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雑誌目次

雑誌文献

精神医学21巻12号

1979年12月発行

雑誌目次

巻頭言

身体合併症診療

著者: 冨永一

ページ範囲:P.1270 - P.1271

 より受診しやすい総合病院精神科の外来・入院診療には,他の診療各科の協力をあおいで,単科精神病院や精神科のない病院から,身体合併症を受け入れ,また要請により他科の外来や病棟に出向く協力診療がある。
 以下,他の病院のデータを知らないので私どもの診療を述べることをお許しいただきたい。

展望

精神分析学の最近の動向—アメリカ篇

著者: 岩崎徹也

ページ範囲:P.1272 - P.1279

I.はじめに
 精神分析は発祥以来今日まですでに約80年の歴史を重ね,その間に理論的にも技法的にも多くの発展を遂げてきている。それらの経過の中で,最も基本的で大きな意義をもっているのは,精神分析がいわゆる深層心理学から自我心理学へと発展したことであろう。Freud, S. に始まった自我心理学が,その後Freud, A.,Reich, W.,Hartmann, H. らを中心とする多数の精神分析医達によって継承され,発展していった経過は,すでにかつて本誌に連載された小此木啓吾氏による展望34)に詳しい。
 こうして自我心理学は精神分析学全体の主流となって,現在に至っているのであるが,その傾向はとくにアメリカにおいて顕著である。
 昨今のように情報の交流が国際的レベルでも迅速かつ容易に行なわれるようになったばかりでなく,学者,研究者の往来も活発になるにつれて,各国の学界が相互に影響をうけあう結果,国ごとの専門的な特色や傾向が以前ほどに鮮明ではなくなって,より総合的な視野に立った研究や学問体系が発展しやすくなっている。このような傾向はひとり精神分析学に限らず,いずれの学問にも共通していることであると思われる。しかしいっぽうで,やはり各国の学問的・文化的・社会的な歴史によってつちかわれた伝統が存在するのも事実であり,本展望シリーズの他の著者によって述べられているように,フランス,イギリス,ドイツなどそれぞれの精神分析学界のもつ特色を描き出すことも可能である。そこで筆者は以下に,アメリカにおける近年の精神分析学の流れを,自我心理学を中心に展望することにする。

精神分析学の最近の動向—ドイツ編

著者: 河田晃

ページ範囲:P.1281 - P.1289

Ⅰ.歴史的展望
 K. Abrahamによって1910年にDeutsche Psychoanalytische Gesellschaft(DPG)が組織され,K. AbrahamとM. Eitingonによって1920年に,精神分析の世界的発展の原動力となったとも言うべきBerliner Psychoanatytisches Institut(BPI)が設立された戦前ドイツにおける精神分析の歴史についてここであらためて述べる必要はないであろう。そこに登場する多彩な人物とその活躍について語ることはそのまま当時の世界の精神分析の歴史の大半を語ることになると言っても過言ではない。また,1933年にナチスが政権をとるや,ユダヤ人の迫害とともに精神分析が消滅寸前にまで追い込まれた事実もよく知られたところである。DPGは1936年,国際精神分析学会からの分離を余儀なくされ,同じ年,BPIは,M. H. GoringのひきいるDeutsches nstitut fttr psychologische Forschung und Psychotherapieに併合されて,独立した身分を失い,ついで1938年,DPGは解体することになったのである。当時すでに多くの精神分析学者が亡命しており,Goringの研究所で精神分析を代表したのは,Müller-Braunschweig,Boehm,Kemper,Schultz-Henckeらの数名に限られていた。しかもこの研究所では,Freudの名も精神分析の主要な概念もタブーであり,オーソドックスな立場のMüller-Braunschweig,Boehmらは,教育活動をも,出版をも禁止され,ただ一人Schultz-Henckeのみが,その修正主義的立場のために,自由な活動を許されていたのである。
 上述の事情のために,1946年にDPGが再建されたとき,多数を占めたのはSchultz-Henckeを中心とするグループであった。1949年,チューリッヒでの国際会議でこの再建されたDPGは,国際精神分析学会の支部として正式には承認されなかった。この会議をきっかけに,Müller-BraunschweigとSchultz-Henkeとの公然の対決が始まった。そして1950年,Müller-Braunschweigを中心とする少数派がDPGを離れてDeutsche Psychoanalytische Vereinigung(DPV)を組織し,BPIを再建することになった。DPVは1951年,国際精神分析学会の支部と認められたが,DPVが本格的な発展を始めたのは,再建されたBPIで,Müller-Braunschweigの指導のもとに新しい研究者が養成されて以後のことである。当時BPIで教育を受けた人としては,H.-E Richter,W. Auchter,U. Ehebald,W.-D. Grodzicki,H.-J. Seeberger,H. Godeke,M. Schmidt,G. Maetzeらがいる。彼らの多くは,後に西ドイツ各地に分散し,そこで指導的な役割を果たすことになる。

研究と報告

「青年期セネストパチー」について—青年期に好発する異常な確信的体験(第5報)

著者: 渡辺央 ,   青木勝 ,   高橋俊彦 ,   大磯英雄 ,   村上靖彦 ,   松本喜和

ページ範囲:P.1291 - P.1300

Ⅰ.まえがき
 すでに諸家9,10,13,14,16,19,21,24,25)によって紹介ずみのDupreとCamusのセネストパチー(Cenesthopathie)は,奇妙な体感異常が病像を支配し単一症候的に経過し他の臨床単位に還元できない特有の症例であって,諸家は確かにそのような一群の存在することを確認している9,10,15,21,24)。そして分裂病性4,5,7,17)か非分裂病性9,15,20〜22)かという疾病論的位置づけこそ未解決のものの,その研究過程において,体感異常を記述現象学的に細密にする5)とか,長期観察例に基づき経過上の特徴を記述する16)とか,体感異常を離人症との関係で把えるとか3,10,16,17),更にはかれらの対人的態度あるいは社会的態度に着目する9,36)とか,体感異常を自我意識障害の観点で把える試み3,13,16〜18,23)とか,発症年齢の相違から体感異常に亜型を区別する試み10,13,17,23),身体の現象学という立場から体感異常を理解しようとする24,25)など種々の試みがなされてきた。
 さて,われわれもここ数年来,奇妙な体感異常の訴えを繰り返し,上述の意味でセネストパチーとしか診断のつけようのない病者に重点的に関与してきた。そして彼らが発症年齢において青年期と更年期以後という2つの大きなピークを示し,かつこの発症年齢の違いによってその病像に相当の相違をもつという印象をもつに至った。われわれが今回取り上げようと思うのは,このうちの前者,すなわち青年期に発症する一群である。

口腔内,特に歯牙の異常感覚例について—セネストパチーの臨床補遺

著者: 伊東昇太 ,   宇内康郎 ,   植松俊彦 ,   内藤利勝 ,   広瀬信行 ,   釜谷園子

ページ範囲:P.1301 - P.1307

Ⅰ.まえがき
 セネストパチーに関する報告は個別症例の紹介とともに総説9,30)としてまとあられ,当該領域の関心は広く,深い。研究は症状学そして疾病学的位置づけに向けられ,ほぼこの主題の発掘作業は枯渇したようにも思える。しかし皮膚内外の名状し難い苦訴を投げかける症例はあとを絶たず,治療の困難さもさることながら,病者をとりまく問題の多様であることを知らされる。われわれは口腔内,なかんずく歯牙をめぐる感覚異常さらに例外なく手術的侵襲すら受け,医師を転々としてやまない症例に接したので,あらためて問題点を取り上げ考察をすすめたく思う。

初老期以後のせん妄状態の臨床

著者: 高橋三郎

ページ範囲:P.1309 - P.1316

I.はじめに
 初老期および老年期の精神障害として,以前から記憶や見当識の障害を主とする痴呆,感情障害としての抑うつ状態,心気状態,あるいは不安状態などが注目され,これらに関する数多くの臨床的,病理学的,生化学的,心理学的研究がなされてきたが,意識障害としてのせん妄状態もみすごすごとのできない重要な部分を占めている。それは以下のごときいくつかの理由によるものと思われる。すなわち,
 (1)この錯覚,幻覚,興奮などを伴いやすい特異な状態が,とくに初老期以後に起こりやすいこと。
 (2)短時間に挿間性,発作性に生じることが多く,かつ動揺性にとむためみおとされやすく,また通常の傾眠—嗜眠—昏睡といういわば意識の深さのみの障害とは異なり,ときには意識が変容しているかどうかわかりにくいこと。
 (3)家の中や病室,病棟内を歩きまわり,夜間眠らずに騒ぎ,結局,精神科への入院が必要となることが多いが,しばしばなんらかの身体的障害を有しているため,その治療にあたっては臨床各科の密接な協力が不可欠であること。
 (4)早期に適切な治療を行なうことにより平常に回復することの多い,いわば機能性,一過性の精神障害であるが,しかしその発見と治療が遅れると生命の予後さえ悪く,しばしば死亡すること。
 などを挙げることができる。
 このように臨床の実際場面で種々の重要な問題を有しているたあ,今回,著者は臨床各科を有する総病床数451の総合病院に併設された精神神経科の役割の1つとして,年齢的になんらかの身体的障害を有していることの多い高齢患者にみられたせん妄状態に注目し,その特徴や問題点をみながら,今後の総合病院における精神科のあり方について考えてみた。

言語発達遅滞の2例—言語発生に関する考察

著者: 野上憲彦

ページ範囲:P.1317 - P.1327

I.はじめに
 最近,小児の言語発達遅滞が注目されており,発達性失語,発達性語聾,先天性構音不全あるいはdysphasic child等の名称で呼ばれている1,4,5,11,17,23)。多くの名称が示すように必ずしも統一されていないし,またautismとの関連について言及する意見もあり,その状態像はかなり幅の広いものである。しかし,そうした障害の中心的問題は言語の障害にあることは確かなように思える。したがって言語発達遅滞の分析を通じて,言語の発生に関して何らかの知見を得ることが期待できる。
 われわれは最近2例の言語発達遅滞児の治療を経験した。1例は運動性表出性の発達性失語であり,もう1例は受容性の発達性失語であり,Rutterら1)の述べたdysphasic childにあたる例であった。
 この2例の治療を通じて言語の発生に関する若干の知見を得たので報告し,かつ言語学的な考察を加えてみたい。

反復夢とてんかん発作

著者: 守田嘉男 ,   木下功

ページ範囲:P.1329 - P.1334

I.はじめに
 ここに報告する症例は,反復して見る夢と同じ体験が,前兆,もうろう状態,および挿間性精神症状期に現われた,てんかんの1例である。
 反復夢は多く不安夢であり,その内容は,夢見る人の生活史における心的葛藤を反映しているといわれる。本例は,このような心的葛藤が,生活史・家族史に関連しており,さらに,てんかん発作発現にも直接的に結びついているので,われわれは,このてんかん者の発作に関与している心理・社会的要因を具体的精確に記載し,その意義を考察する。

脳波を音と光に変換する方法—α波の場合

著者: 椙村憲之 ,   長田昭平

ページ範囲:P.1335 - P.1340

I.はじめに
 電子工学が長足の進歩をとげたことによって,今日脳波分析の技術も一段と向上した。とりわけコンピュータが脳波分析学の発展にとって果たした役割は大きく,コンピュータを駆使した分析方法の開発も盛んに行なわれている。しかし時々刻刻と変化する脳波情報を的確にキャッチし,しかもオンラインで簡単に処理するいわゆる臨床に直結した分析方法の検討は,ほとんどなされていない。
 そこで,われわれは,臨床あるいは教育の現場において,脳波をもっと手軽に幅広く活用するために脳波を“音”と“光”に変換する方法を考案し,その装置の試作研究ならびに装置を実際に使用した実験を行なっている。

一過性全健忘(Transient Global Amnesia)の脳波について

著者: 児玉久 ,   赤松和彦 ,   中岡清人

ページ範囲:P.1341 - P.1348

I.はじめに
 一過性全健忘Transient global amnesia(以下TGAと略す)については,1956年に最初の報告者といわれているBender1)が,その特異な記憶保持の障害を示した症例を発表して以来,主として欧米を中心に今日まで本症に類似の症例も含めて,およそ250例以上の報告がある。本邦においても1970年頃から本症が注目され,野上ら22)がその4症例について初めて発表して以来,30例以上の報告をみる。Benderは発表当初本症にsyndrome of isolated episode of confusion with amnesiaなる名称を付したが,1958年にFisher6,7)らが12症例を,次いで1964年にはさらに5症例を追加して17症例について詳細な報告を行ない,その際に彼らが用いたTGAという呼称が今日では一般化し,本邦においても一過性全健忘という名称を用いる人が多い。
 本症の臨床症状の特徴については,特異な記憶障害が一過性に現われるとか,後遺症を残すことなく完全に回復し,しかもほとんどの症例では再発をみないなどいくつかの特徴が指摘されているが,このような臨床症状の特徴とともに,各種の臨床検査の一環として脳波が取り上げられ,ことに前記のような特異な臨床経過を示すにもかかわらず,多くの症例では脳波は正常であることも,本症の特異な点として注目されてきた。しかしBenderの報告以来,本症の脳波にも非特異的ではあるが異常所見を示す症例が稀ならずあることが報告されるようになり,本症の脳波に関しては改めて再検討を要するとの意見も最近きかれるようになった。
 筆者らは過去7年間にTGAと思われる14症例を得,この中10例に脳波検査を行ない,さらにこの中の2例はエピソード中に記録を得た。このエピソード中の脳波は2例とも非特異的ではあるが異常所見を示し,8例はエピソードから回復して後の脳波であるが,いずれも正常であった。今回われわれはとくにエピソード中に記録し得た2症例の脳波所見について種々検討を加え,文献的検索とともに若干の考察を行なったのでここに報告する。なお8症例については別の機会に改めて報告する予定である。

前頭葉腫瘍の2症例—その精神症状(意欲障害)について

著者: 井坂健一 ,   横井晋

ページ範囲:P.1349 - P.1355

I.はじめに
 前頭葉損傷患者がしばしば狭義の精神障害と診断されて,明らかな器質性変化の症状を示すまで精神分裂病その他とされて,各種の治療を受けている例は稀ではない。
 Direkzeらは前頭葉脳腫瘍の患者では当初身近かな友人や親族によってはじめて気付かれるような微妙な人格変化を起こす者が多く,彼らの25例中11例はそのような人格変化で始まり,5例は最初精神科病棟に入院していた。1例はアルコールを多量に飲んでおり,計68%の患者が何らかの精神障害を示していたという。Pick病についても同様な観察がある。
 ここに述べる第1例も当初精神分裂病と誤診され,けいれん発作を起こした後に脳腫瘍が発見された。他の1例を加えて右前頭葉腫瘍による精神症状,とくに意欲障害について述べようと思う。

精神分裂病様症状を呈したMarfan症候群の1例

著者: 高橋滋 ,   相原芳昭 ,   神岡芳雄 ,   堀口佳男

ページ範囲:P.1357 - P.1362

I.はじめに
 Marfan症候群はクモ状指趾と同時に眼,骨格系,心臓血管系などの中胚葉組織に奇型を来す遺伝性疾患であるが,その成因については諸説があり一定の結論に達していない。
 Weve1)はこの症候群が中胚葉系諸器官の先天性系統的発育障害に起因するもので優性遺伝をなすことを指摘し,Dystrophia mesodermalis congenita, Typus Marfanisと名付けた。
 本症候群に内分泌系2〜4),呼吸器系5,6)などの全身にわたる多彩な症状を合併する例が報告されている。精神・神経症状を呈することはまれで,精神分裂病様症状を示した例は杉本ら7),兼重ら8),上野ら9)の報告があるにすぎない。
 著者らは幻覚妄想,緊張病性昏迷,興奮状態等の精神症状を示し遺伝関係を認めた症例を経験したので,精神症状とMarfan症候群との関連について検討し報告する。

特異な精神症状を呈した46,XY/47,XYY/48,XXYY Klinefelter症候群の1症例

著者: 川原隆造 ,   挾間秀文 ,   田中雄三 ,   松島嘉彦

ページ範囲:P.1363 - P.1369

I.はじめに
 Klinefelter症候群は1942年Klinefelterら13)が,男子思春期に始まり女性型乳房,睾丸発育異常を主症状とし,FSHの分泌異常を特徴とする一群の性腺不全症のあることを報告したのに始まる。その後sex chromatinの検索が行なわれるようになり,sex chromatin陰性の後天的な精細管障害例を除外した性染色体異常に基づく男子性腺障害例を,真性のKlinefelter症候群と呼ぶようになった。Jacobsら8)は本症候群について性染色体の検索を行ない,その組合せがXXY型であることを証明した。さらにこのような基本型のほかに,XXXY,XXXXY,XXYY,XXXYY,XXなどのKaryotypeをもつ症例,あるいはmosaic例も少数ながらあることが知られるようになった。しかしKaryotypeと臨床像との関係については,まだ十分知られていない。
 われわれの経験した症例は,精神薄弱施設のスクリーニングテストによって発見された。詳細な染色体分析の結果,これまでに報告の少ない46,XY/47,XYY/48,XXYY mosaic例であることが分った。本症例の特異な精神症状に注目し,内分泌学的異常および性染色体異常について検討したので報告する。

短報

精神分裂病とHLA抗原

著者: 浅香昭雄 ,   岡崎祐士 ,   苗村育郎 ,   十字猛夫 ,   宮本光子 ,   石川文之進

ページ範囲:P.1370 - P.1373

 中核型精神分裂病患者136名について,HLA抗原の表現型頻度を検討した。A9(Aw 24),A10(A 26),Bw54の頻度は上昇し,B40の頻度は減少していた。いままでの諸外国での報告と比較してみると,重い人格荒廃を特徴とする慢性進行型の患者は,A9(Aw 24)との関連が想定され,いわゆる破瓜型の患者はA10(A 26)との関連が示唆される所見を得た。

古典紹介

Ph. Chaslin—Groupe Provisoir des Folies Discordantes〔Éléments de Sémiologie et Clinique Mentales, Asselin et Houzeau édit., Paris, p.772-p.838, 1912〕—第3回

著者: 小泉明

ページ範囲:P.1375 - P.1383

考察Remsrques générales
 不統一と不統一精神病Discordance et folies discordantes--私が不統一精神病という一般的題名で記載してきた諸型は,それぞれ,独立した精神病の独立した一型であろうかあるいは一つの精神病の現われに過ぎないのであろうか?これらの諸型を共通につなぐ「不統一」という鎖は,はたして,それらを一つの精神病にまとめるには十分であろうか?--これらの問いに答えることをせずに済ませたい。私は臨床だけではこれまで,問題を解決することができなかったし,疾病分類をしていたのではないことを十分に言ってきたからである。臨床型type cliniqueという言葉は何ものをも予断させない。
 たとえそれが何であるにせよ,臨床的にはcliniquement,これらの諸型にはつながりがある。つまり,移行型des formes de passageがある様である。そして結局,諸不統一精神病は,かなり大ざっぱに,病初期,不統一期,終末期の三期を経過するように思われる。

動き

第13回日本てんかん学会印象記

著者: 大熊輝雄

ページ範囲:P.1385 - P.1387

1.てんかん研究会から日本てんかん学会へ
 第13回日本てんかん学会総会は,昭和54年10月19日(金),20日(土)の2日間にわたって長崎市長崎大学医学部において,長崎大学精神神経科高橋良教授が会長となって行なわれた。学会前日から第1日にかけて台風が日本列島を襲ったが,長崎は学会の2日間とも好天にめぐまれ,全国各地から約350人が参加してきわめて盛会であった。
 今回のてんかん学会は,従来の日本てんかん研究会から,正式の学会としての「日本てんかん学会」にと発展した第1回の学会である点で,わが国のてんかん研究の歴史のうえで大きな意義をもっている。日本てんかん研究会は,文部省の研究班として昭和42年(1967年)に発足し,第2回の会合(昭和43年)で日本てんかん研究会と呼称することになり,その後毎年1回ずつ研究会を開催し,semiclosedの形で運営されてきた。しかし,近年わが国でのてんかん研究者の数がますます増加し,またてんかんの研究は精神神経科,小児科,神経外科,神経内科などの臨床分野はもちろん,神経科学をめぐる基礎医学領域をも包括した学際的な研究活動が要請されるようになったので,わが国におけるてんかん研究をさらに推進するためには,本格的な学会の設立が必要とされるにいたった。このような背景のうえに,昭和53年(1978年)日本てんかん研究会が発展して日本てんかん学会となり,本年第1回(日本てんかん研究会から通算して第13回)の学術集会および総会が開催されるにいたったのである。

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精神医学 第21巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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