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雑誌目次

論文

精神医学20巻4号

1978年04月発行

雑誌目次

巻頭言

精神病院入院患者の開放的処遇を世間に通用させるために

著者: 西尾忠介

ページ範囲:P.354 - P.355

 精神病院長という肩書きがなければ公言できるかもしれない発言を,病院長であることの故に躊躇することがある。
 時たま,病院近辺に住んでいる人達何人かが一緒に院長に面会を求めて来訪。その趣旨は「去る某日,うちの娘が会社からの帰途,病院の近くの路でおたくの患者にあとをつけられた。それ以来遠回りをして通勤している」,「家の前の路を大勢の患者が鎌を持って,付添いもつかずに通った,キチガイに刃物ではないか,われわれ住民が危害を加えられたら病院はどういう責任をとるのか」,「駅やスーパーマーケットで,おたくの患者であることが一目でわかる人達によく会う。ああいう気味の悪い人は外出させないでくれ」といった苦情・警告・要求の申し入れである。

展望

失語・失行・失認に関する最近の諸研究—1960年前後から最近まで—第1部

著者: 杉下守弘

ページ範囲:P.356 - P.372

I.はじめに
 M. Dax(183617),186518))による「失語症は,左大脳半球の損傷で生ずる」という発見や,P. Broca(186110))による「aphémie(後のBroca失語)が第2あるいは第3前頭回の損傷で生ずる」という発見などで,失語・失行・失認の研究は開花しはじめた。
 その後,失語は,Bastien(18693),18984)),Wernicke(187483)),Déjerine(189220),191421))などによって,そして,失行は,Liepmann(190055),192056))によって,19世紀初頭までには,一応の体系にまとめあげられた。失認の場合は,その臨床型によって事情は異なっているが,やはり同じ時期に,1つのまとまりをみせるようになった。失語・失行・失認に関するこれらの体系は,互いに関連して,現在,古典論として知られる1つの学説をなしている。それを一言でいうと,事物の視覚的記憶心像,聴覚的記憶心像等が蓄えられている種々の中枢や,言語の視覚心像,聴覚心像等が蓄積されている種々の中枢を大脳皮質の特定部位に想定する。そして,これら中枢は,連合線維や交連線維で結ばれており,それによって情報の伝達が行なわれているというものである。そして,このモデルで,①失語・失行・失認が一定の損傷部位で生ずることや,②失語・失行・失認がどのようなメカニズムで生ずるかを説明することを目指したものであった。
 しかし,この古典論,特に失語の古典論は,その成立後間もなく,Marie(190658)),Head(192643)),K. Goldstein(192739)),らの全体論に立つ人々からの批判を受けた。そして,その後脳外科の発達に伴う脳切除や脳皮質の電気刺激など新しい方法による成果が増したにもかかわらず,古典論は,一般に批判されるのみで,古典論とこれら古典論以後の学説と知見を包括する統一的な見解に達することのない時代が続いた。Head(192643))は古典論の時代をChaos(混沌)という言葉で形容したが,Geschwind(196431))はこの言葉は,Headらの古典論批判が始まった時期以後についてこそ用いられるべきであるとさえ述べている。しかし,1960年代に入ると少し様相が変りはじめ,古典論とそれ以後の学説を止揚する兆しがみえてきた。
 本稿は,100年以上の長きにわたる失語・失行・失認の研究のうち,この新しい動向のみえはじめた1960年前後から,現在に至る期間について,その一般的動向を第1部とし,失語・失行・失認の各臨床型を中心とした各論を第2部として回顧することを試みた。

研究と報告

血中濃度の推移よりみたクロールプロマジン1日量1回与薬の可能性

著者: 尾崎古志郎 ,   阿座上寿 ,   奥平昌一 ,   内村英幸 ,   斉藤雅 ,   金長寿 ,   向井彬

ページ範囲:P.373 - P.378

I.はじめに
 向精神薬物が臨床に導入されて20数年を経た今日,向精神薬物療法は精神科領域における治療の最も重要な領域を占めている。この間,多数の向精神薬物による治療経験に関する報告がなされてきたが,その使用方法,使用量は経験的に行なわれているのみで,その科学的裏づけは未だ明らかにされていない。われわれは,向精神薬物の適応を科学的に進めるため,向精神薬物,特にクロールプロマジン(CP)の血中濃度を検討してきた。血中濃度の推移よりみた場合,1日量1回与薬法が,1日量3回分割法より1日旦を減量しても血中濃度は変化せず維持されていることを見出し,維持療法では,むしろ1日量1回与薬法が多くの利点をもっていると思われる。これらの点について検討した結果を報告する。

陳旧性精神分裂病者の社会復帰—After Careと再発について

著者: 大塚健正 ,   吉田日出夫 ,   大西泰道 ,   伊予田成

ページ範囲:P.379 - P.386

I.はじめに
 最近,多くの精神病院において精神分裂病患者の在宅医療,陳旧例の社会復帰の方法としての作業療法1),after careとしての就職退院2,3)などが行なわれるようになり,これまでの隔離や保護を目的とした精神科医療から脱皮し,一社会人として精神障害者をみなおし,その社会生活での治療を試みる努力がなされるようになってきた。したがってその治療方法は単に抗精神薬の服薬指導のみならず精神療法による接近,精神障害者の家族療法,保健所やソーシャル・ワーカーの協力による地域社会へのはたらきかけ,職場(職親)の精神衛生と精神障害者に対する理解を深めるようなはたらきがけが徐々ではあるが行なわれるようになってきた。しかし,現実には再発,再入院の繰り返しにより家族関係の破綻者,地域社会や職場から排斥される患者がいかに多く存在するかはいうまでもあるまい。しかもその最たる原因として,行政的,経済的,人的諸要因を含め,精神科医療の貧困さが指摘されるであろう。しかしながらこのような患者が存在する以上,微力ながらも医療を行なわなければならず,その方法も各人各様であるのが現状である。
 われわれは陳旧性精神分裂病者(以下分裂病者とよぶ)を対象としたが,その中でも特に家庭に問題があり退院が困難である入院患者群と,退院したのち病院に社会復帰の援助を求めてきた外来患者群に対して積極的なアプローチをしてきた。すなわち,前者の入院群には「院内作業療法」や「外勤作業療法」,「住込み退院」などを行ない,また後者の外来群には「職場紹介」などを積極的に推進した。そしてこれらの,いわゆるafter careによって社会復帰を促進したり,再発を予防したりする方法を追究してきた。今回はこれらのうち,退院して就職していった患者の実態と経過について調べたので報告する。

躁うつ病のうつ病相に一致して増悪したパーキンソニズムの2例

著者: 浅野聰明 ,   野間拓治 ,   上藤恵子 ,   池田久男 ,   ,   難波玲子

ページ範囲:P.387 - P.390

I.はじめに
 神経生化学,神経薬理学における最近の研究は,うつ病とパーキンソニズムの間に,ある種の近縁性があることを示唆している。パーキンソニズムの経過中にうつ状態を呈したり,実際にうつ病に罹患する事実はしばしば指摘された。また同一家系にパーキンソン病とうつ病とが出現したとの報告もある10)
 Mindham2),Patrick4),Souqués8)らが指摘するようにパーキンソン病に躁状態が合併することはまずないとされているが,われわれは躁うつ病の病歴をもつものがパーキンソニズムに罹患した症例を2例経験したので報告し,若干の考察をしたい。

発作後もうろう状態について—遷延性の経過を示した1例

著者: 森俊憲 ,   加藤秀明

ページ範囲:P.391 - P.397

I.はじめに
 もうろう状態(Dämmerzustande)は意識野の狭窄が高度な特殊な意識混濁をさすが,その定義は成書においても一様ではなく大きな差異が認められる。てんかん性もうろう状態という場合には広義に解釈され意識障害を中心とする精神障害として述べられることが多く,発作症状と持続精神症状の中間に位置するものと考えられている2)。てんかん性もうろう状態は,Landoltの分類12,13)を中心に次のように分けられるのではないかと思われる2,6)
 a)発作前もうろう状態
 b)発作後もうろう状態
 c)欠神発作重積状態(小発作重積)
 d)器質的色彩のもうろう状態
 e)活動性—精神病様もうろう状態
 f)精神運動発作重積
 このうち発作後における脳の機能障害を代表すると考えられる発作後もうろう状態は発作侵襲とそれに対する生体反応との相互作用とも解釈でき,状態像としては興味深いものがあると思われる。しかし古典的なもうろう状態であるがたあにか近年詳細な報告例には乏しい3)。今回われわれは全般性けいれん発作後約3週間続く発作後もうろう状態と思われる1例を経験したので,臨床,脳波的な経過観察に心理的側面からも考察を加え報告する。

ACTH単独欠損症にみられた精神症状と脳波異常について

著者: 早稲田芳男 ,   友成久雄

ページ範囲:P.399 - P.406

Ⅰ.緒言
 内分泌ホルモンの測定法や機能診断法の進歩には近年目覚しいものがあり,それらに伴って内分泌疾患の機序も明らかにされつつある。その1つに下垂体前葉ホルモン単一欠損症があるが,なかでもACTH単独欠損症は1954年Steinbergら2)によって最初に報告されて以来,次々と症例報告がなされている。しかし,未だ症例数が少ないためか,とくに本疾患が視床不部・下垂体系の障害によるものとされながら,それらと関連する中枢神経系の症状については詳しい記載が見当らない。
 一方,精神疾患と内分泌異常との関連性について多数の報告があり,今日ますます多くの学者たちはその精神機能異常の基底には,それに応じた脳代謝の異常があることを想定している5)

精神分裂病様症状,けいれん発作ならびに脳波異常を呈したTurner症候群の1例

著者: 伊藤勝三 ,   松本秀夫

ページ範囲:P.407 - P.411

I.はじめに
 Turner症候群は1938年以来,特異な身体奇形,性腺機能異常,ならびに性染色体異常を呈する疾患として注目され,わが国においても多数の報告がある。しかしその精神医学的検討は極めて乏しい。われわれは本症候群にけいれん発作と脳波異常を伴い,しかもその間歓期に一致して,精神分裂病様状態を呈した1例を経験したので報告する。

うつ病に対するGB 94(Mianserin hydrochloride)の使用経験

著者: 清水信 ,   笠原洋勇 ,   川室優 ,   北西憲二 ,   青木秀明 ,   中村吉伸 ,   森岡洋 ,   新福尚武

ページ範囲:P.413 - P.422

I.はじめに
 1957年にKuhn, R. によって三環系抗うつ剤であるimipramineが導入され,うつ病に対する薬物治療の門が開かれて以来,うつ病の身体病理的な知見の集積に伴って各種の三環系抗うつ剤,モノアミン酸化酵素(MAO)阻害剤などによるうつ病の薬物療法が次々と開発され,臨床に応用されてきたことは衆知のとおりである。この結果,今日われわれが実際に利用しうる抗うつ剤の種類は優に10指に余るものがある。さらに加えて抗うつ作用を持つ一部のtranquilizerも加わって,われわれが臨床場面でうつ病の治療にどの薬物を選択するべきかに迷うことも少なくない。
 こうした状況にもかかわらず,これらの薬物にはいずれも一長一短があり,理想的な満足できる抗うつ剤の出現を期待して今日もなお新たな薬物の開発が続けられている。今回われわれはオランダ・オルガノン社により開発された,従来のどの系統にも属さない新しい抗うつ剤であるGB 94(Mianserin hydrochloride)を日本オルガノン株式会社より提供され,臨床効果を検討した。その結果,抗うつ作用,副作用その他の面でこの薬物が,従来の抗うつ剤に比べていくつかの優れた性質を持つとの知見が得られたので,ここに報告する。
 本剤は元来,抗セロトニン製剤開発の目的で合成された薬物で,図1のような四環構造を有しており,すでにヨーロッパの多くの国で臨床効果の検討が進められ,その抗うつ効果が確認されている1,2,8〜10)。また急性・慢性毒性,催奇性などに関しても,動物実験の結果,特記すべき問題はないとされている3〜6)

古典紹介

—Philippe Chaslin—La confusion mentale primitive

著者: 大東祥孝 ,   浜中淑彦

ページ範囲:P.423 - P.434

 この論文の題名の原発性精神錯乱confusion mentale primitiveという言葉は,古典的精神病概論書にも,ごく最近のそれにも見当らないものであるが,現在までフランスで一般に認められている他の病型とは完全に区別される一群の精神疾患maladies mentalesが確かに存在するのであって,それはこの名称で呼ばれるのが適当である。何故なら現在では,ドイツ人によって,更にはイギリス,アメリカの幾人かの学者によってすら,この疾患群はすでに受け容れられているからである。とはいえ,最近ではまったく忘却されているが,フランスにおいても(エスキロールEsquirol以来!)この特別な病型の記載はあったのである。この忘却は,高名なモレルMorelの一派による有害な影響のもとに古典的方向から若干逸脱し過ぎた教育を受けたために,われわれが本来の伝統を踏まえなかったことに由来する。
 私の目的の一つは,マニーmanieでもメランコリーmélancolieでも,「変質者の妄想病délires des dégénérés」でもない,独自な急性精神病folies aiguësの一型についてフランスの医師の注意を喚起することにあり,更に私は,原発性精神錯乱のことはすでにフランスにおいて,外国で信じられている以上によく知られており,したがって,被害妄想病délire des persécutions,進行麻痺,その他多くの疾患についてと同程度に,われわれにはそれについて次のように語る資格があるのだということを証明したいのである。すなわち,精神錯乱の範囲を規定したのはわれわれフランス人が最初であって,それは最も初期のエスキロールの仕事に後続する諸著作においてなされたものである。

解説

「原発性精神錯乱」(P. Chaslin)と19世紀精神医学

著者: 浜中淑彦 ,   大東祥孝

ページ範囲:P.434 - P.440

 Philippe Chaslin(1857-1923)はParis生まれの精神科医で,1899年以後ParisのBicêtre病院の,1910年以後la Salpêtrèreの医長Chef deserviceを勤めた。著書は後に触れる精神錯乱の主著La confusion mentale primitive(Asselin etHouzeau,Paris,1895)のほか,教科書Elémentsde séméiologie et clinique mentales(Asselin etHouzeau,Paris,1912)その他多数の論文があり,否定妄想délire de négationなどの業績を残した同僚のJ. Séglas(1856-1939),夢幻症onirisme oudélire oniriqueを提唱しconfusion mentaleの概念と結びつけたBordeaux大学のE. Régis(1855-1918),慢性幻覚性精神病を論じたParis大学のG. Ballet(1853-1916)などと同じ世代に属する。
 ここに抄訳した論文は,冒頭の原注によれば1892年8月Bloisで開かれた学会で,あらかじめ友人のSégiasが一読していた同題の小論文を発表したが参会者に十分理解されなかったことが契機となって執筆されたものであるが,今日フランス語圏の精神医学,殊にその症状論と疾病論において広く用いられている精神錯乱confusion mentale(以下c. m. と略)なる概念を確立したChaslinが,はじめてc. m. についての彼の見解を世に問うた著作として,また3年後にこれを更に拡充し若干の修正を加えて書かれた同題の彼の主著(1895)の基礎となったという意味でも重要な論文である。(精神)錯乱c.(m.)なる用語は本論文にも述べられているとおり,彼以前既にP. Delasiauve(1804-93)によって用いられてはいた(1861-65)し,類似の概念はJ. E. Esquirol(1772-1884)の急性痴呆démence aiguë(1814)以来フランス学派で存在していたにもかかわらず,当時優勢であったM. A. Morel(1809-73),J. J. V. Magnan(1835-1916)らの変質論のために忘却されてしまい,むしろドイツなどの諸外国で錯乱Verwirrtheitがさかんに議論され,その中からT. Meynert(1833-92)のアメンチアAmentia(1881-90)やS. S. Korsakoff(1854-1900)の精神病の概念(1889-92)がとり出されつつあった当時のフランスの学界に対するChaslinの不満と,国民主義的とすら言うべき生々しい意気込みが感じられる。

動き

日本睡眠学会と国際睡眠学会

著者: 島薗安雄

ページ範囲:P.441 - P.443

Ⅰ.睡眠研究の動向
 睡眠は生体の活動や人間の健康維持にとって極めて重要なものである。そのため,これを科学的に観察する試みはすでに前世紀からなされていた。Michelsonが外部刺激に対する反応を指標にした睡眠経過のくわしい観察結果を報告したのが1899年であるし,Freudが「夢判断」を公にしたのは1900年のことである。
 その後も睡眠の問題は多くの学者の関心のまととなり,生物学的な分野では,睡眠・覚醒の変動を調節している脳部位,睡眠と関係の深い物質,睡眠・覚醒発現の生理学的・生化学的メカニズムなどの課題を中心として多くの研究がなされてきた。その中には,Pavlovの条件反射に関する観察のように画期的なものも含まれている。

資料

—土田 獻翼卿 著—「癲癇狂経験編」(文政2年,1819)

著者: 大須賀恒夫 ,   横井晋

ページ範囲:P.445 - P.460

癲癇狂経験編自序
 獻は陸奥の片田舎に生まれ,幼い頃から医術を好んだ。かつて宋の王朝に仕えた茫仲淹の言葉に感動して,長い間江戸に遊学し,ある秀れた医術を体得して,大勢の人々に治療を施した。15年間にわたって諸国を流浪し,その間にみた男女の証訳注1)は非常に数多かった。しかしその当時は医術が未熟であったために,よく失敗して恥じ入ることがしばしばであった。それ故に医術の理を求めて日夜研究を重ねたのであるが,成果は上らなかった。やがて,ある宿屋で1人の名医に出会った。しかし,その名医の秀れた考えも,獻のものとそれほどの違いはなかった。けれども互いに意見を交わし重ねて指導を受けたところ,大いに得るものがあった。ここで,丹砂円,下気円,消毒練を自作し,病気の軽重,寛猛をおしはかって病状に従って処方したところ,以前にくらべてより秀れた治療効果が得られた。土田氏の養子になって,江戸で医官になった。評判が高くなり,治療を請うものが増えて,応接にいとまがないほどになった。獻の医術はとるに足らないものであるが,このように秀れた医術が施せたのは,以前宿屋で会った名医のおかげなのである。これからも勉励努力して,謹しんで医術に奉仕しよう。獻が治療した病人は,10年間で1000人を越えている。今この中から50人余りを抜き出して,結果の良し悪しを隠すことなく記載して,この癲癇狂経験編にまとめた。この書はあえて人に見せるほどのものではないが,あながち医術に無関係のものではなかろう。昔の人が家伝にしておくべきだといっているので,家に所蔵しておいて,私と同じ志をもっていて,この書を所望する者があらわれたら示そうと思っている。文政2年(1819)正月,奥州 土田獻が成己堂と名付ける書斉で書いた。

北海道大学医学部附属病院精神科神経科における入院患者の診療統計

著者: 山内俊雄 ,   山下格 ,   斉藤嘉郎 ,   平林良登 ,   上野武治 ,   大宮司信 ,   宮岸勉 ,   毛利義臣 ,   里見龍太

ページ範囲:P.461 - P.473

I.はじめに
 ある医療施設における疾患の種類や頻度の推移を明らかにすることは,その疾患の発生や変遷に関与する各種の背景を知り,社会や医療の状況の変化をも推定するうえで,重要な意味をもっている。それにもかかわらず,長い期間にわたって総合的に精神および神経疾患の動態を明らかにした検討は,意外に少ないのが現状である4,5)
 われわれの教室では,諏訪望教授(現名誉教授)が主宰した昭和24年から50年までの27年間について,入院ならびに外来患者の統計的調査を行ない,その詳細な内容を「諏訪望教授退官記念教室研究診療業績録」1)に記載した。
 それは大学附属病院という特殊な施設における統計であり,資料としての制約・限定のあることは当然である。しかし,他の施設においても同様の検討が行なわれ,お互いの資料を比較対照することによって,それぞれの資料のもつ意味が一層明らかになることが期待される。そこで,ここでは前記資料のうちから入院患者に関する検討結果の大要について報告したい。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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