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雑誌目次

論文

精神医学21巻9号

1979年09月発行

雑誌目次

巻頭言

International League Against Epilepsy(ILAE)について

著者: 和田豊治

ページ範囲:P.922 - P.923

 この度,わが国で第14回国際てんかん学会総会が2年後の1981年に,しかもともに近縁関係にある国際神経学会と国際脳波学会の総会と同じ時期に互いに続いて行なわれることになった。これはいずれの学会ともはじめてアジア地区で―というよりは発会以来はじめて西欧の地を離れて開かれる正に画期的な出来事であり,当事者一同がひとしく重責を感ずるところである。
 ところで,このてんかん学会国際会議の主催は日本てんかん学会と日本てんかん協会がhostで,それにILAE(国際抗てんかん連盟)とIBEすなわちInternational Bureau for Epilepsy(国際てんかん協会)が共催の形をとるのであるが,これは一見したところ他学会と名称や組織などの点で趣を異にするという印象を与えるであろう。実はここにてんかん研究の国際体制の特殊性が潜んでいるのであるが,しかしその辺の事情は本邦ではあまり知られていないので,以下それについて記して大方のご理解を得たいと思う。

展望

精神分析学の最近の動向—フランス篇

著者: 三好暁光

ページ範囲:P.924 - P.933

Ⅰ.フランスにおける精神分析学の系譜
 S. Freudは4度パリを訪れている7,12)
 最初は奨学金を得てのSalpêtrière留学で,パリ滞在は一番長く1885年10月13日から1886年2月28日までの4カ月半であり,この際のCharcotとの出会いが彼のその後の研究の導火線となった。今も,地下鉄Luxembourg駅近くの小路に,「1885年から1886年にかけてS. Freudがここに滞在した」と書かれた石板のはめ込まれている建物があり,1886年1月1日のCarl Koller宛の手紙に「ぼくはあと2カ月ここに,LE GOFF通りのHôtel Brésilにいます……」21)とFreud自身書いているから,ここがパリ滞在中の下宿になっていたのであろう。他の多くの神経病医との出会いも許嫁のMartha Bernaysへの手紙に書かれている21)が,Charcotへの傾倒は熱烈で,滞仏中から許可を得て彼の臨床講義の独訳を始めている。下坂氏の指摘のとおり,その一部の佐藤恒丸氏による邦訳22)が恐らくFreudの書いたものの日本紹介の最初であろう。それはさておき,その後の3度は1889年夏NancyにLiébault, Bernheimを訪ねて催眠を学んだあとと,1910年Nurmbergでの精神分析の国際会議の折と,そして,最後に1938年Nazisの圧迫を逃れてロンドンに亡命する途上の滞在である。いずれも短期間で,最後の折のMarie Bonaparteを除いて,フランスの分析家との密な交わりはなかったようである。1914年に発表された「精神分析運動の歴史について」20)でFreudは,フランスにおける最初の理解者としてMorichau-Beauchantの名をあげている。この人はポワチエPoitiersの医学校ではじめて精神分析を教えた(1912年)人である。ついでボルドーBordeauxのE. Rgéis教授とA. HesnardがHesnard医師の兄O. Hesnard(この人は文学博士でベルリンのフランス学館創設者である。のちにグルノーブルGrenobleの大学医長となり,1938年に亡くなった)にすすめてFreudのいくつかの論文を翻訳させ雑誌L’Encephale誌上に発表し,1913年に一冊の本にまとめてパリのAlcan社(のちのP. U. F.)から「Les Psycho-analysedes névroses et des psychoses」として発行したのがフランスにおけるまとまったFreud紹介のはじめであり,それが第一次大戦勃発に先立つ数カ前のことである。荻野が述べているように13),P. Janetの思想がフランスにおける精神分析理解の一つの素地を作ったことは確かであろうが,1913年のロンドンの国際医学会でのJanetの講演は精神分析に好意的ではなく,「意に反して私は精神分析を台なしにしている誇張や幻想を示さなくてはならない……」と述べ,Freudも前述の「歴史」20)でJanetのこの時の言葉を取り上げて,「パリでは,Janetの見解を一寸ばかり言い換えて繰り返したことだけが立派なものとされ,それ以外は駄目なものとされた」と論駁し,この両大家の相反はついに解けることがなかった。

研究と報告

東京都における緊急措置入院制度に基づく入院者の実態

著者: 雪竹朗

ページ範囲:P.935 - P.943

I.はじめに
 51年11月から行なわれた東京都の緊急措置入院制度(精神衛生法,29条の2)に基づく入院1)の集中化は,当該病院の松沢病院だけでなく,在京の精神科医療従事者,さらには全国の公立病院のなかでも物議をかもした問題であった。ここではその議論には直接ふれない。松沢病院としては,この集中化を,望ましい精神科医療の発展のための一つの踏み台となることを願って協力してきた。たまたま筆者に緊急措置入院制度の結果入院する男子保護病棟(保護室のみ20床)を担当する機会があったので,その2年間に直接対応した事例を中心に,緊急措置入院制度による入院者の実態を以下にまとめておく。今後の当局の施策や精神科医療従事者の実践にいくらかでも参考になれば幸いである。

瓜二つ妄想についての一考察—思春期発症の2症例を通して

著者: 高橋俊彦 ,   本城秀次

ページ範囲:P.945 - P.952

I.はじめに
 病者の身近にいる人物が瓜二つであるがまったく別の人物と入れ替っている,と訴える症例については1923年Capgrasら1)が,illusion des sosiesとして報告して以後,フランス語圏を中心に症例の報告がなされてきたが,最近日本でも報告がいくつかみられるようになった2〜10)。そして諸家は,その症状の特異さの故にカプグラ症候群(syndrome de Capgras)として特別の単位の如く扱ったり,あるいは精神病の一症状としてのウエイトしか置かなかったりして,一定しない。
 ところで「瓜二つ妄想」の発現はある程度年齢が高くなってからといわれている。従来の報告によれば多くは30歳以上であり,10歳台のものはわれわれの知る限りわずかにTodd11)の報告した17歳の少女とMoskowitz, J. A. 12)の12歳の症例ぐらいである。
 今回われわれは13歳と15歳に「瓜二つ妄想」を発した男女2症例を経験したので,その若年齢であることに注目して報告し,若干の精神病理学的考察を試みたい。

青春期と初老期のうつ病に関する考察

著者: 乾正 ,   頼藤和寛 ,   村上光道 ,   辻悟

ページ範囲:P.953 - P.961

Aetatis praecocitas sive declinatio quosdam ad morosin disponit. (Thomas Willis)
青春と老いらくは人によりて気欝のもとなり。(T. ウィリス)
I.はじめに
 「うつ病」とよばれる病態の本質が脳内アミンの枯渇1)であれ,喪失と悲哀2)であれ,あるいは「学習された救いのなさ」learned helplessness3)であれ,いずれにせよ停滞と銷沈に特徴づけられるこの状態はわれわれにとっては,ごく親しいものである。
 このうつ病を内因性,反応性,神経症性などの類型に分かつという,従来踏襲されてきた医学的分類は今日の臨床の場ではすでにその有効性を失っているように思われる。人間を精神と身体に分離して把握する立場を棄て,これを「心身統一体」として理解しようとするならば,「内因」―おそらくは最終的には生物学的水準における物質的な変動に帰せられよう―としての情動の動きが,そのまま直截的にうつ病とよばれる病態に発展するとは考え難い。主体のこの情動の変化を制御し,社会的存在としての自己を安定したものに留めておこうとする営為の側面が様々な契機によって変容し,うつ病の発症にある決定的な役割を演じているのではなかろうか。ここでうつ病は,病者が自己の人生を如何にとらえるかという姿勢と無縁ではなくなり,この意味でうつ病にはその時代の社会的・文化的背景が色濃い影響を与えているはずである。
 ここに青春期と初老期(退行期)という対比的な2つの位相を取り上げるのは,これがともに人生の移行期―これはとりもなおさずその人の生に必然的な状況全般の変化を強いる危機Krise4)を準備する―として,うつ病の好発期にほぼ一致し5,6),また両者の異同と発病状況・病前特性を考察することによって,うつ病の理解を深めようと試みるためである。
 統計資料に関する問題点の指摘に次いで,症例を混じえて青春期・初老期のうつ病について考察を行ないたい。

飲酒理由とアルコール乱用(その1)—愛隣地区単身労務者の調査から

著者: 小杉好弘 ,   辻本士郎 ,   益本佳枝 ,   田中美苑

ページ範囲:P.963 - P.970

I.はじめに
 いうまでもなく,過剰飲酒はアルコール中毒者にとって必須の条件であり,その飲酒理由は抗しがたい強迫的な欲求とされている。
 このような病者の飲酒理由は飲酒の初期の頃からすでに何らかの特徴を示すものなのか,またその疾病の過程でどのように変化するものなのか,こういった点の研究はアルコール中毒の診断や原因へのアプローチとして興味ある課題であり,また,予防の上からも重要と思われる。
 そこで,研究の手はじめとして,愛隣地区単身労務者を対象に,飲酒理由とアルコール乱用との関係,それらと性格とのかかわり合いなどについて調べ,若干の知見を得たので報告する。

伊予の犬神,蛇憑きの精神病理学的研究

著者: 稲田浩 ,   藤原通済

ページ範囲:P.971 - P.979

Ⅰ.緒言
 憑依信仰とは,「自分の身に起こった不幸や心身の異常が他者の憎悪に由来するものと考え,また時にはその憎悪している人間や動物の霊魂が自己に乗り移り,自己の体を借りて語り,行動することもある」という考え方である。精神医学的には憑依状態とか人格変換現象とか呼ばれており森田1,2)がそれに類する状態を祈祷性精神病と命名して以来,数多くの研究報告1〜8)がある。しかし,そのほとんどは症例の対象が入院あるいは外来患者であり,その場合にとられる症例あるいは病像は,いわゆる精神病に限定されている。著者らは今回,四国の憑きものの代表である犬神,蛇愚き等について,四国の霊峰石鎚山のふもとにある愛媛県のO村において憑きものに関する研究を地域の中に入って行なった。犬神憑き等の中心症状は人格変換現象であるが,人はその行動を,犬神筋の人の霊的力のせいだと信じ,憑かれた人物を中心に周囲の者,シャーマン,更に憑いたとされる人が集まり,お互いが一種の感応状態を呈し,心理劇ともいえるものが演じられ,精神医学的には一定の特徴的な病像および経過がみられ,明らかに通常の精神病とは区別される。心因としては特殊な社会文化的背景,その中での人間関係,そこでのはけ口のない受動的攻撃的感情が重要な位置を占めている。

向精神薬服用中にみられる周期性四肢麻痺

著者: 福井秀明 ,   池田久男 ,   佐藤光源 ,   日笠尚知 ,   大月三郎

ページ範囲:P.981 - P.989

I.はじめに
 周期性四肢麻痺とは,家族性あるいは散発性に,周期的かつ一過性に,主として下腿とくに腓腸筋の緊張および筋肉痛,ついで四肢の脱力から始まり,躯幹筋に及ぶ麻痺症状を呈する症候群である1)。通常は家族性発症で,麻痺発作中の血清カリウム濃度によって低カリウム性,高カリウム性および正カリウム性に分類されている2)。遺伝性,家族性発症以外にも血清カリウム濃度の著しい変化によって,原発性アルドステロン症,甲状腺中毒症,renal tubular acidosis,Bartter症候群などは低カリウム性の四肢麻痺を,無アルドステロン症,副腎皮質機能不全あるいは慢性腎不全などは高カリウム性の四肢麻痺を症候性に呈する2)
 外国では遺伝性ないし家族性発症が約60%と数多いけれども,本邦ではほぼ5%と極めて少ない3)。わが国での周期性四肢麻痺の特徴は低カリウム性で,甲状腺機能亢進を伴っているものがほぼ半数を占め,男女比も20:1と圧倒的に男に多いことである3)
 ところで,向精神薬服用中の患者に周期性四肢麻痺発作が発症することが時折観察される。従来この種の報告はなく,われわれはかかる症例9例を経験したので,今回,その臨床的特徴を報告する。また,周期性四肢麻痺が糖代謝と深く関係していることは周知のことであるが,向精神薬の服用によっても糖代謝異常が出現することもいわれているところで,これらの症例について服用中の薬剤を検討するとともに,50g経口糖負荷試験により耐糖能とインスリン反応を検索したので合わせて報告する。

幻覚・妄想を伴ったPickwick症状群の1例

著者: 磯野五郎 ,   星昭輝 ,   久場川哲二 ,   田村喜三郎

ページ範囲:P.991 - P.998

I.はじめに
 睡眠過剰(hypersomnia)20)を呈する代表的疾患にnarcolepsyとPickwick症状群(PWSと略す)がある。前者には多彩な精神症状が随伴することが知られているが10,11,24),PWSに関しては性格特徴が報告されているのみで,3,6,21,23),少なくとも本邦においては,精神障害と判断されるような精神症状を伴った例は未だ報告されていない。海外においても,われわれが調べた範囲では,幻覚(幻視)を伴ったGuillerninaultら6)の例の他には夢中遊行様のエピソードが報告されているにすぎない4,6)
 今回,われわれは幻聴や関係・被害念慮などの異常体験を伴ったPWSの1例を経験したのでポリグラフとともに報告し,若干の考察を試みたいと思う。

Paroxysmal Kinesigenic Choreoathetosisの精神医学的側面—7症例の経過観察から

著者: 川原隆造 ,   田中雄三 ,   上田肇 ,   与儀英明

ページ範囲:P.999 - P.1005

I.はじめに
 運動によって誘発される発作性の不随意運動(paroxysmal kinesigenic choreoathetosis)についてはGowers(1901)5)がreflex epilepsyとして報告したが,その後,家族性発生がみられることからfamilial paroxysmal choreoathetosis17)と命名され錐体外路系疾患群に属すると考えられた。以来,本疾患に関してはてんかん性のものかあるいは単なる錐体外路系疾患群に属するものかについて未だに論議が続けられている2,3,8,10)
 著者らは,5年間以上経過観察した7例を通じて,本疾患の症状発現に関する精神的因子と治療上注意すべき精神医学的問題点について検討したので報告する。

短報

分裂症様の精神症状と意識障害を伴った卵巣腫瘍の1例

著者: 海老原英彦 ,   松田ひろし ,   八島章太郎 ,   三室泉 ,   木村章

ページ範囲:P.1007 - P.1009

I.はじめに
 内分泌疾患は,症状精神病の原因疾患としてしばしば取り上げられ,Bleuler. M. はendokrines Psychosyndrom1)という概念を提唱している。しかしこれまでの報告例をみると精神症状を惹起しやすい内分泌疾患は,下垂体や甲状腺あるいは副腎の疾患が多く,性腺疾患,特に卵巣腫瘍に伴う症状精神病の報告は少ない。この趨勢は,最近出版された成書2,3)にも記載がないということからも窺うことができる。
 最近われわれは,精神分裂症の緊張病型に類似した精神症状をもって発病し,やがて意識障害に陥り,その経過中に卵巣腫瘍の介在が疑われ,開腹手術による卵巣腫瘍の摘出とともに精神分裂症様の精神症状と意識障害が消褪した1例を経験した。分裂症様の精神症状と意識障害を伴う卵巣腫瘍の報告例は珍しいと考えられる。

古典紹介

Karl Kahlbaum—Die Katatonie oder das Spannungsirresein—Eine klinische Form psychischer Krankheit

著者: 迎豊 ,   市川潤 ,   佐藤時治郎

ページ範囲:P.1011 - P.1026

 この小冊子の中で著者が意図したのは,2カ所の精神病院勤務中に集めた病者観察の資料を,特別な主題のもとに詳細に検討し,それを一連の論文として発表することである。その一部は,著者が東プロイセンのアレンベルグ州立精神病院でケーニッヒスベルグ大学の学生に対して行なった臨床講義を基にしている。メランコリーやマニーなどよく知られた類型による分類は,特別な疾患類型の分類には通用しないと判断するのが支配的になっているのに,これまで出版された精神医学教科書はまだ特殊例をその枠の中に嵌めこんでいる。そのため著者は,講義やベッドサイドの供覧の際,教科書の記載にわざわざ言及することをやめ,臨床的方法に従って,聴講者に疾患像を説明しようと決心した。その診断のためには個々の病者にみられる生命現象ができるだけ多く援用されており,またその疾患の全過程が考慮されている。最もよく一致する諸症状を要約し,純経験的な境界設定をすることによってもたらされる疾患形態群が,部分的かつ間接的にしかこれまでの疾患類型と合致しないことは,聴講者には容易に理解された。そればかりか,その疾患形態に基づく診断学は,次の可能性をもたらした。つまり,病者の当面の状態から遡って,先行した経過がより確実に組み立てられる一方,ごく一般的に,生命や健康についてのみならず,症状学的に多様な病像を呈する病相についても,今後,どのように展開していくかを,これまでの分類学視点のそれよりも一層高い蓋然性をもって解明するのである。著者の症例観察の大部分はすでに7年以上も前に完了していたが,当地の私立精神病院を引き受け,新体制をつくるなどの事情により早期の発表はできなかった。今や当地での症例,いわば異なる社会圏から集められた観察例によって,著者の以前の供覧やそれから得られた結論の正しさが完全に立証されたし,同僚との多面的検討により新しい疾患類型が発表に値すると立証された。それゆえ,著者はもはや公表をたあらわない。
 この間,精神医学的研究の方向も本質的に変化し,かつ精緻となった。詳細な解剖学的裏付けのない特殊な精神医学的疾患観察がすべて疑いの眼でみられた時もあった。多大の労力を注ぎ,多大の熱意をもって遂行された病理学的・解剖学的諸研究は,広範かつ貴重な資料をもたらしたが,精神疾患の成因やその生体内におけるきわめて多彩かつ本質的な形態の解剖学的基礎については,何一っ基本的見解を産み出さなかった。そこで今や次の見解が次第に一般的となってきた。つまり,初めに臨床病理学の方法に従い疾患例を包括的・臨床的に考察し,その経験的資料を整理,精選せねばならない。詳細な解剖学的検討を加えつつ研究をおし進めるための精神医学的基盤はそのようにして整えられる必要がある。今や,メランコリー,マニーなどについての解剖学的検索はまったくの徒労であることが分った。なぜなら,これらの類型は各々,他の状態類型とさまざまな関連のもとに生じ,それ自体が内的な疾患過程の本質的表現であるとは見做しえないからである。それは,例えば,熱という症状群あるいは水腫という集合現象が特定の器質的疾患にとってその特徴的な本質の表現であるとか,その特殊なありかを示しているとは言えないのとほぼ同じである。

動き

精神病理懇話会・富山Ⅱ,印象記

著者: 木村敏

ページ範囲:P.1027 - P.1029

 昨年にひき続いて今年も第2回の「精神病理懇話会・富山」が,5月31日から6月2日にかけて富山市郊外の呉羽ハイツで開かれた。この会の生い立ちについては,第1回の印象記(佐藤壱三:精神病理憩話会・富山,精神医学,21(1);105,1979)に述べられているから繰り返さないが,今回もやはり高柳功氏をはじめとする8名の実行委員の方々(河合義治,刑部侃,高柳功,武内徹,谷野亮爾,高田信男,平野正治,福田孜の諸氏)の並々ならぬ努力によって開催されたものであることだけは,なにはさておいても特筆しておかなくてはならないことだろう。この方々はすべて,大学などの研究機関に属することなく,臨床の第一線で日夜診療に従事しておられる多忙な方々である。そのかたわらこれだけの大規模な,しかも日本の精神病理学界の代表的な研究者を集めた学会を企画し,運営してゆくということは,想像も及ばないような御骨折りであっただろうと思う。この紙面を借りて心から御礼を申し上げたい。
 全国規模の精神病理学の学会が久しく中断している現在,この懇話会の存在が意味深いものであることは改めていうまでもないだろう。私自身にとってもこの「富山学会」は年1回のこの上なく楽しみな予定になろうとしている。全国の多くの精神病理の学徒たちにとっても同じだろう。大都市の大会場でのいささか無機的な学会と違って,地方色豊かな小都市郊外でのどちらかというと簡素な施設を使っての「手造り」の学会は,精神病理学という学問の性格ともよく合っている。当初試みに3年間に限ってということだったが,望みうるものならば今後もずっと存続させていただきたいと思う。現在おそらくは世界中で最も活発であろうと思われる日本の精神病理学にとって,この「精神病理懇話会・富山」はさしずめその象徴的な存在になるだろうと考えられるからである。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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