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北海道大学医学部附属病院精神科神経科における外来初診患者の診療統計
著者: 岡田文彦1 山下格1 高畑直彦1 浅野裕1 鈴木愷宏1 片岡憲章1 深津亮1 藤枝俊儀2 今裕3 小山司4 相川久志4 三国雅彦5 工藤達也6 工藤順子6 千葉達雄7 池田輝明8
所属機関: 1北海道大学医学部精神医学教室 2旭川医科大学精神医学教室 3室蘭市立病院精神神経科 4旭川市立病院精神神経科 5札幌市立静療院 6国立十勝療養所 7岩見沢市立病院精神神経科 8小樽市立第2病院精神神経科
ページ範囲:P.335 - P.343
文献購入ページに移動北海道大学医学部附属病院精神科神経科では,諏訪望教授のご退官を契機に,同教授が在任された昭和24年から50年までの27年間について,外来および入院部門の統計的調査を行なった。これらの調査結果の詳細は「諏訪望教授退官記念教室研究診療業績録1)」に診療統計として掲載した。これまでこのような長期間にわたって,詳細に調査された診療統計の報告はきわめて少ない。そこで,精神科神経科あるいはその関連領域にたずさわる多くの方々にとっても,参考になる点が少なくないと考え,本誌上でその大要を紹介することにした。
外来統計についてふれる前に,当科および北海道,札幌市の診療状況について概略を述べておきたい。当科における診療は,昭和3年11月1日,内村祐之教授(現東大名誉教授)のもとに開始された。そののち故大熊泰治教授,石橋俊実教授(現東北大名誉教授)をへて,昭和24年5月から51年3月まで,諏訪望教授(現北大名誉教授)が科長として診療にあたった。この間,昭和38年には外来部門が新しい外来棟にうつり,同じく41年9月には現在の精神科神経科病棟が完成をみた。
昭和24年から四半世紀以上にわたるこの調査期間は,終戦後の混乱期から復興期,さらに高度経済成長期をへて現在にいたる,大きな歴史の流れに相応している。疾患の種類や頻度が,社会情勢や医療事情を背景として変化することは周知の通りである。今回の調査資料も,この間の社会および医療状況の変遷に照らして検討されねばならないことはいうまでもない。
この社会情勢の指標のひとつに,全人口の動態がある。昭和24年当時の北海道の総人口は約418万,昭和50年は約534万で,この間の増加率は1.28倍ほどにとどまるが,机幌市の人口は約28万から約122万と4.3倍以上にまで増加している。
また,人口動態とともに当科の受診患者の動きに影響を及ぼしたのは札幌市および北海道の精神科医療施設数と病床数の飛躍的な増加である。図1はその大要を示したものである。昭和30年代のはじめから40年代の後半まで,施設数および病床数が急角度で直線的な伸びを示している。これは長い間,専門的医療施設にめぐまれなかった北海道内の各都市に,道立,市立などの官公立,赤十字などの事業団体立,および私立の精神病院ないし総合病院併設精神科が続々と設立されたことを意味する。このような医療施設の急増によって,最近とくに新設病院などにおいて入院患者の疾患構成に変化を生じていることが報ぜられている。また上記の医療施設数および病床数が,昭和48年以降横ばい状態にあることは,精神科医療がひとつの曲り角にあることの端的なあらわれとして注目すべき現象である。
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