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雑誌目次

雑誌文献

精神医学21巻8号

1979年08月発行

雑誌目次

巻頭言

矯正精神医療の基盤

著者: 大津正雄

ページ範囲:P.812 - P.813

 (1)イギリス公衆衛生の先駆者達は最初はすべて社会改革論者であって医師でもなければ学者でもなかったと言われるが,合から200年前,ジョン・ハワードをヨーロッパの病院と監獄の改良運動にかりたてた人道主義精神は正に産業革命の生んだおとし子であった。彼は当時医師すら顧みようとしなかった病人,犯罪者等の単なる隔離,抛置,終焉の場所にすぎなかった病院と監獄の悲惨な状態をつぶさに書き記し,それをあくまでも治療,社会復帰の場所に改良しようとして一生を捧げ,最後は僻地のペスト救援に倒れた。しかし医者でも学者でもない彼の名は医学史に,矯正の歴史に大きな足跡を残した。今もなお各国で人道主義活動を行なっているハワード協会やセント・エリザベス病院の有名な犯罪精神病院ハワード施設に彼の精神はうけつがれている。バーナード・グリユック,オーバーホールザー,ベン・カープマン等の著明な精神医学者を社会精神医学の分野に送り,また,カープマンの説くno punishment,treatment onlyのスローガンは犯罪者といえども精神障害が認められれば当然優先的に治療の対象となるべき旨を規定したDurham Ruleを生んだ。
 約100年前,アメリカの若き宣教医師ベリーは神戸,大阪等の病囚の診療にあたり,その余りにも悲惨なる状態に驚き自発的に改良に志し大久保利通を動かして,73項目にわたる報告書に基づく犯罪者処遇の改善を促し,はじめて中央に監獄局が設けられる緒口をつくり,わが国の矯正改革の先駆者としてまた,日本最初の看護婦養成学校の指導者として日本の医療史と,矯正の歴史にその名を刻んだ。医療福祉と矯正福祉はもともと同じ歩調で進んで来たのである。

特集 老人の精神障害—東京都精神医学総合研究所,第6回シンポジウムから

老年期痴呆の臨床—疫学と診定上の問題

著者: 長谷川和夫

ページ範囲:P.814 - P.823

Ⅰ.まえがき
 近年,本邦における人口の高齢化により老年医学あるいは医療の問題は多くの関心を集めている。精神医学の領域においても例外ではない。
 ことに老年期にみる痴呆性精神疾患は,病因が不明であることから,原因療法が確立されず,多くは介護に終始するのが現況であり,社会的対策にせまられている。

老年期における痴呆とその形態学的背景

著者: 松下正明

ページ範囲:P.823 - P.834

I.はじめに
 初老期や老年期にみられる器質性痴呆(以下,痴呆)は,変性疾患や脳血管障害の発症頻度が高くなることより,他の年代にみられる痴呆と比べて,はるかに多様多彩な像を示すようになる。痴呆と一口に言っても,その具体像がいろいろであることは,Alzheimer-type dementia, Pick-type dementia, Huntington's dementia3)といった疾患名に形容された痴呆,cortical dementia, subcortical dementia19),limbic dementia5)のような脳の解剖学的部位によって特徴づけられた痴呆などの,諸報告をみても一目瞭然であろう。
 脳器質性疾患という一つの大きな領域を考えると,痴呆の原型ともいうべき進行麻痺や老年痴呆(Alzheimer病を含む)を中心に,隣接した精神分裂病,躁うつ病,てんかんなどの領域との中間に,それぞれに類似したタイプの種々の痴呆が配置されるといった構造をとっている。たとえば,Pick病を例に出せば
 <症例1>14) 死亡時57歳の,元来変人と評されていた大学卒の男性。48歳再婚当時,夏でも靴下を2枚はく,米をといでおくと冷飯を中に入れてかきまぜる,自己中心的な性格などの奇矯さが目立っていたという。52歳,母や妹とぐるになって自分の財産を盗るといって妻を訴え,判事に異常性を指摘されている。54歳頃より,異常な言動が明らかとなってきた。下着を1年間も換えようとしない,畳の上に靴のままで上ってくる,警察に無用の電話をする,往来にむかって大声で話しかける,日中より窓や雨戸をしめきる,役所につとめているが,話がとんちんかんで,仕事にならない,終日椅子に坐っているだけ,夜出勤したり,洗面所に小便したりする。精神分裂病の診断で某病院に入院中,都合で松沢病院に転院。たるんだ表情,落ち着きがなく,無遠慮,表情乏しく,診察に拒否的,自分勝手にしゃべるのみで,会話ができない,茫乎,無気力,無関心,嫌人的で他人との接触がない,話かけてもそっぽをむきしらぬ顔,尊大で怒りっぽい,人間味がなく冷たい,不潔でだらしがない。記憶,記銘や計算力については検査に応ぜず不明だが,ときに正答することもある。問いの了解が悪い。喚語困難,保続症があり,話題の転換ができない。徐々に語彙は減少し,四肢の抵抗症,把握反射がみられてきた。肺膿瘍の喀血で急死。脳は1,250g。両側側頭葉の限局性萎縮,とくに第2〜3脳回がつよい。組織学的には,側頭葉第2,第3,第4脳回が最もつよく侵され,帯回,島回でも軽い細胞脱落があった。前頭葉,眼窩脳には著変がない。
 この例は,高度の判断力障害,異常行動,対人反応の欠落,"Denkfaulheit",滞続言語,感情の鈍麻,言語了解の障害など典型的なPick病タイプの痴呆であるが,本病の特徴の一つとして,病初期,往々にして精神分裂病と誤診されることを挙げることができる14)。主として,側頭葉型Pick病にみられ,対人反応の障害,拒絶症,感情の冷化など,まさに精神分裂病のそれと類似した症状を呈することは,この疾患が脳器質性疾患のなかで,精神分裂病圏と接した領域に位置していることを物語り,さらに論を拡げればPick病の研究が精神分裂病の症状発現機序解明への一つの手がかりとなることを示唆しているかのようである。
 また,Huntington舞踏病の初期,精神分裂病と誤診されることが多いこともよく知られていることで,最近dopaminergic systemとの関連で,精神分裂病の背景に基底核の機能障害があることが指摘されていることを考えれば13),Huntington's dementiaも精神分裂病圏に近接した領域に位置していることが想定される。
 症例の供覧は省略するが,Progressive supranuclear palsyにおいても,特有な痴呆がみられることが知られている。Albertによれば1),1)忘れっぽさ,2)思考過程の緩慢化,3)感情と人格の変化(無感情,無関心,抑うつ,刺激性,多幸症),4)獲得した知識を処理する能力の障害の4つの特徴が挙げられる。とくに第1の忘れっぽさは,真の記憶障害とは異なり,時間をかけ,力づけしながら質問すると正答が得られることより,記憶の系列を正常の速度で機能させるためのtiming mechanismが障害をうけることにより生ずる症状で,みせかけの忘れっぽさといえるという。このような痴呆像は,視床変性症,小脳変性症,パルキンソン病,前頭葉障害などでみられる症状とも類似しており,行動のプログラミングの障害,あるいは言語刺激と行動反応との時間的遅延などの,前頭葉障害による症状との一致が指摘されている。
 このような種々のタイプの痴呆の発現理由は必ずしも充分に明らかにされていないが,最も考えうることは,病変の局在性の違いということであろう。老年期の痴呆を診断するにあたって,これらの痴呆の特徴が脳のどの部位の障害と対応するのかを,まず考慮する必要がある。とともに種々の痴呆の発現メカニズムを知ることによって,それと類似した各種の内因性精神病への原因追求へのアプローチを得ることができることも期待できる。

中枢神経系の老化とその超微形態—とくに原線維変化と老人斑について

著者: 小柳新策

ページ範囲:P.834 - P.846

I.はじめに
 われわれにとって,老化はさけ難い現象であり,とくに中枢神経系(CNS)はそれを構成する神経細胞が再生能を失った細胞群,つまり固定性分裂終了細胞群(fixed postmitotics)に属するため,個体の老化においては特異の立場にある。すなわち神経細胞の寿命が個体の寿命であるという考え方がある一方,老年痴呆やアルツハイマー病のように痴呆を主症状とする疾患としての老化現象があることは重要である。
 本論文ではCNSの老化構造につきまず一般的なことを述べ,次いでこれらの老化構造のうち,老年痴呆やアルツハイマー病に特徴的にみられるアルツハイマーの神経原線維変化と老人斑についてその超微形態を述べる。著者自身の剖検例での経験をもとにして,歴史の比較的新しい電子顕微鏡がこれら病変の実体解明に寄与した点に重点をおきながら,同時に著者が1974年にやや詳しく行なった総説26,27,28)に若干の補足をすることにする。なおこれ以外の構造についてはその総説や著者の最近の論文30,31)を参照していただければ幸いである。

予後と治療について

著者: 加藤雄司

ページ範囲:P.847 - P.855

I.はじめに
 このシンポジウムで筆者に与えられたテーマは,老人の精神障害の治療と予防に関する問題である。ここでいう「老人の精神障害」の中には,老化,ことに中枢神経系および中枢神経系の血管の病的な老化に伴う精神障害,すなわち器質性の精神障害と,このような意味での病的老化とは直接的には結合しない,いわば非老化性,機能性の精神障害とをともに含むことになる。長谷川,松下,小柳の3講師は,このうちことに病的老化に基づく,器質性の,臨床的には痴呆を中心症状とする疾患について,その疫学,臨床,病理,さらには中枢神経系の病的老化の超微形態にわたる広範なお話をされたが,筆者は機能性の精神障害をも併せて述べたい。しかしながら,このような前提に立つとこの中に含まれる疾患,病態は極めて広いものとなり,その全体を網羅して限られた時間内で述べることはできないのでPittの最も簡単な分類8)に即して老人の精神障害の代表的なものに限ってその治療を中心に,予防と予後とも結びつけながら述べたいと思う。

基礎的諸問題とまとめ

著者: 石井毅

ページ範囲:P.855 - P.857

 小柳は,老年精神障害のうち最も一般的な老年痴呆,アルツハイマー病の脳の超微形態的変化について,数々の新しい知見を提示した。そのうち,筆者にとってとくに印象に残ったのは,一つはアルツハイマー原線維変化の成因に関するものであり,他は老人斑についてである。
 アルツハイマー原線維変化が人の老人脳にのみ見出される,特徴的な変化であることは周知のとおりであるが,これの成因についてさまざまの説がある。ことに,正常神経細胞内に存在する線維構造に由来するのではないかという考えは,すでにアルツハイマーがこの変化を見出した当時からあった。それゆえに,原線維変化(Fibrillenveränderung)と名付けられたのである。今日では,神経細胞の正常線維構造に関する知識は当時とは比較にならぬほど,よく分ってきた。そして,神経細胞内の線維構造も他の身体細胞と異なるものでなく,微細糸(microfilament,アクチン),神経細糸(neurofilamentまたはfilament),および微細管または神経細管(MicrotubuleまたはNeurotubule)の3種類から成ることが分っている。神経細胞は長い突起をもつために,このような線維構造がよく発達している。小柳が超微形態的に神経細胞内の神経細糸とアルツハイマー原線維変化の移行を直接写真で図示したのは,卓越した業績といわねばならない(これについて筆者は最近,牛脳より抽出した神経細糸蛋白を抗原として兎に抗体を作り,螢光抗体法によってアルツハイマー原線維変化内に神経細糸蛋白の存在することを証明したが,未だ発表に至っていない)。しかし,どのような原因で,人の脳内にだけアルツハイマー原線維変化が生じるのかは未だ分っていない。

研究と報告

内因性精神病と主要組織適合抗原

著者: 宮永和夫

ページ範囲:P.859 - P.865

I.はじめに
 現在まで,内因性精神病(以下精神病と略す)の成因1,9)について数多くの仮説が提示されているが,明確な答は出されていない。ここに述べる主要組織適合抗原(HLAと略す)は,主として,移植免疫学の分野で研究発展をとげ2),現在では難病をはじめとする種々の疾病への関連性が明らかにされてきたものである。
 精神病とHLAの関連性については,すでに1974年のCazzulloら12)以来,いくつかの報告が行なわれているが,現在のところ,抗原性の相違があり,未だ完全な一致をみるに至っていない。
 一方,今日まで日本人において,HLAと精神病との関連性の有無を論じた報告はない。われわれは,現在までの諸外国の報告と自験例を比較検討しながら,精神病の免疫説および,HLA抗原の存在する第6染色体上の精神病発症の誘発または抑制遺伝子の存在可能性を提示したいと思う。

心気神経症のライフサイクル的考察

著者: 野中幸保

ページ範囲:P.867 - P.879

I.はじめに
 神経症は,主に誘因とパーソナリティという,2つの大きな要因のかかわりの中で理解される。パーソナリティの発達障害と,それに及ぼす誘因との関係は,S. Freudが精神分析理論を発展させる中で,指摘していることは周知のとおりである。
 しかし,神経症はまた社会的存在としての人間性の病理とも考えられ,社会的要因を考慮に入れる必要もある2)。これまで神経症の病像や成因が患者の社会的条件(例えば,性別,学歴,職業,社会的地位など)だけでなく,個人を越えた時代文化的な特徴との関係があることも明らかにされている5,9)
 ところで,E. H. Erikson1)(1959)は,精神分析,児童分析,比較文化論,ならびに対人関係論的見地を踏まえた,自我心理学の立場から,epigenesisなる概念を提唱し発展させた。つまり,人格の社会心理的側面にみられる世代心理の特性に注目し,人間行動の理解を深めようとしたのである。この彼の考え方の起源は,Freudの口愛期,肛門愛期,男根期,エディプス期といった,リビドー発達論にさかのぼることができる。ところが,Eriksonは,Freudの幼児期への重視限定を越えて,しかも人間性の成長発展を社会とのかかわりの中から捉え,広く人生そのものを8段階に分け,各世代の特徴を明らかにしたのである。つまり,(1)基本的信頼と基本的不信,(2)自律性と恥と疑惑,(3)積極性と罪悪感,(4)生産性と劣等感,(5)同一性と役割の混乱,(5)親密さと孤独,(7)生殖性と停滞,(8)自我の完全性と絶望,がそれらである。
 さらに西園7,8)(1972)はこのライフサイクル説をふまえて,新しい神経症論を展開している。それによると,幼児期での種々の体験や対人関係といった要因が強く作用し,世代的特徴の少ない神経症と,世代心理との絡みで生じやすく,世代的特徴をよく現わしている神経症とがあることをつきとめている。これは,Freudが初期に提唱した,精神神経症psychoneurosisと現実神経症actualneurosisという,神経症二元論的理解の現代版であるとしている。
 ところで,心気神経症は精神的葛藤を身体症状として訴えるものと理解される。そしてそれは,人間の基本的不安の一つである生命喪失の不安にかかわるものであるだけに,すべての世代に起こりうるものである。ただ,それが具体的に心気神経症として表現されるには,患者のパーソナリティや心因が関与し,それらの違いによって症状構造も多様化している。例えば,西園・田辺ら6,10)(1969,1973)は心気神経症には,(1)焦点の定まらない多彩な身体症状,(2)身体感覚の増大,(3)身体病の確信,(4)医師の説得,保証に反応しない,(5)精神生活を話題にしない,という5つの臨床的特徴があると指摘し,中核群と辺縁群に類型分類して詳細に論述している。その中で,心気的態度に重点を置き,一つの心気神経症としての疾患単位を確立している。
 今回,私は心気神経症の理解を深あるため心気神経症をライフサイクル的立場から考察を加え,その特徴について論じたい。

入眠時幻覚を動機として憑依状態を呈した1例について—祈祷性精神病(森田)理解への一寄与

著者: 関根義夫

ページ範囲:P.881 - P.887

 1)入眠時幻覚を動機とし,義姉の宗教的暗示により愚依状態を呈した28歳独身女性の1例を報告した。
 2)憑依現象は,その発生にシャーマン文化の存在が濃厚に関係しており,この文化圏では,この現象は病的状態とは考えられていないため,憑依現象を呈する人は,「病識」を持つことの困難な場合のあることを述べ,本例においても,これにより説明した。
 3)元来,憑依状態を呈しやすい要因として問題とされてきた知能あるいは批判力欠如は,必ずしもその必要条件ではないことにも言及した。

周期性うつ病者の1例に試みた中間期療法の経験

著者: 巽信夫

ページ範囲:P.889 - P.895

I.はじめに
 近来,(殊に単相性)内因性うつ病の病前人格,心的力動,および発病状況等に関する知見には,うつ病の本態への理解を深めるうえでも多くのすぐれた研究報告のあることは,すでに木村1)の展望にもみるとおりである。
 ただ,せっかくのこれらの蓄積もその治療的応用の点になると,抗うつ剤の画期的な進歩,開発の前にまだまだ影がうすく,今後に課題を残す形になっている。
 この背景には,"病相期そのものの加療には,その病態の性質上どうしても薬物をはじめとする生物学的治療に依存せざるを得ず,かつ相応の効果をおさめること"さらに"病相期以外は原則的に正常の姿に戻り(遷延,慢性例は別),その際には医療的関与を必ずしも必要としないこと"をはじめ後述するような諸要因にはばまれ,治療者,被治療者ともどもに治療的関心が病相期に絞られがちという事情もあずかっているようである。
 更に,数回以上にわたり毎回等間隔で病相の訪れるタイプに出会うと,うつ病自体に内在する周期性という自律的変化の視点に先入され,治療的にもより生物学的方法に力点がおかれがちになる(生物学的治療接近を軽視しているわけでないことを念のため断わっておく)。
 今回,たまたま毎年の定期的なうつ状態の陥りに悩む中年患者に出会い,病相〜回復後を通じ2年近く治療的関与を継続し,そのより本質的な治療局面にまで展開する機会を得たので報告する。
 殊に中年期以後のうつ病者においてこのような実践はなかなかの困難を伴い,むしろ稀でもあろうが,原理的にはすでに予想されていることを具体的に確認し得,また治療的関与を通じ病前人格の病理的側面が一層浮き彫りにされ,うつ病相もその延長線上の一コマとして把握する観点に近づき得たのである。
 なお,病相期以外の治療場面では抗うつ剤その他の薬物は使用せず,かつ精神療法においては,その本来のあり方に即し,あくまでも当人の自発自展を尊重し,その目標にそった歩みの方向を見失わない程度に適宜助言するといった態度で臨んできた。
 またより事実に即するため患者からの報告を何よりも素材とし,それ故本稿もできる限り本人の言葉で語るよう心がけている。この点からも本報告は筆者と患者との共同作業の結果であることをあらかじめ断わっておく。

古典紹介

Hans Jörg Weitbrecht:Offene Probleme bei affektiven Psychosen

著者: 伊東昇太

ページ範囲:P.897 - P.905

 情動精神障害の臨床により深く関係する人が当惑を覚えるのは,今日の知見でもっても十分保証されたと思える疾患について,躁うつ病がそうである如く,われわれが原則的な点で初心のままということだ。内因精神病の領域での効果的な詳細な研究の基本的仮説は,なお解明を待っている。みた目には大変うまく組合わされたそしてまとまった精神医学各論の体系,そしてその機械的な応用を表面的に一瞥して知らされる以上に,すべてはまことに流動的である。Luxenburgerがかつて純臨床的に躁うつ病の体質圏を越えたところにある危険な明確さを口にしたのはもっともなことである。研究と考察の突風がまもなく起きるであろうフェーン訳注)の一日の晴間にこれはすぎない。情動精神病の精神病理学が,大体分裂病の問題点のような同じ興味を著者らに呼び起こさなかったのは疑いない。ちなみに始まったばかりの第3帝国の年代までの第1次世界大戦終了時代に,有意義な刊行があとをたたなかった。私は,有名になったGauppの神経学雑誌78巻(1922年)の分裂病の巻冊とハイデルベルク学派によるBumkeの全書の中の分裂病の叙述のみ思い出す。1928年の内因性および反応性情動疾患そして躁うつ病体質についてのJ. Langeの全書分担は,同じ水準に達していた。でもこの著作は大変とび離れたものではあった。大体,情動精神病を取り扱った論文の数は分裂病についやされていたそれに劣っていた。これはわれわれの専門の中央雑誌を見て判るように,その後になっても原則的に変りはしなかった。
 何故に情動精神病が眩惑的な分裂病より僅かな研究しか育てあげなかったかの理由は,少なくもいく分は悲哀と陽気,抑制と興奮の心理的にたぐり寄せられない根拠のなさの確認で誰もしばしば満足したことにあったのは疑えない。発揚と抑制,収縮と拡張,生体の緊張の亢進とその減少という,いつも格別はっきり目をみはらせた生命構造の対極因子の半ば古きをたっとび,半ばは近代的なこの一切の形式は,凹面鏡を介したように情動精神病に現われているように思えたし,また循環精神病の身体的基礎のかなりの説明をここに求めているように思えた。分裂病の場合はこれとは逆で,妄想世界の奇妙な聖なるものと精神過程の新種の形式障害は,現象学的にまた発動力学的に新開拓地の研究開発をそそのかし,また脳局在論的研究からこの精神病の神秘聖讃に至るすべて仮定できるニュアンスを含めた理論仮説の勘案をそそのかした。

動き

第1回日本生物学的精神医学研究会に参加して

著者: 高橋良

ページ範囲:P.907 - P.910

 精神医学の中で科学的研究方法が比較的支障なく行なわれる領域は遣伝学や神経病理学であったことは歴史の示す通りであるが,第2次大戦以後,神経生理学や生化学,殊に近年は精神薬理学や神経化学,行動科学などの基礎科学の急速の進歩によって,精神疾患の本態と治療に関する臨床的研究が世界で活発に行なわれるようになった。科学的研究の立場はこのような精神疾患の生物学的背景の研究に重要であるのみではなく,疾病診断分類や疫学的研究,発病因や予後に関する社会心理的研究,精神療法や社会復帰療法の評価,更には比較文化精神医学の領域など精神医学の全分野にとって極めて重要である。しかしわが国の精神医学の伝統と戦後の経済復興によって,わが国の生物学的精神医学の研究レベルは先進国のそれに伍しているといっても過言ではないようである。すでに米国ではbiological psychiatryの学会が大戦直後から行なわれていて,今年度は34回の年次総会が5月10日から3日間シカゴで開催されている。この学会は今回の日本生物学的精神医学研究会の発起人になった方々の数人がすでに正会員となっておられるように米国人以外の学者も審査を受けたのち会員になれるようになっている。しかし,近年次第に各国で独自にこの種の学会が設立されるにつれ,国際的交流を目標にこれらの各国の学会や団体の世界連合の会議を開催する動きが起こり,第1回が1974年にブエノスアイレスでProf. E. Fischer会長のもとに行なわれた。1978年にはバルセロナでProf. C. Ballús Pascual会長が第2回の国際会議を開催し,第1回,第2回ともわが国の研究者からも多くの発表がなされた。このような趨勢の中で米国のbiological psychiatryのわが国の会員の方々を中心に発起人ができ世界連合に加盟できる研究会を形成する気運が生まれ,今回の第1回日本生物学的精神医学研究会が開催されることになった。昨年のバルセロナの国際会議では第3回の会議の副会長の一人にわが国の研究会の事務局長である福田哲雄教授が選出された。
 さてこのようにして生まれたわが国の研究会の第1回の学術集会が昭和54年3月8日,9日久留米大学精神科の稲永和豊教授を会長として,久留米市医師会館で開催された。第1回目のため主として発起人の研究者を通して公募された一般演題と特別講演2題,シンポジウム一つがプログラム委員会によって構成され,発表された。会場には2日間にわたり若手から長老まで300人ほどの精神科医が参加して熱心な発表と討論がくりひろげられた。

第20回日本神経学会総会の印象

著者: 大熊輝雄

ページ範囲:P.911 - P.913

Ⅰ.第20回を迎えた日本神経学会
 日本神経学会の第20回総会が,1979年(昭和54年)5月9,10,11日の3日間,日本医科大学新城之助教授を会長として,東京都の国立教育会館で開催された。参会者は1,500人近く,会場はとくに若い参会者たちの活気に溢れ,盛会であった。
 今回の総会は,いわば日本神経学会の創立20周年を記念する学会である。日本神経学会が日本精神神経学会から事実上分離して発展してきたことを考えると,それが20歳の成年を迎えるにいたったことにたいして,精神医学の側からも心から祝福のことばを贈りたいと思う。また,こういった機会に,精神医学と神経学との関係をあらためて考えてみることも必要であるように思う。

第22回日本病跡学会印象記

著者: 福島章

ページ範囲:P.914 - P.915

 1966年に日本病跡学懇話会が発足して13年になる。1979年5月18日(金),ブリジストン美術館ホールで行なわれた総会は通算22回目にあたるが,この会は実は日本病跡学会として新たな歩みを始めた最初の総会でもあった。それにふさわしく,平日の挙行であるにもかかわらず,会はほぼ満席の盛況で,朝9時から夜8時まで,充実した研究発表と討論が続いた。また総会会長の徳田良仁先生の御尽力で名門美術館で開催できた上に,名画の鑑賞や,館長嘉門安雄氏の特別講演「世紀末芸術家のマザーコンプレックス」,美術評論家瀬木慎一氏のシンポジウムへの参加など,斬新な企画も成功し,印象深い一日であった。
 以下には,当日の講演の中から,近年の病跡学の動向を示すいくつかを紹介してゆきたい。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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