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雑誌目次

雑誌文献

精神医学23巻10号

1981年10月発行

雑誌目次

巻頭言

覚醒剤中毒対策の落し穴

著者: 後藤彰夫

ページ範囲:P.968 - P.969

 覚醒剤中毒については,昭和23年頃より昭和30年代初頭までのいわゆる「第一次乱用期」における臨床精神医学的・社会精神医学的知見が著者らの「覚醒剤中毒」(立津政順,後藤彰夫,藤原豪共著,医学書院,昭和31年6月発行;覆刻版,木村書店,昭和53年7月発行)にまとめられている。
 とくに,臨床精神医学的な面で注目されたのは中毒患者の入院後の「経過」についてであった。つまり,「恢復期」をすぎ,「状態固定期」に入ってから,74例のうちの17例(23.0%)にSchubまたは躁ないしうつ的状態の波の繰り返しがみられたのである(同書179頁,第85表)。この波は,6例では入院後1年3ヵ月ないしは1ヵ月まで続いて後は起らなくなったが,残りの例では観察中なお続いていて,長いものでは6年1ヵ月後でも躁うつ的波の繰り返されている例がある。波の特徴は,頻回に起ること,その持続期間の短いこと,急に来て急に去ることである。1〜2日間の波が多く,緊張症状群,妄想,自我障害症状,躁状態やうつ状態などの出現や亢進などを呈することが多く,精神的原因で誘発されるものとそれらの認められないものがある。ただし,このSchubを繰り返すことにより,精神的傷痕(欠陥)の深くなった例はなかった。

特集 失行

シンポジウム「失行」によせて

著者: 大橋博司

ページ範囲:P.970 - P.970

 1980年9月6,7両日にわたって京都で行われた第4回神経心理学懇話会のシンポジウムには「失行」“Apraxia”がとりあげられた。
 わが国における失行に関するモノグラフといえば,秋元「失行症」(1935),大橋「失語・失行・失認」(1960),同「臨床脳病理学」(1965)があるが,その後はいくつかの総説と散発的な症例報告に止まり,今回のように失行の諸問題を種々の視点から集中的にあつかったことは久しくなかったのではないかと思う。ここ数年来,「神経心理学」“Neuropsychology”の術語の定着と共に,わが国においてもこの方面への関心が急速に広がっていることもあって,約200名を超える出席者を京都に集めえたことも,ささやかな懇談会の主催者の予想を上まわる何よりの喜びであった。

失行論へのプロレゴメナ

著者: 浜中淑彦

ページ範囲:P.971 - P.978

I.はじめに
 人間や動物の運動に関する研究の端諸は言うまでもなく古代科学(例えばAristotelesのDe motu animalium)に遡るものであり,中でも失行との関連で問題になる身振りgestureは演劇学(例えばLucianusの"cheironomia")などで古くから論述の対象となっていた。ルネサンスにはCardanoが手話法(聾唖)の可能性を論じ,Tuccaroがアクロバットの記録法を考案,17世紀に入るとF・Bacon(1705)が身振りの科学の必要性を指摘,18世紀末から19世紀中葉にかけて相貌(Camper,1774/82:Lavater,1750)や表出運動(Bell,1806;Gratiolet,1865;Darwin,1872)に関する研究が進展し,医学においても例えばDuchenne(1862 & 1867)は自然の状態では単一筋の運動は存在せず,電気刺激によって身振り運動は出現しないことを指摘するに至った。しかしながら今までのところ,18世紀以前には脳損傷による行為障害の明確な記載は知られていないのであって,失行症状への言及はLatham(1861),Jackson(1864)を待たねばならず,失行概念の形成(Meynert 1890〜Liepmann 1900)も神経心理学史上,失語(Bouillaud 1825〜Broca 1867)や失認(Munk 1877〜Freud 1891)のそれより遅れることとなった。Liepmann以後は諸々の失行型が記載され,1960年には国際学会における失行シンポジウムが開催されたが,近年学際的視点の導入に伴って夥しい数の研究が発表されつつある。ここではその主要な趨勢を概観しつつ,今後の失行論への手がかりを探ってみたい。

失行テストへの一つのアプローチ

著者: 山鳥重 ,   小倉純

ページ範囲:P.979 - P.983

I.はじめに
 Liepmann1)の定義によれば失行とは「運動機能が把持されているのに目的に合う運動ができないこと」である。もう少し細かくいえば「運動麻痺,運動失調,不随意運動などが(ほとんど)存在せず,また行うべき動作を理解していながら,しかも行為の遂行に障害を示すもの」(大橋2))を言う。しかし実際の臨床場面においては,このような具体的定義をもってしても,患者の示すある特定の運動異常を失行と考えるべきか否かを決し難いことが多い。理由は色々あろうが,そのうちの一つに,失行という概念が「行為」の異常というきわめて広範囲な能力の異常を対象にしているという事実がある。行為とは考えようによれば人間行動の全てともいえよう。従って当然失行概念が捕捉しようとするものも拡大せざるを得ないことになる。
 このことは対照として「失語」を念頭におけば直ちに明らかとなる。失語は言語という「ある社会に共通のsymbolの体系」の障害を指す。言語については大まかな点では誰にでもその内容の了解が可能である。当然何が失われるかについても共通の認識が存在することになる。しかし失行の場合,失語と比較可能な次元での失われるべき「行為シンボルの体系」はない。だから失行を扱うに際しては失語を扱うのとは違う視点が要求されることになる。
 以上の基本認識に立って失行テストを作りあげるために,(1)どのような入力で行為異常が生じるのか,(2)どの身体部分に行為異常が生じるのか,(3)どのような種類の行為異常を問題にしているのか,の3点から従来の失行研究を整理してみたい。その上に立って,必要最小限と思われる要素を抽出し,できるだけ簡易な失行テスト要領をまとめてみるのが小論の目的である。
 ところで今までの失行症の命名ぶりを振り返ってみると,身体部位による命名(顔面失行,躯幹失行など),運動による命名(発語失行,開眼失行,歩行失行など),失行発症の中枢機構についての仮説に基づく命名(観念運動失行,観念失行など)など多くの異質なものが混在していることが分る(表1)。失行症をできるだけ客観的に研究し,新しい方向を見出すためには過去の名称にこだわらず,どのようなテストでどのような行為異常が生じたかを正確に記載してゆくことの必要性が痛感される。

発達過程における行為障害

著者: 山口俊郎

ページ範囲:P.985 - P.989

I.はじめに
 子どもにおける失行あるいは行為障害の症例報告は非常に少ない。Ajuriaguerra, J. de2)は子どもにみられる失行として,運動実現の失行 apraxiedes realisations motorices,構成失行 apraxie constructive,空間運動失行 planotopokinesie et cinesies spatiales,顔面失行 apraxie faciale,姿勢失行 apraxie posturale,事物に関する失行 apraxieobjective,言語性失行 apraxie verbaleなどをあげているが,子どもにおけるこれらの失行症状は,運動や知能の発達と複雑に絡みあっていて,すべてを失行と言えるかどうかは疑問であると指摘している。成人における失行は,一度獲得された一般行為 praxieがなんらかの脳損傷のために障害を受ける文字通りの失-行 a-praxieであるのに比し,子どもでは,運動,行為,認識,言語機能もまだその発達過程にあり,失行とみえる症状も,先天性の場合にも,後天性の場合にも,種々の神経心理学的機能の発達過程を考慮しながら理解されねばならない。このため,子どもでは,失行 apraxieという術語よりも行為障害 dyspraxieという術語が用いられることが多い。Ajuriaguerraら1)は,1960年のフランス語圏神経学会で,成人の失行に関しても,脳損傷の部位や性質と関係なく,機能崩壊という観点から発達段階上の退行に対応するように,失行を感覚-運動的失行 apraxie sensorio-kinetique,身体-空間的失行 apractognosie somato-spatiale,象徴形成の失行 apraxie de formulation symboliqueに分類しようと試みた。Piaget, J. は同学会で「子どもの行為 Les praxies chez l'enfant」8)についての講演を行ない,Ajuriaguerraらの上記の分類がPiaget自身の発達段階論に対応するものであることに言及している。発達過程にある子どもでみられる行為障害に関しては,とくにこの第2の身体-空間的失行という考えは多くの示唆を与えてくれる。

脳梁性失行症

著者: 岩田誠

ページ範囲:P.991 - P.999

Ⅰ.脳梁性失行症の提唱とその歴史的展開
 1900年,LiepmannはApraxiaに関する記念碑的な論文を提出したが1),彼自身は,この症例における一側性失行を,脳梁病変によるものと考え,有名な失行症の垂直シェーマを提唱した2,3)。しかし,今日では,この症例のApraxiaは,脳梁損傷に基づくものではなかったであろうと考えられている。脳梁損傷による劣位半球のdisconnexion syndomeとしての一側性運動失行症の最初の報告は,1907年,LiepmannとMaas4),Hartmann6),Vleuten5)により,各々独立に発表された3例である。
 図1は,その3例の病変部位を示すシェーマであるが,いずれも左半球内側部の病変を伴っている。脳梁は,その幹が共通して損傷されており,膝および吻または膨大のいずれか,または双方が残存している。これらの患者では,検者が口頭で命じた動作を,右手では容易に行えたが,左手ではこれを行うことができなかった。しかも,言語命令だけでなく,検者の動作を見て,それを模倣するということも左手では不能であり,また,くしやはさみなど,実際の物品を手渡して,これの操作を行わせると,3例とも右手では正しい物品の操作ができたが,Vleutenの症例以外の2例では,左手による物品の操作も不能であった。

半側身体の回避反応と失認に関係ある一側性失行

著者: 浅川和夫

ページ範囲:P.1001 - P.1005

I.はじめに
 一側性失行とは一般には身体半側の四肢に出現した肢節運動失行または観念運動失行を言うのであるが,Denny-Brown(1958)3)は四肢に現われた把握反応(grasping reaction)や回避反応(avoiding reaction)をも運動失行とみなして,一側半球の損傷により反対側の上下肢に出現したものを一側性運動失行(unilateral kinetic apraxia)として記載している。前者を磁性失行(magnetic apraxia),後者を反撥失行(repellent apraxia)と名付けている。しかし,これらの報告例は少なく,失行の型としては必ずしも支持されてはいない。Hecaenら11,12)はこの型の失行の存在を認めてはいるが,その位置付けには厳密さに欠ける点があるように思える。最近Laplaneら(1979)14)が5例の回避反応を報告しているが失行としての考察はみられず,この型の運動障害発現の病理的解明を試みている。回避反応の病巣に関してDenny-Brown3,4)は頭頂葉病巣によって発現した前運動領,帯状回,海馬回領域の解放現象であるとしているが,人間においてその検証は十分であるとは言えない。他方,回避反応以外の一側性失行,特に一側性観念運動失行とdisconnection syndromeとの関連は,なお重要である。
 著者は身体一側の上肢及び下肢にこの回避反応を呈した4例を一側性失行として既に報告してあるが(精神経誌,1969)1),ここでこの4例を再びとり上げ,上述の問題点を踏まえ,その後報告されている知見を参考にして一側性失行に再検討を加える。

構成失行—その概念と左,右半球損傷例の差異について

著者: 久保浩一

ページ範囲:P.1007 - P.1012

I.はじめに
 構成失行constructional apraxiaは,Kleist(1912)によって他の失行症から分離され,以後,独立の失行型として認められて来た。しかし,現在では構成失行という用語はKleistが用いたときよりも広い意味に使われている。また,Kleist(1922/1934)1)は構成失行の責任病巣として左頭頂葉後部を重視していたが,PatersonとZangwill(1944)2)の研究は右半球の損傷によっても構成失行が起こることを示し,以後の研究は左,右半球損傷による構成失行に差異があるか否かに集中することになった。
 本稿では,これらの点を中心に,主要な文献について考察してみたい。

急性一酸化炭素中毒における構成行為障害とその周辺症状—特に計算障害と時計時間失認

著者: 志田堅四郎

ページ範囲:P.1013 - P.1017

I.はじめに
 構成行為は記憶による形態の想起か,または外空間に存在する形態の再構成行為の両者を意味する。外空間にある形態の再構成行為は外空間の認知の程度とからみあい,認知の二次的表現か,否かは認知自体の存在を別に検討することによって,その関与を多少とも計り知ることができる。しかし記憶による形態の再構成は自発画の欠如をもって表現され,その本質を見極めることには困難がある。
 本稿では構成行為に伴う周辺症状としての特に計算障害と時計時間認知障害とをとりあげて,描画行為での自発画と模写との関連から,自発画の障害の意味を考えることにした。

Disconnexion Syndromeと構成失行—脳梁後部切断例の研究を中心に

著者: 杉下守弘 ,   岩田誠 ,   篠原明

ページ範囲:P.1019 - P.1023

I.はじめに
 脳梁,前交連などの交連線維束の損傷によって生ずる左右半球間の離断症候群の研究は,1960年代から盛んとなり,失語・失行・失認の究明に多大な貢献をなしてきた。そして,それは,構成失行の究明についても例外ではない。本稿は脳梁・前交連などが切断された症例や脳梁の一部分が切断された症例の研究から得られた構成失行に関する知見を概観し,我々が行った脳梁後部切断例に関する研究を報告することを目的とする。

Apraxia of Speech—その臨床像と障害機構をめぐって

著者: 笹沼澄子 ,   伊藤元信

ページ範囲:P.1025 - P.1032

I.はじめに
 1968年American Speech and Hearing Associationの総会において,F. L. Darley1)は,言語表象の操作機能の障害として失語症とは別に,また,発語筋の麻痺・失調などに基づく麻痺性構音障害とも独立して存在する,特殊な構音障害の問題を取り上げて歴史的概観を試み,それを“apraxia of speech”という術語を用いて臨床的に分離することの妥当性を主張した。以来,この問題をめぐる一連の研究が相次いで報告され2〜6),その臨床症状については,表1に示すような特徴が明らかにされている。
 Darleyらは,こうした臨床症状をもたらす障害機構として“motor programming for speech”または“programming of articulatory rnovements”に破綻が生じた状態を想定しており,1975年のMotor Speech Disorders6)においては,次のように述べている。
 “It is defined as an articulatory disorder resulting from impairment, due to brain damage, of the capacity to program the positioning of speech musculature for the volitional production of phonemes and the sequencing of muscle movements for the production of words.”(p. 255)
 発語行動に関与する諸過程を,もし図1のように模式化7)しうるとすれば,Darleyらのいう“motor programming for speech”は,〈構音運動の企画過程〉(レベル3)に代表されることになろう。すなわち,〈思考過程〉(レベル1)から出力された特定の概念ないし情報は,<符号化の過程>で意味規則や統語規則の適用を受けて抽象的な文の形に符号化され(レベル2-a),音韻規則に従って音韻の選択と系列化が行われる(レベル2-b)。これを入力として,発話に必要な構音運動のprogramming注1)が行われるのが〈構音運動の企画過程〉(レベル3)であり,次のく構音運動の実行過程〉でそれが実際の音声に実現される(レベル4)。
 Apraxia of Speech(発語失行症)注2)についての,おおむね以上のような考え方は,主として米国の言語病理学の領域に浸透しつつあり,特に臨床診断の精密化,ならびに,より適格な治療プログラムの開発へ向けての大きな推進力となってきた。
 しかし一方,発語失行症を特徴づける臨床症状の詳細,障害の発生機序ないし障害機構についての概念,さらにはapraxia of speechなる術語の妥当性をめぐって,さまざまな論議が交わされていることも事実である。こうした論議の1つは,Darleyらの記述になる臨床症状が,はたして<構音運動の企画過程>の障害に基づくものであるのか,それとも音韻論的レベルの障害,つまり<符号化の過程>における音韻規則の適用の障害,を反映するものであるかという問題である。
 たとえばMartin8,9)は,“発語失行症”を合併する失語症患者における構音の誤りを弁別素性を用いて分析した諸研究(Lecours and Lhermitte,196910)3;Martin C13 and Rigrodsky,197411);Trostand Canter,19744))に言及し,これらの研究で対象とした患者の構音の誤りの大多数が弁別素性の1つないし2つしか違わない“似た”音への置換であることを指摘している。彼によれば,このような規則性の存在を示唆する誤りは,発語運動の企画の障害よりも,むしろ音韻操作の誤り,すなわち,音韻論的(言語学的)レベルの障害を反映するものであり,したがって,apraxia of speechという用語の使用は適切ではないと主張している。
 この点を明らかにすることが,理論的にも臨床的にも重要であることはいうまでもなく,事実この点に着目したいくつかの研究成果(Martinへの反論も含む)7,12)も報告されている。しかし問題は,対象となっている症例の大多数において,これら2つのレベルの障害が混在していること(つまり,純粋な発語失行症例がまれであること)であり,したがって発語失行症本来のく構音運動の企画過程>の障害を〈符号化の過程〉の障害から分離することが実際上困難なことである。こうした問題を切抜ける1つの方法は,<符号化の過程>の障害の合併しない,できるだけ純粋な発語失行症を示す症例を探しあて,その障害の実態を,現在可能な複数の検索法を組み合せて系統的に観測することだと思われる。幸いにして,このような比較的純粋な発語失行症を示す症例を長期にわたり追跡する機会を得たので,今回は,この症例に対して行なった一連の検索の一端を報告させていただく。特に,図1の発話過程の模式図における〈構音運動の企画過程〉(レベル3)が,先行する〈音韻規則の運用過程〉(レベル2-b)ならびに後続の<構音運動の実行過程>(レベル4)のそれぞれから,はたして分離しうるかどうかという点に問題をしぼって考えてみることにしたい。

構音失行の診断上の2,3の問題点について

著者: 重野幸次

ページ範囲:P.1033 - P.1040

Ⅰ.緒言
 構音失行(articulatory apraxia)は,脳損傷による話しことば(語音表出)の障害で,構音筋群(口唇,咽頭,舌)に運動麻痺や協調運動障害がないにもかかわらず合目的かつ意図的構音(発話)が損われている状態をいう。構音失行は純粋例をみることは稀で,ふつう運動性失語症の主症状としてみられるが,これまでこの症候に与えられた数多くの呼称に象徴されるよう,その病態の解釈,一臨床症候としての独立性については未だ統一された見解がないのが現状である。筆者は,本小稿においてまず失行症という立場からこの症候の臨床診断上の幾つかの留意点を述べる。次に今日に至るまで用語上の混乱を招いた経緯を整理した上自験症例より本症候の臨床的特徴,および失語症(特に運動性失語症)との鑑別点について述べてみたい。

“Apraxia of Speech”—その術語についての再検討

著者: 大東祥孝

ページ範囲:P.1041 - P.1046

I.はじめに
 ここで筆者の論じたいことは,最近“apraxiaof speech”と称されている現象に関し,これを“失行”の枠内でとらえることが真に妥当であるか否か,換言すればかかるterrninologyで当面の現象を記載することが適当であるか否か,という問題である。紙数が限られているので具体例を挙げて詳述することは別の機会にまわし(大東36),1981),今回は主として概念上の理論的問題点をいくつか指摘しておくにとどめたい。
 “apraxia of speech”という用語は1960年代後半,Darleyを中心とするMayo学派によって,“verbal apraxia”を継承する概念として提出されたものであり(Darley10),1968),従来の構音障害dysarthriaとの鑑別,及び本来の失語aphasiaとの鑑別を主たる目的として登場してきたものであって,一般に“programming of motor speech”の障害であると定義され,最初はアメリカ中西部の言語病理学者speech pathologistによって用いられ,最近本邦においてもかなり頻繁に使用されるに至っている概念である。ちなみにDarleyは“verbal apraxia”を“apraxia of speech”とした理由について,前者の場合,書字障害をも含むかの如き印象を与えるので後者の術語が案出されたと述べている(personal communication,1979)“apraxia of speech”は一般に発語失行と訳されているようだが,“verbal apraxia”との異同を明確にするために発話失行という訳語をあてるのも一案ではないかと考えられるが,いずれにしてもこれは,本邦において大橋33)がP. Marieのアナルトリーanarthrieの訳語として用いた構音失行(1960)にほぼ相当する概念であることは大方のみとめるところである。

失行の辺縁領域—その概観

著者: 鳥居方策

ページ範囲:P.1047 - P.1053

 失行の辺縁領域を論ずるためには,当然その中核群ともいうべき真の失行の範囲を明らかにすることが必要であろう。現在,諸家が「真の」失行として異存なく認めているのは,観念運動失行,観念失行,構成失行,および着衣失行の4者である。ところが,これらのほかにも容易に錐体路系または錐体外路系の障害などに帰することができないような行為ないし動作の異常が知られている。ここでは便宜上,表1に示した種々の病態について,その概要を述べることにしたい。

研究と報告

嘔吐を繰り返す1症例の理解

著者: 岡田隆介 ,   米川賢 ,   引地明義 ,   磯辺省三 ,   杉山信作

ページ範囲:P.1055 - P.1061

 抄録 幼児期より嘔吐を繰り返し,多彩な随伴症状とその変遷を示した1例を経験した。我々はその症例理解にあたって,Psychodynamism,Biophysiology Sociopathologyの3つの側面を考えた。Psychodynamismとは自らの父親に見すてられる不安から教育者を演ずる母とそれを呑めずに吐く子との関係であり,Biophysiologyとは視床下部機能などの身体的要因であり,Sociopathologyとは医療・学校との間におきた軋轢である。それぞれに対して治療がなされたが,主として社会病理的側面において問題が残され,結果として本児の症状が,意識的・社会的性格をおびてくることになった。

精神薄弱者訓練施設におけるてんかん患者の臨床像

著者: 三浦まゆみ ,   内藤明彦 ,   金山隆夫

ページ範囲:P.1063 - P.1071

 抄録 精神薄弱者訓練施設に入所している461名を調査し,てんかんを合併している者は105名(23%)であった。このてんかん105名について,性,年齢,発病年齢,知能指数,脳波所見,推定原因,抗てんかん剤血中濃度とその副作用,てんかん発作型などについて調べた。これらの調査項目について,てんかん群全体で各項目間の相関の有無を調べ,さらにてんかん群を最近2年間発作のみられた群(A群)とみられない群(B群)の2亜群に分け,それぞれの項目について群別比較を行った。
 その結果は以下に要約された。てんかん群全体の2/3はA群に属しており,それらA群は若年発症が多く,発作型としては続発全汎発作がその約6割を占めており,最重度精薄の占める比率が高かった。最重度精薄群では,他の群に比べてPB血中濃度が高く,PHT血中濃度が上昇しにくかった。「眠気」とPB血中濃度高値との間に相関がみられた。

古典紹介

Hans Berger—ヒトの脳波について—第3回

著者: 山口成良

ページ範囲:P.1073 - P.1081

 これらの研究結果から,頭蓋欠損の上の頭皮から,または損傷されていない頭蓋の頭皮から,そして硬膜上から導出される,上に詳細に記載された電流変動が,単に,大脳の運動の表現,または動脈,毛細管,静脈などの血管の,変化する充盈によって生じた頭皮の運動の表現であるという異議は却下しなければならないと私は信ずる。私はすでにかつて強調したごとく,そのような仮定でもっても,例えば図4と5において示したごとき,一つの心拍動内に,本質的に常に同じ大きさの変動を示す,そのような規則的曲線を決して説明できない。他方また,図7と8に再現されているそのような不規則な曲線をただ血管の充盈の変動によってのみ説明することは容易ではない。
 頭皮または硬膜上から導出された電流変動が,頭皮または大脳の血管の変化する充盈によって制約されるという仮定を論駁することでもって,勿論,Tschirjewにょって言及された,電気現象は血管壁への血液の摩擦を通しておこるという他の異議は論駁されない。確かにわれわれは,電気的変動の幾分異なった経過と,そしてまた脈拍波とのある類似を期待するかも知れない。しかし私の意見では,動物実験はそのような仮定に反対する。潟血は,イヌの脳の表面から導出された電流変動の振幅に一時的増大を生じる。同様に,両側の頸動脈の結紮は,それらの振幅に影響しない。そして最後に,図3において示されたごとく,心拍動と呼吸の停止にも拘らず,電流変動が存続することが観察されうる。丁度,Kaufmann,Cybulski,そしてPrawdicz Nerninskiのように,私はTschirjewの異議は適切でないと思う。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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