老年期における痴呆とその形態学的背景
著者:
松下正明
ページ範囲:P.823 - P.834
I.はじめに
初老期や老年期にみられる器質性痴呆(以下,痴呆)は,変性疾患や脳血管障害の発症頻度が高くなることより,他の年代にみられる痴呆と比べて,はるかに多様多彩な像を示すようになる。痴呆と一口に言っても,その具体像がいろいろであることは,Alzheimer-type dementia, Pick-type dementia, Huntington's dementia3)といった疾患名に形容された痴呆,cortical dementia, subcortical dementia19),limbic dementia5)のような脳の解剖学的部位によって特徴づけられた痴呆などの,諸報告をみても一目瞭然であろう。
脳器質性疾患という一つの大きな領域を考えると,痴呆の原型ともいうべき進行麻痺や老年痴呆(Alzheimer病を含む)を中心に,隣接した精神分裂病,躁うつ病,てんかんなどの領域との中間に,それぞれに類似したタイプの種々の痴呆が配置されるといった構造をとっている。たとえば,Pick病を例に出せば
<症例1>14) 死亡時57歳の,元来変人と評されていた大学卒の男性。48歳再婚当時,夏でも靴下を2枚はく,米をといでおくと冷飯を中に入れてかきまぜる,自己中心的な性格などの奇矯さが目立っていたという。52歳,母や妹とぐるになって自分の財産を盗るといって妻を訴え,判事に異常性を指摘されている。54歳頃より,異常な言動が明らかとなってきた。下着を1年間も換えようとしない,畳の上に靴のままで上ってくる,警察に無用の電話をする,往来にむかって大声で話しかける,日中より窓や雨戸をしめきる,役所につとめているが,話がとんちんかんで,仕事にならない,終日椅子に坐っているだけ,夜出勤したり,洗面所に小便したりする。精神分裂病の診断で某病院に入院中,都合で松沢病院に転院。たるんだ表情,落ち着きがなく,無遠慮,表情乏しく,診察に拒否的,自分勝手にしゃべるのみで,会話ができない,茫乎,無気力,無関心,嫌人的で他人との接触がない,話かけてもそっぽをむきしらぬ顔,尊大で怒りっぽい,人間味がなく冷たい,不潔でだらしがない。記憶,記銘や計算力については検査に応ぜず不明だが,ときに正答することもある。問いの了解が悪い。喚語困難,保続症があり,話題の転換ができない。徐々に語彙は減少し,四肢の抵抗症,把握反射がみられてきた。肺膿瘍の喀血で急死。脳は1,250g。両側側頭葉の限局性萎縮,とくに第2〜3脳回がつよい。組織学的には,側頭葉第2,第3,第4脳回が最もつよく侵され,帯回,島回でも軽い細胞脱落があった。前頭葉,眼窩脳には著変がない。
この例は,高度の判断力障害,異常行動,対人反応の欠落,"Denkfaulheit",滞続言語,感情の鈍麻,言語了解の障害など典型的なPick病タイプの痴呆であるが,本病の特徴の一つとして,病初期,往々にして精神分裂病と誤診されることを挙げることができる14)。主として,側頭葉型Pick病にみられ,対人反応の障害,拒絶症,感情の冷化など,まさに精神分裂病のそれと類似した症状を呈することは,この疾患が脳器質性疾患のなかで,精神分裂病圏と接した領域に位置していることを物語り,さらに論を拡げればPick病の研究が精神分裂病の症状発現機序解明への一つの手がかりとなることを示唆しているかのようである。
また,Huntington舞踏病の初期,精神分裂病と誤診されることが多いこともよく知られていることで,最近dopaminergic systemとの関連で,精神分裂病の背景に基底核の機能障害があることが指摘されていることを考えれば13),Huntington's dementiaも精神分裂病圏に近接した領域に位置していることが想定される。
症例の供覧は省略するが,Progressive supranuclear palsyにおいても,特有な痴呆がみられることが知られている。Albertによれば1),1)忘れっぽさ,2)思考過程の緩慢化,3)感情と人格の変化(無感情,無関心,抑うつ,刺激性,多幸症),4)獲得した知識を処理する能力の障害の4つの特徴が挙げられる。とくに第1の忘れっぽさは,真の記憶障害とは異なり,時間をかけ,力づけしながら質問すると正答が得られることより,記憶の系列を正常の速度で機能させるためのtiming mechanismが障害をうけることにより生ずる症状で,みせかけの忘れっぽさといえるという。このような痴呆像は,視床変性症,小脳変性症,パルキンソン病,前頭葉障害などでみられる症状とも類似しており,行動のプログラミングの障害,あるいは言語刺激と行動反応との時間的遅延などの,前頭葉障害による症状との一致が指摘されている。
このような種々のタイプの痴呆の発現理由は必ずしも充分に明らかにされていないが,最も考えうることは,病変の局在性の違いということであろう。老年期の痴呆を診断するにあたって,これらの痴呆の特徴が脳のどの部位の障害と対応するのかを,まず考慮する必要がある。とともに種々の痴呆の発現メカニズムを知ることによって,それと類似した各種の内因性精神病への原因追求へのアプローチを得ることができることも期待できる。