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雑誌目次

雑誌文献

精神医学20巻6号

1978年06月発行

雑誌目次

巻頭言

総合病院の精神科

著者: 高臣武史

ページ範囲:P.590 - P.591

 昨年6月国立国府台病院に勤めるようになって1年経った。馴れない仕事に右往左往している毎日であるが,懸案の精神科病棟の更新築もめどがついて,ほっとしているところである。予算が内定してから設計図が完成するまで短期だったのに,医師や看護婦のほとんど全員の合意がえられたのは大変うれしいことであった。ことに私たちとの話しあいのなかで,その都度私たちの要望をほとんど受け容れて,何回も設計図を書き直してくれた厚生省関信越地方医務局の営繕課長その他建設担当の人たち,更新築決定を強く押してくれた本省の整備課長その他の人たち,そして私たちと厚生省の間に立って深い配慮してくれた病院の事務部長や会計課長その他の事務職員の誠意と熱意には心から感謝している。
 この新病棟建設についての討論の間,私が絶えず考えていたことは,「これからの精神科医療はどのような方向に進むであろうか。そして精神科病棟はどのような機能をもつであろうか。そのためにはどのようにつくらねばならないか」ということであった。ことに単科精神病院ではない総合病院として国立病院のなかの精神科はいかにあるべきか,それに伴って病棟はどうあらねばならないかは私たちの現実の重要課題であった。

特別講演 Pierre Pichot教授来日講演

うつ病の疾病分類について

著者: 小口徹 ,  

ページ範囲:P.592 - P.600

I.はじめに
 うつ病に対する積極的な治療の発見はまず電気ショック療法,次に主として三環系とMAO阻害剤を代表とする抗うつ剤によってもたらされたが,このことが,第二次世界大戦後,うつ状態の研究に対する興味を復活させた。治療効果は,すべてのうつ状態において必ずしも同一ではないので,うつ状態の疾病分類学研究を,従来以上の精密度をもって再開することが不可欠なことは,まさしく自明である。最近の10数年間,この領域に臨床家,心理学者,生化学者,生理学者,遺伝学者が参加して著しい進歩がもたらされた。現在までに得られたと思われる成果を,大筋にそって,この論文の中で紹介したい。

病的人格の諸概念

著者: 三好暁光 ,  

ページ範囲:P.600 - P.608

 病的人格(personnalité pathologique)というとわれわれは,アメリカ精神医学会の診断統計基準第三版(diagnostic statistic manual, DSM Ⅲ,1977)での「人格障害(personality disorder)」,つまり「適応の障害,あるいは自らが苦しむ形の,重篤な,柔軟性を欠いた是正しがたい行動タイプ」を考える。「この行動タイプは,普通,青年期がもう少し早くあらわになり,成人になってからずっと続く。時には,中年ないし老年になってうすれてゆくこともある。その表現は,本来的な性格諸特徴,つまり環境とかかわりを持つ際に本来的にそなわった特異な構えであり,その人個人のさまざまの表現あるいは社会的行動に際して,広い範囲に現われる」。
 病的人格という名称と見解は精神医学のはじまりから知られている。その最初は,19世紀初頭,Pinelの「逸脱のない狂気(manie sans délire)」の記載(1809)で,彼の「精神疾患に関する医学哲学的論稿(Traité médico-philosophique sur l'aliénation mentale)」に現われる。彼の理念はEsquirolによって取り上げられ,広く複雑なものになった。それは「モノマニー(monomanie)」概念(1837)で,Esquirolはそれによって今日の病的人格にあたる臨床像を描いている。しかし「悖徳(moral insanity)」の名で,反社会的行動を特徴とし,著者によれば「道徳感(moral sense)」の先天的欠如によるとされる病的人格像を示した(1835)のは,とりわけPrichardであった。この「悖徳」の概念は,イギリスできわめて長く用いられた概念である。それは1927年の法律でもなお,「性悪で犯罪傾向の強い心的欠陥を有する」人びとが,「道徳的欠損者(moral defectives)」の名で定義されていることからもわかる。病的人格の今一つの起源としては,1857年Morelによって導入された精神変質の理念を考えなくてはならない。Morelの理論ではいくつかの病理学的なタイプが記載されているが,それらの状態は変質の結果とされている。そしてその臨床像からは現代の病的人格のいくつかのものが浮かび上がるのである。たとえばMorelが「素因者」と呼んだものは,ほぼ今日の循環性人格に当るし,「遺伝性狂気」と呼んだいくつかのグループのうちには,とくに今日の分裂性人格と,Prichardの「悖徳」が入る。今世紀初頭になると,MagnanがMorelのこの変質理論を系統的に考察しなおし,3つのタイプの不均衡変質者を記載した。それは知能の不均衡者,感覚の不均衡者,および意志の不均衡者の3つである。第一のものは「上位変質者」とも呼ばれたものであり,第二のものは心気症者,攻撃者,強迫者,病的愛他者と病的エゴイスト,情欲者,そして「悖徳者」を含み,最後の意志の不均衡者は衝動者に当る。このうちで「上位変質」の記載はフランスで長い生命を維持して,これに相当する人びとは一般に「Magnan型不均衡者」と呼ばれた。Magnanによればその性格像は,「きわめて動かされ易く,ひきずられ勝ちな人びと」で,その人びとは「信念を欠いてすぐに考えを変える……。意志が弱く,歎きはするがうまく避けることのできないあらゆる種類の苦痛に沈み込む」。他方でこの人びとは心に脆いものを持っており,これといった原因もないのに急性に妄想性エピソードを示しやすいといわれている。このエピソードは短期間で跡を残さずに治るが再発しやすいもので,「Magnan型変質者の多形性妄想発作(bouffées délirantes polymorphes des dégénérés type Magnan)」と呼ばれている。今まで述べてきたようなさまざまの記載を通して,一定の病的人格の枠組が段々と展開されるのであるが,Prichardの「悖徳」,Magnanの「不均衡者」の流れをみると,そこにとりわけ社会的不適応という特徴が浮かび上がってくる。アメリカの公式命名法での「反社会性人格(antisocial personality)」の起源はここにある。この人格のタイプは英語圏で「精神病質人格(psychopathic personality)あるいは単に精神病質(psychopath)」と呼ばれることもあるのは注意しておきたいと思う。この名称はCleckleyの有名な書物「健康の仮面(The mask of sanity)」で一般化された。

研究と報告

分裂病の早期兆候

著者: 清田一民

ページ範囲:P.609 - P.617

I.はじめに
 KraepelinとLange7)によると,分裂病を含む精神病一般は通常緩徐に始まり,何らの前兆(Vorboten)もなくて突然起こることは非常にまれであり,特に注目すべきは,感情生活の小さな変化が数週から年余にわたって唯一の徴候であることであるという。Bleuler1)は,分裂病の始まりは多くは徐々であり,急性に始まったと思われる場合でも,病歴をよくとると多くはその前にある性格変化または他の分裂病性徴候を見出すものであると述べている。ただし,そのような早期から,直接患者を診察し,極期の症状が現われるまで追跡できる機会はきわめて少ない。したがって,Bumke4)が前兆と呼び,Mayer-Gross10)が前駆症(Prodrome)と称している時点に相当する早期の症状についての研究は少ないのであろう。最近,Gross6)は,前駆症に先行する非特徴的な前兆として前哨症状群(Vorpostensyndrome)を区別している。わが国では村上11),安永13),中井12)らの研究がある。昨今は精神科の外来診療が増加し,かなり早期の分裂病を診る機会が以前よりも多くなっていると思われるが,まだ,前兆ないし前駆期に相当する早期の患者が精神科を訪れる例はあまり多くない。その時点の患者は,医家を訪れようとしないか,または内科,耳鼻科,眼科などを受診し,分裂病以外の疾患として処理されている例がかなり多い。そこで,分裂病の発症の原点を求めて,その「起始過程」を分析した。本論文は,発病からかなり長年月を経た症例の「寛解過程」を追求した別報8)と対照的に企図されたものである。

うつ病の経過後巫者となった1症例

著者: 木戸幸聖 ,   永島正紀 ,   有高謙一

ページ範囲:P.619 - P.626

 4カ年にわたり遷延したうつ病相の経過後に神秘体験の出現から巫術を身につけるに至った中年女性の1症例について報告した。
 患者は,魔を払う「オクジ」を授かることを信仰の深さのしるしとみなす某宗教の信者であり,超自然的存在と人との係わりあいを信じる特殊な神秘的宗教観が,病像,症状の起伏,治癒機転に反映した。また,神秘体験の出現と巫者への発展の背景には,うつ病体験を独特の宗教観で意味づけようとする態度と巫者への傾斜に親和性をもつ特異な性格傾向および家系的素地が認められた。

民俗踊“鶏舞”の自動化,習慣化のみられた1症例

著者: 三田俊夫 ,   柳沢正博 ,   岡本康太郎 ,   酒井明夫 ,   岡本芳文 ,   三條昭二 ,   切替辰哉

ページ範囲:P.627 - P.631

 (1)症例は農耕を職業とした58歳の女性である。その病像は肉親,親方夫婦,弟の葬送,年回忌,干蘭盆を契機に不安・苦悩状態が急速に深まり,夢幻状態に移行し,引き続き民俗伝承である“鶏舞”(一種の念仏踊り)が現われる一連の表現形式を有し,それが自動化と習慣化を示した。
 (2)著者はその病像を若干の考察の中で,原始意志的反応形式に求め,かつその病理構造を文化精神医学的に日本の古来の農耕民の心性と現代社会の精神的文化落差に求めた。

青森県南部地区に限局してみられたWilson病の4症例—遺伝疫学および臨床症状とその推移について

著者: 大沼悌一 ,   小田桐正孝

ページ範囲:P.633 - P.642

I.はじめに
 過去10数年間,弘前大学医学部神経精神科にて経験した7例のWilson病のうち,4症例が青森県南部に限局しており,最近経験した1症例を通じて,詳細な家系調査を行なったところ,これら4症例が互いに何らかの血縁関係があることが判明した。その遺伝様式,遺伝子頻度ならびに臨床症状とその経過について報告する。

少量の再注射で急性幻覚妄想状態の再現をみた慢性覚醒剤中毒の7症例

著者: 佐藤光源

ページ範囲:P.643 - P.648

Ⅰ.緒言
 覚醒剤の慢性使用が使用開始時にはみられなかった異常な精神症状を引き起こし,現象学的に精神分裂病,とくにその幻覚妄想状態と同様の状態をもたらせることは周知の事実である。このため,慢性覚醒剤中毒は精神分裂病の病因を追求する好適な研究モデルとして取り上げられ2,5,10,17,21,22),これまでにも種々の方法を用いた研究が行なわれてきた。とくに,分裂病の病因としてドーパミン過剰仮説1,7)が脚光をあびている現在,その研究モデルとしての価値は一層大きなものになっている。
 本邦における慢性メトアンフェタミン中毒の流行は第二次大戦の敗戦を契機に始まり,大流行のあと1955年にはほぼ制圧されている。しかし,その後も根強く存続し,最近になって再び増加して戦後第2のピークをなしつつあるといわれている。慢性覚醒剤中毒の臨床的研究はこれまでにも多くみられるが,1950年代の広範な資料をもとにした立津らの詳細な記述19)で代表され,最近遭遇する慢性覚醒剤中毒者の病像の理解に役立っている。しかしながら,その著書のなかで提起された問題点,つまり,排泄のはやい覚醒剤がなぜ脳に永続する機能変化を残すのか,再注射なしにどうして再燃して内因性精神病様状態を来すのかという疑問は,その後の多くの研究にもかかわらず十分明確にされてはいない。

左利き患者にみられた右半身の多彩な身体図式障害と触覚失認の1例

著者: 菊池あつ子 ,   山縣博 ,   細川武

ページ範囲:P.649 - P.654

I.はじめに
 身体図式障害の中で,半側に限って奇異な訴えをする一群の症状があるが,その内容は様々である。Ajuriaguerra et Hecaen1)は,半側の忘却,無使用のような無意識的なもの,半側の喪失感,変形異物感,phantom体験のような意識的身体図式障害およびBabinski型の半側麻痺の否認の3者に分類した。このような症状を呈するには,心的水準の低下,人格反応の問題,運動麻痺あるいは知覚麻痺の程度などいろいろな条件が関与しているといわれている。多くは,ほとんど左半身に限られており,右半身に出現するのは稀である。このことから,従来身体図式障害の最高中枢は劣位半球,殊に右頭頂葉領域が重視されているのだが,右利きにおける右半身図式障害の症例も報告されており,この場合は,多くGerstmann症候群を合併している2)
 われわれは,左利き患者で,脳血栓後の右半身麻痺とともに,右半身の興味ある身体図式障害と触覚失認を合併した症例を経験したので,ここに報告し,皆様の御批判を仰ぎたい。

てんかん性の機序によると思われるTransient global amnesiaの1例

著者: 鶴紀子 ,   新里邦夫 ,   三原忠紘

ページ範囲:P.655 - P.661

I.はじめに
 Transient global amnesia(以下,TGAと略)の主要な臨床像は,発作的に出現する高度の記銘力障害と逆行性健忘で,発作は通常数時間持続し,発作後発作期間中の健忘を残す。病態生理的には,海馬—間脳系の一過性の選択的機能障害と考えられている。その病因について,FisherとAdamsはてんかん発作と一過性脳虚血発作を有力視したが,てんかん発作については,1回きりの発作が多いこと,逆行性健忘を起こすこと,脳波上明確なてんかん性発作波を欠くことなどから疑問があると述べている8)。その後の報告では,一過性脳虚血発作など脳血管障害とみなされる症例が多く,てんかん性発症とみなされる症例は,Lou, GreeneとBennettの報告のみである11,20)
 今回,われわれは臨床症状からTGAと診断されるが,若年発症で,入院後再発し,発作性に出現した記銘力障害は約1カ月持続し,記銘力障害回復後3カ月間に及ぶ逆行性健忘を残した症例で,深頭蓋針電極を用いた内側頭下導出によって,右内側頭下部(本症例の優位半球)に初発するてんかん性発作波を証明したので報告し,その病因について考察する。

古典紹介

—Karl Birnbaum—Simulation und vorübergehende Krankheitszustände auf degenerativem Boden(Vortrag in der erweiterten Sitzllng der Berliner gerichtsärztlichen Vereinigung am 14. Januar 1909)

著者: 中田修

ページ範囲:P.663 - P.672

 皆さん!精神医学の進展に伴い,精神病の詐病(Simulation von Geisteskrankheit)の問題もここ数年間に変化を遂げました。そして精神病に関する知識が進歩するにつれて,精神障害の詐病は非常に稀であるという見解がますます普及したことは,見逃すことができません。しかしこのような趨勢にもかかわらず,精神障害の詐病の頻度が高いことを強調し,それが今後増加することを予想する学者が,少数ではあるが,ごく最近まで繰り返し現われています。このような学者の出現はとにかく今日では注目をひく現象であり,その解明が望まれています。さて,これは一部は次のような事情に基づくと思われるが,こういう考えは今までにも出されています。すなわち,これらの学者は詐病の概念を比較的広くとり,精神的に低格な被告人(Angeschuldigte)が釈放されたいために非常にしばしば行なう,歪曲,誇張,虚言,欺瞞などのすべてを精神病の偽装と見なすことであります。他の学者であれば,このような行動を被告人の精神病質低格の表出と症状にすぎないと考えます。さらに,それはおそらく次のような事情にもよると思われます。すなわち,観察者のかなり多くは,少なくとも,豊富な司法上(forensisch)の材料を取り扱っている場合には,現実に,比較的しばしば真の詐病者を見ていることであります(ただし,私の考えでは,正常者が行なう精神障害の詐病を科学的に完全に異論なく証明することは,多くの文献から想像されるよりはずっと困難なことであります)。
 しかし私の考えでは,以上のことは説明のために十分ではありません。とりわけここでは次のことが同時に問題になると思われます。すなわち,多数の司法上の材料では,ある病像,しかも次のような病像が,とりわけしばしば観察されるということであります。その病像というのは,非常に目立つ(auffällig)もので,しばしば,精神医学で通常みられるすべてのものから非常に異なり,今日でも詐病だと言われがちなものであります。私がここで言っているのは,変質者(Degenerative)に拘禁時に出現する,あの一過性の病態であります。ここで問題なのは,司法上重要で,大都市の犯罪者にとくに豊富に出現する事例であり,その個人は,平素の状態像では狭義の精神病者に該当しなく,平素の状態像の目立った特徴によってたとえば精神薄弱者,類てんかん者,ヒステリー者,神経衰弱者,あるいは単に心的低格者などと見なされるが,拘禁時には目立って変化した外的行動を示します。その行動というのは,それを観察する者が,たとえその病的な基本状態,つまり精神病質低格を是認していても,異常な振舞いそのものは,随意的に誇張されたもの,あるいはまさに意図的に偽装されたものであると,説明しないではいられないようなものであります。

動き

第18回ノルディック精神医学会より

著者: 本間昭

ページ範囲:P.673 - P.675

I.はじめに
 1976年6月16日より3日間フィンランドのトウルクで第18回ノルディック精神医学会が開催された。筆者はオーフス大学オーフス精神病院付属細胞遺伝学研究施設に1975年12月より1976年10月まで滞在したがその間に上記の学会についての情報を得ることができた。筆者は過去の学会の傾向の推移についての詳しい知見はもたないが,後で触れるように疫学的精神医学と結びついた地域精神医学はこの学会のひとつの大きな流れをつくっているようにみえる。この地域精神医学は北欧精神医学の大きな特徴ともいえる。また滞在中にオーフス大学精神科主任教授であるProf. Erick Strömgrenより北欧精神医学のひとつであるデンマークにおける精神医学の特徴について話を聞く機会を得たので,学会については抄録を中心にして合わせて報告する。
 この学会はデンマーク,フィンランド,アイスランド,ノルウェーおよびスウェーデンのノルディック5カ国で3年毎に持回りで開かれており今回の2大テーマはPsychiatric preventionとCrisis interventionであった。これらのテーマは前回1973年にアイスランドのレイキャビクで開かれた学会のテーマPsychiatric services planningとFamily therapy & organizationの継続とみることができる。今回のテーマは上の2つ以外に次の6つのテーマが取り上げられた。Epidemiology and prevention,psychopharmacology,psychiatric epidemiology,child and youth psychiatry,psychosomatics and mental hygiene,preventive psychiatry,さらに特別講演としてフィンランドのAnttinenによるPublic health center and mental health workおよび同じくTähkäによるOn the curative factors of psychotherapyがあった。以下主に2大テーマについての興味ある発表を紹介する。

資料

米国の卒後教育—Mayo ClinicプログラムとN. I. M. H. による批判

著者: 丸田俊彦

ページ範囲:P.677 - P.684

I.はじめに
 N. I. M. H.(National Institute of Mental Health)が1975年に5,000万円の巨費を投じて行なった205の精神科卒後教育施設・機関の実体把握調査は,最近漸減しているN. I. M. H. 総予算の再興を計るという政治的背景を持つばかりでなく1),1970年代後半に向かって確実に高まりつつある精神医学の基本問題再検討への動きの一端であった。すなわち,精神医学がこれまではたしてきた社会的,医学的役割への失望,不満は,精神科医のみならず他科の医師の間に,社会の中に広まっており,精神科医は,自己のidentity再検討なしに前進することが困難になってきたのである2〜5)
 米国精神医学は,第二次世界大戦の経験をとおしてその臨床的重要性を確立し,戦後新設されたN. I. M. H. の莫大な予算を通して拡大を続け,1948年に5,000人足らずだった精神科医の数は,現在28,000人を越えた6)。その間,自我心理学の展開とともに精神医学の主流となった精神分析は全米をその嵐の中に包み,あたかも米国精神医学=精神分析の感さえ与えた。しかし,1950年代に始まる向精神薬,向うつ剤,リチウムなどの開発は,精神医学に生化学的・神経生理学的側面を与え,精神科医を再び医学の本流へと押し戻そうとしているし5,7),また,地域精神医学(community psychiatry)の展開は,精神医学と社会科学との関係に大きな波紋を投げかけている8)。加えて,1978年に施行予定のD. S. M.-Ⅲ9,10)は,これまでの分析的臭いの強いD. S. M.-Ⅰ.,Ⅱ11)とは逆に,記述的,統計学的色彩が強く,その採用にあたっては多くの議論がまき起こされることが予想されるし,現に,“神経症(Neurosis)”という用語の削減をめぐって精神分析医を中心としたグループからの強い反対を受けている。
 こうした変遷の中で,精神科医のidentityは常に揺れ続けてきた6,12,13)。はたして医師のみが精神分析士(psychoanalyst),精神療法士(psychotherapist)となる特権を持つのか。ソーシャルワーカー,心理学者,看護婦もまた,すぐれた分析士,療法士であるのではないか。医学―内科・外科病棟のある総合病院―において,精神科医の役割とは何なのか5)。“医師と精神科の人(physician and psychiatrist)”という言い方があるように,社会通念において,また精神科医の心の中においてすら,精神科はすでに他科から決別してしまっており,精神科医は医師としてのidentityを失いかけているのではないか7)。もし幸いに精神科が存続・発展を続けるとしたら,20年後の姿はどうなっているのか。そして,そのために若い世代(レジデント)は何を学び,何を知っていなくてはならないのか。これらの問題の総括点として出て来たものがレジデント制の内容の定義付け(注:今までは教育年限,教育施設の規定が中心であった)であり12〜14),その実体調査であった6,15)。Mayo Clinicでも,他のプログラム同様2人の調査委員(site visitors)による終日の実地調査が行なわれ,その結果,多少の教育予算とともにいくつかの批判を受けることになった。これらの批判は,施設の教育主任宛親展の形で口達され正式な文書とはなっていないが,メモとして残されたその内容を見ると,逆説的な形でMayoプログラムの特色を素描しており,N. I. M. H. の将来への展望(それが過去への郷愁からのものか,新しい時代への先見かは別として)がうかがえる。
 本論文は,Mayo Clinicプログラムの詳細を臨床的な立場から報告し,N. I. M. H. がそのプログラムに下した批判の全文を教育主任の許可のもとで掲載することによって,“症例報告”的な形で米国卒後教育をとらえようとした。更に,考察においては,日本で医学部を終了後4年間をMayo Clinicプログラムに学んだ者の立場から,日・米卒後教育の比較検討を試みた。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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