文献詳細
特集 精神鑑定
文献概要
Ⅰ.一つの素朴な疑問
一つの疑問とは次のようなことである:災害や外傷後の神経症状態に対しても,身体的損傷に対してと同様に損害補償があって当然ではないだろうか--という問いである。このことはかつて本誌の巻頭言で書いたことがある(それがおそらく本特集の編者の目にとまっていて,この分野においては甚だ不案内である私に分担執筆の白羽の矢が立ったわけであろう)。
このような疑問が私に生じてきたのは,次のような臨床の現実における私の苦渋からである。すなわち,日常臨床の場面で神経症的傾向の著しい災害(外傷)後遺症の人から診断書を求められることがある。該当する賠償裁定の公的あるいは私的機関から,治療を担当している医師に対して意見が求められるのである。精神療法的関係にある患者も,自分の主治医に対してその書類を書いてくれるよう希望する。医師はその患者との治療関係を続けようとする限り,それを断わることはできない。そしてそこに苦渋が始まるのである。その苦渋は,「神経症」と診断すれば,補償認定上患者に不利になる場合が多いからである。どうして「神経症」では不利になるのだろうか。
一つの疑問とは次のようなことである:災害や外傷後の神経症状態に対しても,身体的損傷に対してと同様に損害補償があって当然ではないだろうか--という問いである。このことはかつて本誌の巻頭言で書いたことがある(それがおそらく本特集の編者の目にとまっていて,この分野においては甚だ不案内である私に分担執筆の白羽の矢が立ったわけであろう)。
このような疑問が私に生じてきたのは,次のような臨床の現実における私の苦渋からである。すなわち,日常臨床の場面で神経症的傾向の著しい災害(外傷)後遺症の人から診断書を求められることがある。該当する賠償裁定の公的あるいは私的機関から,治療を担当している医師に対して意見が求められるのである。精神療法的関係にある患者も,自分の主治医に対してその書類を書いてくれるよう希望する。医師はその患者との治療関係を続けようとする限り,それを断わることはできない。そしてそこに苦渋が始まるのである。その苦渋は,「神経症」と診断すれば,補償認定上患者に不利になる場合が多いからである。どうして「神経症」では不利になるのだろうか。
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