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文献詳細

雑誌文献

精神医学21巻12号

1979年12月発行

文献概要

展望

精神分析学の最近の動向—ドイツ編

著者: 河田晃1

所属機関: 1名古屋大学医学部精神医学教室

ページ範囲:P.1281 - P.1289

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Ⅰ.歴史的展望
 K. Abrahamによって1910年にDeutsche Psychoanalytische Gesellschaft(DPG)が組織され,K. AbrahamとM. Eitingonによって1920年に,精神分析の世界的発展の原動力となったとも言うべきBerliner Psychoanatytisches Institut(BPI)が設立された戦前ドイツにおける精神分析の歴史についてここであらためて述べる必要はないであろう。そこに登場する多彩な人物とその活躍について語ることはそのまま当時の世界の精神分析の歴史の大半を語ることになると言っても過言ではない。また,1933年にナチスが政権をとるや,ユダヤ人の迫害とともに精神分析が消滅寸前にまで追い込まれた事実もよく知られたところである。DPGは1936年,国際精神分析学会からの分離を余儀なくされ,同じ年,BPIは,M. H. GoringのひきいるDeutsches nstitut fttr psychologische Forschung und Psychotherapieに併合されて,独立した身分を失い,ついで1938年,DPGは解体することになったのである。当時すでに多くの精神分析学者が亡命しており,Goringの研究所で精神分析を代表したのは,Müller-Braunschweig,Boehm,Kemper,Schultz-Henckeらの数名に限られていた。しかもこの研究所では,Freudの名も精神分析の主要な概念もタブーであり,オーソドックスな立場のMüller-Braunschweig,Boehmらは,教育活動をも,出版をも禁止され,ただ一人Schultz-Henckeのみが,その修正主義的立場のために,自由な活動を許されていたのである。
 上述の事情のために,1946年にDPGが再建されたとき,多数を占めたのはSchultz-Henckeを中心とするグループであった。1949年,チューリッヒでの国際会議でこの再建されたDPGは,国際精神分析学会の支部として正式には承認されなかった。この会議をきっかけに,Müller-BraunschweigとSchultz-Henkeとの公然の対決が始まった。そして1950年,Müller-Braunschweigを中心とする少数派がDPGを離れてDeutsche Psychoanalytische Vereinigung(DPV)を組織し,BPIを再建することになった。DPVは1951年,国際精神分析学会の支部と認められたが,DPVが本格的な発展を始めたのは,再建されたBPIで,Müller-Braunschweigの指導のもとに新しい研究者が養成されて以後のことである。当時BPIで教育を受けた人としては,H.-E Richter,W. Auchter,U. Ehebald,W.-D. Grodzicki,H.-J. Seeberger,H. Godeke,M. Schmidt,G. Maetzeらがいる。彼らの多くは,後に西ドイツ各地に分散し,そこで指導的な役割を果たすことになる。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-126X

印刷版ISSN:0488-1281

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