展望
モノマニー学説とフランス慢性妄想病の誕生(Ⅱ)
著者:
影山任佐
ページ範囲:P.426 - P.436
フランス慢性妄想病,特にマニャンの慢性妄想病誕生の歴史を紹介する。マニャン(Magnan)ら14)によるとエスキロール(Esquirol)を境に2つの時期が区別され,1835年頃に大きな転換期を迎えた。即ち,エスキロール以前には知性狂気(folie intellectuelle)は情動障害に続発するものと考えられていたが,それ以降知性狂気は原発性に考えられるようになった。これが特に諸外国でその後発展を遂げたパラノイアの始まりである(マニャンら14)。そしてマニャンら14)の主張ではエスキロールのモノマニーは病的状態の正鵠を射た分析を実現したが,この状態の性状に関する認識の進展には貢献するところが少なく,分類上の困難を招いた。彼ら15)によれば,エスキロールの知性モノマニー,本能性モノマニー,情動性モノマニーはマニャンらの慢性妄想病,変質者の妄想病(Délires des dégénérés),心的変質注1)の衝動や強迫,挿間性症候群に相当するものであるとした。マニャンら14)によると,エスキロールの思想はモレル(Morel)の時代まで精神医学を支配していたが,エスキロールの分類方法は症候学的方法であり,このため無限に疾病単位(entités morbides)が増大し,この方法論の誤りが明らかとなった。モレル(1857)16)はこの症候学的方法を病因論的方法に代え,「人類の変質」注2)を考え,彼の遺伝性精神病注3)を記述することによって,「モノマニーに対して決定的打撃を与えた」(マニャンら14))。このような疾病分類の病因論重視への転換が認められる一方,エスキロールのモノマニーの混乱を収拾し,主として妄想に着目しながら特殊な病型を分離しようとする動きがラゼーグ(Lasègue)10)と共に始まった注5)。即ち,「あるひとつの,あるいは幾つかの明確な類型を考察するかわりにありとあらゆる狂気の変種のうちからたまたま取り出したひとつのあるいは幾つかの症状ごときに人々は没頭していて,ある研究者は自殺傾向を,他の研究者は盗癖を選ぶという具合で……デリールを,悟性の全体を関わり合いにするような全体性デリールと,知性のある側面だけは多少とも無疵のまま残すような部分性デリールに分けることは非のうちどころのない,驚くほど正確な区別である。ところが,それが細部にわたりはじめて科を属に属を種に,という具合に細分されるようになるにつれて,そうした区分の試みは不満足なものとなってしまった」。「部分性精神病の研究に専念してみると,無視し得ぬほどに明白なある事実が際立ってみえてくる。つまり,部分性精神病においては,知性の病態と,限局した一定の症状を持つ病態が存在するということである」。「今しがた私が取り上げた正しいと思われる指示に従えば,これまでは辛うじて類似したところしかほの見えなかったところに驚くべき一様性が認められる。そのような例として,私は被害妄想病の名のもとに示す妄想類型を提示してみよう」(ラゼーグ)10)。このような動向はGuislainにも認められる。マニャンら15)によると,1852年にベルギー人ギラン(Guislain)は,メランコリーから非難妄想病(délire accusateur),或いは,非難単一妄想病(monodélire accusateur)を分離し,この妄想病の特徴をマニー状態(un état maniaque)と考えた。「このマニー患者は,自分を非難するのではなくて,被害者(victime)である。友人や近親者,想像上の者に非難を浴びせかける。彼は悪人に取り囲まれていると信じる。彼は悪意の対象となっている。彼に対して陰謀がたくまれている。"私は憎まれている……。何かの影響が私に向けられている。これは電気や磁気である"」(ギラン,マニャン15)らの引用)。同年1852年に,前述したようにラゼーグ7)は「被害妄想病」(délire de persécution)を記述した。マニャンら15)によれば,「ラゼーグがそのモノグラフィー(1852)で貢献したのは,エスキロールによってリペマニーと名づけられた症状複合群から,体系化された被害観念の存在を特徴とする部分性デリールを示す一群の患者を分離したことである」。しかし,このマニャンらによればラゼーグには批判されるべき点がある。第1にラゼーグは状態期のみを重視し,疾患の経過を無視した。とはいえ,ラゼーグは前駆期を明示しているし,経過の早さの違いにも注目した。しかし,ラゼーグは治癒するものと治癒しないものを同一疾患に入れてしまっている。第2にラゼーグの被害妄想病は幻覚を伴っていたり,伴わなかったりする。「結局ラゼーグの被害妄想病はエスキロールのリペマニー患者から,これを分離することによって前進への第一歩を踏み出した。しかし,この病種は,殆んど専ら症候学的特徴,即ち明瞭な被害観念(idée nette de persécution)に基づいているために種々雑多なものを含まざるを得なかった。これが現在の論争を呼び起こしている残念な混乱のある点である」(マニャンら15))。但し,バドゥラ(Baddoura)1)によると,ラゼーグは1854年に「進行発展性慢性妄想病」(délire chronique àévolution progressive)を記述した。バドゥラによると,これは,妄想病の慢性に注目した最初であるという。バリュク3)によるとラゼーグの後にLegrain du Saulleは「慢性被害妄想病」(Délire des persécutions chroniques)を著わした。また,マニャンら15)は,ラゼーグの被害妄想病は種々雑多なものを含むゆえ,遺伝的観点(病因論)と経過の点から純化させなくてはならないことを述べ,これ以降彼の慢性妄想病に至るまでの歴史を以下に触れるように概述した。即ち,1860年の「精神病概論」17)の中でモレル(Morel)は「心気症性狂気」(folie hypochondriaque)の中で被害妄想病患者が誇大的(ambitieux)になる場合を記述した。これに対してマニャンら15)は彼らの変質論の立場注6)から独断的に次のように批判している。「モレルにとって,患者はまず,心気症患者でなくてはならない。周知のように心気症は変質的遺伝負因者(l'héréditairedégénéré)の症候であることが最も多く,また,慢性妄想病は後者に現われることは極めて稀である。心気症-被害-誇大妄想患者(l'hypochondriaque-persécuté-ambitieux)が慢性妄想病の特徴を示すことはありそうに思えない」。次いで,小木8)によると1854年にファルレ(Farlet, J.-P.)は,経過の点から四期に分かれる被害妄想病を記述し,フォヴィル(Foville)は誇大妄想病を記述した(Foville;Etude chinique de la folie avecpredominance du délire des grandeurs, Paris, 1871)。後者についてマニャンら15)は次のように述べている。「ラゼーグの被害妄想幻覚者(hallucinés persécutés)で,誇大妄想幻覚者(hallucinés ambitieux)になるものを,フォヴィルは,新しい病種,誇大妄想病(mégalomanie)とした。もし,フォヴィルが誇大的になる被害妄想患者のみを含めているのならば,我々はお互いに了解しあえる。しかし,フォヴィルは,私の慢性妄想病者(長い経過の後に誇大的となる幻覚性被害妄想病者)のみを含んでいるのではない。その他にフォヴィルは次のようなものを含ませている。
1.突発的に幻覚や誇大観念が現われるmégalomanie。
2.誇大観念はあるが幻覚を欠いている。
3.誇大と被害観念が同時的に存在する。
4.誇大妄想が現われ,その後に被害妄想が出現する。
以上から,フォヴィルの誇大妄想病(mégalomanie)には妄想の特徴の観点からだけでなく,その起始と経過の点からも非常に様々な患老を含んでいる。また,フォヴィルの報告した12例の中で4例は遺伝的変質者である」。前述したように,父のJ.-P. ファルレは1854年に被害妄想病を記述したが,息子のJ. ファルレは,1878年5)に,これとは異なった種類の被害妄想病(バル2)のType de Farlet注5),persécuté-persécuteur)を記述した。この論文5)によるとラゼーグらの被害妄想病はメランコリーとモノマニーとの中間を占めている。悲哀的観念(idées tristes)によって前者に,能動的部分性デリール(déire partiel avec activité)によって後者に属しているからである。被害妄想病患者は一般的には非常に能動的である。従ってメランコリーは2種に分類される。