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雑誌目次

雑誌文献

精神医学20巻5号

1978年05月発行

雑誌目次

巻頭言

精神分裂病離れ

著者: 挾間秀文

ページ範囲:P.476 - P.477

 精神医学の臨床講義を受けるようになったばかりの一人の学生から,次のような質問をうけた。「間もなく精神分裂病の病因が解明されて,分裂病が神経内科で取扱われるようになったら,精神科で診るものは神経症だけですか」。精神分裂病の究明が精神医学研究の中核であり,その治療が精神医療の最大の課題であると信じてきたわたくしには,近い将来,この難病がも早精神科医の関心事でなくなる時代がくることを予言した学生の言葉は,確かに一つの驚きであった。そんな時代が一日も早くきて欲しいと思うが,精神医学の研究・医療の水準ばかりでなく,われわれ精神科医の心構えも,まだその段階を考えるまでに至っていないのが現状というべきであろう。
 この質問には,内因性精神疾患の病因あるいは病態生理が生物学的に解明されれば,精神科診療の対象ではなくなる,といったも一つの指摘があるようである。これは精神科に対する若い医学生の素朴な認識であろうが,精神科医にとってもやや重大なアイデンティティの問題である。

展望

精神科治療における血中濃度測定の意義—抗うつ剤と抗精神病剤

著者: 浅野裕

ページ範囲:P.478 - P.488

I.はじめに
 向精神薬が精神疾患の治療に導入されてすでに20余年を経過し,これら薬物の精神病像ならびに身体諸機能に与える効果については,今日ほぼ一定の評価が得られている。また,この10年間の近接領域における進歩はめざましいものがあり,三環系抗うつ剤や抗精神病剤の血漿濃度測定が可能となるにつれて,薬物とその代謝物の生体における動的過程も知られるようになった。さらに,これら薬物による臨床効果を血漿薬物濃度との関連から吟味する努力も続けられている。今後,これら研究の成果をもとにして,向精神薬療法はさらに合理的なものになっていくと想定されるが,現時点においても日常の治療に利用できる所見が多くみられるので,本稿においては三環系抗うつ剤とchlorpromazineの血漿濃度に関する報告のなかから治療に際して基礎になる所見を整理するとともに,臨床効果との関連についてふれてみたい。

精神科治療における血中濃度測定の意義—抗てんかん薬の治療有効濃度

著者: 清野昌一 ,   宮本侃治

ページ範囲:P.489 - P.493

Ⅰ.治療有効濃度の位置づけ
 正常の大脳がてんかん源性を獲得していく過程は,kindling preparationにおいて部分発作から全汎発作に進展する各段階によく表現されているものと思われる。この慢性実験では,電気刺激の強さを後発射を生ずる必要十分な程度に定めてある。刺激を連日反復すると,臨床発作は刺激回数に応じて連続的に開発されるのではなく,扁桃核では刺激の同側に向かう部分発作から両側ついで向反発作に転ずるように4〜5段階に区別される発作型が階段的に進展して,最終的な全汎けいれん発作を獲得するに至る。刺激を加えることなく自然に全汎けいれんが起きてくる場合もある。
 このkindling preparationを部分てんかんの2次性全汎化発作のひとつのモデルと把えることができる。この際,一定の刺激条件のもとで階段的にすすむおのおのの発作段階(stage formation)は,けいれん発作の閾値が階段的に下がる過程を示している。けいれん発作が自然に起きる際の発作閾値は勿論0である。

精神科治療における血中濃度測定の意義—リチウムについて

著者: 渡辺昌祐

ページ範囲:P.494 - P.498

I.はじめに
 精神科治療において薬剤の血中濃度測定の意義を要約すると次の点が明らかにされることであろうとCooperら1)が述べている。
 1)患者の服薬情況。
 2)薬剤の血中濃度と治療効果ないし副作用出現の相関。
 3)薬剤間の相互作用の有無,程度を明らかにする。
 4)血中濃度と関連したニューロトランスミッターの代謝の検討。
 5)二重盲検比較試験において薬剤濃度を規定したうえで,薬剤の効果を明らかにする。
 6)薬剤やその代謝産物が肝臓の薬物代謝酵素を誘導するか否かを明らかにする。
 7)単剤投与した薬剤の代謝力動とその代謝産物を明らかにする。
 8)薬剤の連続投与による代謝力動を明らかにする。
 9)薬剤を1回投与して,個々の患者の連続投与した場合に得られるであろう血中の定常濃度を予測すること。
 10)商品名の異なる薬剤のbioavailabilityをチェックすることができる。
 以上のことが薬剤の血中濃度をチェックすることにより,明らかになり,従来,医師の経験,印象にたよって薬剤の投与量が決められた精神科薬物療法がより科学的なデータをもとにした投薬が行ない得る可能性を持っているといえよう。

研究と報告

精神療法の一技法—向う岸での接触 その1(技法Ⅰ)

著者: 小林継夫

ページ範囲:P.501 - P.509

I.はじめに
 心臓神経症の患者は自分の心臓が悪いと疑っているが,治療者はそう考えてはいない。また,被害妄想の患者は迫害を信じているが,治療者はそれを少なくとも内心でははっきり否認している。当り前のことだが,このように患者と治療者との基本的判断には明確な断絶がある。それは正常と異常とを分けるもので,いわば「こちら岸」と「向う岸」といったほどの相違がある。そして精神療法の一つの重要な課題は,この断絶を乗り越え,如何にして患者との密接なcommunicationを得るかであろう。精神療法の対象が,大神経症から精神病の領域にまで拡大されている今日,この問題はますます重要性を増しつつあるように思われる。
 ここで述べる"向う岸での接触"とは,治療者が患者の向う岸に完全に同一化した試みである。つまり,患者の異常な考え方や感じ方の世界に,治療者が患者といっしょに没入してしまうことである。そうしなければ如何なる接触をも持ち得ない患者も少なくはないし,また,そうすることによってはじめて生き生きしたcommunicationを得られることも確かであろう。こうした方法としてはすでにRosen2)の直接分析が有名であるが,筆者はRosenとは違った角度から"向う岸での接触"を試みた。そして,そこに少なくとも2つの特異的な治療的契機が兄出されるように思えた。それぞれに関する手法を,技法Ⅰ,技法Ⅱとするが,今回はまず技法Ⅰに関して今までの経験をまとめてみたいと思う。

東京下町の慢性分裂病者について—地域住民の分裂病者に対する許容性とその社会的背景

著者: 永田俊彦 ,   水嶋節雄

ページ範囲:P.511 - P.518

I.はじめに
 M. Foucault1)は日本では「狂人の存在そのものに対する耐容度」(神谷美恵子訳による)が高いと述べているが,東京都内のいわゆる下町といわれる地域で,診療に携わってきた何人かの精神医たちの間で,下町では精神障害者に対する地域住民の受入れがよいといわれてきた2,3)。筆者2人はそれぞれ,地方都市・東京都内の大学病院,東京都下・都内の精神病院,工業都市の総合病院,農村地域の精神病院に勤務した経験をもつが,東京下町に位置する同愛記念病院神経科に勤務して,上記いずれの地域とも異なる家族・地域住民の分裂病者に対する寛大さに気づいた。更に筆者の1人が東京下町のF保健所で精神衛生相談業務に携わり,ますますその印象を深めた。しかし,このような直感的印象を具体的・数量的に示すことは困難であり,また,そのためのフィールドワークも人権問題にからむことで実行はむずかしい。しかし,東京都という大都市の一画に,精神障害者に対する「許容度」の高い地域が存在するのならば,たとえ病床のない一総合病院神経科外来からみたものであれ,それを具体的に浮彫りにしてみることは,精神障害者の「処遇」をめぐって興味ある事実が示唆されるとも考えられる。そこでわれわれは同愛記念病院神経科外来に通院中の分裂病者の社会生活の状況を統計的に分析し,代表的な症例を呈示して,彼らを支える地域の特性について若干の検討を加えてみた。

7歳で分裂病様幻覚および関係妄想を発した1例

著者: 高橋俊彦

ページ範囲:P.519 - P.526

I.はじめに
 われわれは7歳で分裂病様状態を呈し,後に脳波異常の存在が見出されたが,数年で症状が背景化し,10年を経過してもけいれん発作が一度もみられずまた人格崩壊にも至っていない症例を経験した。6歳から9歳にかけては分裂病様症状の発現は稀であるうえに,この年齢に発病する精神病の概念の整理も必ずしも十分ではなく,更に年齢が若年であるために,患児の体験する微妙な内的異常体験の陳述も十分に得られないことが多いため,病態の把握そのものも容易でないことが多い。その中にあっては本症例は,幻覚,妄想などの内的異堂体験が比較的豊富に把握された例である。以下この症例を記述現象学的に成人の分裂病などと比較し,診断の問題も考え,更に幻覚,関係妄想が可能となる成立条件についても若干の考察を試みた。

抗精神病剤の反復注射の関与が疑われる発熱—昏迷様状態について

著者: 融道男 ,   渡部修三 ,   小島卓也 ,   渋谷治男 ,   中河原通夫 ,   仮屋哲彦 ,   島薗安雄

ページ範囲:P.527 - P.535

I.はじめに
 精神病治療薬剤の発展によってもなお精神運動興奮を続ける精神病患者は多数あり,われわれ臨床医はその治療に苦慮している。これらの患者に対しては電気ショック療法を用いない場合,一般には抗精神病剤を経口的に大量投与するか,非経口的に反復投与したりする方法が用いられるが,最近,抗精神病剤の大量,長期間の使用によりさまざまな副作用が生ずることに注意が喚起されてきている。
 われわれは向精神薬の使用(内服,注射)が関与して重篤な経過をとったと思われる症例を各地の病院より集め,この資料をもとに今後の臨床において重篤な副作用の発生を予防する手段を講じたいと考えた。その結果,集められた資料の一部に抗精神病剤の非経口剤(筋肉内注射)の反復投与が共通に関与していると思われる一群があることに気づいたので,これらの症例を分析し,いくつかの点について考察を試みたい。

覚醒水準の変動に伴う閉瞼時眼球運動の性質

著者: 一瀬邦弘 ,   小島卓也 ,   安藤晴延 ,   島薗安雄 ,   安藤克巳

ページ範囲:P.537 - P.544

I.はじめに
 近年神経学の進歩に伴って前庭系や脳幹の障害の局在と眼振の関係が詳しく研究され,臨床診断上も有用な所見が得られている。
 一方,AserinskyとKleitman1)の逆説睡眠の発見以来,眼球運動の測定は,睡眠の研究の分野でも欠かすことのできないものとなっており,現象としての眼球運動の特殊性が認識されるようになった。そしてこれらに伴って覚醒時の眼球運動についても注目されてきており,心理学的な面からはSingerとAntrobus2)はimageを抑えようとすることと,眼球運動の速い動きを対応させ,AmadeoとShagass3)は速い眼球運動の増加を注意の集中に伴う非特異的な現象と考えた。
 一方,島薗らは,実験場面や刺激に対する反応などから,被験者が心的緊張を示す時には速い眼球運動が多く出現し,くつろいだ状態では振幅の小さい遅い動き,そして睡気が生じると大きく遅い眼球運動が見られると述べている。そして慢性分裂痛患者やうつ病者では小さくて速い動きが頻繁に出現するが,刺激を与えた場合の反応の仕方は両者で異なることが明らかにされている4〜12)
 その他,幻覚惹起物質や,向精神薬の投与時の閉瞼時眼球運動についても報告がある13〜15)
 このように閉瞼時水平方向の自発性眼球運動は,心理学的・生理学的な変化を微妙に反映していると考えられる。しかし脳波パターンと関連させながら眼球運動の変化を詳しく調べた報告はみられない。
 そこで著者らは高い覚醒水準ないしは緊張を示す時期から自然に入眠に至る過程において,脳波と閉瞼時の自発性眼球運動の変動の間にどのような関係がみられるかを検討しようと試みた。そこで健康成人を対象とし,脳波パターンを指標として,緊張の状態から,はっきりした覚醒→くつろいだ状態→まどろみの状態へと推移する経過について,意識水準の段階化を行い,その段階と眼球運動の関係を詳細に比較検討した。

脳波異常を伴った全生活史健忘の1例

著者: 加藤秀明 ,   森内巌

ページ範囲:P.545 - P.552

I.はじめに
 全生活史健忘とは,自己および自己と密接に関連したことのみを全生活史にわたって忘却した特異な健忘状態で,心因性に生じるとされている。わが国においては現在まで10編前後の報告1〜11)があるが,心理的側面に比し器質的要因の検討は少なく,とくに脳波所見についてはほとんど注目されていないようである。われわれは,脳波異常を伴った全生活史健忘状態の1例を経験したのでその経過を報告し,とくに脳波異常のもつ意味について検討する。

躁うつ病様状態で初発したWilson病の1例

著者: 大沼悌一 ,   藤岡邦子

ページ範囲:P.553 - P.560

I.はじめに
 Wilson病でさまざまな精神症状が出現することは,1914年Wilsonの記載以来よく知られている事実である。これらの精神症状の主なものは,感情不安定,多幸症,強迫笑,強迫泣などの感情障害ならびに知能障害や性格変化などである。また精神分裂病様状態や躁状態またはうつ状態を示した症例の報告もあるが,これらのほとんどは,神経症状に遅れて出現し,いわゆる脳器質性精神障害として理解されうるものであり,いわゆる内因性精神病様状態で初発した例は極めて少ない。著者らは最近明らかに躁ならびにうつ状態の両相を繰り返す形で発症し,後に典型的なWilson病に至った症例を経験したので,精神症状の推移を中心に報告する。

特異な精神神経学的経過を示した栄養障害の1剖検例

著者: 中邑義継 ,   柏村皓一 ,   大田民男 ,   山田通夫 ,   吉村育子 ,   高松茂

ページ範囲:P.561 - P.568

Ⅰ.緒言
 生体は常に栄養を摂取し,体内で新陳代謝を営んで生命を維持している。もしその摂取が不十分であったり,個体の身体的原因によって栄養の吸収利用が妨げられることがあると新陳代謝障害によるいろいろな症状が発現する。たとえば,慢性アルコール中毒者は食餌摂取の不十分,胃腸障害による栄養不足ことにビタミン欠乏を来しやすく,Wernicke脳症,Korsakoff精神病,ペラグラ,索性脊髄疾患などの中枢神経疾患を生ずることがある。これらの疾患は胃切除後にも生ずることがある。
 このたび,われわれはアルコール嗜癖,胃全摘既往の55歳男性で性格変化,痴呆,錐体路症状,せん妄,ミオクローヌス,上肢屈曲下肢伸展位,さらに下痢・発熱を進行性に順次生じて全経過4カ月で死亡した症例の臨床を観察し,さらに脳の病理学的検索の機会を得た。しかし病理学的にはBetz細胞,橋核神経細胞のcentral chromatolysis,大脳・小脳の白質のgliosisを軽度に認めるのみで重篤な臨床経過の割には脳の神経細胞変化は軽微であった。そこでこの症例の臨床経過と脳の組織像を報告するとともに,若干の考察を加える。

大脳皮質にLewy小体と老人斑が広範に分布したにもかかわらず,痴呆・パーキンソン症状が目立たなかった1老人

著者: 小阪憲司 ,   松下正明 ,   堀映

ページ範囲:P.569 - P.574

I.はじめに
 老年期の精神障害者を診ている者にとって,その老人の臨床症状と脳の老人性変化との関連は常に大きな関心事である。特に,痴呆化しつつある,あるいは痴呆化した老人について,その痴呆の程度や性状と脳の老人性変化の種類・程度・分布との関係を知ることは大切なことである。一般に,痴呆の程度と脳の老人性変化の程度とは相関するものとされている4,9,24,27)が,必ずしも相関しない例もよく経験される。一方,老人の痴呆患者で,患者およびその患者をとりまく環境の何らかの変化を契機として痴呆が急激に発現したり,痴呆が急激に進行する例も多く14,21,23),その際,脳の老人性変化の状況はどうなっているかという問題もわれわれの大きな関心事であり,痴呆化しつつある老人の初期の脳病変をみることも意味があると思われる。
 ここに報告するのは,生前,痴呆やパーキンソン症状が目立たなかったにもかかわらず神経病理学的に老人斑とLewy小体が広範に分布していた症例であり,臨床神経病理学的な観点から若干考察することにする。

古典紹介

—Charles Lasègue—Du délire de persécutions

著者: 高橋徹 ,   影山任佐

ページ範囲:P.575 - P.587

 精神病の研究が,今なお大方の医師にとっては行なうべからざるもののままであるのも,ひとえに観察のむずかしさ,観察に要する特殊な資質,といったことがらが問題のためであるに違いない。しかし,病気の性質自体とは関わりのない種種の妨げについても考慮すべきであろう。精神病という共通の名目のもとに,およそ似ても似つかぬ様々な病理形態が,それぞれ混同されることはないにせよ,ひとつの偽りの単位のなかに寄せ集められているのである。法律上の規定,施行上のきまりは,妄想の多様性などにはおかまいなしに一様にすべての気狂いに適用されている。こうして,優れた人たちまでもが,社会的関係の観点からはたしかに申し分のないひとつの分類様式を,科学の分野にまで持ち込もうとしているのである。狂気は全体として考察されるべきでありすべての精神病者に適用し得る一般原則をうち出すべきでありどのような類の病者にもあてはまるような症状をあばき出すべきである,などという具合には考えない,狂気についての造詣の深い人は,ほとんどいない。そんな高飛車な見かたからすれば病理学にも無視できぬ長所が備っていることになろうが,科学の分野に哲学的な精神が君臨すると,その精神の影響を受けて書かれた概論は,長年の手ほどきを受けてこなかった人々にはたちまち近寄り難いものとなってしまう。諸々の事実は,それについて語られるより先に,判断され吟味されて系統的に区分けされてしまう。直接に観察できるかたちでは提示されないのである。学びとろうとする人に,まず観察を行なわせるより先に,深遠な理論のほうをおしつけるのである。そのような論著は,まさにあの病理総論の書物にも譬えられよう。そこでは循環器の病気やら呼吸機能やらが一緒くたにごたごたと取り上げられ,それらがひとつの共通した記述でしめくくられて,ひとつの予後,ひとつの治療を,それらに適用しようという試みがなされている。
 昔から精神病に関しては用いられてきたし,また,幾度となく医学への導入の試みのなされてきたこうした方法は,それに対して十分の注意をしたつもりになっているその時ですら,その支配を受けかねぬほどに執拗なものをもっている。最も狭められた枠に限られているはずの専門研究論文ですら,その影響を免れてはいない。あるひとつの明確な類型を考察するかわりにありとあらゆる狂気の変種のうちからたまたま取り出したひとつのあるいは幾つかの症状ごときに人々は没頭していて,ある研究者は自殺傾向を,他の研究者は盗癖を選ぶという具合で,記憶の錯誤であるとか意志や感覚性の偏りであるとかの研究に閉じこもろうとしたり,幻覚の検査のようなものばかりに没頭しかねない有様である。選ばれる主題はなんであれ用いられる丁続きは同じで,病気の理論を症状へと置き換えるに過ぎない。病理的類型についての科学が手つかずのときに症状論を推し進めてみたところでどうなるのか,皆目見当もつかないのではなかろうか。長所もあるが不完全なこの方法から逃れ,研究にとって最も好ましい最も正確な分類を専門家たちがうちたてようとしたときに,かれらの与えた定義は一層包括的になり,またそれだけ成功を収めてきたのである。妄想を,悟性の全体を関わり合いにするような全体的な妄想と,知性のある側面だけは多少とも無疵のまま残すような部分的妄想とに分けることは,非のうちどころのない驚くほど正確な区別である。ところが,それが細部にわたりはじめて科を属に属を種に,という具合に細分されるようになるにつれて,そうした区分の試みは不満足なものとなってしまった。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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