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雑誌目次

論文

精神医学23巻12号

1981年12月発行

雑誌目次

巻頭言

出雲だより

著者: 石野博志

ページ範囲:P.1206 - P.1207

 53年4月から新設の島根医大に移った。2年間は毎週岡山と出雲を車で往復した。丁度その頃マルセイユから岡山大学のフランス語外人講師として来岡しているBemard Francette嬢に,アンリィ・エイの文章でわからない所を毎週1時間ずつ教わった。周知のようにエイは博覧強記の上に,その文章は関係代名詞,分詞でつないだ延々と息の長いものである。いつか私は,エイの文章はフランス人にとって名文か悪文かときいたことがある。すると比較文学を専攻している彼女は,重苦しい文体style lourdであると言った。つまり構成がゴタゴタした文章である。しかし文学者でなく,科学者が書いたのだからこのようなものでしょうとも言った。はじめは難しい仏文に慣れるのが目的で始めたが,読み進むうちに段々と面白くなり,遂にはEncyclopédie Médico-Chirurgicaleの精神医学の巻に所載の「精神分裂病」とAnti-psychiatrie(これはエイのAnti-antipsychiatrieである)を訳してしまい,近く金剛出版から出ることになっている。紙面をかりて宣伝させていただく。
 フランスでは最近,古典を見直そうという気運が高まったのか,52年にはDejerineの「神経疾患症候学」が,55年には「中枢神経解剖学」が復刻出版された。精神医学については,Hachette社から19世紀の古典がマイクロ・フィッシュ版で復刻された。私はベルギーのvan Bogaert教授のもとへ留学していた時に,図書室の貴重本のコレクションの中にCharcotの火曜講義のフォトコピーをみつけたが,いつかは読みたいものと思っていた。さいわい今度出版されたシリーズの中に入っているので,早速とり寄せて読んだ。その報告は島根医科大学紀要に投稿予定なので,ここには省略する。

展望

精神分裂病の臨床診断—方法論的考察

著者: 諏訪望

ページ範囲:P.1208 - P.1223

Ⅰ.序言
 精神疾患の診断の意義については,いろいろな観点から論ずることができる。ここでは最初から問題を診断名決定という手続に限定し,これを,「医師-病者という特定の人間関係を前提とする医療の場における,医師としての立脚点ないし心構えの確立」と理解しておきたいと思う。したがって,診断名の決定ということは,医師の側からの病者への関与の基本的なあり方を意味することになる。
 問題をこのように限定しても,精神疾患の診断に関しては,なおいくつかの問題点が浮かびあがる。第1は診断者の学問的立場である。つまり疾病論の体系が違えば当然異なった診断名が用いられることになるし,さらに,たとえば「単一精神病」学説の観点からは,いわゆる内因性精神病の下位概念をしめす診断名は無意味なものになる。第2は診断者の臨床経験であり,ここではJaspers, K. 1)のいう「個人的直観」persönliche Intuitionあるいは「練達」Kennerschaftが問題になる。しかしこのような要因を考慮にいれながら,なるべく普遍的で客観的な見方ができる共通の場を求めることが,科学としての精神医学の立場を確立するために要請されるわけである。

研究と報告

急性不安発作ではじまった不安神経症の経過について

著者: 高橋徹

ページ範囲:P.1225 - P.1232

 抄録 急性不安発作ではじまった不安神経症の自験例42例について,その発作後の経過を病像の推移にしたがって検討し,とくに急性不安発作の再発の様相と,予後との関連について調査した。その結果,再発作が発症初期にあまり日をおかずに生じている症例は,そうでないものに比べて,概して予後がよくないことが確かめられた。

全生活史健忘の臨床と精神力学的考察

著者: 松木邦裕 ,   西園昌久 ,   福井敏 ,   野田省治 ,   小田一夫

ページ範囲:P.1233 - P.1240

 抄録 男性にみられた心因性全生活史健忘6症例の臨床的検討と精神力学的考察を行った。
 そこでは,生活史上の問題,飲酒,遁走,発症や経過に関連しての身体反応,情動変化,対人態度など現象学的に興味ある所見が得られた。なかでも,準備因としての慢性葛藤,そして誘因としての急性葛藤の存在が認められた。また,これらの患者の情動の基底として抑うつが認められた。それは精神力学的には対象喪失不安に基づいたものであると理解される。
 心因性全生活史健忘は,これまでヒステリー性解離反応として理解されてきているが,本症者の人格構造の特徴,さらに近年の精神分析的知見からも,この理解では十分とはいえず,より未統合な人格水準に基づく病理現象と理解される。
 また,青年期症例の特徴についても壮年期症例との比較検討から考察を加えた。

上肢の随意運動と心理的負荷により発作の誘発される反射てんかんの2例

著者: 岡崎和也 ,   加藤進昌 ,   利田周太 ,   福山幸夫 ,   風祭元

ページ範囲:P.1241 - P.1249

 抄録 上肢の細かな随意運動と心理的負荷の共存が発作の誘発に殆んど不可欠である反射てんかんの2例を経験した。誘発状況は刺激を連続的に負荷することによりモデル的に脳波上で再現することが出来,かつ治療的にもDipropylacetateが著効を示す知見を得たので,発生機序に関する若干の考察とともにここに報告する。

てんかん発作の治療予後—成人例の治療施設間における比較

著者: 久郷敏明 ,   森光淳介 ,   細川清 ,   平田潤一郎 ,   辻治憲 ,   中岡清人

ページ範囲:P.1251 - P.1257

 抄録 5年間以上治療を継続している成人の外来てんかん患者490例(大学病院群249例,国立病院群144例,精神病院群97例)を対象に,特に治療施設間の差異に注目して予後調査を行った。
 1)全症例を対象とした治療予後は,3年以上発作消失37.1%,著者らの規準による軽度29.8%,中等度19.8%,重度13.3%であった。
 2)治療予後を治療施設別にみると,国立病院群で最も予後が良く,大学病院群で不良という傾向があった。
 3)治療予後規定因子を明らかにするために,各種要因につき統計学的検討を行った。有意差を示したのは,臨床発作型,初診前罹病期間,治療前発作頻度,病因,精神症状,社会適応状況の6項目であった。しかし,以上の項目の治療施設別構成の検討から,独立した治療予後規定因子は臨床発作型のみであり,他は副次的要因であるものと考えた。

断眠後の回復夜の睡眠段階の変化

著者: 蓮沢浩明 ,   中沢洋一 ,   坂本哲郎 ,   松崎恵子 ,   今任信彦

ページ範囲:P.1259 - P.1263

 抄録 10名の健康な成人に1夜の断眠を行って,回復夜の睡眠段階の変化を次にのべる2つの場合で比較した。1つは回復夜の睡眠時間を制限しないで,自然に覚醒するまで記録した全記録について分析し(非制限法),他の1つは,基準夜のそれと等しく制限した睡眠時間内の記録を分析した(制限法)。また,全ての唾眠段階について,基準夜に対する断眠後の増加率や減少率を指標にして,2つの方法が対象にした睡眠構造の違いも比較してみた。
 第1回復夜の非制限法と制限法で得られた各睡眠段階の相対値を基準夜のそれと比較すると,REM睡眠だけが非制限法と制限法で異なり,前者では変化がなく,後者では減少していた。
 第1回復夜の各睡眠段階の増加率もしくは減少率と基準夜の値の間には,非制限法ではいずれも相関関係がみとめられたが,制限法では段階SWSにだけ相関がみとめられた。

精神分裂病患者血清中の抗胸腺細胞抗体について

著者: 渡辺雅幸 ,   光宗勝繁 ,   野村総一郎 ,   中沢恒幸 ,   塚田裕三

ページ範囲:P.1265 - P.1270

 抄録 精神分裂病患者血清中の抗マウス胸腺細胞抗体価を細胞障害試験により測定したところ,対照に比して有意に高値を示した。分裂病患者を発病5年未満の群と5年以上の群にわけて比較した場合,抗胸腺細胞抗体価はほとんど同一であり,また分裂病患者の細分類(破瓜型,緊張型,妄想型)と抗胸腺細胞抗体価との間にも,関連は認められなかった。一方BPRSのtotal scoreの高い分裂病患者ほど,抗胸腺細胞抗体価の高い傾向が認められた。
 ヒト血清中の抗胸腺細胞抗体はマウス,ラット,ブタの脳と肝臓により完全に吸収されるが,ヒトの脳と肝臓では全く吸収されなかった。この結果,本抗体は従来主張されたThy-1抗原に対する抗体とは考えられず,未知の異種抗原に対して生じたものと考えられた。分裂病で抗胸腺細胞抗体の高値であった理由として,分裂病の情動障害にもとづく2次的な免疫異常によって産生された可能性を論じた。

短報

精神分裂病および躁うつ病患者の利き手と利き眼

著者: 亀山知道 ,   丹羽真一 ,   平松謙一 ,   斎藤治

ページ範囲:P.1271 - P.1274

I.はじめに
 精神疾患患者を対象とした利き手,利き眼の調査は,諸外国では1930年代から行なわれている1)。神経心理学的研究が発展した1960年代後半以後,精神疾患を左右大脳半球機能との関連で把握しようとする研究が進むにつれて,利き手,利き眼の問題が重要視されるようになり,いくつかの報告がなされている2,3,5〜7)。しかし,日本では報告されていない。
 われわれは,精神疾患患者を対象として利き手,利き眼の調査を行ない,正常対照と比較検討した。

資料

英国における精神科卒後教育と専門医制度

著者: 北村俊則

ページ範囲:P.1275 - P.1282

I.はじめに
 精神科にかぎらず医学における英国の卒後教育は他の国々に比較してととのったものであり,事実多くの国から若い医師が研修を受けるため,ロンドンをはじめ英国の各都市に集まっている。
 表題のテーマについては以前に紹介1,2)があるので,ここでは新しく発足した制度に重点を置き筆者の体験をまじえて略述したいと思う。

動き

第10回国際脳波・臨床神経生理学会議のお世話をして

著者: 島薗安雄

ページ範囲:P.1284 - P.1285

 第10回国際脳波・臨床神経生理学会議(Xth International Congress of Electroencephalography and Clinical Neurophysiology;10 th ICECN)は,去る9月13日から18日まで,国立京都国際会館で開催された。この学会は,従来,世界神経学会と同じ都市か近い場所で,時期を接して開かれる習わしになっており,また今回は4年前のアムステルダムのときと同様,国際てんかん学会議も一緒に行われたので,広い意味での臨床神経学に関する最大の行事が持たれたことになる。今年は丁度,国際障害者年の最初の年にあたるが,この折に,アジアではじめての,また今後,何十年かはわが国で開かれることがないと思われるこれらの学会が開催されたわけで,その歴史的意義を考えると誠に感慨深いものがある。
 ICECNは,国際脳波・臨床神経生理学連合(International Federation of Societies for Electroencephalography and Clinical Neurophysiology;IFSECN)の最も重要な行事である。この連合にはくわしい規約ができていて,国際会議は4年ごとに開かれると定められており,主催国の人がこの会議のConvener,Secretary,Treasurerをつとめ,連合の役員と共に国際組織委員会を作ることになっている。このConvener(学会会長)の役を,日本の組織委員会の委員長と共に,わたくしがつとめるはめになり,Secretaryの江部充氏(虎の門病院生理科),Treasurerの島津浩氏(東大脳研),その他,組織委員の方々と力を合わせて諸準備にあたった。国際組織委員会の第1回会合は今から3年前,1978年秋に開催されたが,そこで,すでにシンポジウムや教育講演のテーマが具体的に審議されるという,手まわしのよさであった。

国際てんかん学会印象記

著者: 稲永和豊

ページ範囲:P.1286 - P.1288

 1981年国際てんかん学会議が9月17日から21日まで京都国際会議場で開催された。この国際会議は,1949年のパリ会議以来,4年ごとに開かれる世界神経学会ならびに国際脳波・臨床神経生理学会議と期日・場所を合わせて開催され,今回も国際脳波・臨床神経生理学会議にひきつづいて,また世界神経学会の前に開かれた。今回は第14回の学術総会にあたっている。
 開会式は9月17日午後3時から京都国際会議場のメインホールで開かれた。先ず秋元波留夫会長の歓迎の辞につづいて大谷厚生省公衆衛生局長,熊谷日本医学会長,林田京都府知事(代理),日本てんかん連盟を代表して女子大学生のカワムラさん,そしてEpilepsy Internationalの会長であるRichard H. E. Grant博士の挨拶があった。そのあと表彰などが行われた。

「フランス神経心理学懇話会」印象記

著者: 渡辺俊三

ページ範囲:P.1290 - P.1291

 フランス神経心理学懇話会(Société de Neuropsychologie de Langue Française)は1980年12月12日,パリ・サルペトリエール病院・シャルコー講堂(Hôpital de la Salpêtrière, Amphithéâtre CHARCOT, 47 boulevard de l'hôpital 75013 PARIS)において,サルペトリエール病院神経科神経心理科F. レールミット教授を会長として開催された。
 サルペトリエール病院は1634年火薬工場の硝石(Salpêtre)倉庫あとに建てられ,正門前にはフィリップ・ピネルの像があり(メトロの地上通過のため美観は大分そこなわれている),当時の建物はほとんど建てかえられたが,正門,八角形のチャペル,ラ・フォルスなど昔日をしのばせる。会場のシャルコー講堂は病院の構内左奥にある神経科病棟のそばにあり,一階が約600人収容の講堂で,二階がシャルコー図書館としてフランス神経学の古典を蔵し,図書館入口にはピネルの精神病者を鎖から開放した絵画がある。

古典紹介

V. E. v. Gebsattel—離人症問題に寄せて—メランコリー理論への一寄与—第2回

著者: 木村敏 ,   高橋潔

ページ範囲:P.1293 - P.1304

人格感喪失(Depersonalisation)の問題について
 空虚症状の状態的側面に目を向けてみよう。
 本来,空虚症状を状態的側面と対象的側面とに分けるのは便宜的なことである。問題は,どのように内側の空虚が外側の空虚に,つまり人格感喪失が現実感喪失に対応しているかではなくて,疎隔感をもっぱら世界にだけ,ときには世界の諸部分にだけ向けて体験する患者もいれば,あるいはそれをもっぱら自分自身にだけ向けて体験する患者もいるというようなことがどうして起こりうるのかということ―この注目すべき事実はとりわけMayer-Grossが指摘している(前記参照)―である。しかしこの問題はここで論じるには大きすぎる―Br. L. が何回も繰り返して,外側の空虚は「内側の空虚が事物に反映したもの(Projektion)」であり,世界との結びつきの無さは,自分自身との結びつきを欠いていることの結果であると訴えていることだけで十分だろう。

追悼

村松常雄先生を悼む

著者: 堀要

ページ範囲:P.1306 - P.1307

 名古屋大学名誉教授村松常雄先生の名古屋大学での足跡と先生のひととなりをしのび追悼の意を表します。
 先生との直接の私の出会いは先生が名古屋大学教授に決定してまもなくであった。当時の医学部長戸刈近太郎先生が,私に助教授になってはどうかといわれたので,私は,それは教授の意向によるのではないでしようかと申しましたところ,戸刈先生は私に直接村松先生に会って意向をきくようにとのことで,私は村松先生の自宅を訪れることになった。私はお訪ねした事情をのべ,教授選考に関係しての私の知るかぎりの事情と,私自身の動きとを卒直にありのままに申しあげた。村松先生も,おそらく他にはおもらしにならないであろうことまでも卒直にお話し下さった。私は村松先生のひととなりの一面をはっきりと活き活きと印象し,誤解も憶測もおこりようもない信頼感をもっていろいろ話しあったおわりに,先生が私の研究領域や研究方向が先生と全くちがっている方が問題がないのだが,といわれた。私はこれを先生が私を一個の学徒として尊重してくれているとうけとめることができたので,研究上の意見の相違は直接討論するのが正当で,私は助教授の役割の一つを教室員を教授に結びつけることにあると,信じているとおりにのべた。先生は私と教室員が十分に話しあうことを希望され,私はそれを実行した。

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精神医学 第23巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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