文献詳細
追悼
文献概要
先生は大正末期,ミュンヘンのドイツ精神医学研究所に留学され,スピールマイヤー教授の下で,脳の組織病理学を勉強された。基礎医学を専攻されたのは,当時の日本留学生がそうであったからである。しかし先生は臨床精神医学にも広い展望をもち,ミュンヘンへの途次,チューリッヒで,ブロイラーに会っているし,旅行カバンの中にクレッチュメルの「体格と性格」とヤスパースの「精神病理学総論」を加えていた。
昭和3年,30歳の若さで北大教授となり,在職わずか8カ年の短期であったが,精神医学の「処女地」北海道で華々しく活躍した。先生生涯の最も幸福な時代であったであろう。昭和10年,新潟の日本神経学会で,当時の少壮教授と共に,学会の機構改革を行い,それが新潟革命と呼ばれているのは,今では知る人も少いが,一寸した語り草である。
昭和3年,30歳の若さで北大教授となり,在職わずか8カ年の短期であったが,精神医学の「処女地」北海道で華々しく活躍した。先生生涯の最も幸福な時代であったであろう。昭和10年,新潟の日本神経学会で,当時の少壮教授と共に,学会の機構改革を行い,それが新潟革命と呼ばれているのは,今では知る人も少いが,一寸した語り草である。
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