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雑誌目次

論文

精神医学22巻2号

1980年02月発行

雑誌目次

特集 向精神薬をめぐる最近の諸問題 巻頭言

特集にあたって

著者: 大熊輝雄

ページ範囲:P.112 - P.113

 薬物療法が精神科治療に導入されて以来すでに二十数年を経過し,向精神薬療法は精神科医療において欠くことができない治療法として定着しつつある。しかし,向精神薬療法の対象である精神分裂病や躁うつ病などの本態,とくにその生物学的側面が十分に明らかになっていないこともあって,薬物療法はまだ対症療法の域を出ていないといえよう。それゆえに,向精神薬療法は,これまで長い間にわたって積み重ねられてきた多くの臨床経験を通して,あるいは薬物の作用機序などに関する神経薬理学の進歩によって,たえず書きなおされつつあるといってもよいと思う。
 とくに向精神薬療法の基礎領域の研究は最近かなり早いテンポで進展している。また新しい向精神薬の開発はたえず続けられており,従来開発された向精神薬の作用や副作用についての情報も集積されつつある。したがって,われわれはたえず現在の時点で最も正確な知識と将来への展望を持ちながら,臨床や研究に従事することが望ましいであろう。このような意味で,今回の「向精神薬をめぐる最近の諸問題」のような特集は,今後もかなりひんぱんに行なわれる必要があろう。

薬効評価の現状と問題点

著者: 伊藤斉

ページ範囲:P.114 - P.124

I.はじめに
 向精神病薬と総称される,精神疾患の化学療法に使用される薬物が臨床家の手に渡ったのが1950年の初あからであり,数年を経ずして1955年頃よりわが国の精神科医も広く応用するようになった。爾来今日に至る20数年間,抗精神病薬,抗不安薬,抗うつ薬その他各種の作用を具えた向精神薬が開発され,実用に供されるに至っている。しかしある化合物が薬として特定範囲の疾患に有効であることを明確にするのはどのみち非常に大変なことに違いない。抗生物質のようなものは,試験管内での病原体に対する抗菌力を測定する方法が発達しており,加えて一定の毒性試験,催奇形性ならびに発癌性など動物での安全性が確かめられれば,臨床への応用の途が拓かれるのであるが,向精神薬のようなものでは,1)対象疾患の病因が物質的に明確でない,2)動物実験をやろうにも人間におけると同じ状態が動物では起こり難く,治療実験が行ない難い,3)経験の集積によって開発されてきた動物における前臨床試験,すなわちスクリーニングのための薬理作用試験の通りと臨床効果とは必ずしも一致しない,4)臨床効果の判定には臨床生理学,生化学的なパラメーターの応用は直接の臨床効果と高い相関を示すことがむしろ少なく,いきおい症状の重篤度ならびに治療による改善を示すパラメーターは主として心理学的,症候学的なものに頼らざるを得ない,などの制約があり,有用でしかも特異な向精神作用のある新しい薬物を開発してゆくことは容易ではない。
 しかし臨床医学自身,長い年月にわたるおびただしい経験の集積であり,近年の臨床にたづさわる人々は昔に比べればはるかに賢くなっており,多くの経験の中から一見偶然と思われるような貴重な現象を拾い上げては驚異的な進歩の足掛りとしている。向精神薬の発見もまた例外でなく,薬理学者との協力により基礎から臨床へと薬効を評価するシステムを作り上げてきた。たとえば抗精神病薬として最初に出現したchlorpromazine,reserpineのうち,前者は往時精神疾患の治療に用いられていた持続睡眠療法,あるいは外科領域で応用されていた冬眠療法に抗histamine薬と類似のphenothiazine核を持つ化合物として試用されたのが始まりで,やがて単なる鎮静効果に止らず,情意鈍麻,幻覚,妄想などの異常体験に対する効果のあることが発見され,以後同じような基礎薬理作用を有する類似化学構造の化合物の開発から,進んで他の化学構造の化合物でこの方式の薬理学的スクリーニングに引掛かる物質の開発へと抗精神病薬の新薬開発は進められており,また母核の若干異なる三環系化合物の中から,広範な臨床試用の結果imipramineを初めとする幾多の三環系抗うつ薬の開発という結果がもたらされた。後者のreserpineにしても印度蛇木の根が古くからインドで治療に応用されていたことがヒントともなり,アルカロイドの抽出,臨床への応用と進んだものであり,MAO抑制薬にしても前身は抗結核薬のINAH使用中の結核患者に偶発的にみられた気分の昂揚と,MAOの生化学的作用との組合せから,多くの抗うつ薬の開発へと発展した。また抗不安薬と現在いわれている一連の薬物の第1号であるmeprobamateも,従来筋弛緩薬とされていたmephenesineが同時に精神緊張,不安にも効果があるという臨床経験から,類似の化学構造を持ち,さらに抗不安作用の強力なmeprobamateが開発され,またこのものの動物における行動薬理的特徴から,一連のスクリーニング法が作り出され,その結果benzodiazepinesが抗不安薬として登場するに至っている。
 臨床医学全般をみるに,勿論それ自体の長い年月にわたるおびただしい経験の集積の賜物であると同時に,絶えず隣接科学のめざましい進歩の恩恵に浴したお蔭で日進月歩の発展をとげたのであり,診断技術にしても各種の方法や機器が導入され,さらに従来の主観的な方法より自動診断のほうが的中率がまさるというくらいまで変貌した面も一部には見受けられてきた。ところが治療学ということになるとその最も中核的な部分をなす治療効果の判定ということになると10数年前までは,わが国ではその指導的役割を果たしてきた大学や大病院の臨床家によりもっぱら経験と勘に依存する考え方が固定されできたことは否定できない。もっともかかる傾向は当時わが国のみでなく欧米各国においても同様であったことは数多くの文献をみれば明白であろう。しかし一方では第二次大戦後,英国において科学的評価方法の一般的論理が確立され,当初農学その他の領域で発展してきたものが医学の分野でも取り入れられるようになり,とりわけ薬の有効性と安全性を確認するための実験条件が真剣に考慮されるようになり,この考え方は米国で支配的となり,漸次世界的に拡大され,今日不可欠なものとなっている。
 かかる客観的薬効評価の方法論は向精神薬に関しては比較的早く臨床医学に浸透してゆき,とくにわが国においては結核,リウマチとともに精神疾患に対する治療学の研究が他科に先んじて行なわれた背景には,対象とする疾患の多くが,薬剤ないし治療の薬理効果ないし直接効果以外の環境因子による効果すなわちplacebo効果が,他科の疾患より非常に顕著であるとされたことによるものであろう(もっとも,その後の治療研究を通じて,他科領域の疾患においてもplacebo効果が非常に高いことが分ってきた)。今一つは,前述の通り精神疾患の状態像を表わす症候学が,身体病理学に基礎を置いたものではなくて,異常心理学を基として形作られているために,薬効をきめ細かく評価するための症状評価尺度(Symptom Rating Scale)や推計学と密接な関連のある心理学の技術が与って力があったことを否定できない。
 勿論他科におけると同様,精神科医の中には古典的な精神病理学に基礎をおいた臨床家としての経験と主観の権威性や,いわゆるさじ"加減"のメリットのみに固執して隣接科学において発達した科学の方法論を採り入れようとすることを嫌う人々も少なくなかったが,ここ10数年来世界の精神科医の間で治療効果の客観的評価の方法論について真摯な態度での研究が急速に進あられていることを知るに及び,また以下に述べるような事柄の発生も手伝って,従来の経験的ないわゆるopentriaiに加えて信頼性のある評価として二重盲検法を主体とした薬効評価が必要であることが次第に多くの臨床家の理解を得るに至っている。
 現実的な理由としては,一つには,1961年に起こったサリドマイド奇型児の論争の問題がわが国にも波及し,その後いろいろ薬禍の問題が重なるに従って臨床試験における安全性と関連して倫理性確立のための配慮が強調されるようになったことがあり,今一つは「医薬品の有効性について,最近に至りいわゆる肝臓薬,ビタミン剤などにつき,その標榜する効能効果に疑義がある」との意見が発表され,国民の間に大きな反響を呼んだこともある。当時活性ビタミンの大量療法というのが広範囲の疾患に著効を現わすという,世界中他では行なわれてない治療法の奨励が,当時の一部の権威的な臨床の大家の経験に基づいて行なわれ,製薬企業の商業主義を支持した結果となったことは周知の事実である。新薬の有用性に関してはまず米国で1),1962年頃よりFDA(Food and Drug Administration)の新薬製造販売許可申請に有効性についての客観的評価が要求されるに至り,他諸国の中でもこれに続くところが現われ,わが国においても昭和42年11月来同様の基準で評価されるようになったが,一方この既発売薬品についても厚生大臣の諮問機関として設けられた薬効問題懇談会(座長:熊谷洋日本医学会長,以下薬効懇と略記)での審議の結果が答申書として出されて,その意見に基づいて既発売薬品の薬効再評価が実施され,今日に至っている2)。薬効懇の答申書の中で「病気にはそれぞれ軽重があり,かつその経過には自然の動揺がある。また薬の作用は個人により,そのうえ同一個人であっても,その場の条件により異なるのが普通である。したがって単に治療薬だけを用いて,病気の経過を観察した場合,医師あるいは患者の主観なり先入観なりの混入を避けることが難しく,科学的な効果の判定が困難になる場合がある。したがって薬効を科学的に判定するには,十分に吟味した判定基準を設定し,比較のたあの適切な対照を置き,相対的に評価する方法によることが原則的に必要である(中略)。しかし平等の条件下における比較の原則が計画に十分反映されたとしても,治験医,患者のどちらか,あるいは両者の心理的な影響が働いて,治験薬と対照薬との薬効の差以外のかたよりが成績に介入するおそれがある場合には,治験者も,患者も,治験薬と対照薬のどちらを用いたかを知ることのできないような方法,すなわち二重盲検法の利用が必然的に問題となる」と述べているが,これはそれ以前から治療行為の心理的効果を重視し,これを効果的,組織的に応用し,また治療効果の評価にも勘案してきた精神科医の考え方と一致するところが多い。
 かかる経過で最近10数年の間に,向精神薬の薬効評価については,わが国では主として精神科領域において,他科の場合に劣らない,努力が重ねられ,精神薬理の一分野としての研究方法の開発と,これに伴って幾多の新しい有用な向精神薬を実地診療の場へ送り出している。これは国内的な動向にとどまらず,WHOにおいても,またWPA(World Psychiatric Association),CINP(Collegium Neuro-Psychopharmacologium)その他主要な国際的学術活動の動きでもあり,さらに向精神薬の薬効評価を国際的に適切に行なうためのguidelineを作成するInternational Ad Hoc Committeeが組織され,活動している段階である3)
 しかし新しい,有用な向精神薬の評価方法が今日なお満足すべき状態で実施されているわけではなくて,色々な問題が残されている。これらをすべて直ちに解決することは不可能であるが,10年前に比べれば格段の改良がなされており,これからも一歩一歩試行錯誤もあろうが,修正と工夫が加えられてゆくことは間違いないと思われる。今回はわれわれが現時点で問題点になっていると考えられる事柄をいくつか取り上げて話題としてみたい。

向精神薬の適用と問題点—精神神経薬理学からみた抗分裂病薬の作用機序

著者: 森浩一 ,   川北幸男

ページ範囲:P.125 - P.136

I.はじめに
 クロールプロマジンの精神医療への導入以来,精神薬理学の分野での目覚しい進歩は,神経化学,神経生理学,神経解剖学などの基礎的諸研究の結びつきからもたらされたといえる。そこでは,脳における神経伝達物質を中心とした代謝系の諸変化を明らかにするとともに,向精神薬の作用機序を理解するための様々な努力がなされてきた。この向精神病薬の作用機序の研究は,主に動物実験によらなければならないのは当然のことながら,精神疾患の生化学的な理解のためには,精神薬理学は,現在もっとも有効な研究方法の一つになりつつある。ここでは向精神薬のうち,とくに分裂腐を対象とする抗分裂病薬をとりあげて,最近の知見をみてゆきたい。
 種々の系列の抗分裂病薬に共通した,ドーパミン作動遮断という作用機序から,精神分裂病の病因については,ドーパミン過剰説が諸説のなかでもっとも有力であるように考えられて来ていたが,ここ数年間に,慢性分裂病脳の神経化学的分析がなされ,脳のモノアミン含量に著るしい増加はみられないという重要な結果が相次いで報告されている。他方,放射活性化された神経伝達物質や,薬物の受容体への特異的結合を利用した,新しい受容体標識法を用いて慢性分裂病脳をしらべると,シナプス後部ドーパミン受容体の感受性の増加がみられ,これが分裂病の病因に関係があるのではなかろうかという報告もある。これらの結果を考えるとき,現時点では,分裂病の病因について,従来のシナプス前部ノイロンのモノアミン代謝を中心とした考え方から,シナプス後部ノイロンの受容体を中心とした考え方にかわっていく転向点にあるように思われる。この時点で,分裂病の病因に関する仮説と,抗分裂病薬の作用機序という交点で,受容体を中心として検討を加えることにより,今後の新しい発展への方向づけが期待できるのではなかろうか。

向精神薬の適用と問題点—抗うつ薬

著者: 栗原雅直

ページ範囲:P.137 - P.142

I.はじめに
 うつ病の患者に抗うつ薬を投与して治療を行なうさい,1)どのような背景因子(性,年齢,既往歴,家族歴など)あるいは臨床病像(病型,病状表現つまりはtarget symptom的な考え方)をもつとき,どのような薬剤を科学的に選択するか,2)どのような副作用に注意しなければならぬか,ということが具体的に臨床家の課題となる。
 1)については,妥当性をもった臨床評価尺度を使用して薬剤間の比較を行なった二重盲検比較試験の成績をみてゆけば,信頼性のある知見が得られ,これをつみ重ねてゆくことによってある程度solidな知識が得られるはずであるが,なかなか現実には矛盾し合う知見も多くて,常識が確立したとはいい難い。それでもまとまったいくつかの二重盲検のdataが次第につみ重ねられつつあり,何とかものが言えそうになってきているが,膨大な解析を必要とするし,機会をあらためて発表することとしたい。
 2)の問題については,近年の伊藤・三浦の大著1)(1973)が,かなりの知識を網羅していると思う。抗うつ薬に関しては,三浦はDavisら(1968),三浦ら(1972),Raskin(1968)の綜説を参考にして述べている。
 この綜説のなかにほとんど抗うつ薬の副作用の問題は網羅されており,ここであえて述べるのは屋上屋を架するのきらいがなきにしもあらずなのだが,伊藤・三浦らの総説のあとに知られた問題について,ここでまとめを試みるのも意味があると考え,主としてSide Effects of Drugs, Annual 32)(1979)と,海外副作用情報研究会による副作用情報のうち,抗うつ薬に関する項をまとめて今日示すことにした。御参考用のメモとして頂ければ幸いである。
 なおここでは問題をMAOI以外の(主として)3環抗うつ薬の副作用にしぼることとする。4環抗うつ薬あるいはその他MAOI以外の抗うつ薬も記載の便宜上3環抗うつ薬と総称させて頂くこととする。

向精神薬の適用と問題点—持効性抗精神病薬

著者: 風祭元

ページ範囲:P.143 - P.149

I.はじめに
 長期持続性の作用を持つとされる抗精神病薬であるfluphenazine enanthate(以下F・E)がわが国で発売されたのは1970年で,以来今日まで約10年が経過した。F・Eは,ピペラジン系フェノチアジン化合物の抗精神病薬であるfluphenazineをエナント酸エステルの形とし,油性溶媒に溶解して徐々に生体に吸収されることにより,作用の長期持続を目指したもので,拒薬患者の治療や,服薬中断の多い通院患者の維持療法にきわめて有効で,分裂病治療に一つの新しいエポックを画したものだと主張する研究者もある。
 欧米でのF・Eの精神医療への導入はわが国よりも少し古く,すでに多くの臨床的経験が蓄積されており,これらの体験を基にして,持効性抗精神病薬の問題点を総括して論じた総説的展望3)や,単行本4)が近年になって発表されている。
 わが国で用いられている持効性抗精神病薬は,F・E(アナテンゾール・デポ)のみであるので,本稿では主としてF・Eについて,その臨床的な問題点と最近の知見について簡単に述べることにしたい。なお,本剤に関しては,わが国においても,中江13),Ayd編(風祭他訳)のモノグラフ2)が発行されている。

向精神薬の適用と問題点—抗不安薬

著者: 三浦貞則

ページ範囲:P.151 - P.159

I.はじめに
 Chlordiazepoxideの登場(1960)を契機に,不安や神経症の治療薬としてのbenzodiazepine誘導体の役割は際立って大きなものになった。この薬剤に対する一般の高い評価は,従来からの鎮静薬barbituratesとの比較で明らかなように,①不安に対する治療効果により優れている,②通常の用量では意識レベルへの影響がより少ない,③過量服薬による致死の危険性がかなり低い,④薬物依存の頻度がより低い,⑤肝ミクロソームの薬物代謝酵素系にほとんど作用しないので併用薬の代謝に影響を与えない,などの治療効果と安全性の両面にまたがる利点に基づくものであろう。
 抗不安薬の治療対象はきわめて多数かつ広範囲にわたるので,benzodiazepine誘導体の利用は急速な勢いで広まっている。すでに1972年の時点で,diazepamとchlordiazepoxideがアメリカ合衆国において処方頻度第1位,第3位の薬剤となり,この2剤を合わせた7,000万を越える年間処方数は全向精神薬のそれの約半数を占め,金額にして2億ドル以上に相当するという実態が報告されているが1),この傾向はヨーロッパ先進工業国にも共通したものであるらしい2)。日本の事情については正確な資料をもたないが,benzodiazepine系抗不安薬の処方頻度は,アメリカ合衆国ほどではないにしても,やはりあらゆる医薬品のうちでかなり上位にランクされるものの1つと考えて間違いないと思われる。
 抗不安薬の使用状況でさらに注目すべき点は,その臨床各科へのめざましい普及であり,精神科よりも他科領域で投薬を受ける患者の数が急増していることであろう3)。著者の勤務する北里大学病院の実態をみても(表1),benzodiazepine系抗不安薬はほとんどあらゆる臨床科で処方されており,他科の処方枚数は精神科のそれをすでに凌駕している(薬剤選択は各科により差があるが,とくに内科領域ではmg力価の弱い薬剤が繁用されている)。
 以上のような抗不安薬治療の隆盛は,適用に関するさまざまな新しい問題を生起しつつあるかにみえる。天文学的数字の処方枚数のうちで,適応が吟味され,適切な医学管理のもとで処方されるのはどれほどであろうか。適応患者が広範囲になると,恩恵に浴す患者が増加するのはよいが,使用上の注意にも常に無関心でいられなくなる。また,精神科医にとっては,薬剤中心の神経症治療の功罪についてもさまざまな角度から再検討する特機にきていると思われる。

向精神薬の効果の生理学的背景

著者: 山口成良

ページ範囲:P.161 - P.170

I.はじめに
 向精神薬がなぜ精神障害に有効かという効果の背景については,2つの検討の仕方があると思う。1つは,向精神薬が中枢神経系のどこに働くかという作用部位の問題があり,1つはその部位の機能の抑制をもたらすのか,興奮をもたらすのかという機能変化の問題である。前者については神経生理学的アプローチでいくつかの証拠があがっているが,後者については神経生理学的アプローチだけでは足りず,神経化学的なアプローチも必要である。
 そして向精神薬の効果の背景を論ずるのに最も隘路となるのは,中枢神経系の機能局在についてまだ充分な解明がなされていないことである。たとえば,意識,記憶,知覚,思考,意志,感情,知能などの精神機能について,その機能局在はまだ研究解明の途上にあり37),まして,精神障害の妄想,幻覚などの諸症状の発現機構,発現部位については仮説の域を出ていない現状である。しかし現在,多数の向精神薬が精神科領域で使用され,妄想,幻覚などの精神症状の改善に効果をおさめているのも事実である。そこで,これまでに得られた実験結果を紹介しながら,向精神薬の効果の生理学的ならびに生化学的背景について若干の考察を試みたい。

薬物療法と精神療法

著者: 坂口信貴

ページ範囲:P.171 - P.180

I.はじめに
 向精神薬,ことに中枢神経遮断剤といわれる抗精神病薬が登場して以来,精神医学の今日の中心課題である精神分裂病についての研究は大きく飛躍し,新しい学問を発展させた。その精神薬理学は生化学の研究とあいまって,Carlsson, A. ら2)やSnyder, S. H. ら28,29)により,フェノチアジン系薬物が脳内のドーパミン受容器を遮断し,抗分裂病効果をもたらすという今日ではほぼ認められた事実を明らかにした。こうして,精神分裂病のドーパミン仮説が研究検討されているのである。その他の神経伝達物質についても精力的に研究がなされていることは周知のとおりである33)
 他方,臨床面ではPeterson, D. B. 19)(1964)が退院は早くなったが再入院率もまた高くなったことを報告していることからも,こうした薬物が急性期精神病状態に対する効果を持つことは認められる一方,精神分裂病そのものを治癒するものではないことが示唆された。May, P. R. A. 35)(1971)は明確に「薬物は治癒をもたらさない」と述べている。また,Goldberg, S. C. 10)(1972)は急性分裂病状態の患者に対し,フェノチアジン薬剤の効果を予測する因子を研究したが,失敗に終わっている。一般に向精神薬に対する反応性に極あて個体差が大きいことが認められており,西園14,16,17)は非薬因子の重要性を指摘した。その中でも患者のパーソナリティの違いによる反応性を重視している。
 この点について,Curry, S. H. 3)に始まる血中濃度の測定から臨床効果を予測し,投与量を決定しようとする研究も盛んになっている。高橋31)は,最近では,代謝産物の多いクロールプロマジンから,ブチロフェノンの血中濃度測定に関心を向け,向精神薬療法をより科学的なものにしようとしている。しかし,現在のところ,血中濃度自体も同一投与量に対する個体差が大きく臨床効果との相関を明確にはなしえていない。われわれの研究21)では,血中濃度とパーソナリティ傾向との間の相関が,個々の症状との相関よりも強いことが示唆された。
 このように,向精神薬は精神医学全体に強烈な変革をもたらしたのであるが,これが真に精神分裂病の理解や治療を進展させるために,もうひとつ不可欠の研究があるのである。それはいうまでもなく,精神分裂病者の臨床的観察である。精神薬理学の精神分裂病の理解にしても,急性期と慢性期というような病相のちがいによって神経伝達機構の異常にもちがいがあることは当然考えられるところであろう。また,急性期のすべての症状がドーパミン仮説のみで説明しえないし,大月18)の述べるように,いくつかの神経伝達物質の関与が仮定されるのである。また,血中濃度と臨床効果を対比する際にも,従来のように精神医学的な症状や適応レベルを指標とすること自体に無理がある可能性もあるであろう。
 このように考えてくると,元来,精神分裂病という診断そのものが,目でみて量的に測定されるという科学的な診断基準に基づくものではないのである。この精神医学の宿命ともいうべき疾病概念の曖昧さのために,治癒の程度を測る尺度も定まらないといってよいであろう。
 たしかに,精神医学的な諸症状,つまり不安,強迫,躁うつ的気分の変動や状況によっては幻覚の体験すらいわゆる健常者にもあるのである。では,社会適応の側面から測定しようとしても,健康と不健康の区別はやはり不明瞭なのである。仕事中毒というコトバもあるように,いくら社会的な成功をおさめているかにみえる人でも,それだけでは健康とはいいがたいであろう。1例をあげれば,社会的に有能であった人が老後にうつ病に陥るかもしれないのである。このことは,精神分裂病者が一時的に症状もなく回復したかにみえていても,再発を繰り返すという現実を思い出させるのである。いいかえれば,今日の精神医学は精神分裂病といわれる現象をまだまだ表現しきれていないのである。臺32)はこうした現実をふまえて履歴現象と機能的切断症状群という分裂病の生物学的理解を述べている。
 このことは,種々の治療手段を用いて精神分裂病者を治療へと導びこうとする際,われわれ精神科医が日常自問していることと思うのである。しかし,何を正常と考え,病者の何が病理性の本態と考えるかは,暗黙裡に了解し合ってはならないと思うのである。
 そこで筆者は,精神分裂病者との対人関係すなわち,「かかわり合い」という側面から精神分裂病者の病理を理解する試みをしてみたい。心理的にちぢこまった状態の分裂病者は,何事にも口が出せないし,手が出せない。幻覚,妄想の中にいる慢性の病者はかかわり合いという点では,両手が切断されているにも等しい。あるいは,一方通行のかかわりでしかない。相互にやりとりができるような両手でしっかりと手をとり合った関係とは異なるのである。この「かかわり合い」の様相をみることが,病理性の深さ,再発への抵抗力,治療の進展の具合,薬物をはじめとするその時々に必要な治療手段の選択,医師のとるべき態度などを決定する指標となると思うのである。そのためと,筆者の非力もあって,薬物療法が現実に筆者の診療を支えてくれているにも拘らず,そのこと自体に充分な論及ができないことをお許し願いたい。

向精神薬依存について

著者: 広瀬徹也

ページ範囲:P.181 - P.190

I.はじめに
 医薬品の依存性の歴史をみると,従来の薬に比べて依存性が少ないか,依存性なしとして新しく開発された薬も,使用されているうちに依存性が認められたり,時には先発の薬よりも依存性が強いということも少なくない。morphineに対するheroinがその良い例であり,barbiturateに対するnon-barbiturateも同様であった。
 抗不安薬では,meprobamateの顕著な依存性が問題とされるようになってからすでに10年以上たつが,要指示薬として販売が規制されたのは昭和47年であり,行政的に速やかな対応とはいえなかった。
 ヒロポンや大麻等の非医薬品の乱用,依存に対しては行政的対応も比較的速やかであるが,医薬品の場合は本来の薬効の陰に隠れて依存性の問題が正しく認識されるまで時間がかかったり,依存性には気づかれていても,新しい薬効への期待から臨床家が危険性を過小評価するきらいもなしとしない。しかし,長期間にわたって連続使用されることの多い向精神薬については,それほど顕著でない依存性に対しても神経質すぎるくらいの対応が必要であろう。
 向精神薬の依存性というと範囲はかなり広くなるので,本稿では抗不安薬,抗うつ薬,抗精神病薬のうちから現在医療的に繁用されることの多い薬に限って述べることにする。したがって,抗不安薬ではその依存性についてすでに論じつくされ,また現在の日本では用いられなくなっているmeprobamateを除いて,benzodiazepine系薬剤だけを取り上げ,また,覚醒剤として依存性や乱用では周知のように問題は大きいが,医療的使用はほとんど無視できるamphetamineについても省略する。

Tardive Dyskinesia—1970年代の臨床研究

著者: 八木剛平

ページ範囲:P.191 - P.211

 1)抗精神病薬を投与された精神病者におけるtardive dyskinesiaの有病率は,少なくとも軽症例を含めれば,近年確実に増加していることを示す資料が多い。また外来通院分裂病者,躁うつ病者,神経病者,精神障害の認められない内科患者,更に若年者や小児においても,人種・性別に関係なく発生することが明らかになり,この副作用は今日すでに精神病院だけの問題ではなくなってきた。
 2)tardive dyskinesia刎堅重・多彩な病像,いくつかの発症様式や経過が知られた。症状の局在によって,①口・舌・顎・顔面に出現する高齢者に多い型と,②躯幹・四肢に出現する低年齢層に多い型が,また発症様式によって,①単独で緩徐に発症するもの,②休薬ないし薬物減量後の発症(一過性の離脱dyskinesia,持続性の潜伏dyskinesia),③早発・急性・亜急性のdystonia,akathisia,tremor,rabbit syndromeからの移行型やparkinsonismへの合併型,④抗パ剤,抗てんかん剤,lithiumなどの中毒症状の一部として出現する稀な型などが,更に経過と転帰から,①軽症可逆型,②再発・出没型,③重症非可逆型などの類型を区別できる。
 3)現在までdyskinesiaの原因とならないような抗精神病薬は存在せず,安全度の高い薬物も識別されていない。しかもtardive dyskinesiaは抗精神病薬に特異的な単一の薬原性疾患ではなく,種々の原因からなるsymptom complexないしreacti・on patternと考えられる。抗精神病薬のほかにも抗パ剤,抗うつ剤,lithium,抗てんかん剤,抗ヒスタミン剤などが,単独でdyskinesiaを惹起することが知られ,reserpine系降圧剤,sulpirideやmetoclopramideなどの胃腸薬(いわゆるneuroleptiques dissimulées)によるdyskinesiaも報告された。今後も中枢dopamine系およびcholine系活動に直接・間接に影響を及ぼす向精神・神経薬が,原因薬物として新たに加えられる可能性がある。
 4)tard量ve dyskinesia発生の危険を増大せしめる要因として,これまでのところ,数カ月間以上の抗精神病薬投与,抗パ剤など抗コリン剤の併用,高齢,早発性・急性ないし亜急性錐体外路症状の既往またはparkinsonismの持続などが挙げられる。一方で高齢,脳障害の存在,抗精神病薬の数年以上の大量長期連用,多剤併用などが,症状の重症化および非可逆化を促進している要因と考えられる。
 5)tardive dyskinesiaに特異的な脳の器質的変化を示す脳病理学的,神経生理学的所見は見出されていないが,線状体におけるd。pamine系の活動元進,choline系活動の相対的低下があることは確からしい。dopamine系機能充進の背景に受容体の“denervation hypersensitivity”を想定する仮説は,入間では立証されなかった。この仮説は一過性の離脱dyskinesiaの説明に適用されている。
 6)従来試みられた多くの「治療薬」は,dyskinesiaの生化学説の検証には役立ったが,実用に供せられるほどのものはないようにみえる。発症および非可逆化の原因となる抗精神病薬は,如何に有効であってもdyskinesiaの治療薬とすることはできない。休薬によって症状の消失,少なくとも軽減が期待できる以上,「治療薬」は原則として自然の回復を促進する手段としてのみ用いられるべきである。
 7)この副作用の発生を考慮しても,分裂病の治療における抗精神病薬の有用度は依然として高い。抗精神病薬を長期使用する限り,dyskinesiaの発生を完全に予防することは不可能であるが,重症化と非可逆化を防止することはできる。病状と経過に応じて薬量の削減と投薬期間の短縮を心掛け,抗パ剤を含む多剤併用の長期化を避け,早期発見と迅速な処置という薬原性疾患予防の原則を忠実に守って,被害を最小限にとどめるのが今日の臨床家に課せられた義務である。

抗精神病薬の血中濃度—その効用と限界

著者: 高橋良 ,   吉本静志

ページ範囲:P.213 - P.219

I.はじめに
 精神分裂病への治療法として,薬物療法は現在,広範に用いられ重要な役割を果たしているが,その薬物の生体内代謝および動態を知り,それを応用することによる薬物療法が,はじめて科学的根拠に基づくものとなるといえよう。したがって近年体液中の薬物濃度の測定が,比較的容易に行なえるようになるにつれ,実際に薬物効果を発揮する体内の薬物の濃度を測定し,それと効果を照らし合わせ,科学的薬物療法の確立に活用する研究が活発に行なわれ注目されている。
 本論文では,抗精神病薬の血中濃度測定の効用と限界について,1)血中濃度測定の臨床的意義,2)血中濃度と治療効果,3)血中濃度と副作用,4)治療効果の予測性,5)血中濃度と病態生理について,クロールプロマジン(CPZ)およびハロペリドール(HPL)を中心に述べてみたい。

Neuropeptideと精神医学

著者: 金戸洋

ページ範囲:P.221 - P.230

Ⅰ.Neuropeptideと精神医学
 精神機能,意識あるいは心的状態とその結果としての行動を内因性の化学物質の作用としてとらえようとの試みは,近年,急速に発展しつつある研究分野ということができる。
 従来,特定の腺で産生され,血流によって運ばれて他の組織または細胞に作用してその機能レベルを促進または抑制するものとされてきたホルモンが,視床下部—脳下垂体系ホルモンの研究を中心に神経内分泌学へと発展した。

精神薬理学からみた精神病の成因論—精神分裂病に対する最近の知見から

著者: 大月三郎 ,   長尾卓夫

ページ範囲:P.231 - P.238

I.はじめに
 向精神薬は中枢神経系に作用して精神状態に一次的影響を及ぼす薬物である。その作用は,神経伝達物質の代謝や受容体の機能に影響を与えることで発現していると考えられる。したがって,薬物の作用機序を調べることによって,薬物の奏効する精神状態における脳の機能状態を,神経伝達機構の面から明らかにしていくことが可能であり,ひいては,精神分裂病や躁うつ病のような原因不明な精神病の成因に迫る手段を提供するであろう。
 向精神薬には,精神障害の治療薬として用いられるものと,精神異常を発現させるものがある。治療薬の分類は代表的な精神状態に対する効果によってなされている。したがって,同じ群に属する薬物に,ある共通した作用特性があるとすればその作用特性は効果を示す精神状態と何らかの密接な関係を持っているに違いない。
 薬物の作用は,行動学的,生理学的,生化学的に調べられている。行動学的,生理学的な薬物の作用は,シナプス後の受容体の機能変化の表現である。特に行動面における薬物の効果はそうである。これに対して,生化学的薬理学では,従来の研究が神経伝達物質の代謝,すなわち,生合成と分解,貯蔵と放出,再とりこみなどへの薬物の影響を調べることが主であったが,最近では,受容体そのものを研究対象とするようになり,1つの神経伝達物質の受容体にも,多種類の受容体が存在することが知られてきた。
 本編では,抗精神病薬の作用機序と,アンフェタミン中毒について,最近の知見を中心として紹介し,精神分裂病の成因論との関係に触れていきたい。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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