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雑誌目次

雑誌文献

精神医学23巻7号

1981年07月発行

雑誌目次

巻頭言

精神科診断のむずかしさについて

著者: 三好功峰

ページ範囲:P.634 - P.635

 近年,精神医学において疾患の分類や診断方式づくりが盛んにおこなわれている。セントルイスのワシントン大学を中心として作成されたアメリカ精神医学会(APA)の「精神障害の診断と統計のための手引き(DSM)」は第3版として1980年に改訂されているし,同じグループのFeighner(1972)やSpitzer(1974)などの「研究に際して用いる診断基準Research Diagnostic Criteria(RDC)」もできていて,これらの診断基準の信頼性の評価が主としてアメリカの雑誌に多くの論文として発表されている。またWHOの疾患分類は1977年よりICD-9として広く用いられ,内因性精神病の診断基準である現在症診察表PSEも1981年,長崎大,高橋良教授によって,わが国でも翻訳され紹介されたところである。
 このような客観性をこころざした診断の基準づくり,その前に必要な診断名の整理,統一は,広く精神医学のために役立つことは間違いない。診断基準の統一がなければ疫学的調査や研究はなりたたないであろうし,世界的に盛んになりつつある生物学的な精神医学においても得られたデータについて比較のしようもないといったことになりかねない。

特集 てんかんのメカニズムと治療—東京都精神医学総合研究所 第8回シンポジウムから

はじめに

著者: 大熊輝雄

ページ範囲:P.636 - P.637

 てんかんのメカニズムや治療に関する研究は,近年kindling(燃えあがり現象)など実験てんかん研究の進歩,脳波のほかCTスキャンなど新しい診断技法の発達,新しい抗てんかん薬の開発と血中濃度測定法の進歩による抗てんかん薬の生体内動態の解明などによって,いちじるしい発展をとげている。
 この特集は,第8回東京都精神医学総合研究所シンポジウム「てんかんのメカニズムと治療」での発表を論文としてまとめたものであるが,このシンポジウムの目的は,てんかんのメカニズム(発現機序)に関する現在の知見をまとめ,メカニズムの理解に基づいて,てんかんのより合理的な治療への途を探ろうというところにある。

遺伝てんかんモデルからみた発作の成因と治療

著者: 鈴木二郎

ページ範囲:P.638 - P.649

I.はじめに
 1.てんかん一般について
 てんかんが人類の病の中でも古くから知られたものであることは周知の通りである。しかしその概念はさまざまで複雑である。現在はペンフィールド14)やジャクソンに従って,「てんかんとは反復して起る意識の変化とけいれん発作やその他の発作を主症状とする症候群で,中枢神経系の突発性の過剰放電を示し多く性格変化や精神症状を持つ」といったところがおおむね認められるところであろう。このようなてんかんの原因にはおおまかに言って真性,胎生期や周産期障害,外傷性その他があろう4)。この真性といわれる中に遺伝的なものを含むことがあり,坪井24)によると,てんかん患者の近親者中の罹病率は2.5〜8%くらいとされる。近年周産期障害が注目され,また外傷性のてんかんの増加もいわれている。因みにてんかんの出現頻度は,日本では報告によって異なるが,0.1〜1.08%(平均0.24%)といわれ,全国で約30万〜100万人の患者が推定されている。また発病年齢は乳幼児期と思春期にピークがある4)のも病因に発達の影響が強いことを示している。
 2.てんかんの神経機構について7,14,16) さて上記のような原因で脳に障害ができ,何らかの理由で部分的に電気的興奮性が異常に高くなると,その部分がてんかん原焦点となる。この原焦点は病理組織学的に明瞭な場合もあれば,不明のこともある。実験的にもアルミナクリームなどで大脳の一部に原焦点をつくることが可能であるが,この場合,対側同名部位に容易に鏡像焦点が形成される。これらの原焦点部位の異常興奮が何らかの誘因で高まって,脳の他の部位へ興奮が伝播して,直接または間接にけいれんや意識消失などの発作を来す。
 多くのてんかんでは,発作の誘因は不明とされているが,自然の感覚や情動で誘発される場合のあることが次第に判明しつつある4)。一方,てんかん原焦点を含めてけいれん準備状態は遺伝的素質や脳内の代謝が関係するとされるが,その実態は未だに不明のところが多い。てんかんの精神症状や性格変化も,おそらくこの準備状態なるものと何らか関係を持つのであろう。
 ここでてんかんの定義に戻ってみると中枢神経系の突発性の過剰放電を示すといわれるが,これは現在は脳波によって表わされる。これについてはけいれん大発作や,小発作などのように臨床症状と脳波所見の相関もよく知られている。
 このようなてんかん原焦点の部位や発作症状は実に多種多様で,臨床概念や名称はさまざまであった。これに対し,1969年に国際てんかん連合から,分類が提案され4),最近おおむねその線に沿った案が決定されようとしている。これによれば臨床発作型や脳波所見によってまず全般性か部分性かに分け,全般性でも初めから脳波上両側同期して出現するものを原発または一次性,初め局在している異常放電が全般化するものを続発または2次性と呼ぶ。一次性全般性発作の中にペンフィールドらの中心脳性発作が含まれ,その解剖学的脳部位として視床非特殊核や脳幹網様体を中心とした機能系が考えられて来た。しかし最近一次性全般発作の多くで帯状回などの皮質に障害が見出され,発作発現機構に皮質の主導と皮質下構造の組み合わせが考えられている3)
 さて上述したてんかん原焦点で,発作発射は如何にして起るか。ネコ大脳皮質のペニシリン塗布焦点において,アジモン・マルサンー派,ことに松本らはこれについて研究した。その報告によると1,10),ペニシリン焦点の神経細胞では発作性脱分極偏位(PDS)という大きく持続の長い脱分極電位がみられ,これによって細胞の発火(インパルス)が連続して発射される。この発射とその焦点近傍の皮質脳波が関係があるという。このPDSは細胞表面上のシナプスが広汎に興奮し,興奮性シナプス後電位(EPSP)が多く加重されることによるとされ1,15),さらに神経細胞樹状突起の電位がPDSに関係するとされる。一方,ディングルダインら2)は海馬錐体細胞でペニシリンの作用を研究し,正常にみられるEPSPとそれに続く抑制性シナプス後電位(IPSP)の内,ペニシリンではこのIPSPが抑えられる脱抑制の現象があることを示した。このIPSPはガンマアミノ酪酸(GABA)を伝達物質とする反回性抑制径路によるものとされており,GABAとペニシリン性てんかんの関係に大きい示唆を与えた。これらと全く別の皮質直流電位の多くの研究で細胞外液内K濃度の上昇と発作発射の関係がいわれている7)。いずれにしてもこれらの発作発射が一斉に同期して発火するためには,そのための神経回路が必要となる。一方,焦点部位の組織学的変化としては,神経細胞の脱落,樹状突起トゲの減少,グリアの増殖がいわれる4)。グリアがKイオンのバッテリーであるのはよく知られている。これらの組織病理学的所見と電気的現象の関係は今後の解明を必要とする。

てんかんの生化学的側面

著者: 佐藤光源

ページ範囲:P.651 - P.660

I.はじめに
 今回筆者にあたえられた課題は「てんかんの生化学的側面」で,それを臨床と結びつくようにわかりやすく解説し,そのためには多少のspeculationをまじえてもさしつかえないとのことである。動物実験で得られた成績をヒトの臨床に還元することはもとより困難なことであるが,動物を用いた実験的研究は最終的には疾病理解に役立てるためのものにほかならないので,あえて筆者なりの考えを述べることにした。
 さて,てんかんの本態や発作の成立機序を知るには脳そのものに実験的操作を加えて研究する必要があり,それには動物実験が不可欠な手段となる。しかし動物実験モデルには大きな制約があることも事実で,①人間と動物の違い,②「てんかん」モデルか「けいれん」モデルか,③けいれんの生化学的な異質性を考慮しておく必要がある。とくに②は重要であり,実験モデルがてんかんの臨床的な概念規定を満たしているか否かを慎重に判定する必要がある。すなわち,発作が中枢の異常興奮に由来し,けいれん準備性が長期にわたって持続してしかも自発発作が反復して出現するものが「てんかん」モデルであり,単に外因だけに依存して起こる「けいれん」とは区別されねばならない。また③については,たとえばcocaineで誘発されるけいれんと抑制されるけいれん(biphasic effect)35)があるように,生化学的機序を異にする異質なけいれんが存在する。こうした制約を考慮しながら今回はキンドリングモデルによる成績をとりあげたが,それはてんかん,とくに二次全汎化発作の好適なモデルとしてすでに評価を得ているためである。したがって今回はてんかんのうちでも二次全汎化発作の生化学的側面を述べることになる。

小児てんかんの成因

著者: 福山幸夫

ページ範囲:P.661 - P.669

Ⅰ.小児におけるてんかんの頻度
 小児はよく「けいれん」,「ひきつけ」を起こしやすいといわれてきた。その具体的数字は研究者により差があるが,一般小児人口中,約5〜10%前後とみてよいと思われる。
 一方,慢性反復性脳性発作性疾患としてのてんかんは,古来,小児ではまれとされてきたようであるが,この古い考えは完全な誤りであり,てんかんは,小児期に発症することが最も多く,小児期における発症頻度は人生のあらゆる他の時期のそれより高いことが,近年明らかにされてきた。

視覚性てんかんに関する考察

著者: 高橋剛夫 ,   松岡洋夫

ページ範囲:P.671 - P.681

I.はじめに
 各種の感覚刺激で誘発されるてんかん,いわゆる反射てんかんは,てんかん発作の発現機序を知る好個の研究対象として,これまで多くの研究者の関心を集めてきた3,4,7)。そのうち,視覚刺激で誘発されるてんかん,すなわち視覚性てんかんvisual epilepsyはもっとも高頻度にみられるため,数多くの報告がある5,13,30)。この視覚性てんかんの補助診断として,ストロボスコープ(ストロボ)の白色閃光点滅刺激(閃光刺激)で誘発される発作波,すなわち光けいれん反応photoconvulsive responseが,現在でもきわめて重要視されている。JeavonsとHarding5)は,光けいれん反応がてんかんの5%に出現するという。ここで注意したい点は,光けいれん反応の存在がただちに視覚性てんかんを意味するものではないことである。なぜなら,てんかんに限って考えると,かかる症例はいわゆる光過敏性てんかんphotosensitive epilepsyではあっても,視覚刺激で臨床発作が誘発されていない症例もその中に含まれるからである。しかし,光けいれん反応が視覚性てんかんにもっとも高率に認められることから,光けいれん反応の分析に基づいた視覚性てんかんの研究は,一つの重要なアプローチと考えられる。著者に与えられた主題は,いわゆる光けいれん反応を指標として,視覚性てんかん発作の発現機序と治療を,臨床脳波の立場から考察しようとするものである。
 はじめに,視覚性てんかんの脳波賦活として重要な,われわれが行なっている独自の方法を紹介し,ついで賦活脳波所見に基づいた視覚性てんかん発作の発現機序,その予後と治療について述べる。視覚性てんかんに関する文献的展望とわれわれの研究の紹介は,著者の1人である高橋がすでに本誌26,30)で行なっており,今回はその後に得られた知見を中心に論じたい。なお,視覚性てんかんと類似の用語として,光過敏性てんかん,光原性てんかんphotogenic epilepsy,眼性てんかんophthalmic epilepsy30)などがある。しかしここでは,視覚性てんかんの呼称を統一的に用いる。

研究と報告

最近30年間のうつ病の臨床統計—慶大精神神経科入院患者の統計より

著者: 上島国利 ,   浅井昌弘 ,   工藤行夫

ページ範囲:P.683 - P.695

 抄録 慶大精神神経科に,昭和20〜49年の30年間に入院したうつ病患者男子449名,女子357名,計806名を調査分析した。1)病型分類では双極性うつ病83名,単極性(狭義)410名,退行期132名,反応性90名,神経性68名,症状性23名であった。2)患者実数は昭和30年頃を境に著しく増加しているが,昭和35〜39年の5年間をピークとしてやや減少傾向にある。うつ病の全入院患者に占める割合は最近15年間は約17%で一定していた。3)入院期間が30日以内の患者は,昭和30年以降漸減し,91日以上の患者が漸増している。4)三環系抗うつ薬最大使用量が1日75mg以下の患者が最近5年間に激増し,逆に150mg以上の患者が激減している。電気ショック治療患者も減少している。5)最近15年間に,罪業・心気・貧困念慮ないし妄想などの思考内容の異常を主訴とするものが顕著に減少し,各種の身体症状を主訴とするものが増加した。6)誘因,生まれ月,遺伝負因,身体的既往歴,職業,学歴も調査した。

神経性食欲不振症患者にみられたCT上の可逆性脳萎縮像

著者: 喜多鈴江 ,   百溪陽三 ,   安井昌之 ,   東雄司

ページ範囲:P.697 - P.705

 抄録 神経性食欲不振症と診断された3例の臨床症状とCT像および脳波所見について対比検討した。るいそうが著明となり末梢に浮腫が出現した際,CTでは2例に脳溝および脳室の拡大,1例に脳溝の拡大が認められ,脳波は全例低振幅徐波化を示した。しかしながら,栄養状態の改善とともに,CT上の脳萎縮像は消失し,脳波も振幅が増大し,律動的α波が出現した。すなわち,浮腫とCT上の脳萎縮像および脳波の低振幅徐波化は長期的にはかなりの相関を示した。本症におけるCT上の可逆性脳萎縮像の成因としては,大脳皮質深層部での水分の喪失,再獲得が推定され,膜透過性減少の問題が何らかの形で関与しているものと思われる。脳波の低振幅徐波化の原因に関して詳細は不明であるが,脳の全般的な機能低下および心収縮能の低下に伴う脳血流量の減少,低酸素症などが考えられる。

精神分裂病様症状を呈したXYY男子の1例

著者: 南光進一郎 ,   野村博

ページ範囲:P.707 - P.712

 抄録 XYY個体は犯罪・非行との関連が注目されている性染色体異常のひとつである。性染色体異常と精神障害との関連を明らかにすることを目的として精神病院入院男子患者にスクリーニングを実施し,4名のXYY個体を発見した。このうち精神分裂病と診断された1例について報告した。症例は46歳で17,8歳頃からはじまる不眠と幻覚妄想状態のため17年にわたり入院中で,分裂病性人格障害をきたしている現在の状態をいわゆる定型分裂病と区別することは困難であった。文献的にはいわゆる定型分裂病と考えられるXYY個体は少ないが,XYY個体には中枢神経系の異常は明らかでなく,本報告例のような症例もかなり存在する可能性を否定できないであろうと推察した。また,病前性格は活発・元気のよい子とされており,従来からいわれている活動性の高いことを裏づけた。

登校拒否児の発達的類型化

著者: 岡田隆介 ,   米川賢 ,   杉山信作 ,   佐々木高伸 ,   引地明義

ページ範囲:P.713 - P.719

 抄録 登校拒否児が学校から退いて,どこへむかうのかを比較検討し類型化をした。母親が中心である家庭へ退く者を第1群,家庭からも学校からも退いて自己の内的世界へ閉じ込もる者を第Ⅱ群,趣味的な世界にはいり込む者を第Ⅲ群,そして神経症・精神病などで症状の世界に引き込もった者を第Ⅳ群とした。その撤退先の検討により各群のkey personと治療課題が明らかとなった。第Ⅰ群は母親・自発性,第Ⅱ群は教師・同性同年齢参加,第Ⅲ群は治療者・同一性の獲得であった。以上の類型化に従って,3〜4年間の経過調査を行い,各群の治療成績も合わせて検討した。

青少年の関係念慮及び類似症状について—自我境界と年齢

著者: 阿部和彦 ,   増井武士

ページ範囲:P.721 - P.724

 抄録 自我境界が小児の成長にともないどのように確立されてゆくかを調査するために,小学校5年生から大学4年生までの男女合計2,500名について,関係念慮などがどの程度に認められるかを無記名のアンケートにより調査した。
 「自分の視線,におい,顔つきや姿で,近くにいる人が迷惑そうなそぶりをする」,「自分の頭の中で考えたことが,しゃべらなくてもすぐ人に知られる」のような関係念慮やその類似症状,合計5項目のそれぞれでは,11〜16歳の期間で5%またはそれ以上に認められ,その後の年齢で急激な減少が認められた。またこれらの症状のいずれかをもっている人々の割合は,11〜16歳では22〜25%を保ち,「この後の年齢で同様に急激な減少が認められた。
 したがって,上記の有症率の推移から考えると,自我境界が21〜23歳の状態に近くなるのは17歳以後であると推定される。

古典紹介

Robert Gaupp—Krankheit und Tod des paranoischen Massenmörders Hauptlehrer Wagner. Eine Epikrise.〔Z.f.d.g. Neur. u. Psych., 163;48-82, 1938〕—第2回

著者: 宮本忠雄 ,   平山正実

ページ範囲:P.725 - P.740

 すでに述べたように,彼の殺人計画は1908年—1909年以来,まさに彼が1913年にそれを実行したとおりのかたちで,何時何分にいたるまで,きちんと決まっていたが,ただし何年間というもの,彼が攻撃をかけようとする段になると,実行力がいつもなくなった。ラーデルシュテテンにおける迫害があまりにつらくなったとき,彼はそこから大都市への転任を望んだ。理由として届けたのは,子供たちの成長だった。彼は教師として非常によい成績をあげていたので,1912年の春にはシュツットガルト郊外のデーガーロッホへ移れた。ラーデルシュテテンを去るときには,人びとは彼をしきりに引きとめようとした。彼は皆にとても好かれていたのだった。だれひとり彼のあやまちについて知る人はいなかったし,だれひとりとして今まで彼のことをあざ笑うとか馬鹿にする人はいなかった。夜おそくまでビールを飲んで彼が誇大妄想狂的な長広舌をふるっても,人びとは―時としていささか驚いたにせよ―結局は舌がゆるんだための無邪気な感情の発露だとして大目に見た。「精神病」と彼をみなす人はだれもいなかった。
 デーガーロッホでは彼は自分の職務を最後の日まで忠実に果たした。それはともかく,彼は以前には突き棒を〔罰として〕用いるのは非常にいやがっていたのに,いらいらが高じると,懲罰権の限度を越えるようなことがたまに起こった。「あざけり」が新しい場所でも気づかれると,またもや心痛と怒りが生じた。なんとかして苦しみから逃れたいという彼の最後の希望は叶えられなかった。こうして,彼の怒りと復讐欲はいまや行為に出ることを迫った。けれども実行するのはますます恐ろしくなった。彼は自分の子供たち―手元の写真で見ると,ととのった姿のかわいい子供たちで,体つきや顔の表情に変質(Entartung)の徴候はない―をかわいがるようになっており,子供たちがそんなに早く死ぬ運命にあるなどというのは憐れなことだった。彼は子供たちに深い愛情を抱いていて「いろんなことを大目に見る」ほうだったし,クリスマスには身分不相応と思われるようなものを彼らに贈ったが,頭のなかではいつも子供たちに対して恐ろしいことをもくろんでいたのだった。夜,ひや汗でびっしょりになりながら,短刀をもって子供たちの寝台のそばに立つこともあったが,彼らを傷つけるところまではいかなかった。それだけになおさら彼は日記のなかで自分の弱さに怒り狂い,敵どもに復讐するとともに彼の一門全体を根絶すべく,みずからを鼓舞するのだった。彼がしばしば訪れた大都市〔シュツットガルト〕の郊外での活気ある生活はなるほど時として現世にいつまでも生きていたい気持を起こさせた。しかし妄想は安らぎをあたえてくれなかったし,創作も彼をほんの数時間しかその苦境から解放してくれなかった。復讐への,殲滅行動への義務が患者を実行へと駆り立てた。殺害行動を実際に起こすまえに,彼は日記の300ページ以上をフルにつかい,自分自身,自分の生活と思想,苦悩と敵たちのことをこまかく記録していた。拙著の76〜97ページとそれにつづく彼の戯曲『ナザレ人』からの抜粋を参照していただきたい。その戯曲のなかで彼はもう一度自分の性的なあやまち,それにつづく愚弄と侮辱,12年間にわたる迫害の苦悩すべてを描いており,その101ページのあたりがもっとも印象ぶかい。彼はその際しばしば自分の痛みのなかで感動的な言葉を見つけている。たとえば聖金曜日に「私の場合には一年じゅうが聖金曜日であり,私のさまよう場所はゴルゴタの丘である」と日記に書きこんだりする。反抗的な憎しみの感情は1913年7月の地震をきっかけとして狂ったように外へ溢れ出るが,そのなかで彼はつぎのように書きつけていて,Simson〔ユダヤの英雄サムソン〕を髣髴とさせる。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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