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雑誌目次

論文

精神医学22巻1号

1980年01月発行

雑誌目次

巻頭言

地域精神衛生体制について

著者: 菅又淳

ページ範囲:P.2 - P.3

 日本の地域精神衛生制度もできてからすでに14年以上になった。不十分な制度といわれながらもこれだけの年月が経過すれば何とか体をなすもので,精神衛生センターのバックアップのもとに,保健所を第一線機関としての地域精神衛生体制ができ上がってきている。いわば日本独特の体制といえるもので,この基本体系の上に今後何をつけ加えて完全なものに近づけてゆくかが問題と私は考えている。
 むろんこの体制が非常によいシステムであると私は思っているわけではない。できればこれと根本的に別な体系であったらよかったと思っているし,現体制の欠点は山積していて,とても満足というところからは程遠いのであるが,この点はここでは取りあげない。ただ先進国の地域精神衛生体制はうまくいっていて,日本だけが駄目だとよくいわれるし,私もよく書いたものであるが,諸外国の実情を具体的にあたってみると,彼らが誇らしげに宣伝しているほど実際はうまくいっているわけではないようである。パリの13区とか,ニューヨークのダッチェスカウンティなどは,パイロットスタディ的に模範的実験が行なわれたもので,それぞれの国で全国津々浦々までこのとおり実施されているわけではないのである。このような先進国でも,地域ケアがまったく施こされてない地区があるはずである。全体としてはわが国の地域精神衛生体制が先進国のそれよりは劣っていることは否定できないが,日本が全然駄目だと自棄的になる必要がないことをこの頃感じているので,まず述べてみたわけである。

特集 幻覚

序論

著者: 宮本忠雄

ページ範囲:P.4 - P.4

 一昨年の第1回に引きつづき,昨年も5月31日から6月2日にかけて第2回の「精神病理懇話会・富山」が富山市郊外で催された。その概略は本誌でも木村敏氏によって適切に報告されているので,ここでは省略することにして,ただちに,同懇話会2日目の6月1日午前に開かれたパネルディスカッション「幻覚」について述べよう。
 まず「幻覚」というテーマの選択であるが,これは,一昨年の参加者からのアンケート結果を見ても希望が多かったためと,第一回のテーマ「妄想」との連続性などを考慮しながら,慎重に決定した。もちろん,日本だけでなく海外における幻覚研究の現状を考えれば,「幻覚」というテーマが果たして賢明な選択だったかどうかはわからない。一昨年のパネルディスカッションでは司会の笠原嘉氏が「世界の妄想研究をみても近年あまり目新しいものがない」という意味のことを冒頭で強調されたと記憶しているが,同じことは幻覚の分野でも当てはまるし,あるいはそれ以上に研究が停滞しているとも言える。筆者が3年まえに他誌で「幻覚研究の精神病理学的展望」を行った時にもそういう印象はつよかった。そこでも述べたように,戦後の幻覚研究はなんといっても1950年代がピークで,症候論的にも方法論的にも各種の実り多い成果があげられたし,日本でも1962年の日本精神神経学会総会(松本)のシンポジウムで「幻覚」が取り上げられた。ただし,その後は散発的に幻覚関係の論著が発表されるものの,注目に値するほどの研究は出ていないように見受けられる。

19世紀以降における幻覚概念の展開

著者: 大橋博司

ページ範囲:P.5 - P.10

I.はじめに
 「幻覚」hallucinationの語源はギリシア語のαλνω(またはαλνω)からであり,Liddle & Scottの辞書を引いてみると,“to be deeply stirred, excited”とある。引用例としてはHomerosにαλνω=in mad passion,また医学的用語としてはHip Pocratesにto be restless,名詞形としてδαλνsはagitationとなっている。ラテン語はālūcinor(またはhallūacinor)で,やはりto wander in mind,talk unreasonably,etc. があり,名詞形としてalucinatioも挙げられている。
 現代(近代)精神医学における幻覚の古典的定義として「対象なき知覚」“perception sans objet”という句がよく書かれているが,この語が誰の言葉であるのか判明でない。しばしばEsquirolの名が挙げられるが,少なくとも彼の著書の「幻覚」の項には,この言葉を発見することができない。またBall(1890)に由来するとされるが(Porot),Eyの指摘によると,これよりもずっと遡るようである。たとえば,Farletの“Maladies mentales”(1864)には「幻覚とは,しばしば繰り返されるように,対象なき知覚perception sans objetである」と書かれているという。
 19世紀以降の(主としてフランス語圏の)幻覚概念の展開,変遷をここで概観するこにあたって時間的な制限や文献収集の困難さなどもあり,本稿の多くをEyの大著「幻覚概論」“TraitedesHallucinations”(1973)に依らざるをえなかった。不本意ながら諒とされたい。

二重身体験からみた幻覚

著者: 石福恒雄

ページ範囲:P.11 - P.16

 筆者がここで二重身体験というのは,自分がもう一人存在するという体験の総称であり,そのなかには,後に述べるようにさまざまな様式が存在し,いわゆる自己像幻視(Heautoskopie)も含まれている。それゆえ,二重身体験は幻覚の問題と深いかかわりをもっている。筆者はここで二重身体験の考察をとおして幻覚の問題を論じていくことにしたい。
 二重身の場合,それは自分自身の分身なのか他者の分身なのかは一応問題にしなければならないであろう。精神病理学上はどちらも存在するが,言葉の使い方からみる限り,Doppelgangerはむしろ他者の分身という意味が本来のものである。しかし,筆者がここでいう二重身はもっぱら自分自身の二重身を指している。筆者は最近別の論文のなかで,主として分裂病者にみられる自己の二重身(以後単に二重身とする)の問題を論じたが,ここではその論点を土台にして,幻覚の問題に直接示唆を与えてくれそうないくつかの体験の局面を選びだし,それに基づいて幻覚の問題を論じることにしたい。

分裂病幻覚についての一試論

著者: 小出浩之

ページ範囲:P.17 - P.25

I.はじめに
 すでに諸家は繰り返して,分裂病幻覚に精神病理学的に興味深い現象がいくつか認められることを指摘しているが,筆者はそれらの中でも特に次のような点に日頃から関心を持つ。たとえば「私の口で他人が喋る」とか「私の頭で他人が考える」などという訴えである。一言でいえば「自己の内で他の主体が行動したり,体験したりする」という形の自己の主体性の体験の障害である。また幻覚が感覚性,身体性を持つことも興味のある事実と思える。さらには幻聴の相手が「あらかじめすべて自分のことを知っている」とか「自分の先を考えていく」などという表現がされるが,これは時間性の障害とみることができるだろう。また幻聴は意識野的には,その中心でなく,辺縁ないし背景的なものが顕在化してくること,意味方向的には,個人差はあるにしても,大まかには共同社会からも自己の生活史からも疎外されるという方向性をもつこと,これらを精神病理学的に興味ある事実と思う。
 さてこの小論は,分裂病幻覚の以上のような様様な特徴を統一的,有機的に把握しようとする一つの試みである。その際「主体性の体験」ということを議論の出発点にした。われわれの体験に備わっているところの,その体験をほかならぬ「私が」しているという潜在的で自明な主体性のことである。この主体性を成り立たせている基本的な体制として,世界との「共鳴」というあり方を考えてみた。この共鳴体制ということを軸にして,妄想知覚との比較の上で,幻覚の様々な特徴を統一的に把握しようと試みたものである。なお最後に幻覚や妄想知覚を持ち得る条件と病態の慢性化についても少々触れた。
 あらかじめ幻覚の定義について述べなければならない。色々な定義があり得ると思うが,ここでは自己の思考・感情・気分・身体など「自己」という内的領域における病的体験を幻覚とする。またいうまでもなくJaspersからBlankenburg,木村敏にいたる多くの精神病理学者,さらにはMerleau Ponty等何人かの哲学者の主張から少なからぬ影響を受けているが,文中いちいちに出典を附さずにすませることをあらかじめお断りしておく。

脳器質性疾患と幻覚

著者: 保崎秀夫

ページ範囲:P.27 - P.34

I.はじめに
 器質脳疾患における幻覚29)については今までは脳局在病変と幻覚,意識障害と幻覚という関係で論じられてきており,この面では,幻覚(とくに幻聴に)に対する論議は色あせたものになろうとすでに筆者が述べたことであるが,ただ器質脳疾患における幻覚といってよいかどうかわからぬが進行麻痺患者における幻覚妄想様病型変化は注目に値するものと思う。そこで筆者が入局後間もなく経験した進行麻痺患者の幻覚妄想様病型変化の症例を通して幻聴,偽(仮性)幻聴を中心にまず考察してみることにする。現在は進行麻痺患者は数少なく,したがって幻覚妄想様病型変化もほとんどみられなくなっているが,第二次大戦後には相当数みられた。その際に幻覚が急速に発現する過程がはっきりとみられることがあり,その経過を詳細に観察すると大変面白かった。次にその症例を述べてみる。

研究と報告

禅における魔境の精神病理学的考察

著者: 扇谷明 ,   加藤清

ページ範囲:P.35 - P.41

 抄録 禅における魔境とは悟りに向って修業する者が陥る病的状態であり,自ら到達した心的状態を自ら「悟った」とみなすことによって自らの心的状態にとらわれ,そこから容易に脱け出せなくなる状態である。われわれは6例を観察し,また仏典である楞厳経にみられるさまざまの魔境を検討し,その症状変遷から2群に分け得た。第1群は主客分離消失感から気分高揚に向うもの,第2群は身体心像変容から不安感に向うものであった。その成立基盤には長時間の坐禅という身体不動の姿勢と内的に外界に対する知覚行為の中断ということとその上に脱睡眠が魔境の成立にかかわっている。また禅では独特の修業方法として禅問答があり,そこで心的状態の真偽が検証されるため,キリスト教での神秘体験でみるように精神医学上でその体験の真偽は論議されないが,一方それだけ修業者と師とのかかわりが重要なものとなり,禅問答の場は精神療法の場へとつながりをもっていく。

慢性分裂病態における局外性と中心性について—1分裂病者の体験構造を通じて

著者: 渡辺哲夫

ページ範囲:P.43 - P.51

 抄録 破瓜病性発病経過のなかで緊張病性諸症状を示しつつ慢性的な幻覚妄想状態に固定化された1分裂病例を報告し,大森の「立ち現われ論」に依拠して精神病理学的考察を試みた。
 まず,ものごとは空虚な物象化を受けた断片的知覚として,患者に立ち現われる。患者をめぐって常に知覚正面だけが唐突な出現と消滅を反復する。知覚現場の自然な自明性は失われ,非知覚的領域は立ち現われない。患者は,人類に普遍的な大地の思い,経験に則した来歴の思いから疎外され,局外的である。
 さらに,患者の肉体だけが,物象化を受けながらも体感によって充填され続け,知覚現場のなかで最も恒常的に立ち現われている。このことは,知覚正面によって包囲されている患者の中心性をさらに強める。
 それゆえ,この病態は,局外化された中心性と呼ぶことができる。
 なお,以上の病態との関連において,地球や太陽という妄想主題にも検討を加えた。

運動対象物に対する大脳誘発電位と眼球運動の研究—正常人と慢性分裂病患者の比較—第1報 眼球運動

著者: 武内広盛

ページ範囲:P.53 - P.60

 抄録 現在仮に精神分裂病と呼ばれる一群の人達の基本障害解明への道は,遠く険しい。
 ここでは従来すでに報告の多い慢性精神分裂病患者の水平方向滑動性眼球運動に加えて,跳躍性眼球運動,一点を固視する時の自発性跳躍眼球運動も記録し,正常人と患者とで此較検討した。陰極線管のスポットを水平方向に正弦,三角および矩形波で,連続的並びにランダムな間隔でスクリーンの中央部から一波長分だけ単発的に往復運動させ,これを追尾する時,スポットが動いてもスクリーンの中央部を固視する時およびスクリーンの中央部に停止するスポットを固視する時,それぞれの眼電位図を記録した。正常人は,連続・単発ともいずれの波形でも滑動性,跳躍性眼球運動が円滑であり,患者では眼電位図の最大振幅の0.2〜0.3倍の高さの跳躍性運動の重畳が多い。固視時の左右方向自発性眺躍運動の出現は,正常人では少なく,患者は視角3゜を越える者が多い。

非てんかん群,未治療のてんかん群,治療中のてんかん群の血清,髄液の葉酸

著者: 松永啓介 ,   植田清一郎 ,   中野哲男 ,   中沢洋一 ,   久原一男 ,   無敵剛介 ,   津田英照

ページ範囲:P.61 - P.65

 抄録 てんかんの治療に用いる抗けいれん剤,特にDiphenylhydantoin,Primidone,Phenobarbitalの副作用の一つとして,比較的最近になって葉酸の欠乏が注目されている。本研究では非てんかん患者18例の血清,髄液葉酸値,未治療のてんかん患者14例の血清葉酸値,治療中のてんかん患者19例の血清,髄液葉酸値をそれぞれ比較検討した。治療中のてんかん患者の葉酸は未治療のてんかん患者より血清葉酸値について有意に低く,非てんかん患者より血清,髄液葉酸値についてともに有意に低かった。また,非てんかん患者の血清葉酸値と未治療のてんかん患者のそれとは有意の差がなかった。以上の結果からDiphenylhydantoinなどの抗けいれん剤の服用によって血清および髄液の葉酸が低下することを確認し,文献的な考察を加えた。

てんかん患者の精神活動に及ぼすClonazepam投与の影響—離脱症状を呈した症例を中心にして

著者: 金子善彦 ,   木下潤

ページ範囲:P.67 - P.75

 抄録 clonazepamは抗けいれん剤として使用されているが,他のbenzodiazepine系薬物と同じようにさまざまな副作用を現わしうる。
 視覚発作と自律神経発作をもつ31歳女性のてんかん患者にclonazepamを6mg投与したところ軽躁状態を来し,投薬中止により焦躁感・易刺激性・錐体外路症状などの離脱症状を呈した。この自験例について考察するとともに,本邦においてすでに発表済みの17論文中の783例について,clonazepalnがてんかん患者の精神面や行動面にどのような影響を与えるかを集計・検討し考察を試みた。
 clonazepamによって新たに出現した精神症状の78%は,精神活動の亢進・外向・不安定化傾向を示していた。既存精神症状が変化したものの90%は改善であり,その73%は,精神活動の亢進・外向・不安定化傾向を示している症状に対しての静穏化であった。

Sheehan症状群の精神症状について

著者: 大沢郁子 ,   大内田昭二

ページ範囲:P.77 - P.83

 われわれは,たまたま自殺企図で精神科に入院した38歳の主婦の精神症状の背景にSheehan症状群があることを経験した。11年もの間,身体の虚弱さと精神活動性の低下に悩み抜いたこの症例は,甲状腺と副腎皮質のホルモンの補助療法により,見違えるばかりの回復をとげた。そこで本症例の経過を記載し,Sheehan症状群の精神症状に関する文献を引用して,下垂体機能不全症状群には,精神科医が遭遇し,かつ注目すべき精神症状が存在することを示した。それを臨床的に理解しやすいように3つのテーマに焦点をしぼり考察した。すなわち,①時には昏睡により致命的ともなる意識障害の発作,②産後の精神病の一種でもある急性精神病様症状,③長期にわたる下垂体機能不全によって起こる人格変化,である。精神症状の詳細な観察とその原因の探求が,背後にひそむ身体疾患を見つけ出し,的確な治療に導く場合のあることを本稿で示した。

短報

心因性失声と多彩な意識状態を呈した1症例

著者: 黒木宣夫

ページ範囲:P.85 - P.87

I.はじめに
 時代の変遷とともに,ヒステリーの病像は変化してきており,新垣11)の調査によると,いわゆる古典的ヒステリーは減少の傾向にあるが,心因性失声と多彩な意識状態を呈した1症例を経験したので報告する。

自閉性障害児に対するCa-Hopantenateの効果

著者: 岡田隆介 ,   佐々木高伸

ページ範囲:P.89 - P.91

I.はじめに
 GABA類縁物質のうちCa-Hopantenateは,強い脳興奮抑制作用があり,脳組織にも生理的に存在することが西沢ら1,2)によって報告され,ブドウ糖の脳内とり込み増加作用,大脳皮質のブドウ糖代謝促進作用があるとされている。臨床的には,大野3,4),有泉5)らにより,精神発達遅滞,脳炎後遺症等の多動,注意力低下に対する効果や,基礎波のnormalization3,4,6)が報告されている。
 われわれは,同じく多動,注意力低下,言語発達遅滞を呈する自閉性障害児を対象として,Ca-Hopantenateを投与し,合わせて,精神発達遅滞児群,器質性多動児群非投与自閉性障害児群との比較検討をした。

古典紹介

H. Liepmann—Das Krankheitsbild der Apraxie (“motorische Asymbolie”) auf Grund eines Falles von einseitiger Apraxie[Monatsschrift f. Psychiatrie u. Neurologie, 8 : 15-44, 102-132, 182-197, 1900]—第1回

著者: 遠藤正臣 ,   中村一郎

ページ範囲:P.93 - P.106

 Ⅰ.
 以下の発表の基礎をなす症例は特別なもので,詳細に記述することは当然であろう。
 右側の上下肢を使わさせると,ひどい痴呆であるかのようで,質問や要求を了解せず,対象物のもっている意味を会得することもできず印刷物や書かれた物の意味も理解できないように振舞う人が,それに反して左側の上下肢を巧妙に用いるので,先の一見なくなっていたと思われたすべての能力が存在するのは明らかであるが,このようなことは私の知る限りでは未だ観察されておらず,恐らく未だ記述されていない。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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