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雑誌目次

論文

精神医学23巻11号

1981年11月発行

雑誌目次

巻頭言

精神衛生に関する国際協力活動について

著者: 高橋良

ページ範囲:P.1090 - P.1091

 1981年の今年もまもなく終りに近づきつつあるが,今年は我が国にとっても精神医学に関連して,実に多くの国際学会や国際交流活動があったと思われる。この傾向は近年ますます,つよまっているが,特に今年度,強い感想をもったのは我が国において,大きな関連国際学会が東京における7月の薬理学会を皮切りに,9月には脳波・臨床神経生理学会議,てんかん学会,神経学会が京都で継続して行なわれたことが一因であるが,これらに関係してサテライトシンポジウムが日本国内各地で開催されたことも関心をよぶものであった。更にリチウム療法の第一人者であるデンマークのM. Schou教授の来日講演とリチウム研究会が4月に,米国精神医学学会のDSM-Ⅲ作成委員会責任者,Dr. R. L. Spitzer博士の来日講演とこれをめぐるシンポジウムが10月末から11月初めにかけて行なわれ,10月末には第3回日本生物学的精神医学研究会の学術集会に非定型精神病の臨床生物学の著名な精神医学者が欧米から多数参加したことも特記すべきことであった。国外においては6月末にストックホルムで生物学的精神医学連合の第3回国際会議が行なわれ,メンバー学会である日本の研究会からも多数の会員が参加発表した。また9月初あにマカオにおいて第3回国際社会精神医学会アジア版として比較文化精神医学会が行なわれ,WHOの招待で筆者も参加することができた。他方,国際精神神経薬理学会(CINP)のアジア版が10月初めに香港で行なわれ,世界精神医学連合(WPA)のアメリカ地域会議が10月末から11月初めにかけてニューヨークで開催され,我が国からも参加者があった。この他にも国際精神分析学会やアルコール学会などが海外で行なわれ,日本精神病院協会主催の海外精神医療施設や政策の研修視察も行なわれたと伺っている。医学の中でも最も国際交流が難しいと考えられてきた精神医学の領域で,これ程までに活発な学術交流が行なわれるようになったことは昔日を知る者にとっては驚きでさえある。
 このようにある種の進歩といえる段階になったのは世界を狭くした社会経済的変化が一因をなしていることは疑いないが,それとともに各国の精神医学を同一のテーブルにのせて,共通の言葉で語り,開発途上国も工業先進国も含めて精神障害の治療改善と精神保健の増進を目標に活動している世界保健機関WHO精神衛生部の長年の努力やWPA及び世界精神衛生連盟の各種活動に深く負っていることに注意せざるを得ない。

特別講演

機能性精神病に関するWHO研究協力センター開所式によせて

著者: 中島宏

ページ範囲:P.1092 - P.1093

 私にとって本日,機能性精神病に関するWHO研究協力センター開所記念式及び明日の講演会に対し挨拶を申し上げることは非常な喜びである。長崎大学精神神経科学教室は顕著な業績を残しており,又センター長である高橋良教授の有能な指導のもとに,将来研究協力センターとして機能性精神病の分野で貴重な貢献をなし得る筈である。WHOにとって精神衛生は大きな関心事であり,過去数年間その活動は西太平洋地域において活発化している。そしてこの地域の多くの地方に於いて精神衛生の今日の発達が,人口統計学的ならびに社会的変化を背景にして生じている。死亡率が低下したために老人人口の割合が多くの国々で増加している。そのため老年に関する疾病の問題や依存性というものが重大な問題となりつつある。景気後退のために失業者が増加し,これが特に打撃を受け易い非熟練労働者,移民そして学校中退者などに大きな社会問題をひきおこしている。急激な工業化と都市化も郊外から都市への人口移動と伝統的な家族制度の崩壊をきたし,これが一層の社会問題を起こしている。住宅事情は多くの大都市において悪化し,社会病理学の種々の指数,例えば犯罪や少年非行が一層顕著になってきている。
 医療及び社会奉仕の変化もまた精神衛生にとって大いに重要である。インフレの結果として診療費が上がり,国によってはこれを維持出来ないという事態にまで達している。その結果は医学的社会的プログラムの縮小などにすでにあらわれているし,また熟練したマンパワーの不足にもあらわれている。同時に一層の専門化と進んだ技術への需要から巨大な新病院組織が設立されたが,サービスすべき住民の中心からしばしば離れた位置に立地されている。このような背景を考慮すると,精神衛生サービスの質,内容は世界中において変りつつあり,それらは地域の変化に沿うよう柔軟性を維持してゆかねばならないということは意外な事ではないのである。過去数年間に渡りWHO世界大会でWHOの全体的プログラム政策と戦略の方向転換となる一連の決議が採択されてきた。これらの決議は,国の自立性を推進しかつサービスを受ける住民の衛生状態の改善に直接かつ有意義に貢献するそれぞれの国の衛生目標に向かって社会的に関連する技術的な協力をすることの重要な役割を強調しているのである。指導原則として衛生プログラムの社会的関連性を認めたこの期間を通じて,精神衛生は多くの国々の大きな関心事になってきて,一連の決議を通じてこれらの国は,その緊急な精神衛生問題に答える新しいプログラムや活動を開発するようWHOに要求している。これらは例えば,心理社会的要因と健康の領域,薬物依存,精神遅滞,アルコール問題,精神衛生の推進と麻薬会議を含んでいる。精神衛生に関する地域のプログラムは公衆衛生的アプローチと全般的衛生と社会経済的発展の中への精神衛生の統合への強調を特徴としている。精神衛生の他の新しい面は社会活動の領域,特に都市化や家族構造の変化を含む急速な社会変化の有害な結果の防止と新しい教育機会の推進に精神衛生の知識を応用することであろう。

機能性精神病に関するWHO研究協力センター設立の背景と今後への期待—基調講演

著者: サルトリウス

ページ範囲:P.1094 - P.1098

 長崎のWHO研究協力センターの開所,おめでとうございます。WHO西太平洋地域事務局長の中島先生の御祝辞に和して,私も心からの御祝いを申し上げます。さらに世界の国々のWHO精神衛生業務に携わる仲間からの御祝いもあわせてお伝えしたいと思います。
 私は,本日,高橋教授のお招きで基調講演をさせて頂くことを大変嬉しく,また光栄に思います。

特集 Ⅰ.社会精神医学と機能性精神病

いわゆる「急性精神病」に関する問題

著者: Strömgrenストレムグレン

ページ範囲:P.1100 - P.1106

 この論文のタイトルは,おそらくいくばくかの驚きとともに,当惑すら引き起すであろう。確かに,「急性精神病」は正確な学術用語ではない。あらゆる種類の精神病には急性期が存在しており,そのような全ての急性精神病相期に関して本論文で論評することを期待している人はいないと思う。本論文では,この急性精神病という用語をかなり限定した意味で用いている。それはまさに,国際保健機関の精神衛生部門が計画した特別研究に対する名称として応用された操作的用語,実用的用語なのである。従って,本稿で用いられる用語「急性精神病」は引用符づきのものと常に考えられるべきである。
 本稿では,このWHOプロジェクトの開始に関する背景を記載することから始めた方が実際的であるかもしれない。その研究の起源は多数の国でICD-8版や9版内の特定部分への不満にあるだろう。ICD-8版の発刊以来,このICDに従っては簡単に分類しえないいくつかの型の精神病が存在することが,特にアジア,アフリカ諸国の精神科医によって主張されてきた。そしてそれらの精神病は極めて頻度が高いとされているので,ICDのこの欠陥は重大なものであり,この分類を用いた日常の研究の足かせになっていると考えられている。これらの精神科医が意中に抱いているその精神病は,一般に痛烈な精神的ストレスへの反応として起るが,これらの病者の精神的ストレスに対する抵抗を減弱させるような身体疾患,あるいは身体的虚弱を背景にしてもしばしば起る,主として本質的に急性なものである。病者は妄想とか幻覚を伴う重篤で激しい症状や,症例によっては意識障害を伴う非常な情緒的混乱を示すかもしれない。しかしながら,これらの精神病の持続期間は短いという一般的傾向があり,類似の誘発状況が再起した際には,再発は起るが完全に回復するのが一般的である。ICDは主として西洋精神医学の,明確に言えば主にアングロ・サクソン精神医学の成果であることは事実である。しかし,西洋精神医学の要求にあった分類は,世界の他地域での精神障害には適当でないかもしれない。国際分類は,発展途上国の急速に発達する精神医学の要求にも合わせるべきであることが明白となった。従って,既に述べた型の急性精神病がICD内に特別なクラスを要求される程,頻度の高いものか否かを確認する目的をもつ国際研究をWHOが計画することは本来の業務である。

神経症性うつ病と精神病性うつ病—その再評価

著者: クラーマン

ページ範囲:P.1107 - P.1120

Ⅰ.序文
 このシンポジウムでなされる科学的講演は,機能性精神病についての疫学および社会精神医学に関するものである。私がこの論文で述べたいことは,この全体的なトピックのうちで,感情病の一例としての精神病性および神経症性うつ病の診断,分類および疫学に関する最近のアメリカ合衆国における傾向についてである。感情病の疫学および社会精神医学に関する最近のアメリカ合衆国における傾向について理解するためには,その歴史的および概念的背景について,いくらか言及した方がよいと考える。
 アメリカ合衆国における精神医学的疫学は,最近著しい変化と激動の時期を迎えている。中でも感情病の疫学は,社会精神医学からだけでなく,生物学的精神医学,特に遺伝学や精神薬理学さらに精神病理学,診断,分類に関する実験的および精神測定的研究からも強い影響を受けている。

病床使用状況からみた地域精神衛生サービス拡大の効果—4年間の実施の評価

著者: Häfnerヘフナー

ページ範囲:P.1121 - P.1132

 現在の広範な地域精神衛生サービスは主として外来治療の利用の増加をもたらした。
 患者の全体的流れとして,入院治療への抵抗は弱まっているが,入院率はわずかに増加しているだけである。同時に,長期使用病床は減少しているため,Mannheimでは全体の精神科病床は一定しており,病床率は精神科老人川施設を含め,人口1,000人当たり1.2,Weinheimの地域療養所を含めると1.66となっている。この値は,国際間で比較すると非常に低い。地域精神衛生サービスが整備されたドイツの町Mannheimで,現在,このような低い病床率で対応していけることが,明らかにされた。
 在来の長期入院のかなりな減少に引き続いて,新規の長期入院が増加しており,最良の地域精神衛生サービスでも今のところこれを防ぐことができないでいる。これらの患者は,以前の長期入院に比べ,高齢になって長期入院となっている。新規の長期入院の増加は,今のところ,在来の長期入院の減少よりも低い。長期入院群の診断分布も非常に変化してきている。
 短期や中期入院用の病床の必要性は,種々の原因で増加している。即ち,それはある種の疾患群の罹病率の増加,救急例や重症危機例による利用の増加,長期入院患者を非入院医療施設へ移行させたための,その再発に伴う短期や再入院の需要増大等である。短期や中期入院用の病床需要が,Mannheim,Salford,Samsφ,Camberwellでほぼ同じレベルであった。即ち,短期や中期入院病床率が,人口1,000人当たり0.6から1.0の間にあったのは興味あることである。一方,長期入院(1年以上)病床率はいまだに国により明白な差があった。

Ⅱ.アジアにおける精神衛生問題

東南アジアにおける精神衛生の研究

著者: ウイッグ

ページ範囲:P.1134 - P.1149

 (1)限られた資源,トレーニングされた研究者及び研究設備の不足,研究基金の不足にも拘らず,東南アジア諸国は精神衛生学的研究の分野で急速な発展を遂げてきた。これらの進歩の全てが,20〜30年という短期間に成しとげられたことを想起すれば,それは特に印象的である。しかし,この発展は諸国間では一様でない。インドなどこの地域の幾つかの国が現在,6つの専門的研究雑誌を発行し,精神衛生の種々の分野に関連した200以上の研究論文を毎年掲載している。しかし精神衛生に関する研究出版物を未だ殆ど持たない他の東南アジア諸国もある。
 (2)精神医学的疫学,超文化的精神医学及び精神衛生サービスの普及という領域において,注目に値する研究成果が得られた。しかし,生物医科学の分野での研究努力はひどく欠けている。東洋的宗教及び哲学に基づいた精神療法の新技法の分野では,幾つかの重要な個別的な研究努力が成されたが,その研究は精神衛生サービスに大きな影響はもたらさなかった。同様に健康と疾病に関連した心理社会的因子についての広大な研究分野も部分的にしか着手されていない。
 (3)東南アジアにおける精神衛生学的研究の発達は,この地域の一般的保健衛生の発達の中でのみ可能である。もし,この地域の国々が精神衛生サービスの重要性を認めず,また保健事業計画において,それが当然重要であることを認識しないならば,いかなる意味においても,その研究は発達しなかっただろう。研究者は立ちかわって,発展途上国の拡大する要求に自己の研究を連結させねばならないのであって,決して研究のための研究,個人の経歴のために論文発表を行なうという研究におごり耽ってはいけない。
 (4)発展途上国においては,後のために「応用しうる」研究の方を「基礎的」研究より優先しなければならない。しかし両者の区別は,専断的なものであり,そのような断定は主に研究者自身に託されることになる。直接的に有用な研究にいそしむ一方,発展途上国は,将来,より適切な研究が可能な研究所,センターを発達させることにより,研究を可能にさせる基盤を上昇させねばならない。また将来の仕事として研究を行ないたいと願う若い研究者には適切な刺激が与えられるべきである。
 (5)東南アジア諸国は,いつまでも欧米諸国に,その研究トレーニングと研究設備を頼ってはならない。発展途上国は,これに関して自給自足できるように努力しなければならない。欧米に常に目を向けるのではなく,東南アジア諸国は共通の類似した問題を多く抱えているのだから,経験を分かちあい,かつ互いに学びあわねばならない。衛生研究の面で,この諸国間の科学的コミュニケーションが貧弱であることを考えれば,それは悲しむべきことである。
 (6)WHOは,この地域における精神衛生学的研究の進歩に重大な役割を果たしてきた。それは共同研究を組織し,これら諸国における研究者の数を増やすための教育施設を供与することによってなされた。このような努力は更に維持,強化されなければならない。

比較文化精神衛生の新しい方向

著者: マルセラ

ページ範囲:P.1151 - P.1164

 日本人研究者による比較文化的精神衛生研究は,超文化的精神医学という急速に発展する分野において重要な地位を占めるまでに寄与している。精神障害の疫学,発現,現象学,そして治療といった面における文化の役割を理解するのに,重要な成果を得てきている。そこで,本研究協力センターの開設は日本の研究者が,この分野で高い地位を継続して維持していきうることを約束するものである。この新しい研究センターが高橋良教授のもとで,今後発展されんことを期待したい。

中華人民共和国の都市・郡部における精神衛生サービス

著者: 沈漁村

ページ範囲:P.1165 - P.1169

I.はじめに
 社会経済の発展,人口構造の変化,新しい心理社会的因子等の影響に伴って,精神衛生サービス・の組織・形式・内容は,地域社会の要求に沿うよう改善され完備されねばならない。この実情は開発途上国はもちろん,先進工業国でもそうである。この問題の解決方法をさぐるにあたって,世界各地で固有の歴史的背景をもとに種々の試みが行なわれてきている。
 中華人民共和国はその建国以来,臨床精神医学における専門家と専門施設の不足に直面してきた。新しい中国は誕生したが,わが国には100人足らずの精神神経科医しかいなかった。発展の初期段階では,我々の主な努力は精神障害者のために新しく病院や療養所を,主に大都市に設置する方向へむけられた。それは家を持たない者,社会的問題を起こしそうな者,及び医学的治療に対し支払いの可能な者のために準備された。この施設は民間行政機関,公安部,衛生部によって設立された。この種の精神衛生サービスは確かに重要だが社会の要求には沿わない。というのは,退院後再発する患者が多く,限られた精神障害者だけが治療を受けられるからである。そこで1950年代末に,わが国の社会経済的特徴に適した新しい形式の精神衛生サービスを求めて,医師,医療従事者は社会へはいっていった。

WHOの西太平洋地域における精神衛生活動

著者: 篠崎英夫

ページ範囲:P.1171 - P.1175

 本日はこのような立派な会にお招きをいただき大変光栄に存じます。また,立派な先生方を前に話をさせていただき心から御礼申しあげます。先程高橋先生から御紹介いただきましたが,丁度3ヵ月程前迄,WHOの精神衛生課長をしていまして,短い期間で丁度2年でしたが,今日のこの記念式につきましては私がまだマニラにいた時に高橋先生より電話がありまして,今日の日取りとテーマを申しあげたわけです。私のような役人はいつポストがかわるかわかりませんが,昨年電話で御返事したときにはWHOのマニラにいるつもりでしたが,今日はもうすでにWHOの職員はやめておりまして,前職ということで話をしたいと思います。
 日本の先生方はWHOについて,高橋先生とか一部の先生を除いて接触が少ないですし,あまり御存知ないと思いますので,まずWHOの活動を説明する前に,WHOそのものについて簡単に紹介しておこうと思います。

研究と報告

精神科リハビリテーション過程における結婚

著者: 河野恭子

ページ範囲:P.1177 - P.1184

 抄録 精神科リハビリテーション場面では,従来何となく避けられてきた結婚問題にふれざるを得ない。当施設開設以来宿泊部門利用者258名中,34名(男12,女22)が結婚し,利用者同士が11組ある。経過は,継続:23,中断:9,死亡:1,不詳:1で,退所し自立後に結婚した18名の中,中断は1名であるのに対して,自立前に結婚した16名の中8名が中断している。社会生活経験は結婚継続のためにも有用である。
 家族の援助も得られない人たちなので,われわれが生活全般にかかわり,発端から結婚生活に至るまで,さまざまな援助を行っているが,結婚問題に対する方針を述べ,社会復帰過程における結婚の意義について考察した。離別した場合も,対応如何によって,マイナスに作用していない。結婚問題は避けられないとすれば,リハビリテーションの視点に立って,社会生活経験の機会として捉え,積極的に生かしてゆくべきではないかと考える。

古典紹介

V. E. v. Gebsattel—離人症問題に寄せて—メランコリー理論への一寄与—第1回

著者: 木村敏 ,   高橋潔

ページ範囲:P.1185 - P.1197

I.はじめに
 離人症の問題については近年何人かの研究者1)が注目すべき論究を発表している。それらには或る共通の傾向--離人症問題をより広い臨床的基盤の上に据え,この拡張された基盤に理論面より光を当てようとする傾向--が見られる。こういった傾向はすでにSchilder(1914)2)の基礎的な研究のなかに準備されてはいたが,Hocheの下で培われた疾患単位に対する否定的な見解のために発展をみるには至らなかったものである。このような傾向をもつ研究のほかに,離人症を定義しようとする試みも少数ながらみられる。たとえばL. Dugas3)(Sur la depersonnalisation)がそれであって,彼はこの「離人症」(depersonnalisation)の概念を自ら導入してから38年の後に,改めてこの現象を同定しようとする大変な努力を見せている。さらにもっと少数しかみられない研究方向として,離人症の実存的意義を論じて,そこからその精神病理的構造に迫ろうとする研究もある。
 広大な臨床領域をくまなく探索すれば,離人現象の範囲は確かに拡大するだろう。しかしその反面,臨床体系のそのような航空撮影というものは,根本的な論考による修正を必要とすることも確かである。Haugは,彼の魅力的な意見が批判的な読者からの物議4)をかもすのを防ぐために,「離人症様」(depersonalisationsartig)の体験と明白な「古典的」(klassisch)離人症体験を区別しようとした。この区別に従うことにはわれわれもなんら異存はない。われわれも,病的現象がいわゆる「古典的」な,つまり完全に明確な形をとった現れ方に達するまでには,実際いくつもの段階があるものと考えている5)。そしてほかならぬこの区別にうながされて,われわれはここで古典的な離人症の1例を手懸りとしてこの症状の意味に関するいくつかの未解決の問題について自説を表明する必要を感じたのである。
 Haugとは違って私自身の経験では,離人症状態は精神衰弱とか分裂病の初期とかに確かにしばしば出現するけれども,古典的な形での離人症症状が現れるのはなんといっても躁うつ病的体質類型であり,それも,まだまとまった記載のなされていないその1特殊型である。最近K. J. Johnson〔Amer. J. Psychiatr. 31, 1327(1935)〕は--離人症症状を特に取り上げているわけではないが--「感情の喪夫」(the loss of feeling)を標識症状として,メランコリーの1特殊型をありふれた抑止型うつ病から区別しようとしている。この論文の結論は,われわれが念頭に置いているメランコリーの1亜型を「無感覚性メランコリー」(Melancholia anaesthetica)という名称ですでに1880年に取り出しているSchafer(Allg. Z. Psychiatr. S. 215)の試みを想起させるものである。Haugは,離人体験がメランコリー患者にあまり見られないのは,彼らの「心の中の抑止があまりにも強すぎて,自己観察ができなかったり,それを表出することができなかったり」するためだと述べているが,この主張は或る意味では正しい。というのは,躁うつ病圏の離人症患者は,さまざまな抑止感にもかかわらず,彼らが自分の状態を描写する生きいきとした表現能力や多彩な言いまわしの能力によって,単なる制止のみの患者,ことに心気症状を示す患者とは違った臨床的印象を与えるからである。さらに彼らは,平均をはるかに超える自己知覚能力を特徴としており,これは彼らの多くの場合平均以上にすぐれた一般的知能とも照応している。いまひとつ彼らに特徴的なのは,すべての研究者が口をそろえて述べている自己観察強迫の苦痛であり,高度の自己抑制である。この自己抑制は,ときとして面接医に対してすら示されるかたくなな閉鎖的態度の性格をおびることもある。抑うつ性の妄想形成の傾向とか,心気症特有の色彩とかは認められない。さらに彼らに共通しているのは自己自身の存在感(Daseinsgefuhl)の独特な変化であるが,ここではこの変化を「実存的空虚」(existentielle Leere)の概念でもって指摘しておくだけにとどめよう。
 この「実存的空虚」を指摘することによって,私が以下の報告を書くことになったひとつの動機に触れることになる。私の注意をひいているのは,Janetのいう「空虚感」(sentiment du vide)が見られるときには必ず,Dugas以来「離人症」と呼ばれている独特の疎隔体験を伴っているということである。逆に,離人状態があっても特に空虚の訴えがないという場合はある。ただしこの空虚の現象というものを念頭に置いた上で患者に質問したりその症状を調べてみたりすると,この現象がときとして抑うつ症状の奥深くに,まったくそれと気づかれないような形で入り込んでいることも少なくない。この事実は,全面的な空虚の状態の中にある患者は空虚感を失うものだ,というJanetのすぐれた観察(De l'angoisse a l'extase 2,84)とも合致する。しかし,疎隔体験についてのStorring,Mayer-Gross,Haugなどの最近の諸論文に空虚症状のことがまるで述べられていないのは,単にこの症状の発見が困難だという事情からだけとは考えにくい。疎隔感を伴わない空虚体験は存在しないが,はっきりした空虚体験を伴わない疎隔感は存在しうるということは認めなくてはならないだろう。ことに,われわれの経験からいうと,Storringが離人症状の分析の中で特に強調している「夢幻様茫然状態」(traumhafte Benommenheit)はつねに自己知覚の縮小と内省力の減退を伴っているため,多くの場合実存的空虚とか体験された空虚を気付かせずに済んでしまうものである。ただ私の見るところでは,この「夢幻様茫然状態」を主たる基盤として出現してくる離人状態は躁うつ病圏に属するものではなくて,それ以外の臨床領域,たとえば頭部外傷,中毒,精神衰弱,分裂病,てんかんなどに属しており,躁うつ病圏の離人症患者はむしろときには過度の意識の清明さを特徴としているようである。
 私が離人症問題について発言することになった直接の動機は,きわめて知的な1人の躁うつ病患者との2年半にわたる接触において,この患者が離人症状を空虚体験の形でとくに印象的に示してくれたことであった。私が以前の論文で報告した「時間に関する強迫思考」の症例も,その後よく調べてみると,躁うつ病性の離人精神病であることがわかった6)
 まず症例Br. L. を呈示しておこう。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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