精神鑑定の経験から,他
著者:
新井尚賢
,
久山照息
,
桜井図南男
,
佐藤時治郎
,
諏訪望
,
田村幸雄
ページ範囲:P.1391 - P.1402
たしかに精神科医にとっては好むと好まざるにかかわらず,種々の関係で精神鑑定を依頼されることがあるが,司法鑑定や民事鑑定はともかくとして,精神衛生鑑定医としていわゆる精神鑑定の際には,各都道府県ともことに措置入院の場合は,1969年の76,519人をピークとして年々減少傾向をたどっているが,この理由として薬物療法のほか,患者の人権をできる限り重んじようとする傾向も拍車をかけていることは否定できない。ことに現在人権擁護1)の風潮は基本的に漸進的に高められつつある。たとえば被告人の人権保障と,それに基づく公正な裁判を確保するために精神鑑定も当然必要な要件であろう。
私たちはたまたま,2審あるいは3審で精神鑑定を命ぜられる場合に,時には遭遇することもあるが,それには種々な動機もあろう。たとえば,それまでの公判中に気づかれなかった被告人の症状が見つかったとか,拘禁などによる心理的影響から拘禁反応を起こしたのに気づいたとかいうこともあろうが,ここで困ることは,精神鑑定を命ぜられたことに対し,被告人が異常なほどに鑑定そのものに拒否的態度を示す場合があることである2)。これと関係があるが,精神鑑定を一時的に受けたものの被告人は,鑑定業務が進行するに従いその結果が予見されたりすると好訴的態度が少しずつ増強されたり,時には好訴妄想といわざるを得ないような場合がある。殊に多いのが心気的・被害的な内容である。このような場合には,そのまま鑑定自体も押し切ることができるが,あとあと好訴的態度が強く表面に残ることも少なくない。パラノイア状態とも考えられる。これに反して始めから鑑定を拒否する場合,妄想形成にふさわしい環境要因が備っていることがあり,被告人のいわゆる"人権じゅうりん"という被害意識がその中心であり,検事,裁判官,さらに弁護人にまで及ぶばかりでなく,特定の多人数の者に対しても同様である。激しい憎悪,侮辱などに終始し,他人には依然拒絶的時に攻撃的に立ち向い,そのままでは到底鑑定を受けることを拒否する。もちろん鑑定はできない。長く出廷もせず裁判がそのままで,日時が流れると,被告人はふっと鑑定に対する何らかの目的,期待される何らかの利益,漠然とした不安感などが,時によって混沌と錯綜し,何とか鑑定を受けたいという気持になることもある。心気,被害,被毒などの妄想態度などの場合は,このままの状態では公判維持ができるかどうかという鑑定事項である。被告人は検査に対する不安感ことに注射,脳波などは極端におそれている。これだけであると,鑑定人と被告人が面接場合において一応接触を保つことができるようである。もちろん身体的の検索などは最後まで拒否することもある。こうした鑑定は形をかえて,あとあとまで続くであろうが,刑が確定するまではまだまだである。