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雑誌目次

論文

精神医学20巻3号

1978年03月発行

雑誌目次

巻頭言

大学精神医学と地域精神医学

著者: 山口成良

ページ範囲:P.232 - P.233

 昨年8月末から9月にかけて,ホノルルで行なわれた第6回世界精神医学会に出席する途次,北陸の精神科医を主とした約10名の団体を組んで,アメリカ西海岸の精神病院,大学を見学してきた。そこで気づいたことであるが,アメリカの地域精神医学が私が留学した15年前と比べて,非常に地についた活動をしているということである。
 例えば,カリフォルニア州のNapa州立精神病院の院長Linn博士の話では,現在ここでは,2,000人の入院患者(15年前は3,800人)に,2,000人の職員が勤務しているが,ダイレクトにこの病院を訪れる患者はなく,すべて郡のcounty mental health centerを通じて患者が紹介され,退院する際には,その患者の入院病歴のコピーならびに今後のcareについての医師のrecommendationをつけて再びもとのcounty mental health centerへ送られ,そこで色々の施設(halfway house,supervised apartment livingなど)を利用してのaftercareがとられているということであった。すなわち州立精神病院は,地域精神医学の一環としての役割を果たしており,精神病院と精神衛生センターとの役割分担が確立しているわけである。

展望

Diphenylhydantoinの抗けいれん作用

著者: 田代信維 ,   武市昌士 ,   向野良介 ,   松島道人 ,   荒木隆次

ページ範囲:P.234 - P.246

I.はじめに
 Diphenylhydantoin(DPH:Phenytoin)は現在抗てんかん剤として臨床上最もよく使用されているものの1つであり,大発作の治療にはなくてはならない薬剤である。このDPHはPutnamとMerritt(1937)86)によって,動物実験で抗けいれん作用が著明であることが確かめられ,またMerrittとPutnam73)によって1938年に臨床的に有効であることが報告された。動物実験結果と臨床治療結果が一致するというこの画期的な報告は臨床家や基礎研究者に新しい研究の方向を示唆した。またこの抗けいれん剤,DPHには催眠性がないということも31,73),それまでの常識を変えるものであった。
 以来この魅力ある薬剤の抗けいれん作用については多くの研究者達によって精力的に研究がすすめられ,他の抗けいれん剤に類のないほど多くの報告がなされている。その薬理作用についてはWoodbury(1969)113)またWoodburyとKemp(1971)115)の総説や,GoodmanとGillnan(1970)42)の薬理学書がある。このDPHは神経系のみならず他の臓器にも作用し,また合成系や代謝系にも作用するが,本文では主としてそれ以後の研究成果をもとに神経系に関するDPHの作用に限定して,特にその抗けいれん作用について紹介したい。

研究と報告

40歳台の妄想・幻覚精神病

著者: 林三郎 ,   上田宣子

ページ範囲:P.247 - P.255

I.はじめに
 今日の精神医学において,精神分裂病の疾病概念の混乱の中で,概念の基本的な修正が多くの人達によって論じられている。
 精神分裂病と呼ばれる疾患群の本質についての研究・治療は現代の最大の課題であるが,内因性精神病のより細分化された疾患概念を詳細に記載していくことによって,新しい疾患概念の把握の可能性を示そうとする方向にKretschmer18),Pauleikhoff21),Weitbrecht28),藤縄9)らが存在する。他方,新たな「単一精神病」概念において,一つの可能性を見出そうとする方向にConrad4),Ey5,6),Janzarik12),千谷25)らが挙げられる。さらにこれと関連して,向精神薬物療法が,診断を異とする各種の精神病でも類似の病像を示すものに同じく有効であるという治験から,Rennert23),Kühne19)らの精神病の普遍的病因論がある。
 われわれは上述の状況をふまえて,40歳台の妄想・幻覚精神病の数例について報告するが,特に取り上げたいのはこれらの症例において,共通の特徴として,初発年齢が40歳台であり,そのすべてが男性であり,性格と状況との関連が明確であり,かつ向精神薬物療法で簡単に治癒したという事実が認められたなどの点である。
 内因性精神病の発病要因として年代と性別を重視する観点は別に目新しいものではない。すでに内因性精神病の好発年齢,妄想主題の年齢や性別との関係については多くの研究がある。たとえばKretschmerの「敏感性関係妄想」,Pauleikhoff20)の「30歳台の妄想・幻覚精神病」などが有名であるが,Friedmann8)の「軽パラノイア」,Gaupp10)の「頓挫パラノイア」,さらにJanzarik13)の「対人接触欠損のパラノイド」などの研究があり,わが国では藤縄の「20歳台後半における一過性妄想精神病」,植元26)の「思春期妄想症」などの論文がある。藤縄は,精神病と年代の問題について,生理学的,心理学的な年代の特性だけでなく,生活史的,性格的ならびにその年代での対人的布置などに特徴がみられ,その年代における挫折が特有の症状群,疾患類型を形成する可能性を示すと述べている。つまりある年齢層において,その年代と性別は固有の問題性をはらんでいるものであり,歴史的,社会的背景によって影響されるものではあるが,男女のその年代の固有の危機をもはらんでいるものである。この問題については児童精神医学,思春期および老年期の精神医学において研究されている。しかし中年期(40〜55歳,van den Berg27))について,教科書的には遅発性精神分裂病(M. Bleuler1)),妄想型精神分裂病,嫉妬妄想を主とした妄想発展,更年期精神病などが挙げられているが,中年期の固有の問題性,危機あるいはその年代と性別のもつ固有の意識構造と精神病とのかかわりについての研究は少ない。
 われわれは上述の如く,年代と性別-生活史-性格-発病状況-病像-治療状況-経過から,予後良好な40歳台の妄想・幻覚精神病の一群を見出すことができたと思うので症例を報告し,年代と性別に固有の意識構造がいかに精神病に関与しているかを考察する。

多重人格の1症例

著者: 斉藤正武 ,   宮崎忠男

ページ範囲:P.257 - P.263

I.はじめに
 1人の人物に継時的に2つ以上の人格が交互に出現する現象は,多重人格あるいは交代意識と呼ばれ,極めて珍しいものとされている。この現象についての記載は古く,1815年症例Mary Raynoldsに関してEllicottが報告したのが最初といわれている15)。その後,19世紀後半から20世紀前半にかけての欧米では,多重人格に対する関心が高まり多数の報告が相次いでなされるに至った。詳しく文献的考察を行なったTaylorら15)によると,1944年までに報告されたもののうち,明らかに多重人格と呼べる症例は76例であったという。しかし,20世紀後半になると本症に関する報告は激減し,最近ではLudwigら10)の症例,さらに日本でも「私という他人」という題名で翻訳されたThigpenら17)の症例をみるに過ぎない。
 このような変遷についてSutchiffeら14)は,時代精神を背景とした一種の流行によるものではないかと述べ,さらにほとんどの症例で催眠が施されているなど治療による影響が無視できず,近年では多重人格の概念自体に疑問が投げかけられてきたことによる,と考察している。そして,現在ではこの種の現象については古典的歴史的意味で語られることが多く,過去の不可思議な事例として批判的に受け取られている16),といえよう。しかしまた,多重人格にみられる多彩でドラマチックな現象は,人格とか意識の問題を論ずる場合多くの示唆を与えるものとして,今日でも好んで引用されていることも事実である。
 一方,わが国においては,本症に関する報告は極めて少ない。われわれの知る限りでは,古くは中村古峡8)により,比較的近年では中村敬三12)により観察されたものをみる程度である。
 われわれは最近,多重人格と考えられる症例を経験し,特にその交代人格の発展および治癒に至る経過を,詳しく観察することができた。われわれの症例でも催眠が施されるなど,治療による影響は無視できないが,これも含め興味ある所見が得られた。

Capgras症候群を呈した精神分裂病の1症例

著者: 榎本貞保 ,   松下兼介 ,   松本啓

ページ範囲:P.265 - P.269

I.はじめに
 Capgras症候群12)は,1923年にフランスのCapgrasおよびReboul-Lachauxによって瓜二つ錯覚(L'iliusion des sosies)として初めて記載されたものであるが,一般には身近なある人物が,まったく生き写しの別人と入れ替わったように信じられる替玉妄想のことをいう。Pauleikhoff14)は,ドイツ学派で人物誤認(Personenverkennung)と呼ばれる症状のうち「未知の人物を既知の人物と誤認する」のではなく,「既知の人物を未知の人物,しかも既知の人物と瓜二つの人物と誤認する」ものをいい,臨床的には,本症候群を示す患者はほとんどすべて女子であることは注目に値し,また大半は分裂病者であるとしている13)
 本邦では,木村ら7)が「家族否認症候群について」の中で,高柳16)は「二重身について」の中で言及し,また村上ら11)は「精神分裂病における単数妄想について」の中で症例を例示して論じているが,これ以外の症例報告としては,最近,原ら2),平川5),今井ら6)がそれぞれ1例を報告しているにすぎない。この理由について原ら2)は,フランス学派は特殊な疾患として取り扱う傾向があるのに対し,ドイツ学派は一症状にすぎないとの考えであり,従って本邦でもただ単に人物誤認としてカルテに記載し,その特殊な意味を考えようとしなかった結果かもしれないとしている。一方,精神医学の教科書では,Arietiら1)は,rare and unclassifiable syndromesの中で,Lehmann8)は,unusual psychiatric disorders and atypicalpsychosesの中で,また中根12)は,比較的まれな精神医学的症状群として取り扱っている。いずれにせよ,この症候群が現われると,つねに症候学的優位を占めて臨床症状に大きな影響を及ぼすとされている1,12,17)。また村上ら11)は,家族内妄想の一典型であり,心因論的力動論的ないしは生活史的研究の好個の研究対象といえるとしている。
 最近,われわれは,このCapgras症候群とともに多彩な妄想を呈した精神分裂病の1症例を経験したので,その妄想形成の機制について若干の精神病理学的考察を加え報告する。なお症例記述に際しては,患者の秘密保持のため実在する人物については偽名を使用した。

音楽てんかんについて—自験例と文献的考察

著者: 河合逸雄 ,   藤繩昭 ,   木村繁男

ページ範囲:P.271 - P.278

I.はじめに
 Gastautによれば広義の反射てんかん(induced epileptic seizure)は,てんかんの約1%を占めるが19),音楽てんかんmusicogenic epilepsyもこの種に属するものである。本症は文字通り,てんかん発作が昔楽を聞くことによって誘発されるものであるが,後述するように,音楽の内容は極めて要素的なものから高次な水準まであり,また,かならずしも,特定の音楽を聞かぬ限り,てんかん発作を生じぬというほど発作と音楽が一義的に対応しているわけでない。さしずめ,本症の定義は,あるてんかん患者において,音楽を聞くことと発作出現とが密接に関連している場合を音楽てんかんと呼ぶことになろう。現在のところ,著者らの調査によれば,世界で70例近くの報告があるが,わが国ではおそらくはじめての経験なので,自験例を報告し,併せて文献的考察を行なう。本症の総説としては,Titeca47),Poskanzer35),Janz22)があり,わが国では福山16,17)が紹介している。

熱性けいれんから無熱性けいれんへの移行例—Ⅲ.最尤推定法と判別関数法による研究

著者: 坪井孝幸 ,   山村晃太郎

ページ範囲:P.279 - P.282

Ⅰ.まえがき
 これは熱性けいれんから無熱性けいれんへの移行例の臨床的,脳波学的,追跡的研究(第1報)4),同因子分析法による研究(第2報)5)の続報である。
 本研究の目的は,熱性けいれんを予後から 1)熱性けいれんから無熱性けいれんへの移行例,2)熱性けいれんのみにとどまる例の2群について,主成分分析法により両群を構成する因子を抽出し,最尤推定法により因子数と因子負荷量を求め,ついで判別関数法により各因子に重みづけを行ない,両群の判別を試みることにある。

Mental Diplopia,概念思考発作,笑い発作を呈する精神運動発作の1例

著者: 村崎光邦 ,   山角駿 ,   鈴木市郎 ,   石郷岡純

ページ範囲:P.283 - P.292

I.はじめに
 1899年Jackson13)によって鉤回発作uncinate fitが鉤回に限局した病巣の発作発射によるものであることが報告され,さらに脳波の発見とともにGibbsら6)やLennox16)らによって,従来てんかん代理症として一括されていた精神運動発作と側頭葉との関係が次々に明らかにされてきている。今日では,側頭葉のみならず,前頭葉眼窩面,視床背内側核,視床前核,帯状回など大脳辺縁系内の病巣からも生じることがわかっている22,28)
 今回,われわれはJackson14)がInental diplopiaとして記載し,Penfield24)がdoubling of consciousnessと説明した,いわゆる精神発作や概念思考発作,既視感,未視感などのほかに笑い発作をも呈するという多彩な精神運動発作の1例を経験したので報告する。

分裂病様症状を伴うてんかんの1例—その人間学的考察

著者: 人見一彦

ページ範囲:P.293 - P.301

I.はじめに
 従来より,てんかん患者に往々に分裂病様状態が出現することはよく知られており,症状論的にも,病因論的にも,臨床脳波学的研究成果をふまえて種々の検討がなされている。
 しかしこのような立場はどちらかというとその脳生理学的発生機序に関心が注がれるあまり,その精神症状に関しても,その病的過程から説明されがちであり,その症状を有する「てんかん者」の存在様式自体が問題とされることは少なかったようである。
 だがこの問題はその存在様式を単に現象学的,人間学的に了解するということにとどまらず,Tellenbach以来,精神症状の治療の困難性が指摘され,今なおいわゆるTherapieresistenz3)が問題とされる以上,病者に治療的接近を試みる際に,大きな示唆を与えてくれるものと思われる。
 われわれは,そのような頑固な治療抵抗性を示す,25歳のてんかん性精神病患者の精神症状発現以来,約6年間にわたる臨床的観察を通じて,種種の抗けいれん剤,抗精神薬の投与によっても,あるいはその一時的中断によるけいれん発作の発現によっても容易に精神症状の改善が見られなかったにもかかわらず,そのような状況のもとで,治療者と共にバレーボールに参加するという共同行為を通じて,治療の転換がはかられ,その後寛解状態に至った症例の報告を通して,病者の住んでいる世界を現象学的に明らかにし,その環境世界とのかかわり合いの身体性の地平での問題点を示唆しながら,治療的働きかけの側面についても言及したい。

総合的コミュニティ・ケアにおけるアルコール外来—川崎市における予後調査をもとにして

著者: 中村希明 ,   霜田一男

ページ範囲:P.303 - P.311

I.はじめに
 最近アルコール症の治療に回復者グループである断酒会をシステムに組み入れた報告がみられるようになったが,それらは病院の治療経験の発表4,12)が主であって,独立した外来機関としての報告は少ない1)ようである。川崎市精神衛生センターにおいては,アルコール症のアフター・ケアの一環として,昭和46年より断酒会の育成,調査8),47年からは断酒会を治療システムに組み入れたアルコール外来を開設し,すでにその成績の一部7)は発表したが,今回は昭和47年より4年間の受診者374名についての予後調査を行なったので,行政機能をもつ公衆衛生機関である精神衛生センターが直接医療サービスを行なう意義と併せて発表する次第である。

ヒトの睡眠に対するCloxazolamの影響

著者: 小鳥居湛 ,   櫻田裕 ,   中沢洋一

ページ範囲:P.313 - P.318

I.はじめに
 Cloxazolamは,国内で合成されたbenzodiazepine誘導体に属する緩和精神安定剤である。その薬理実験から,同じbenzodiazepine系のdiazepamに類似した作用をもつといわれ,とくに,抗不安作用はdiazepamよりすぐれているといわれている14,16,23)。その他,筋弛緩作用28),抗けいれん作用17)も臨床治験から確かめられている。Benzodiazepine系薬物の中には,nitrazepamやflurazepamなどのように催眠作用が強いものもあり,その多くは終夜睡眠ポリグラフィーによって,睡眠に及ぼす影響が検討されている。cloxazolamは,他の緩和精神安定剤と比べると,強力な抗不安作用をもつ他に,抗うつ作用もみとめられ9,10,14,16,23,28),さらに,不眠に対しても有効であるという報告もある10)。しかしながら,ヒトの睡眠に及ぼす影響を,終夜睡眠ポリグラフィーによって検討したものはない。今回,われわれは,健康な成人を対象にして終夜睡眠ポリグラムを記録し,cloxazolamの2mgおよび,4mgを頓服投与した場合の,睡眠に及ぼす影響を検討したので報告する。

古典紹介

—A. Zeller—Zweiter Bericht über die Wirksamkeit der Heilanstalt Winnenthal—vom 1. März 1837 bis zum 29. Febr. 1840

著者: 宇野昌人

ページ範囲:P.319 - P.330

 この療養所の活動第2報は,開設当初3年間の活動に関する前回の報告に引き続くものである。最初の報告には,当所の建物の配置や身体的,精神的療法を詳細に述べた。
 前回報告後まもなく狂躁病棟の拡張計画が完了し,その整備の適切さが証明されてきている。つまり,2つあったアウテンリート式保護室は他の保護室と同じものに改造された。というのはここでも,それが,より好ましく,より人道的な設備の代用にしかすぎず,どうしてもやむをえない場合たまに使うだけだということがわかってきたからである。次にこの病棟の中庭に広いわらぶきのあずまやを設け,日差しの強い暑い日にも患者が戸外で過ごせるようにした。療養所の建物の外装は全部明るく気持のよいしっくいとし,以前には十分でなかった窓も全体と調和するように設けられ,正面の建物にコの字型に囲まれた大きな中庭は,舗装の破損したところもあったのだったが,いまでは立派な噴水を備えて,気持のよい立派な庭となった。患者の居室や寝室のどの部屋からもこの庭を直接眺めることができる。こうして療養所全体の外観は,以前にくらべるとずっと親しみやすく好ましい印象を与え,見た目にも,気持の上にもよりやさしく語りかけるものとなった。6年間の経験から,われわれの建築,設備には,療養所の力強い調和のとれた発展のために多少とも不可欠なものすべてがそろっているとの確信を深めている。もちろんこの世の中に完全なものなどあるわけがなく,新建築にも所々に,おそらくああすればよかった,こうすればよかったといったところがある。さらに古い館が備えていたよい点,有用な点のいくつかが,あるいは失われたかもしれない。いずれにせよはっきりいえることは,新しい建物ができたからといって,それで入院患者を1人でも多く治療できるようになるというものではないということである。大切なのは療養所の建物より精神であって,設備がどんなに立派でも,それで精神を補うことはできず,むしろ精神で建物を補うことができるのだと確信はしているが,だからといって新しい建物のほうが古い建物を利用するより有利な点があるということを認めないわけではない。患者は5つの病棟に分けられているが,病棟はいずれもよく見通せて,非常に管理しやすくなっており,相互に接近しすぎても離れすぎてもおらず,採光,通風,眺望,静けさは保障されていて,こうした点で,これ以上のものは望めないほどである。しかし昔の建物に,われわれのところでみられるようにすぐれたところがたくさんあるということは,なかなかないものである。計画されていた運動場は1837年はじめには完成し,以来よい季節には,身体的,精神的治療の促進に著しく役立っている。もっとも恵まれない階層の患者に対する州の保護政策は,引き続きこの療養所の整備完成に示されたばかりでなく,さらに州は養護施設(Pflegeanstalt)を設けて二通りの組織を作り上げた。この養護施設は,療養所と同じく人道主義と進歩した医療という原則にのっとり,精神障害者のために,収容施設(Detentions-anstalt)が真に面目を一新したものである。この療養所と養護施設とを完全に分離するということは,多方面から,信頼に値する専門家からさえも,実にさまざまの形できわめてはげしく攻撃された。しかしわれわれは,州がこの階層の患者の保護においてその課題と技術的なことを完全に解決するには,こうした分離しかないと考えている。この問題ではとりわけ,経済性ということはあきらかに次元が低く容認できないのでさておくとして,理論や恣意によってではなく自然にはっきり示されている比較的治癒可能な精神病者と比較的治癒不能なものとの区別を念頭におかなければならない。療養所と養護施設の完全分離に対するおもな反論はいずれも,要するに完全に分離された養護施設は,療養所と同等ではなく,同一の人道的,科学的精神によって満たされることも活気づけられることもあり得ないという前提に立っている。しかしコルディツのザクセン養護施設においてハイナーがみごとな先例を示しているように,これら姉妹施設がその課題を精神と力と忍耐をもって遂行し,2つの分離された施設が人道性と科学への一つの愛で一致して協力しあうならば,当然その成果は大きくゆたかとなる。しかも2人の人物がそれぞれのきわめて独得な活動範囲において各人の究極的には不可分な一生の課題を自覚し,十分な組織的,人格的統一において彼らの世界を充実させ,それに生気を与えるべきであって,溜ってくるたくさんの患者をかかえた療養所兼養護施設のそれぞれほとんど特異的ともいえるほど違った課題を一人の人物の監督下におくべきではない。たとえその人物が熱心この上なく天分ゆたかで,その上多くの医師の助けをかりることができたとしても成果はあがらない。また2人のそれぞれ独立し同じ地位にある院長が2つの相互に合併した施設の上に立つという場合も同じである。このような場合,2人とも同様に一つの大きな使命に専念するのではあっても,その2人が協調してやってゆくということは,一般に考えられるよりもはるかに困難なのである。というのは,施設の一般的規則とならんでもっとも影響力をもつのは院長の独得の精神に他ならないからである。その精神は所定の規則すべての上に,独創的,支配的にあらわれてくる。それゆえ,すこしでもすぐれた療養所あるいは養護施設は,院長の人柄を反映し,さまざまの形をとってくる。

動き

第4回国際心身医学会議の報告

著者: 石川中

ページ範囲:P.331 - P.333

 第4回国際心身医学会議が,1977年9月5日より9日にかけて,国立京都国際会館において開催された。
 本学会は,第1回メキシコ(ガタラハラ),第2回オランダ(アムステルダム),第3回イタリー(ローマ)で開催され,今回は第4回で,日本(京都)での開催の運びとなったのである。

資料

北海道大学医学部附属病院精神科神経科における外来初診患者の診療統計

著者: 岡田文彦 ,   山下格 ,   高畑直彦 ,   浅野裕 ,   鈴木愷宏 ,   片岡憲章 ,   深津亮 ,   藤枝俊儀 ,   今裕 ,   小山司 ,   相川久志 ,   三国雅彦 ,   工藤達也 ,   工藤順子 ,   千葉達雄 ,   池田輝明

ページ範囲:P.335 - P.343

I.はじめに
 北海道大学医学部附属病院精神科神経科では,諏訪望教授のご退官を契機に,同教授が在任された昭和24年から50年までの27年間について,外来および入院部門の統計的調査を行なった。これらの調査結果の詳細は「諏訪望教授退官記念教室研究診療業績録1)」に診療統計として掲載した。これまでこのような長期間にわたって,詳細に調査された診療統計の報告はきわめて少ない。そこで,精神科神経科あるいはその関連領域にたずさわる多くの方々にとっても,参考になる点が少なくないと考え,本誌上でその大要を紹介することにした。
 外来統計についてふれる前に,当科および北海道,札幌市の診療状況について概略を述べておきたい。当科における診療は,昭和3年11月1日,内村祐之教授(現東大名誉教授)のもとに開始された。そののち故大熊泰治教授,石橋俊実教授(現東北大名誉教授)をへて,昭和24年5月から51年3月まで,諏訪望教授(現北大名誉教授)が科長として診療にあたった。この間,昭和38年には外来部門が新しい外来棟にうつり,同じく41年9月には現在の精神科神経科病棟が完成をみた。
 昭和24年から四半世紀以上にわたるこの調査期間は,終戦後の混乱期から復興期,さらに高度経済成長期をへて現在にいたる,大きな歴史の流れに相応している。疾患の種類や頻度が,社会情勢や医療事情を背景として変化することは周知の通りである。今回の調査資料も,この間の社会および医療状況の変遷に照らして検討されねばならないことはいうまでもない。
 この社会情勢の指標のひとつに,全人口の動態がある。昭和24年当時の北海道の総人口は約418万,昭和50年は約534万で,この間の増加率は1.28倍ほどにとどまるが,机幌市の人口は約28万から約122万と4.3倍以上にまで増加している。
 また,人口動態とともに当科の受診患者の動きに影響を及ぼしたのは札幌市および北海道の精神科医療施設数と病床数の飛躍的な増加である。図1はその大要を示したものである。昭和30年代のはじめから40年代の後半まで,施設数および病床数が急角度で直線的な伸びを示している。これは長い間,専門的医療施設にめぐまれなかった北海道内の各都市に,道立,市立などの官公立,赤十字などの事業団体立,および私立の精神病院ないし総合病院併設精神科が続々と設立されたことを意味する。このような医療施設の急増によって,最近とくに新設病院などにおいて入院患者の疾患構成に変化を生じていることが報ぜられている。また上記の医療施設数および病床数が,昭和48年以降横ばい状態にあることは,精神科医療がひとつの曲り角にあることの端的なあらわれとして注目すべき現象である。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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