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文献詳細

雑誌文献

精神医学23巻1号

1981年01月発行

文献概要

古典紹介

Jakob Wyrsch—「混合精神病について」—第2回

著者: 木村敏1 小俣和一郎1

所属機関: 1名古屋市立大学医学部神経精神医学教室

ページ範囲:P.63 - P.72

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 Ⅱ.
 〈症例1〉Heinrich Moritz 1884年生れ
 政治的に重要な役割を果した或る外国家系の出であるが,精神病の遺伝負因も濃厚。父親はときおり追跡念慮を口にし,探偵が自分を見張っていると考えていた。母親は精神病で,自分の家族を毒殺しようとして入院させられ,ある私立精神病院で自殺した。父方のおじの一人は大物の政治家であったが,幾度も興奮状態に陥った。父方のおばの1人は一風変った人物で,事情はわからないが入浴中に溺死した。父方の祖母は,風変りなことで有名な家系の出身であった。母方のおじの1人はオーストラリアの精神病院に入院しており,母方の祖父は年をとってからやはり精神病に罹患した。患者のただ1人の姉は,長い間外国の精神病院に入院していた。ただ1人の兄も,変ったことに興味をもって研究をしていたが,それは患者のもった興味と類似していた。
 一家ははじめヨーロッパに住んでおり,患者はオーストリア,イタリアそして最後にはハイデルベルクで育ったが,そこですでに精神科を受診したことがあったという。1903年,一家はジュネーブに移り,モーリッツは工業学校に入学したが,彼の知能からすれば簡単に通るはずの卒業試験もうけなかった。母の死後,彼はかなりの財産を相続し,それ以来怠惰に人生をおくり,ついには家族から離れて一軒の家を購入した。一度婚約をしたが解消している。彼が後になって皮肉っぽく語ったところによると,イギリスから訪ねてきた自分の花嫁を「うるさい外国女性」として警察に通報し,「国外追放」にしてしまった,とのことである。1912年,カナダに移住して土地相場の仕事をはじめた。この目的のために同性愛関係にあったという若い運転手と共に,車でフランスを通ってサン・ナゼールへ行き,車と運転手を船につんでまずベラ・クルスにつき,ついでメキシコを横断し,太平洋に沿って大まわりをしてとうとうブリティッシュ・コロンビアに到達した。そこで彼は車を売って,運転手をスイスへと送り返した。しかし土地相場は失敗し,まもなく彼は政府の移民広報にだまされたと思って新聞で政府を攻撃し,ついには再びカナダから立ち去る決心をした。1914年,タヒチに移ったがそこで戦争が勃発し,ドイツの戦艦による艦砲射撃に見舞われたが,後には再び失望してブリティッシュ・コロンビアへまいもどった。彼は当時はまだ大変な愛国者で,政府にモーターボートや武器をおくり,自分を"軍事顧問"として売り込もうとした。しかしそめ望みはきき入れられず,またしても政府といざこざを起こし,復讐しようとして1915年自ら考案した潜水艦の潜望鏡のモデルをたずさえニューヨークを経てヨーロッパへと旅出ち,スイスへ入った。ドイツ側にねがえり,自分をだましたと思っているイギリスと闘うために,ドイツ政府と連絡をつけるべく手続きをとった。しかし彼の精神状態を心配した家族は,先手を打って禁治産の申し立てをしていた。1915年11月,モーリッツは精神鑑定のため聖ウルバーン精神病院へ送られ,その後1933年夏に生れ故郷へ送り帰されるまでの約18年間をこの病院ですごした。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-126X

印刷版ISSN:0488-1281

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