icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

精神医学21巻11号

1979年11月発行

雑誌目次

巻頭言

あたらしい病棟の一隅で

著者: 佐藤壱三

ページ範囲:P.1152 - P.1153

 20年ぶりに大学へ帰って,はや3年の月日がたった。その間さまざまのことがあったが,それはそれとして,帰った当時は戸惑いすることばかり多かった。その一方は,20年前との驚くべき変化であったが,また一方は20年前との驚くべき無変化でもあった。
 しかし何れにせよこの大学も,今一つの曲り角に来ていることは事実のようであった。その最も象徴的な出来ごとは,付属病院の新築移転である。戦前建築され空襲にも耐え,しばらく東洋一を誇った旧病院も,40年余の歴史の中に古びて,改造だけでは現代の医療に対応できなくなり,まったくあらたに建てなおすという思い切った企画が,迂余曲折を経てようやく完成したのである。

特集 精神分裂病の生物学

序論

著者: 島薗安雄

ページ範囲:P.1154 - P.1154

 精神分裂病の発病に関して,生物学的要因を重視するか,あるいは心理的・社会的な因子をより重要なものと考えるか,という点については,精神科医の間でも意見は一致していない。この問題については,歴史的にみても,時代によっていろいろと変動があったようである。
 しかし十分に吟味された基礎資料もなしに,これを論じてみても,それは徒らに時間を空費するに過ぎないと思われる。幸いに今日では,その一方のみを唯一の要因として主張する人は少なく,各々がそれなりに意味をもっていると考えている人が多いようである。筆者自身も,すでに他の機会に何回か書いたように脚注),分裂病の発症や経過に対しては,生物学的基盤と,心理・社会的な要因が関与し合うという立場に立って診療や研究を進めている。また「精神分裂病の生物学」という,この特集のテーマにしても,同じような考えが基礎をなしているものと考えたい。

精神分裂病の臨床遺伝—境界域の問題を中心として

著者: 堺俊明

ページ範囲:P.1155 - P.1163

I.はじめに
 精神分裂病(以下分裂病と記す)の遺伝研究については従来多くの報告がある。その中でも現在興味深い問題として境界域に関する遺伝研究がある。ところで分裂病の境界域としては,分裂病と躁うつ病,てんかん(真性)などの他の内因性精神病との境界域のほか,分裂病と神経症との境界域の2つが問題となる。ここではかかる境界域の問題について従来われわれが行なってきた臨床遺伝学的研究,ことに家系調査ならびに双生児研究の調査結果について述べる。

神経生理学的側面

著者: 安藤克巳

ページ範囲:P.1165 - P.1175

I.はじめに
 精神分裂病者の神経生理学的研究については,これまで脳波,自律神経反射を中心に数多くの研究が行なわれているが,個々の現象については分裂病患者に特異とみられる所見は見出されていなかった。しかし最近,電子機器など研究手段の開発とともに,かなり正常者から偏りのある現象が得られるようになり,またある一定条件下で示す反応の様式に共通した特徴がみられるようになっている。
 分裂病について観察できる生理学的指標としては,脳の機能状態を直接反映する脳波や誘発電位,閉瞼時眼球運動,中枢神経機能の変化を自律神経機能の変化を通して観察する方法,動いている振子を目で追う追従眼球運動や,図形を認知する際の視線の動きをとらえるアイカメラによる記録など生理学的,心理学的にみる方法,さらに分裂病の脳機能障害,とくに連合領域における障害について有力な根拠を与えると思われる局所脳血流の研究などがある。これら分裂病の神経生理学的研究の中で,とくに近年コンセンサスの得られている現象や,今後の分裂病研究の手がかりとなる問題のいくつかを取り上げ,眺めてみたい。

精神分裂病における一次性行動異常

著者: 町山幸輝

ページ範囲:P.1177 - P.1183

 精神分裂病の臨床形態は著しく多様で,そのため疾患の概念についてしばしば混乱が生ずる。分裂病の理解のためにはその症状の整理,特に構造化がかかせない。このような努力は古くからなされてきてはいるが(たとえばE. Bleuler2,13)),なお十分ではない。われわれはここ数年分裂病患者および家族がしあす行動異常についていくつかの検索をおこなってきたが5〜12),患者には精神病的症状とは独立の一次性の行動異常(欠陥症状)が存在すること,そのような異常は発病前からみとめられること,また患者と家族には共通の認知障害が存在することをみいだした。ここでは,それらの知見を統合して分裂病症状の構造化をこころみ,かつ分裂病における一次性異常の重要性について論ずる。

神経内分泌学から

著者: 山下格

ページ範囲:P.1185 - P.1192

I.はじめに
 精神分裂病の内分泌学的研究は長い歴史を持っている。それは屈折した,日の当らない道のりであった。その理由は精神分裂病が内分泌疾患ではないことに由来する。
 精神分裂病が思春期に多発することは,性腺をはじめとする内分泌腺の活動が何らかの形で発病機制に関与することを暗示する。Kraepelinはその教科書の第5版において,早発痴呆を粘液水腫,クレチニスムスと並べて代謝疾患に含めた。しかし後にKraepelinはいう6)。「私もまた性器内の過程が早発痴呆とあるいは何処かで多少とも関連をもつものではないか,という考えを述べたことがある。しかしこの考えを証明する所見は何処にも見当らなかったことを強調しなければならない」。
 それでも精神疾患の内分泌学的研究は絶えまなく続けられてきた。それはホルモンの動きが,内分泌機能とともに,それにまつわるさまざまな生体機能を表現するからであるといってよいであろう。それはKraepelinが最後まで精神分裂病に存在すると信じた,「ときには潜行性に生じ,ときには嵐のように襲う自家中毒6)」の端的な表現であるかもしれない。またそれは生体に加えられたストレスの指標であるかもしれない。また生体が体験する不安や怒りなどの情動変化も,その動きに反映されるかもしれない。また末梢ホルモンの分泌が中枢神経系の神経細胞から産生される神経ペプタイド(放出および抑制ホルモン)に支配されることから,逆に末梢ホルモンの動きによって中枢神経系の機能が或る程度察知できるかもしれない。あるいはそれは,神経ペプタイドの放出にかかわる脳内モノアミン活性を反映することがあるかもしれない。したがって極端な言い方をすると,精神分裂病の内分泌学的研究は,内分泌学的研究であって内分泌学的研究ではない,ホルモンを道具に使って精神分裂病に関連する生体の機能をひろく推し測ろうとする研究である,ということもできるのである。
 われわれの教室ではほぼ4半世紀にわたって,「情動の精神生理学的研究」を中心とする生化学的研究を続けてきたが17,21),ふりかえってみると初期には糖質代謝や水分代謝,次いでさまざまな指標を用いた自律神経および内分泌機能の検索が行なわれ,やがて脳内のモノアミンあるいは酵素活性の測定に重点が移った。しかしわれわれとしては特に途中で方針が変ったという感じもなく,いずれも内分泌と関連の深い仕事と考えているのは,このような理由からである。
 その研究所見については,最近,本誌の創刊20周年記念特集に「内分泌学的研究」24)と題して概要を報告した。再び本文の依頼を受けたので,前報とは異なった視点から検討を加えることにするが,なおかなりの重複は避けられない。御諒承と御寛恕をお願いする次第である。

精神分裂病—精神薬理学の立場から

著者: 稲永和豊

ページ範囲:P.1193 - P.1201

I.はじめに
 精神分裂病の病因を解明する一つの方法として,抗精神病薬の作用機序を明らかにする方法がある。これは精神分裂病のみでなく,うつ病の病因解明の場合にもいえることである。現状においては抗うつ薬の作用機序のほうが,分裂病治療薬の作用機序よりもかなり明らかになってきているようである。
 筆者は今までに臨床神経生理学的方法,臨床精神病理学的方法を用いて抗精神病薬に関する研究を行なってきたが,今日までに得られた結果について述べ,それらの結果から推定される精神分裂病の病態生理についての筆者の考え方を述べてみたいと,思う。
 この研究の中に含まれる仮説にはかなり独断的なところもあるかも知れないが,治療的研究にとってはこの種の作業仮説を立てることも必要である。

研究と報告

入院森田療法をうけた対人恐怖患者の追跡調査

著者: 鈴木知準

ページ範囲:P.1203 - P.1211

I.はじめに
 対人恐怖という概念でまとめられる諸症状をもった神経症の人達で,1963年1月から,1974年12月までに当診療所に25日から6カ月入院森田療法をうけて退院した患者は,528例,男性391例(74.1%),女性137例(25.9%)である。この528例は同じ期間に入院治療をうけた神経質タイプの神経症1046例(ヒポコンドリー224例,不安神経症160例,強迫神経症662例)の50.5%にあたり,また神経質の近縁症状である抑うつ神経症173例,強度の強迫行為57例,離人神経症13例を加えた1289例の41.0%に,また強迫神経症662例の79.8%にあたる。この対人恐怖のうち2例(男性)(0.38%)は自殺している。自殺2例は調査以前にわかっていたのでアンケートを出していない。この528例の患者は,入院に際して自ら治療を希望して入院したもので,家族に無理に入院させられたものは1人もいない。著者が初診時40〜60分を費して詳細に問診したもので患者の希望に従って入院し,著者が自ら治療にあたったものである。
 対人恐怖的症状には単純な人見知り,恥かしがりの程度のものから,分裂病との境界を思わす症状のものまである。そして大別すると,関係妄想性のない普通の対人恐怖と関係妄想性のある対人恐怖とがある。著者は青年期の一過性で,単純で,強迫観念と言われない程度の人見知り,恥かしがり程度のものを除いて,関係妄想性のないものを平均的対人恐怖という言葉で,関係妄想性のあるものを関係妄想性対人恐怖という言葉で表現した。小此木3〜5),笠原8)の対人恐怖の段階の記述があるが,それらをも参考にしながらその範囲について述べる。強度の生存欲から対人的の不安,精神葛藤を起こす型の強迫観念を,森田は神経質タイプの神経症の中の対人恐怖と考えた。この森田の対人恐怖の大部分はここでいう平均的対人恐怖に入る。この型の範囲は一般に14〜15歳から重大な動機などなく発呈することが多く,そして純粋な強迫観念にとどまっていて,敏感性になって関係念慮を起こしてもその程度が軽度で,妄想的な確信にまでいたらない程度のものであり,症状としては対人的不安,緊張,ふるえ,他人の視線,赤面,体・顔のこわばり,吃音,よく声が出ない等にとらわれる程度にとどまっているものが多い。笠原の段階でいえば純粋に恐怖症にとどまっている段階のものであり,また高橋(徹)の言う―まだ十分考えがまとまっていないといわれるが―本態的対人恐怖16)(中核的対人恐怖)というものも,大部分はここでいう平均的対人恐怖に近いように思う。
 関係妄想性対人恐怖の範囲は,自己の視線,表情,態度,体臭などに敏感性になり,関係妄想的になって,まちがいなく他者に悪い影響を与えていることが他者の行動,態度によって直感的にわかると確信し,あるいはそれほどまででなくとも判然としていると主張するものであるが,その程度にとどまっていて妄想様観念はそれ以上に発展しない程度のものである。笠原の言う自己視線恐怖というのはこの範囲に入る。更に重症性で人格の障害があると思われるものは,小此木の言うように分裂病との境界と思われるもので,ここでいう関係妄想性対人恐怖という範疇から除いた。この境界領域の一つの例として,学校の教師が生徒のがやがやの声の中に「つんとすましている」とか,あるいはガス(放屁)恐怖の患者が電車に乗った場合,がやがやの声の中に「くさいくさい」という声を聞き,このことを他者に影響を与えている証拠として確信している重症の関係妄想性のものがある。これは錯覚的要素の多いものから,中には幻聴と区別できなくなるものがあり,更に声なき夜半にもその声を聞く幻聴のものまで存在する。ここまでくると分裂病を考えなくてはならなくなる。
 当診療所に入院したものは自ら希望して来たものであるためと思われるが,関係妄想性のものも一般に笠原8)の記述しているものより軽症のものが多く,われわれの所を訪れたものは関係妄想性の傾向をはじめからおびていると思われるものも勿論あるが,徐々に敏感になっていったもののほうがより多いような印象を受ける。
 アンケートを発送した526例のうち,現在の心的態度の判定の回答をよせたのは359例―男性264例(73.5%),女性95例(26.5%)―である。その初診時のカルテの記述と,アンケートでの症状に関する質問の回答との両方から判断して,関係妄想性と平均的対人恐怖に分った。平均的は199例(55.4%)―男性156例(78.4%),女性43例(21.6%)―関係妄想性は160例(44.6%)―男性108例(67.5%),女性52例(32.5%)―であった。
 次に山下がその著の中18)で対人恐怖100例中,面接回数10回以下で症状消失というものを12例(12.0%)あげているが,われわれが入院治療した患者は対人生活の困難に耐えかねて自ら自費入院に踏み切った人達で,外来の面接では歯の立たなかったものがほとんど大部分のように思う。
 対人恐怖症の予後調査の文献は極めて少ない。強迫神経症の森田療法の治療効果については,森田6,9)は147例,竹山15)は286例,御厨10)は65例の退院時治療者の判定した全治,軽快,未治の統計がある。それの追跡調査については,阿部1)の62例の11/2〜3年後の調査があり,外来患者については与良17)の72例(平均1.9回面接のもの)の5〜9年後の追跡調査がある。更に中川11)も東大神経科等の外来で神経衰弱,神経質,強迫神経症と診断されて治療をうけた531例の7〜17年後の追跡調査をしているが,強迫神経症として記述しているものは24例である。これらの強迫神経症の大半が対人恐怖と思われるけれど,特別に対人恐怖を区別して取り上げていない。ただ慈恵大学第三分院森田療法室2)の,退院12カ月後の対人恐怖15例の予後調査がある。この15例は対人恐怖以外の強迫神経症5例より予後不良と述べている。また山下は100例の対人恐怖を例示した中で追跡調査ではないが,面接による治療か小集団精神療法と思われるが,症状消失27%,軽快54%,不変19%と述べている18)
 著者も1951年5月から1966年2月までに,当診療所に20〜150日間入院森田療法をうけ退院した強迫神経症316例のアンケートによる追跡調査13)を1966年の4〜5月に行なった。その結果を述べると,住所不明でアンケートが戻ったもの25例,家族から病死の連絡があったもの2例,未回答のもの78例(回答未回答合計291例の26.8%)であり,そして現在の心的態度を判定して回答をよせたものが211例(291例の72.5%)であった。高度の改善状態A段階+B段階は114例(211例の54.0%),相当度の改善状態C段階90例(42.7%),改善されない状態D段階7例(3.3%)であった(A,B,C,D段階のことは後述してある)。しかしこの調査では1964年4月から1966年2月までに退院したものの回答は,退院してから3カ月〜2カ年のもので,調査の早すぎると思われるものを相当数含んでいる。またこの調査は対人恐怖を含む一般の強迫神経症のものであって,対人恐怖を区別したものではなかった。

アルコール性小脳変性症を疑わせた2症例—臨床所見とコンピューターX線断層像

著者: 中村潔 ,   中川英範 ,   相沢均 ,   今野渉 ,   藤田雅彦 ,   三田村幌 ,   岡本宜明 ,   小片基

ページ範囲:P.1213 - P.1220

I.はじめに
 1905年Andre-Thomas39)は,慢性アルコール中毒症を基盤として発症した小脳失調を臨床的に記述するとともに小脳皮質とくに虫部の上部に病理学的変化を認めたことを記載した。これに続いてJakob,Lhermitte,Noicaらにより類似症例の臨床病理学的記載がなされた22)。またRomano34)は慢性アルコール中毒者5例に認められた下肢の運動失調などの特徴的な臨床像から,これらをalcoholic cerebellar degenerationと診断し報告している。その後もSkillicorn36),Chodoff7),Alajouanineら1),Deckerら9)により臨床的観察の報告がなされた。さらに1959年に至り,Victorら42)は小脳症状を伴う慢性アルコール中毒症50例につき臨床病理学的に詳細に検討した。彼ら42)はそれまでの文献中に報告されていた120例についても整理し,他の型の小脳変性症と鑑別点を吟味した結果,アルコール性小脳変性症が臨床病理学的に一つの疾患単位であることを示唆した。その後も,Ames4),Allsop & Turner3),Grahamら13)により報告された症例を数えると,諸外国では今日までにほぼ200例に達するようである。一方,本邦においては著者らの知る限り,河部ら17)の学会抄録で1例を認めるのみでアルコール性小脳変性症の報告例はきわめて少ない。
 他方,慢性アルコール中毒症者の気脳写像に脳萎縮を反映した異常所見の認められることは文献的に考察されており27),近年CT所見に関しても報告がある10〜12,14)。しかし,本邦では,岡本ら30)の報告以外にいまだみられないようである。すなわち,岡本らは慢性アルコール中毒者82例中20%に小脳萎縮所見を認めた。今回われわれは,臨床的に種々の小脳症状を呈し,脳CT像で小脳萎縮所見を認め,これらのことからアルコール性小脳変性症と思われた2症例を経験したので報告したい。

両側聴神経腫瘍例にみられた筋活動を伴うREM期

著者: 磯野五郎 ,   石井弘一 ,   柴田嘉之 ,   星昭輝

ページ範囲:P.1221 - P.1228

I.はじめに
 いわゆる筋活動を伴うREM期は,これまでにも動物実験3,6,7)をはじめとして様々な疾患で観察され報告されている。それらの疾患のうち主なものは,慢性のアルコールや薬物中毒2,15〜18,20),ナルコレプシー5,9,13),本態性パーキンソン病10),脳幹の腫瘍例1)などである。本邦では,これらのうち後二者についての報告はないようである。
 今回,われわれはてんかんとして治療していたvon Recklinghausen病に両側の聴神経腫瘍を合併した例で,終夜睡眠ポリグラム上筋活動を伴うREM期20)を呈した1例を経験した。そこで,この特異なポリグラムを呈する状態を,これまでに報告された動物実験や種々の疾患におけるものと比較検討したので報告する。

精神分裂病症状,眼瞼黄色板,高脂血症傾向を伴うvon Recklinghausen氏病の1例

著者: 大田民男 ,   柴田二郎 ,   村瀬聿男 ,   水津和夫

ページ範囲:P.1229 - P.1233

 精神分裂病様症状を呈したvon Recklinghausen氏病の1例を報告した。精神症状は当初は緊張病性昏迷様で,のちになって被害・追跡妄想が加わっていたことが明らかとなった。精神不安定の時期の脳波には軽度の徐波の増加がみられたが,CT検査からは脳の器質変化を示す所見は得られなかつた。
 皮膚症状の主なものは全身に散在する皮下結節と色素性母斑,いわゆるcafé-au-laitであった。
 本症例では上記の症状以外に両側の眼瞼に黄色板がみられ,これと関連するかと考えられる血清の中性脂肪の増加を主とする高脂血症傾向が存在した。以上のことからvon Recklinghausen氏病と合併症の問題につき考察した。

短報

てんかん患者の結婚について

著者: 田中雄三 ,   梅沢要一 ,   川原隆造 ,   宮本慶一 ,   挾間秀文 ,   上田肇

ページ範囲:P.1235 - P.1237

I.はじめに
 てんかん患者の結婚状態については,すでにわが国でもいくつかの調査報告がなされている1〜3,5,7)。てんかんは薬物により比較的簡単に発作を抑止することができるため重篤な脳器質障害を伴わない限り,結婚に際してそれほど障害にならない疾患と言うことができる。しかしながらてんかんに対する社会的偏見は依然として強く,また慢性疾患であるため持続的服薬が必要であり,治癒の見通しが不明なこと,各種抗てんかん薬による催奇性や優生上の問題などがからんで,てんかん患者の結婚に際し困難を生じることも事実である。また,てんかんはいわゆる「結婚適齢期」以前に発病するものが多く,実際臨床場面においても患者や家族から結婚相談を受けることが少なくない。
 今回,著者らは,てんかん患者の結婚状態について一実態調査を行なったので,その概略を報告する。

古典紹介

Ph. Chaslin—Groupe Provisoir des Folies Discordantes〔Éléments de Sémiologie et Clinique Mentales, Asselin et Houzeau édit., Paris, p. 772-p. 838, 1912〕—第2回

著者: 小泉明

ページ範囲:P.1239 - P.1255

言語性不統一精神病(Folie discordante verbale)
 妄想型不統一精神病の少し脇にある型のものを置くことができると思うが,それはいわゆる妄想を持ってはおらず,極度の言語性支離滅裂を示すものである。さらに,妄想型の妄想は,確かに深いものか,そしてほとんど言語的な表現ではないのか? それが何であるにせよ,他の型の脇に取って置くことが私には興味深く思われた非常に純粋な言語性不統一病型をお目にかけたい。また支離滅裂さの比較的目立たない妄想を持った純粋さの少ない他の1例をも供覧したい。
 言語性精神不統一病。完全に支離滅裂な言語。人工的な数々の語。―Giv. ヴィクトール・アンリは42歳で1904年9月8日,ビセートル病院に入院した。

資料

東南アジア各国における比較文化精神医学的問題点—その予備調査から

著者: 荻野恒一

ページ範囲:P.1257 - P.1264

I.はじめに
 今日,世界の各地が急激かつ一様に,高度で画一的なテクノロジー文明のインパクトを受けつつあり,ここでそれぞれ異なる伝統的固有文化との葛藤ないし摩擦を引き起こしている。この種の文化摩擦現象は,いわゆる発展途上国において著しく,一般的に言って政治経済体制を超えて,先進国側の文化輸出によって惹起されているといえる。この傾向は東南アジア諸国においても顕著に見られ,しかもここではわが国の役割が大きいと言わなければならない。このような事情のゆえに,東南アジアの現地住民が蒙っている精神医学的事象を調査する場合,われわれはこれを第三者的研究者の立場からだけ行なうわけにはゆかず,しかもここでこうした研究調査という行為そのものが,この種の深刻な文化摩擦の原因になりうることも,たえず留意していなければならない5)
 わたしは以上のことを充分に考慮に入れた上で,昭和53年11月13日から12月12日までの30日間,台北,バンコク,ジャカルタ(以上,7日ずつ),クアラルンプール,シンガポール(おのおの4日間)を歴訪し,それぞれの地の大学,病院,研究所を訪ね,とくに可能なかぎり病者との面接に参加することに努めた。幸い以上の各地において例外なく,このさいこの点については,各精神科医の快い協力を受けることができた。
 さてわたしの調査研究の主題は,東ニューギニァ(今日のパプア・ニューギニア)7),奥能登,沖縄,青森県南部地方などにおける比較文化精神医学研究6)の影響もあり,つぎの2つにおのずから限定されていった。すなわち,1)東南アジァ各国の精神分裂病(以下,分裂病)の精神病理学的諸症状および発病状況の分析,2)シャーマニズムを含めた伝統的民間療法と現代精神医療との文化摩擦現象,である。わたしはいま,このように調査内容を限定したことによって,今日的文化摩擦現象を比較文化精神医学的見地から明らかにするうえでは,かえって主題を鮮明にしたと考えている。というのは,1)について言うと,分裂病発生の状況は,2つ以上の異種文化のあいだの摩擦状況と理解することができ,さらに分裂病の諸症状の精神病理は,このような摩擦状況の証言ともいえる場合が少なくなかったからであり,また 2)の問題はそのまま,伝統文化と西欧文化との摩擦現象の縮図であるとさえ思えたのである2,5)。つぎにこれらの予備調査の概略と今後の調査への展望について述べる。

追悼 金子準二先生を偲ぶ

略歴と主な業績

著者: 田辺子男

ページ範囲:P.1266 - P.1266

略歴
大正6年12月 東京帝国大学医学科卒業
  7年1月 東京府巣鴨病院医員
  12年3月 東京警視庁衛生部技師
  13年5月 大阪府技手,内務部社会課
  14年8月 東京府立松沢病院講師
  15年3月〜昭和24年3月 慶応義塾大学医学部講師
昭和6年4月〜25年3月昭和医専,昭和医科大学教授
  24年1月〜54年8月 慈雲堂内科病院顧問
  24年3月〜29年6月 東京精神病院協会常務理事,29年6月〜41年8月 同理事長
  24年6月〜40年4月 日本精神衛生会常務理事
  24年8月〜29年8月 日本精神病院協会常務理事,29年8月〜37年10月 同理事長
  25年6月〜31年6月 日本病院協会常務理事
  25年1月〜38年7月 中央優生保護審査会委員
  26年4月〜38年9月 精神衛生審議会委員
  35年4月〜37年5月 日本精神神経学会監事

金子準二先生を偲ぶ

著者: 元吉功

ページ範囲:P.1267 - P.1267

 私は学生時代(慶大医学部)に先生の司法精神医学の講義を聴いた。当時の学生にはなじみにくい学問分野であったが,先生は教壇をあちこち歩きながら,独得のジョークを交えて学生を笑わせ,なかなか人気(?)のあったことを覚えている。卒業後,神経科教室へ入ってからは,先生の御声咳に接する機会は多くなったが,私が都内の精神病院の管理者に転出してからは,行政官でもあった先生と私の間は,監督する者とされる者とに変った。およそ役人らしからざる役人であったが,悪質な経営者には峻巌な態度を崩さず,当然病院業者からはずいぶん怖がられていた。先生が大変ないわゆる読書家であり愛書家であったことは知っている人も多いと思うが,鞄の中から古色蒼然たる書物を取り出し,今日これを神田の古書店で見つけた,と言って嬉しそう自慢されることもしばしばあった。こうして先生が数十年にわたって蒐集された万巻の古書・古文献は先生の胸中で醞醸され,晩年俗事から開放された先生は,あたかも蚕が糸を吐き繭を作るように,十巻数千頁に及ぶ御労作を発表された。日本精神病学書史(呉秀三賞受賞),日本狐憑史科集成その他で,詳細は先生の業績リストを一見すれば分るが,将来は知らず,今日もうこのような著述をなしうる人はいない。また先生のこの一連の著作を味読し,その真価を知る人も多くはないであろう。
 このような学術上の偉業のほかに,先生が精神医療の世界に残された大きな足跡は,民間精神病院を統一組織化し(日本精神病院協会および東京精神病院協会),有力な団体として育て上げたことと,精神衛生法の制定に主導的な役割を果たされたことである。協会の設立は昭和24年であり,精神衛生法の制定は翌25年であるが,二つの運動はほとんど平行して進められていた。しかし金子先生の胸中には,まず民間病院の組織化を優先させることであったもののようである。当時私は,植松(協会の初代理事長),金子両先生の下でお手伝いをしていたから,その間の事情は知っているつもりであるが,精神科医の長年の悲願であった「精神病者監護法」と「精神病院法」を廃棄し,新しい精神衛生法の制定を企図するに当っては,まず精神医療の実質的な担い手である民間病院の全国組織を作ることが先決であると考えておられたようである。この組織の結成が,法制定運動の有力な背景となるばかりでなく,危惧された官僚ペースの作業の歯止めになると考えたのが,先生の本音だったと思う。精神医療の歴史も現実も,また戦前とはいえ長い間監督官庁にも在職して,公・私立病院の表裏を知り尽くしていた先生は,日本の将来の精神医療の発展は,政府や自治体に頼るよりも,民間病院の充実に期待する外ないと考えていたようである。先生の書かれた「二十年」(日精協発刊)の序文にも,行間にその意中を汲みとることができる。そうでなければ先生が協会の拡充のため専従職員一人すら居ない時期に,老躯に鞭打ち東奔西走,あれだけの情熱を燃やすはずがない。精神衛生法の制定には当時の植松慶大教授,林松沢病院長が主たる参画者であり,議員提出の法案として議会方面の工作には当時の参議員議員中山寿彦氏の尽力に負うところの大きかったことはよく知られた事実である。さまざまな紆余曲折はあったが,法案のでき上るまでの主役は金子先生であった。成文化された法の中には金子案の主要な柱は生かされている。現在,精神衛生法に対しては厳しい批判もあるが,敗戦の傷痕の未だ癒えない時期,連合軍の占領下という悪条件の中で,新しい法律の制定を企画立案し成功させるのは,並大低の労苦ではないのであり,数え立てれば欠点もあろうが,この法律が日本の精神医療史上に一時期を画したことに疑いはない。先生が自ら手がけた二つの大事業は立派に実を結んだのであって,天寿を完うされた先生の御霊の前に,私は今ここに,改めて跪きたい。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up
あなたは医療従事者ですか?