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雑誌目次

論文

精神医学21巻6号

1979年06月発行

雑誌目次

特集 創刊20周年記念 第2部

狼男の精神分析

著者: 土居健郎

ページ範囲:P.564 - P.572

I.はじめに
 狼男というのは,Freudが1918年に発表した「一幼児期神経症の歴史から」1)と題する症例研究の主人公のことである。彼がそう呼ばれるに至ったのは,この論文の中では彼に幼時あったと信ぜられる狼恐怖のことが最も詳細に考察されているからである。彼は元来ロシアの大地主であって,後に紹介するような事情により,1910年1月から4年半にわたりFreudの分析治療を受けた。彼は1886年12月の生まれであるから,治療開始当初23歳になっていたことになる。上記の論文はしかし,その題名が暗示するごとく,彼が成人してからの出来事にはほとんどふれず,もっぱら彼の幼時の性的体験,殊にその産物とされる狼恐怖の分析に重点をおいている。これは論文冒頭の註が明らかにしているように,当時起きたJungおよびAdlerの離反に衝撃を受けたFreudが,幼児性欲の重要性を臨床材料により,あらためて明示することを目的としたからであると考えられる。
 私は以下に上記のFreudの論文と更にその主題である狼男の精神分析それ自体を批判的に考察しようと思う。そのことが可能なのは一つに狼男に関してFreudの論文の他にもかなり豊富な資料が存在するからである。まず,彼が後に再発した時の治療を受け持ったRuth Mack Brunswickが1928年に発表した論文2)がある。更に,その頃から彼と知り合いになり後に分析医となったMuriel Gardinerの発表したいくつかの記録がある。彼女は1972年,FreudとBrunswickの狼男についての論文,狼男の書いた自伝およびFreudについての想い出,それに彼女自身の記録を加えて「狼男とSigmund Freud」と題する一書3)を発表しているのである。
 以下「狼男の病歴」,「発病の背景」,「分析治療の効果」,「後日譚」の順序で記すつもりである。

内因性精神病の人間学的理解—「内因性」の概念をめぐって

著者: 木村敏

ページ範囲:P.573 - P.583

Ⅰ.単極性うつ病における内因性
 いわゆる「内因性」精神病の発病機制についての精神病理学・身体病理学両側面からの検索が進むにつれて,従来漠然と「原因不明」の意味で用いられてきた「内因性」の概念は改めてより精密に規定しなおさなくてはならなくなった。この問題に正面から取り組んだ研究としては,最近では周知のTellenbach, H. 36)のエンドン論があるが,エンドン論に対する評価は後に述べることにして,われわれもひとまずTellenbachと同様いわゆる「単極性うつ病」を出発点にして,その発病に至る経過をいくつかの節目で押さえておきたい。
 中年以降にかなり特異的な状況変化にひき続いて典型的な抑うつ病像をもって発病する単極うつ病(笠原・木村11)によるうつ病分類の「第Ⅰ型」)は,その頻度5)の上からも,治療過程の全体が見渡しやすい点からも,病前人格や発病状況についての精神病理学的知見がかなり出揃っている点からも,内因性精神病の発病機制を考えてゆく上で絶好のモデルを提供してくれるものと期待できる。

Apathy Syndromeをめぐって

著者: 笠原嘉 ,   成田善弘

ページ範囲:P.585 - P.591

Ⅰ.まえおき
 約十年前から,著者の一人笠原は,青年後期から成人期にかけての男子にみられる「特有の」無気力を精神科医の批判に耐えうるかたちで記述しようと,いささかの努力をはらってきた。現代の社会文化現象とでもいうべきcultural apathyではなく,かなり限定的な特有の病理的無気力の輪廓を呈示しようとしたものである。「大学生にみられる特有の無気力」2),“student apathy”1),「神経症性アパシー」3),「選択的退却反応」4),「退却症」5)などと次々と冠する各称を変えてきたのも,より高度に限定的であろうとしたためである。
 さて,記述のための初期的作業は一応昨年の論文5)で目的を達したつもりでいる。大学生対象のcampus psychiatryに発したこの研究は,当然のことながら最初大学生症例の紹介を中心としたが,上記の論文においては高校生例から三十歳台のサラリーマン例までが掲げられた。もはやスチューデント・アパシーと称しにくくなった所以である。また,最初から鑑別上気にしていた分裂病(単純性)との関係が否定できることもそこで述べられた。

児童精神医学における最近の諸研究—自閉症研究の位置づけとその将来的意義

著者: 牧田清志

ページ範囲:P.593 - P.603

I.はじめに
 「児童精神医学における最近の諸研究」という題目を課せられて,その幅の広さに当惑し編集部と打合わせを試みたところ「やはり自閉症の問題に焦点を絞っていただきたい」という返事がかえってきて正直なところウンザリしている。ということは自閉症に関することはかなりあちこちで書かれており,小説や戯作と異なって短時日の間にそう変ったことを書くこともできず,最近では自閉症研究に関する勝れたモノグラフや論文も数多くわが国の研究者によって発表されているので,今更筆者の如き老骨が出る幕でもないと思うからである。しかし与えられた課題に対応するために筆者は個々の研究紹介ということよりもむしろ歴史的(縦軸的),技法的(平面的)なperspectivesから自閉症研究に関する筆者なりの見なおしを試みたいと思う。

同一性障害と病院精神医学

著者: 岩崎徹也

ページ範囲:P.605 - P.612

I.同一性の概念をめぐる論議
1.はじめに
 同一性identityということばが,わが国の精神科領域で用いられるようになってから,すでにかなりの年月がたっている。周知のようにこの概念は,はじめ1950年代にアメリカの精神分析学者E. Erikson4,5)によって精神医学界に提出され,その後心理学,社会学,教育学等々広い分野にわたって,さかんに用いられるようになっている26)。それにもかかわらず,いざこの用語,概念についてのErikson自身による定義を検討してみると,意外に明確に整理された記述がない。そればかりでなく,彼自身による同一性をめぐる概念規定はかなりあいまいであるとの批判もある。
 そこで,むしろここでは彼の業績を総合的な視野を介してわが国に紹介してきている小此木17,25)による記載に基づいて説明することから始めたい。さて,同一性ということばは,しばしば多義的に用いられるものであるが,より厳密にはその下位概念として,集団同一性group identity,自我同一性ego identity,自己同一性self identityなどが区別されている。集団同一性group identityとは,「一定の集団との間で是認された役割の達成,共通の価値観を共有して得られる連帯感・安定感に基礎づけられた自己価値,および肯定的な自己像を意味する17)」。そしてその集団の種類によって,たとえば国家同一性national identity,家族同一性family identity,職業同一性professional identity,性同一性sexual identity等々をあげることができる。これに対して自我同一性ego identityとは,それらの「各同一性を統合する自我の統合機能に即して17)」用いられる概念であり,人格の一構造とそれに基づく機能を意味する。また,自己同一性self identityとは,これらの同一性を「自己意識に照らした際に感じられる意識的な感覚17)」を意味する。

多発梗塞性痴呆をめぐる2,3の問題

著者: 松下正明 ,   石井毅

ページ範囲:P.613 - P.624

I.はじめに
 多発梗塞性痴呆というテーマで以下述べてみたいと思うことは,老年期の痴呆の発症にあたっての血管性病変の果たしている役割,本症の痴呆の特徴,痴呆と脳病理との関連,原因などをめぐっての,最近の研究の動向とわれわれの研究の一端についてである。主として臨床-病理学的立場に立っての見方で,生化学,生理学的変化のような形態学の背景にあるメカニズムや,より臨床的な痴呆の治療や看護,予後についてはここでは述べる余裕がない。
 脳動脈硬化性精神病あるいは痴呆の概念が批判され,医学のなかで最も頻繁にみられるmisdiagnosisであるといわれて久しく26),最近ではHachinskiの提唱したMulti-Infarct Dementia多発梗塞性痴呆17)という名称が好んで用いられるようになってきた。たしかに,脳動脈硬化性という形容によって包含されている疾患は,その名称の枠をはるかに越えてひろがり,正しい病理形態学の裏付けに欠けることによって,その名は不適当といわざるを得ないが,脳血管性痴呆か多発梗塞性痴呆かといった議論は,いずれにしても梗塞の原因が血管因性であってみれば,言葉の遊戯に等しく,実りあるものとはなりえない。しかし,世界的にはこの名称が広く用いられてきており,この論文でもそれに倣うが,意味するところは,脳血管性痴呆とほぼ同一の疾患と理解される。
 しかしこれはあくまでも痴呆の話であって,頭痛,目まい,不安,焦燥,抑うつといった痴呆への前駆期にみられる症状のみの場合は,従来どおり狭義の脳動脈硬化症といわれる。また老年期での神経症,脳動脈硬化症,多発梗塞性痴呆の初期の3者の境界は必ずしも厳密に分けられるものではない。そのような3疾患の接した領域についての議論はこの論文では触れず,すでに痴呆の完成した,多発梗塞性痴呆について,テーマを限定していくことにする。

病院精神医学におけるリハビリテーション研究の問題

著者: 竹村堅次

ページ範囲:P.625 - P.636

I.はじめに
 専門誌「精神医学」の20周年記念特集号への寄稿で,著者自身まず想起することは,同誌第1巻1号に「退院後の分裂病者のケース・ワークについて」と題する研究報告を掲載してもらったことである1)。冒頭から私事にわたり恐縮であるが,実はこの報告が本稿で真先に述べるべき内容の出発点に当たると思うので,敢えて20年以上も前の足と時間を惜しみなく使ったあげくにできた小論文を多少の感慨をこあて振り返ってみたいと思ったのである。当時はソーシャル・ワークとかPSWなどの用語も人もなく,ただ病気再発の初期の兆候を,経過も含め自から詳しく眼のあたりに確かめてみたいと思い,2年間にわたり20数例の在宅者の訪問指導をコツコツと続けたのであった。関連の文献などあまり考慮しなかったが,あとでいろいろ聞いてみると,1959年(昭和34年)頃といえばアメリカでは薬物開発の影響もあってか,退院後の分裂病者のフォロー・アップが医師以外のメンバーも交じえて実践的に研究されつつあったという。それが4年後のケネディ大統領のかの有名な「精神病および精神薄弱に関する教書」となって,その後のアメリカの精神衛生対策に多大の影響を及ぼしたのだと合点される。20年後の今日では,その後の合衆国の対策の経過や動きが(ヨーロッパ諸国のそれも含めて)どうなっているか,多くの紹介記事(とくに「精神医学」誌上)で周知の事実となっているのでここではこれ以上ふれないが,問題はやはり精神分裂病罹患者のリハビリテーション(以下リハ)は極めて難しく,とくに日本ではなお多くの社会経済的制約によりこの研究が二重に困難な状況に置かれているということであろう。
 著者は過去20年にわたる烏山病院でのリハの実践活動を主軸に病院精神医学におけるリハ研究の問題を報告したいと思うが,以下第Ⅱ部で述べる再発をめぐる長期にわたる研究は依然として重要であり,リハがいかに進展したとしても精神欠陥後遺の問題とともに今後も専門技術を駆使して対応していかなければならぬと考えている。第Ⅲ部ではリハと中間施設の問題が中心となるが,これらに関する報告は実に多くの文献となって残り,烏山病院の実践の記録も,1971年に出版された精神科リハビリテーション(医歯薬出版)2)にいちおう集大成された。したがって,その後の約7年間におよそどの程度までリハが進展しまた研究が進んだかが報告の主体となるが,私は中間施設の研究もさることながら,そのなかみの濃い部分は実際には臨床チームの諸問題と長期在院者の問題であり,然るのち精神病院からみた中間施設の論議をわが国の精神衛生対策の実情に即して(厳密には研究とはいえない部分もあるが)建設的に述べてみたいと思う。第Ⅳ部は1978年4月に発表された中央精神衛生審議会(中精審)の「精神障害者の社会復帰施設に関する中間報告」についての検討である。これは精神病院のリハはいかにあるべきかについて,はじめて正面から取り組んだ報告が中心となっており,識者の間で多大の関心を呼んでいる。したがって今後のリハ研究の焦点となりつつあるが,本稿では主として烏山病院の経験と現状に照らし,この中精審報告と対比するとき,リハの未来像のみならず主として社会政策的,医療経済的側面からも多くの興味ある示唆が得られたものと考えていることにも論及してみたい。

地域精神医学の立場とわが国における可能性

著者: 岡上和雄

ページ範囲:P.637 - P.649

I.はじめに
 地域精神医学あるいは地域社会精神医学なることばと内容は概して一般受けがしない。それはたぶん地域精神医学そのものの考え方が従来の医学の流れに棹さすものを含むからであるが,一方で転換の要請―それはかぎりない収容による人の運命の固定化への危惧といってよいと思う―に比べ,それに対応する方法がはるかに遅れているためでもあろう。知られるようにわが国では現在,地域精神医学が進展すれば果たされるであろう全国的な結果を得ていないし,その上この面での先進国からの情報も必ずしもポジティブなものだけではない1)。したがって全体的に明るい見通しをもつものとはいいにくいが,それでも精神科臨床の日常性のなかにその要請はある。
 周知のように欧米では,地域精神医学の発達は精神分析の知識に負っているといわれるが,その要請自体は特定の医学上の立場ないし特定の疾病観を必要とするものではない。
 本稿では,わが国における地域精神医学をふり返ることが求められているのであろうが,アメリカのそれ2)のように全般的軌跡を描くには,展開そのものが局地的に過ぎる。しかも最後に一言ふれるが,個々の実践に基づく近来のすぐれた報告は身近かにそれぞれ存在すると考えてよいであろう。したがって,ここでは初心・原則的なことにもどって若干の整理-再整理を試みることとした。地域精神医学は,病人ないしクライエントと地域社会との関係を主軸に歴史を捨象しても描けるのかもしれないが,その方法はとらなかった。また,地域精神医学は特定の疾病・状態を対象とするものではないが,ここでは一応分裂病圏の問題にしぼることとした。それらの理由の一部は便宜的なものであり,他は後で多少ふれることとする。

研究と報告

入院森田療法を受けたいわゆる職業性けいれん患者の追跡調査

著者: 鈴木知準

ページ範囲:P.651 - P.658

I.はじめに
 1830年頃,Sir Charles Bellによってはじめて職業に関する特殊の運動障害のうち,書字に関するものに,書痙の病名がつけられたという3)。これは,はじめは器質的なものと多くの学者に考えられて記述されていたが,1930年頃になって心理的な原因によるものと考えられ,論ぜられるようになった。これらの心因論は内山11)や阿部1)によるとFarmer,Janet,Pai,Culpin,Gloverなどによって論じられたという。
 日本では森田が1931年に神経質の精神病理によって書痙の起こることを発表している7)。この時に森田は,書痙が多くの場合,対人恐怖と関係ありとした。黒川5),岩井2)も対人恐怖との関係を考えている。その後Schulzは自律訓練によって効果あることを述べており10),わが国では,1960年頃に笠松4),村上8)が,予期神経症として記述している。1959年に山田はこの職業性けいれんの発呈は,緊張異常体質によるものとし,森田の神経質と異なるとして論じ14)ているが,われわれの考察するところでは森田の神経質でもそれと極めて近い緊張異常を起こすと思われる。
 森田は5例の書痙入院患者の治験例を述べ,更に茶を飲む時に手がふるえてこぼしてしまう2例の患者を茶痙と称してあげている7)。黒川や山内も,コップや酒杯や徳利をもつ場合に手のふるえるけいれんが現われることを述べ,山田はパチンコ遊戯のとき手のけいれんを「いわゆる職業性けいれん」の中に入れて論じている。当診療所の入院者にも近縁の症状として,客に茶を出すときに手が強度にふるえてこぼしてしまう(主訴)(会社で茶を出す役)1例,人前でお茶を飲むときこぼしてしまう(主訴)の1例,更に人前で手のふるえのために杯の酒をこぼしてしまう2例があり,1例はそれが主訴,1例は対人恐怖と同程度に強く訴えるものであった。この論文の題として,「いわゆる職業性けいれん」という言葉を用いたので,これらは一応職業性とは幾分ずれるところがあるため,本論文では除くことにした。職業性けいれんで入院を希望するようなものは,一般にとらわれの強度の例が多く,治療に時日を要するものが多い。
 森田が1931年に発表しているにもかかわらず,それ以後森田療法の治療発表は少なく,一般の学会でも森田療法の効果の大なることについての認識が少なく,内山も情緒障害辞典13)に,行動療法,自律訓練,催眠法,精神分析,心理劇を治療法として述べているが,森田療法についてはふれていない。
 内山11,12)は行動療法により,前田9)は自律訓練により,安部1)は自律訓練と行動療法の両方を用いて,書痙の治療を行なっている。その予後についての報告は,内山は6名について系統的脱感作法後6〜24カ月で調査し,治療直後と大差がないと報告し,阿部は1964年,1965年に自律訓練,催眠と書字訓練を14例行なったものに予後を問い合わせて(その間隔が記載されていない),直後より更によくなっていると記述している。また,岩井2)は外来面接の催眠-森田療法による書痙の治療例をあげているが,いまのところその予後調査は発表していない。

一卵性双生児の一方に現われたAnorexia Nervosaの1例

著者: 山岡正規 ,   日下部康明 ,   柄沢弘幸

ページ範囲:P.659 - P.665

I.はじめに
 1874年Gull, W. W. によって命名されたanorexia nervosa(an. n.)は,20世紀前半ドイツを中心に下垂体障害説が主張されたが,その後再び心因説が有力になり,本邦でも梶山7),石川ら6),下坂10)をはじめ多くの心理学的,精神病理学的研究が発表されてきている。しかし,原因論をめぐって,その本態は必ずしも明確ではなく,たとえば心身相関の症候群であるとしても,その裏付けは決して容易ではない。それは内因性精神病から神経症に至るまで,個体と環境の二大条件が病因論として常に問題にされてきたように,その実証の困難性が一つの背景にある。このような中で,方法論的拠りどころの一つが双生児研究であろうが,双生児に発症したan. n. の報告は,一致例,不一致例を合わせても数少ない。今回われわれは一卵性双生児の一方にのみ発症したan. n. の1例を経験したので報告し,特にその発症について心理的側面から考察する。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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