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文献詳細

雑誌文献

精神医学20巻6号

1978年06月発行

文献概要

資料

米国の卒後教育—Mayo ClinicプログラムとN. I. M. H. による批判

著者: 丸田俊彦12

所属機関: 1慶応義塾大学医学部精神神経科教室 2メイヨ・クリニック精神科

ページ範囲:P.677 - P.684

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I.はじめに
 N. I. M. H.(National Institute of Mental Health)が1975年に5,000万円の巨費を投じて行なった205の精神科卒後教育施設・機関の実体把握調査は,最近漸減しているN. I. M. H. 総予算の再興を計るという政治的背景を持つばかりでなく1),1970年代後半に向かって確実に高まりつつある精神医学の基本問題再検討への動きの一端であった。すなわち,精神医学がこれまではたしてきた社会的,医学的役割への失望,不満は,精神科医のみならず他科の医師の間に,社会の中に広まっており,精神科医は,自己のidentity再検討なしに前進することが困難になってきたのである2〜5)
 米国精神医学は,第二次世界大戦の経験をとおしてその臨床的重要性を確立し,戦後新設されたN. I. M. H. の莫大な予算を通して拡大を続け,1948年に5,000人足らずだった精神科医の数は,現在28,000人を越えた6)。その間,自我心理学の展開とともに精神医学の主流となった精神分析は全米をその嵐の中に包み,あたかも米国精神医学=精神分析の感さえ与えた。しかし,1950年代に始まる向精神薬,向うつ剤,リチウムなどの開発は,精神医学に生化学的・神経生理学的側面を与え,精神科医を再び医学の本流へと押し戻そうとしているし5,7),また,地域精神医学(community psychiatry)の展開は,精神医学と社会科学との関係に大きな波紋を投げかけている8)。加えて,1978年に施行予定のD. S. M.-Ⅲ9,10)は,これまでの分析的臭いの強いD. S. M.-Ⅰ.,Ⅱ11)とは逆に,記述的,統計学的色彩が強く,その採用にあたっては多くの議論がまき起こされることが予想されるし,現に,“神経症(Neurosis)”という用語の削減をめぐって精神分析医を中心としたグループからの強い反対を受けている。
 こうした変遷の中で,精神科医のidentityは常に揺れ続けてきた6,12,13)。はたして医師のみが精神分析士(psychoanalyst),精神療法士(psychotherapist)となる特権を持つのか。ソーシャルワーカー,心理学者,看護婦もまた,すぐれた分析士,療法士であるのではないか。医学―内科・外科病棟のある総合病院―において,精神科医の役割とは何なのか5)。“医師と精神科の人(physician and psychiatrist)”という言い方があるように,社会通念において,また精神科医の心の中においてすら,精神科はすでに他科から決別してしまっており,精神科医は医師としてのidentityを失いかけているのではないか7)。もし幸いに精神科が存続・発展を続けるとしたら,20年後の姿はどうなっているのか。そして,そのために若い世代(レジデント)は何を学び,何を知っていなくてはならないのか。これらの問題の総括点として出て来たものがレジデント制の内容の定義付け(注:今までは教育年限,教育施設の規定が中心であった)であり12〜14),その実体調査であった6,15)。Mayo Clinicでも,他のプログラム同様2人の調査委員(site visitors)による終日の実地調査が行なわれ,その結果,多少の教育予算とともにいくつかの批判を受けることになった。これらの批判は,施設の教育主任宛親展の形で口達され正式な文書とはなっていないが,メモとして残されたその内容を見ると,逆説的な形でMayoプログラムの特色を素描しており,N. I. M. H. の将来への展望(それが過去への郷愁からのものか,新しい時代への先見かは別として)がうかがえる。
 本論文は,Mayo Clinicプログラムの詳細を臨床的な立場から報告し,N. I. M. H. がそのプログラムに下した批判の全文を教育主任の許可のもとで掲載することによって,“症例報告”的な形で米国卒後教育をとらえようとした。更に,考察においては,日本で医学部を終了後4年間をMayo Clinicプログラムに学んだ者の立場から,日・米卒後教育の比較検討を試みた。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-126X

印刷版ISSN:0488-1281

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