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雑誌詳細

文献概要

古典紹介

—C. Wernicke—Acute Hallucinose

著者: 影山任佐1 中田修1

所属機関: 1東京医科歯科大学犯罪精神医学研究室

ページ範囲:P.193 - P.200

皆さん!
 私が本日皆さんに供覧する患者は,32歳の商人K. であります。ご覧のように,栄養のよい,一見全く分別のある(besonnen)男で,この教室(Klinik)にやって来たいきさつを,自分でちゃんと説明できます。彼は5日前の晩,想像上の迫害者(Verfolger)訳注2)に対する保護を求めて,自分でこの病院(Anstalt)にやって来ました。彼はこの市の反対のはずれに住み,居酒屋を併設した食料品店の主人であります。彼の家の向かいに1人の時計屋がいますが,その者が彼に対する追及の張本人だというのです。患者がそう考えるのは,時計屋が少し前に,患者が店員を解雇したことに文句を言ったことがあり,今度,患者を迫害する一味(Bande)全体の先頭に立って叫んでいたからだというわけです。夕方,患者が会計をするために自室に静かに坐っていますと,突然,「さあこれから,あいつ(er)は計算するぞ」という一味の声が聞こえ,その後に,総計はいくらか,彼がどういう帳簿を手にとるか,彼がなにを書くか,を予言する声も聞こえました。それで彼は,おそらく反射鏡のようなもので,自分の一挙手一投足が見られ,自分の考えが知られているのだ,と推論しました。というのも,窓の位置からするとそんなことは絶対に不可能でありますのに,彼は反射光に気づいたとか,迫害者の姿を見たと,信じこんでいます。また彼は,自分に迫害者の声が聞こえるのは,自分にわからないようにしかけられた電話のせいだろうと考えています。そのうえ,とても下品な悪口も聞こえたので,彼は安心させてもらいたいと思って,通りを警備している警察官をさがしに外に出ました。しかし,近くに警察官が見あたらないので,ビール店に入り,夕食をとりました。それから店を出ましたが,店を出たところで警察官に出会いました。彼は警察官に事情を話しました。警察官はわざわざ彼の家まで同行してあたりを見まわしました。そして警察官は,自分には誰も見えないし,悪口も聞こえないと言い,帰っておやすみなさいと彼にすすめました。警察官が一緒にいるときは,実際にすべては静かでした。彼は家に帰ってベッドに横になりましたが,間もなく,例の動き(Spiel)が始まるのに気がつきました。今度は,自分の考えが復唱されるのが聞こえたり,考えが彼に吹きこまれたりしました。しかも今度は,警察(Commissarius)が彼から馬鹿げた内容の考えを「引き出し」,それを根拠に彼を告発して処罰させようとしているように思われました。電話線が庭のほうに張られていて,それを使って連中(Leute)が彼の考えを盗聴しているように思われました。彼は,ベッドに寝ているときに,自分の顔が光に照らされたように感じました。こういうことがあったり,下品な悪口が聞こえたり,たとえば,「やつ(der Kerl)訳注3)は夕食を食べたばかりだが,すぐに処刑されるぞ」とか,「家の外には,あいつを石で打ち殺す連中が張り込んでいるぞ」というような,恐ろしい言葉が聞こえたりしましたので,彼はひどく不安になり,保護を求めるために,立ち上がりました。通りでは,彼はもしもしと呼びかけられたり,誰もが彼を知っているようであったり,すべてのものが彼の後をつけ,後からこう叫んでいました。「いま,あいつがやって来た。あいつはそこにいるぞ。乞食!長靴みがき!オーデル河にあいつをほうりこめ!」。彼は不安にかられて,あてもなく通りをうろつきましたが,いつも沢山の人に駆りたてられ,追跡され,そして最後に,息をきらし,汗びっしょりになって,私たちの教室の近くにあるビール店にたどりつきました。その店で彼は火酒(Schnaps)を1杯注文し,首を吊るための紐はないかと言いました。そういうことで,彼は病人と認められ,私たちの教室に行くように教えられました。この病院での第1夜の大部分を,彼は眠らずに過ごしたということでした。彼は自分の居場所をよく心得ており,いくぶん安心したようでしたが,相変わらず,外にいる大勢の連中が,彼をオーデル河に引っぱって行ってほうり込めと叫んでいるのが,彼に聞こえていました。1度だけでしたが,彼は3頭の象が自分の部屋に入って来たように思ったことがありました。これはおそらく,彼の妄覚にちがいありません。散剤(フェナセチン,2.0g)を投与したせいか,彼は眠れるようになりました。患者は,ここ,教室では,彼にとっていかがわしいことは起こるはずがないことをよく知っているようです。しかし彼は,連中が迎えに来たら,病院では彼を連中に引き渡すだろうと考えています。質問に対して患者は,切迫した運命に対する不安から免れるために,いまでも自殺したいのはやまやまだと答えます。患者は事業上の事柄についてははっきりと説明し,「最後の手配」を済ませたいと望み,連中のどんな要求にも「無抵抗に従い」たいと述べています。不安が全身を占拠していて,ときたま心悸亢進と心窩部圧迫がそれに加わる,と言います。彼は,不安は持続的に聞こえる声のせいだと言います。彼は声の内容を言葉通りにこう述べます。「後生だから。処刑しないで。あれは善人だ,屑っかすだ,いまあいつが笑い,医者が書いている。(病歴の記載に口出しして)なんでもかでも書きつけるなんて,とんでもない馬鹿げたことだ。あれは詐病をやっているんだ。あいつは気違いかもしれないが,詐病もやっているんだ。こんな詐病者だのにひとはなんと思っているんだろう? K. は詐病をやっているんだ。K. よ,おまえは聞こえないのか。お前は詐病をやっているんだ。なんでもかでも書きとるなんて,一体どういうわけなんだ。医者はお人好しだ。医者は馬鹿だ。医者はのろまだ」。医師が患者に「外で誰か悪口を言っていないか注意してごらん」と言うと,患者はその通りの言葉が復唱されるのを聞きました。同じようにしばしば,彼に向けられた質問や,彼自身の考えが,連中によって復唱されました。医師たちについてや,彼から全く遠く離れている,皇帝などについての悪評が,入院当初の数日間は,彼の「頭のなかにふきこまれ」ましたが,後には彼はそれらと同じ内容の声を聞きました。ここに来る途中で彼が聞いた,悪口や下品な話し声は,あるときはたしかに1人の声として聞こえたと言いますし,あるときは指揮者の指揮にしたがっているように合唱する声として聞こえたと言います。合唱でこう叫んでいたと言います。「さあこれから,あいつは市の外濠に行くぞ」。しかしそのとき彼はこう考えました。「いや,俺は断じて行かないぞ」。彼は皇帝の急報が,「8日以内に首を落とすべし」と伝えているのを聞き,伝令がその急報を検察官に手渡しているのを見ました。彼は二,三度,処刑の鐘がなりひびくのを聞きましたが,そのひびきはあたかも彼の切迫した死を告げているようでありました。

掲載雑誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-126X

印刷版ISSN:0488-1281

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