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文献概要
特集 精神科診療所をめぐる諸問題 現実と課題
子供を対象とした精神科診療所について
著者: 寺内嘉一1
所属機関: 1寺内神経科診療所
ページ範囲:P.1077 - P.1080
文献購入ページに移動I.はじめに
昭和40年頃から厚生省の方針があってか,普通の3歳児検診(内科的なもの)に加えて精神科的3歳児検診があちこちの保健所で盛んに行われるようになった。この精神科的3歳児検診は「3歳児心の検診」という名で今日定着しつつある。
ひと口に3歳児心の検診といっても実施方法は多様で一定でない。毎月保健所で行われる小児科的な3歳児検診で,発達,情緒に問題のありそうなケースをピックアップして,他日母子衛生法に基づいて,児童相談所が3歳児心の検診を行うのが一般的である。
また一方では,このようなピックアップ方式をとらずに,例えばその週に満3歳の誕生日を迎える3歳児全部を対象にして心の検診をする試みもあり,「芦屋方式」といわれるのはこれにあたる。
私が開業した昭和47年頃は,このピックアップ方式による3歳児心の検診が盛んで,私が神戸大学精神科の小児研究グループに属していた関係で,児童相談所の嘱託の形で,兵庫県内の三木市,川西市,伊丹市,宝塚市,さらに兵庫県立精神衛生センターの依頼で尼崎北保健所などで3歳児の心の検診を担当していた。
この検診で問題になるのは,3歳児であるので発達の問題,情緒の問題,母子分離の問題,あるいはひきつけなどの疾患等々多彩である。あくまでも検診であるので,普断の診察と違って予診,生活歴聴取,状態把握,診断及び鑑別診断,母親への説明,治療方針など結論を一挙に出さねばならない。
これは大変な重労働で,その場で結論を出せるとは限らず,次回に持ち越し「継続」とせざるを得ないことが多い。しばしば「継続」のケースがたまってしまい検診が進まず,身動きできなくなってしまう。3歳児の心の検診では,診断行為と治療行為が明確に区別できにくい。例えば小児科的な3歳児検診では,何か障害のありそうなケースは,要精検ケースとして医療機関へ紹介すれば簡単に済むが,心の検診では,事後指導を引き受ける医療機関は極めて少ない。
検診はするけれど,そこで生ずる治療,指導を要するケースを,以後誰がどこで引き受けるかのあてもなく,どんどん検診が消化されてゆく状況であった。これは武器もなく戦っているようなもので暴挙といわれても仕方がない。検診の場で,母親に問題を指摘するのはやさしいが,その結果母親を大いに不安にしたまま放置し,事後指導をする場がないとすれば,行われた検診は有益であったとはいえず,当時流行語になっていた「公害」をばらまいたといわれても弁解できない。本来,3歳児の心の検診に限らず,検診は早期にみつけて早期に治療,指導ルートに乗せるのが役割と考えられるが,背景となるルートを持たずに検診をするのは心細い。
筆者は,はじめから,児童精神科の専門診療所を開設しようとしたのではない。ごく一般的な精神科外来診療所を開業した。しかし3歳児の心の検診にたずさわっていた関係で,検診の背景として自分で再指導ケースの第2次機関として精神科外来診療所にプレイルームを併設せざるを得なかった。従って,私のプレイルームを運営する姿勢は防衛的,且つ消極的である。将来プレイルームを発展させ一大治療センターに築き上げる考えは毛頭なく,何とかつぶさずに維持してゆくだけで精いっぱいである。
私のプレイルームには3歳前後の多彩な問題を持つケースがほとんどで,やがてくる幼稚園,小学校への就園就学の準備,就園就学後の適応状態のフォローを親とともにやってゆこうとしている。閉ざされたプレイルームという密室内で解決できるものでなく,将来開かれた集団への参加適応を目指して細々と指導しているのが現状である。細々とでは困るが,今の診療報酬体系では経済的にプレイルームを維持してゆけない。例えば精神薄弱は精神療法(この場合プレイセラピーに相当)も精神科通院カウンセリングも保健でわざわざ断ってまで認められず差別を受けている。これは精神薄弱は医学的に認められても,医療的に認められないという事になり,矛盾している。
昭和40年頃から厚生省の方針があってか,普通の3歳児検診(内科的なもの)に加えて精神科的3歳児検診があちこちの保健所で盛んに行われるようになった。この精神科的3歳児検診は「3歳児心の検診」という名で今日定着しつつある。
ひと口に3歳児心の検診といっても実施方法は多様で一定でない。毎月保健所で行われる小児科的な3歳児検診で,発達,情緒に問題のありそうなケースをピックアップして,他日母子衛生法に基づいて,児童相談所が3歳児心の検診を行うのが一般的である。
また一方では,このようなピックアップ方式をとらずに,例えばその週に満3歳の誕生日を迎える3歳児全部を対象にして心の検診をする試みもあり,「芦屋方式」といわれるのはこれにあたる。
私が開業した昭和47年頃は,このピックアップ方式による3歳児心の検診が盛んで,私が神戸大学精神科の小児研究グループに属していた関係で,児童相談所の嘱託の形で,兵庫県内の三木市,川西市,伊丹市,宝塚市,さらに兵庫県立精神衛生センターの依頼で尼崎北保健所などで3歳児の心の検診を担当していた。
この検診で問題になるのは,3歳児であるので発達の問題,情緒の問題,母子分離の問題,あるいはひきつけなどの疾患等々多彩である。あくまでも検診であるので,普断の診察と違って予診,生活歴聴取,状態把握,診断及び鑑別診断,母親への説明,治療方針など結論を一挙に出さねばならない。
これは大変な重労働で,その場で結論を出せるとは限らず,次回に持ち越し「継続」とせざるを得ないことが多い。しばしば「継続」のケースがたまってしまい検診が進まず,身動きできなくなってしまう。3歳児の心の検診では,診断行為と治療行為が明確に区別できにくい。例えば小児科的な3歳児検診では,何か障害のありそうなケースは,要精検ケースとして医療機関へ紹介すれば簡単に済むが,心の検診では,事後指導を引き受ける医療機関は極めて少ない。
検診はするけれど,そこで生ずる治療,指導を要するケースを,以後誰がどこで引き受けるかのあてもなく,どんどん検診が消化されてゆく状況であった。これは武器もなく戦っているようなもので暴挙といわれても仕方がない。検診の場で,母親に問題を指摘するのはやさしいが,その結果母親を大いに不安にしたまま放置し,事後指導をする場がないとすれば,行われた検診は有益であったとはいえず,当時流行語になっていた「公害」をばらまいたといわれても弁解できない。本来,3歳児の心の検診に限らず,検診は早期にみつけて早期に治療,指導ルートに乗せるのが役割と考えられるが,背景となるルートを持たずに検診をするのは心細い。
筆者は,はじめから,児童精神科の専門診療所を開設しようとしたのではない。ごく一般的な精神科外来診療所を開業した。しかし3歳児の心の検診にたずさわっていた関係で,検診の背景として自分で再指導ケースの第2次機関として精神科外来診療所にプレイルームを併設せざるを得なかった。従って,私のプレイルームを運営する姿勢は防衛的,且つ消極的である。将来プレイルームを発展させ一大治療センターに築き上げる考えは毛頭なく,何とかつぶさずに維持してゆくだけで精いっぱいである。
私のプレイルームには3歳前後の多彩な問題を持つケースがほとんどで,やがてくる幼稚園,小学校への就園就学の準備,就園就学後の適応状態のフォローを親とともにやってゆこうとしている。閉ざされたプレイルームという密室内で解決できるものでなく,将来開かれた集団への参加適応を目指して細々と指導しているのが現状である。細々とでは困るが,今の診療報酬体系では経済的にプレイルームを維持してゆけない。例えば精神薄弱は精神療法(この場合プレイセラピーに相当)も精神科通院カウンセリングも保健でわざわざ断ってまで認められず差別を受けている。これは精神薄弱は医学的に認められても,医療的に認められないという事になり,矛盾している。
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