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紹介
精神科—神経科境界疾患としてのてんかん—臨床神経医の立場から
著者: 和田淳1
所属機関: 1ブリティッシュ・コロンビヤ大学神経学
ページ範囲:P.795 - P.802
文献購入ページに移動I.はじめに
神経学の対象にはいろいろな病気がありますが,一番頻度の高い神経疾患はいうまでもなく脳血管障害で,その次に多いのがてんかんであります。したがって少なくとも北米大陸においては,神経科医が扱う患者の非常に多くがてんかん患者でありまして,その診療は神経科医の仕事の中で非常に大きな位置を占めております。
ところで医学が進歩し,分化が起こりますと,当然の結果として専門化が生じます。北米大陸では1930年頃からそのような動きが強まりましたが,カナダでも同じ時期,およそ40年ほど前からいわゆる神経学,脳神経外科学といった専門分野が精神医学,内科学あるいは一般外科学から分かれ,特別なトレーニングと審査機関をもつ専門医制度が作られて今日に至っています。
しかしながら北米大陸においては,医学の分化,専門化が進んだ結果,神経学の基盤をなす精神医学や内科学から神経学が完全に分かれてしまっているのが現状であります。われわれが診察する患者がてんかん患者であれ,神経病患者であれ,あるいは精神医学的なものを主訴とする患者であれ,われわれは人間全体を有機的な存在として対象にしているのであって,人為的に区分した専門分野に対象をふりわけることができないのは当然であります。
こういう意味では,私は日本の現在のいわゆる精神神経学という立場--それが最善とは決して考えていませんが,少なくとも広い立場から総合的に疾病を理解しようとする包括的なアプローチは,患者およびその家族にとって,非常に仕合わせなものではなかろうかと思います。
私事にわたって恐縮ですが,ふりかえってみますと,私は9年間ほど精神医学の教室にいて,先達や同僚から精神医学についての基礎的な常識を学ぶ機会にめぐまれました。その間,書診断が確定すると(というよりも当時は誰がみても明らかに重篤な脳疾患末期になってはじめて北大病院に送られてくるのが普通でありましたが)治療の方法もなく(あるいは当時の東北大桂外科,東大清水外科,新潟中田外科,京大荒木外科にゆくのをすすめても,経済的にそれが可能な患者はほとんどいなかったのも実情でありました)死を待つのみの多くの脳腫瘍患者の悲惨な運命,家族のなげきは,まだ青春の私の心をはげしくゆさぶりました。
そして未経験ながら当時の北大柳外科教授の"それは君が開拓すべきだ"との激励のことばに力づけられ,ボストンにいた兄寿郎を介して入手したDandyの脳外科成書をたよりに開頭手術を始め,手術手技に自信をもつにつれ,神経学の知識の未熟を痛感し,正統の臨床神経学の訓練を受けるべく志をたて,精神医学をはなれて以来,今日に至っています。
しかしながら少なくとも常識的な精神医学のバックグランドを持って,神経病の患者さんをみることができることを非常にありがたいことと思っております。
必要に迫られて進歩した高度の医学の分化,専門化の結果,当然のことながら最近ではそれを再統合する必要性が強調されてきています。殊にてんかんはそのモデルともいえましょうが,少なくとも臨床症状の中に多くの異常な精神心理学的側面をもち,かつ患者および家族関係のなかにも精神病理学的な数多くの問題をかかえこんでおります。したがっててんかんの発作のみならず,発作間歇期の患者さんを精神医学的立場からいかに理解するかということは,長期間にわたる治療のこころみの結果を支配する大切な問題点であろうと思います。
さて,てんかんに特有な性格変化があるかどうかという問題については,古くから色々と議論のあるところですが,北米でも非常に詳しい研究がなされております。およそ10年ほど前にてんかんに関する全国的な調査が行なわれましたが,その際に果たして本当の意味でのてんかん性格というものがあるかという問題に関する大変系統だった共同研究が,カナダとアメリカで行なわれました。
その結果,いわゆるてんかんに特有な性格変化はないとの結論が,1965年ニューヨークにおけるアメリカ神経学会で出されています。しかしこの結論は,他の慢性疾患たとえば多発硬化症disseminated sclerosisなどと対比した統計的結論であることをつけ加えておきたいと思います。
私自身の限られた経験からいいますと,確かにてんかん性の性格というべきものがあるように思われます。しかもそれがすべてのてんかん患者に認められるのではなく,ある種の患者にかなり高い頻度で起こりうるということであります。たとえば,迂遠(umstandlich,circuitous),非常に宗教的な傾向,細かなことにこだわる几帳面な性格や自分の症状を長期にわたってこと細かに記述することなど,私のように精神医学に少しふれたものにとっては,脳の局所的病態生理の反映としての性格的特徴というものが存在するように思われます。そしてそれは,おそらく大脳辺縁系が発作の発現に関与している例に多いように思えるのです。
そこで私の経験した何人かの患者さんについて,videotapeとEEGの同時描記をみながら,てんかん患者における精神医学的側面について皆様方と一緒に考えてみたいと思います。
神経学の対象にはいろいろな病気がありますが,一番頻度の高い神経疾患はいうまでもなく脳血管障害で,その次に多いのがてんかんであります。したがって少なくとも北米大陸においては,神経科医が扱う患者の非常に多くがてんかん患者でありまして,その診療は神経科医の仕事の中で非常に大きな位置を占めております。
ところで医学が進歩し,分化が起こりますと,当然の結果として専門化が生じます。北米大陸では1930年頃からそのような動きが強まりましたが,カナダでも同じ時期,およそ40年ほど前からいわゆる神経学,脳神経外科学といった専門分野が精神医学,内科学あるいは一般外科学から分かれ,特別なトレーニングと審査機関をもつ専門医制度が作られて今日に至っています。
しかしながら北米大陸においては,医学の分化,専門化が進んだ結果,神経学の基盤をなす精神医学や内科学から神経学が完全に分かれてしまっているのが現状であります。われわれが診察する患者がてんかん患者であれ,神経病患者であれ,あるいは精神医学的なものを主訴とする患者であれ,われわれは人間全体を有機的な存在として対象にしているのであって,人為的に区分した専門分野に対象をふりわけることができないのは当然であります。
こういう意味では,私は日本の現在のいわゆる精神神経学という立場--それが最善とは決して考えていませんが,少なくとも広い立場から総合的に疾病を理解しようとする包括的なアプローチは,患者およびその家族にとって,非常に仕合わせなものではなかろうかと思います。
私事にわたって恐縮ですが,ふりかえってみますと,私は9年間ほど精神医学の教室にいて,先達や同僚から精神医学についての基礎的な常識を学ぶ機会にめぐまれました。その間,書診断が確定すると(というよりも当時は誰がみても明らかに重篤な脳疾患末期になってはじめて北大病院に送られてくるのが普通でありましたが)治療の方法もなく(あるいは当時の東北大桂外科,東大清水外科,新潟中田外科,京大荒木外科にゆくのをすすめても,経済的にそれが可能な患者はほとんどいなかったのも実情でありました)死を待つのみの多くの脳腫瘍患者の悲惨な運命,家族のなげきは,まだ青春の私の心をはげしくゆさぶりました。
そして未経験ながら当時の北大柳外科教授の"それは君が開拓すべきだ"との激励のことばに力づけられ,ボストンにいた兄寿郎を介して入手したDandyの脳外科成書をたよりに開頭手術を始め,手術手技に自信をもつにつれ,神経学の知識の未熟を痛感し,正統の臨床神経学の訓練を受けるべく志をたて,精神医学をはなれて以来,今日に至っています。
しかしながら少なくとも常識的な精神医学のバックグランドを持って,神経病の患者さんをみることができることを非常にありがたいことと思っております。
必要に迫られて進歩した高度の医学の分化,専門化の結果,当然のことながら最近ではそれを再統合する必要性が強調されてきています。殊にてんかんはそのモデルともいえましょうが,少なくとも臨床症状の中に多くの異常な精神心理学的側面をもち,かつ患者および家族関係のなかにも精神病理学的な数多くの問題をかかえこんでおります。したがっててんかんの発作のみならず,発作間歇期の患者さんを精神医学的立場からいかに理解するかということは,長期間にわたる治療のこころみの結果を支配する大切な問題点であろうと思います。
さて,てんかんに特有な性格変化があるかどうかという問題については,古くから色々と議論のあるところですが,北米でも非常に詳しい研究がなされております。およそ10年ほど前にてんかんに関する全国的な調査が行なわれましたが,その際に果たして本当の意味でのてんかん性格というものがあるかという問題に関する大変系統だった共同研究が,カナダとアメリカで行なわれました。
その結果,いわゆるてんかんに特有な性格変化はないとの結論が,1965年ニューヨークにおけるアメリカ神経学会で出されています。しかしこの結論は,他の慢性疾患たとえば多発硬化症disseminated sclerosisなどと対比した統計的結論であることをつけ加えておきたいと思います。
私自身の限られた経験からいいますと,確かにてんかん性の性格というべきものがあるように思われます。しかもそれがすべてのてんかん患者に認められるのではなく,ある種の患者にかなり高い頻度で起こりうるということであります。たとえば,迂遠(umstandlich,circuitous),非常に宗教的な傾向,細かなことにこだわる几帳面な性格や自分の症状を長期にわたってこと細かに記述することなど,私のように精神医学に少しふれたものにとっては,脳の局所的病態生理の反映としての性格的特徴というものが存在するように思われます。そしてそれは,おそらく大脳辺縁系が発作の発現に関与している例に多いように思えるのです。
そこで私の経験した何人かの患者さんについて,videotapeとEEGの同時描記をみながら,てんかん患者における精神医学的側面について皆様方と一緒に考えてみたいと思います。
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