があるかどうかをみてみよう7)。昭和29年,同31年12月(大法廷),同33年7月の3回にわたり,最高裁判所は「麻薬取締法は公共の保健衛生の要請上,その取り扱いについて厳重な制限規定を設けたもので,かかる制限は公共の福祉のために必要であるから,右制限規定が憲法11条及び13条に違反するものでないことは……」として,麻薬取締法を合憲と判断した。覚せい剤取締法に対しては最高裁による同様の判断が昭和31年6月と9月に出されており,大麻取締法に対しては東京地裁が昭和49年8月に「違憲性を認めることはできない」と判断している。その他の薬物の取締りに対して違憲性が問題になった例は聞かないから,現在,現行の依存性薬物に対する流通機構の規制とその手段については特に法律的疑義は無いものと考えられる。

災害—,外傷神経症と損害賠償をめぐる精神医学的諸問題

著者: 原田憲一

ページ範囲:P.1351 - P.1355

Ⅰ.一つの素朴な疑問
 一つの疑問とは次のようなことである:災害や外傷後の神経症状態に対しても,身体的損傷に対してと同様に損害補償があって当然ではないだろうか--という問いである。このことはかつて本誌の巻頭言で書いたことがある(それがおそらく本特集の編者の目にとまっていて,この分野においては甚だ不案内である私に分担執筆の白羽の矢が立ったわけであろう)。
 このような疑問が私に生じてきたのは,次のような臨床の現実における私の苦渋からである。すなわち,日常臨床の場面で神経症的傾向の著しい災害(外傷)後遺症の人から診断書を求められることがある。該当する賠償裁定の公的あるいは私的機関から,治療を担当している医師に対して意見が求められるのである。精神療法的関係にある患者も,自分の主治医に対してその書類を書いてくれるよう希望する。医師はその患者との治療関係を続けようとする限り,それを断わることはできない。そしてそこに苦渋が始まるのである。その苦渋は,「神経症」と診断すれば,補償認定上患者に不利になる場合が多いからである。どうして「神経症」では不利になるのだろうか。

供述鑑定と供述心理学

著者: 植村秀三

ページ範囲:P.1357 - P.1361

Ⅰ.供述心理学の歴史とその重要性
 供述の信用性を研究する科学は,供述心理学である。この科学は,今世紀の初頭より現在に至るまでの間に,主としてドイツの学界と司法実務において発展してきた(末尾文献にあげたUndeutsch訳書38ページ以下参照)。現在西ドイツでは,風俗犯被害児(特に女児)の供述につき非常に数多くの鑑定が行なわれており(Arntzenによれば,1950年から1970年までの間に12,000件にのぼるという),鑑定の必要性を宣言する最高裁の判決も多数存在している。以上の研究成果は,成人の供述一般についても貴重な開明をもたらしている。
 また最近スウェーデンのストックホルム大学心理学教授Trankellは,自己の供述鑑定を基礎として,画期的な研究を発表し,同国の司法実務にも大きな影響を与えている(文献にあげたTrankell訳書参照)。

精神鑑定について

著者: 山本巖夫

ページ範囲:P.1363 - P.1371

Ⅰ.まえおき
 最初に,私は,精神鑑定について述べるには極めて特殊な立場にあること,を断っておかねばならない。
 というのは,われわれ,東京家庭裁判所医務室技官は,おそらく一般のひとびとの考えておられるであろうこととはまったく反対に,いわゆる正式な精神鑑定というものをほとんどしたことがないのである。私のみに関していえば,すでに10年以上前,地方裁判所からたって頼まれ,止むなく引き受けたもので,しかも「簡単な」鑑定という注文付きのものを書かされて以来,一件も精神鑑定と名のつくものは経験がない。

刑事精神鑑定についての一考察

著者: 中山宏太郎

ページ範囲:P.1373 - P.1378

I.はじめに
 精神神経学会総会でも,1978年9月,司法鑑定のシンポジウムが持たれた。昭和44年金沢学会以来の精神障害者の人権問題—昭和46年の保安処分制度新設反対決議—病院改革の諸々の試みの流れがようやく,現存の精神障害である被告,被疑者ないし受刑者へ及んできたものと思われる。これは必然的な流れでもあるが,人権問題の現実的解決が,総体としては遅々として進んでいないのと同様,今後長期にわたる努力をわれわれに課すことと思われる。
 病院改革—特殊病院を設けた上で説かれるものでなく,すべての病院における人権尊重を基盤とした医療の創設には,主要に厚生省,病院資本が大きな壁となっているが,司法鑑定では,法務省諸機構(検察庁,拘置所,刑務所等)と裁判所がさらに巨大な壁となって立ち現われてくる。
 しかし,それにもまして,われわれ精神科医が過去に行なった非医療的な司法鑑定を再検討し当面なし得る改革について合意を見出すことが急務であろう。島田事件(被告人赤堀),帝銀事件(被告人平沢),弘前大学教授夫人殺害事件(被告人那須)等における精神鑑定の課した役割につき,諸氏がその問題指摘を行なっていることは周知のことであるし,読者諸兄が是非とも,これらの検討をされることが望まれる。

フランスにおける刑事精神鑑定について

著者: 影山任佐

ページ範囲:P.1379 - P.1389

Ⅰ.まえがき
 フランスにおける精神鑑定,特に刑事精神鑑定について紹介したい。その前に,本文理解の手助けになると思われるので,フランス裁判制度について簡単に触れておく2,11,18)。フランス裁判制度は司法,行政の二元制をとっており,フランス公法理論の通説では三権分立の原則から,司法・行政両裁判所とも法律(loi)の審査権を持たない。したがって,わが国のように憲法判例は重要な意味を持たない。刑事裁判には予審注1)(instruction préparatoire)制度が取り入れられており,一審裁判所として,重罪法院(la Cour d'assises)―重罪(crime)事件を審査する―,軽罪裁判所(le tribunal correctional)―,軽罪(délit)事件を審理する―,違警罪裁判所(le tribunal de police)―,違警罪(contravention)事件を審理する―などがあり,上級裁判所として,わが国の高等裁判所に相当する控訴院(la Cour d'appel),そして最高裁判所に相当する破毀院(la Cour de cassation)がある。
 1)予審裁判所(juridiction d'instruction):軽罪裁判所判事から選任される,原則として1名の予審判事と,控訴院内に設置されている重罪公訴部(chambre d'accusation)より構成されている。警察官を指揮して犯罪を証明し,証拠集めと一件調書を作成し,公判を維持できるかどうか決定する。重罪公訴部は部長1名,控訴員判事2名,検察官1名より構成され,司法警察の監督を行ない,起訴の決定権を有している。

精神鑑定の経験から,他

著者: 新井尚賢 ,   久山照息 ,   桜井図南男 ,   佐藤時治郎 ,   諏訪望 ,   田村幸雄

ページ範囲:P.1391 - P.1402

 たしかに精神科医にとっては好むと好まざるにかかわらず,種々の関係で精神鑑定を依頼されることがあるが,司法鑑定や民事鑑定はともかくとして,精神衛生鑑定医としていわゆる精神鑑定の際には,各都道府県ともことに措置入院の場合は,1969年の76,519人をピークとして年々減少傾向をたどっているが,この理由として薬物療法のほか,患者の人権をできる限り重んじようとする傾向も拍車をかけていることは否定できない。ことに現在人権擁護1)の風潮は基本的に漸進的に高められつつある。たとえば被告人の人権保障と,それに基づく公正な裁判を確保するために精神鑑定も当然必要な要件であろう。
 私たちはたまたま,2審あるいは3審で精神鑑定を命ぜられる場合に,時には遭遇することもあるが,それには種々な動機もあろう。たとえば,それまでの公判中に気づかれなかった被告人の症状が見つかったとか,拘禁などによる心理的影響から拘禁反応を起こしたのに気づいたとかいうこともあろうが,ここで困ることは,精神鑑定を命ぜられたことに対し,被告人が異常なほどに鑑定そのものに拒否的態度を示す場合があることである2)。これと関係があるが,精神鑑定を一時的に受けたものの被告人は,鑑定業務が進行するに従いその結果が予見されたりすると好訴的態度が少しずつ増強されたり,時には好訴妄想といわざるを得ないような場合がある。殊に多いのが心気的・被害的な内容である。このような場合には,そのまま鑑定自体も押し切ることができるが,あとあと好訴的態度が強く表面に残ることも少なくない。パラノイア状態とも考えられる。これに反して始めから鑑定を拒否する場合,妄想形成にふさわしい環境要因が備っていることがあり,被告人のいわゆる"人権じゅうりん"という被害意識がその中心であり,検事,裁判官,さらに弁護人にまで及ぶばかりでなく,特定の多人数の者に対しても同様である。激しい憎悪,侮辱などに終始し,他人には依然拒絶的時に攻撃的に立ち向い,そのままでは到底鑑定を受けることを拒否する。もちろん鑑定はできない。長く出廷もせず裁判がそのままで,日時が流れると,被告人はふっと鑑定に対する何らかの目的,期待される何らかの利益,漠然とした不安感などが,時によって混沌と錯綜し,何とか鑑定を受けたいという気持になることもある。心気,被害,被毒などの妄想態度などの場合は,このままの状態では公判維持ができるかどうかという鑑定事項である。被告人は検査に対する不安感ことに注射,脳波などは極端におそれている。これだけであると,鑑定人と被告人が面接場合において一応接触を保つことができるようである。もちろん身体的の検索などは最後まで拒否することもある。こうした鑑定は形をかえて,あとあとまで続くであろうが,刑が確定するまではまだまだである。

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精神医学 第20巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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