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雑誌目次

雑誌文献

精神医学24巻12号

1982年12月発行

雑誌目次

巻頭言

模索の時代

著者: 柿本泰男

ページ範囲:P.1268 - P.1269

 精神医学の領域で最近10年間何か新しい進歩があったかと問われると,否と答えざるを得ない。多くの人々も自分の専門領域では否というであろう。その意味では不毛の時代だったと言えるかも知れないが,私はそうは思わない。むしろ,それまで常識とされていた事に疑問が持たれ,流行を追って熱中していた人達が,その方向へ歩んで行って果たして良いのだろうかと考え始めて,改めて模索を始めている。その意味では次の発展への前触れか,準備段階なのかもしれない。ゆるぎのない学問体系や,安定した学派の中にいる人人からは新たな展開は期待できない。
 何が疑問となり,あるいはどのような既成の概念が崩れ始めたのか,これは人により答が異なるだろう。私なりに思いつくままに列挙してみよう。神経症という分類のカテゴリーは置いておく値打ちがあるのか。このことはDSM-Ⅲでも表われている。神経症は分裂病より治療予後が良いというのは本当か。ヒステリーと脳器質性病変の鑑別は可能か。分裂病治療における外来中心,作業レク強化,病棟開放化一本から入院治療,安静の意義の見直し。その間のバランス点を個々の治療でどこに置くのか。分裂病や思春期の精神的危機における家族加害者論の撤回と家族の治療協力者への引き込み。分裂病や躁うつ病における生物学的要因重視は,心因論の立場に立つ人達の不安のせいか,研究費や業績主義の表われなのか。CTや脳局所循環の測定の手技の進歩による大脳局在論の復活。初老期痴呆と老年期痴呆の区分の廃止と,アルツハイマー病の地位の拡大。老人痴呆への関心の増大とアセチルコリン説の台頭,その真偽は? 痴呆と意識障害は本当に区別できるのか。生物学的研究におけるアミンからサイクリックヌクレオチド,レセプター,エンケファリンフィーバーはどこまで続き,どこに行きつくのか。脳病の初の化学療法とされるL-DOPAは果たしてパーキンソン病患者にとって福音だったのか。など数限りない疑問がわいてきている。

特集 アルコール依存症の精神医学—東京都精神医学総合研究所 第10回シンポジウムから

はじめに

著者: 加藤伸勝

ページ範囲:P.1270 - P.1270

 元来,精神医学の本流を歩む臨床家や研究者の関心は内因性精神病や神経症に向けられ,アルコールや薬物依存の臨床や治療に手を染める精神科医は少なかった。
 アルコール依存症は,対象患者が多いわりには,その臨床像がとらえにくく,また治療面でも有効な手段も乏しかった。さらに,依存者をめぐる社会心理面の複雑さもあり,疾患として生物学的,または心理学的次元で対応できないもどかしさがあり,biopsychosocial disorderとして精神医学の中で特殊な位置を占める疾患である。したがって,アルコール問題に立ち入る精神科医は思慮の浅い精神医学のアウトサイダーの評があった。今日でもその評価はあまり変っていない。

現代社会とアルコール依存症—アルコホリック・ソーシアル・システムの概念を手がかりに

著者: 清水新二

ページ範囲:P.1271 - P.1280

 わが国のアルコール消費量は戦後着実に増加を続け,それと平行してアルコール問題の深刻化にも関心がもたれ始めている。確かに基本的な傾向としては深刻化の兆しを窺うことは可能であるが,その深刻化のあり方はそう機械的なものではなさそうである。問題を相対化して述べれば,現状では日本の場合むしろなぜさほどには問題が深刻化しないのか,といった問題設定も十分意味をもってくる。
 かように再定式化されたこの問題に関しては,酵素モデル,摂取様式モデル,規範モデル,社会統合モデルの4つのモデルが抽出されうるが,もとより一つのモデルで全てが説明されるわけでなく,説明されるべき問題の局面によって強みと弱みを併せもっている。このことを前提とした上で,本論では社会学的立場から主として第4の統合モデルに立脚した場合なにが見えてくるか,一つの見方を提示した。
 すなわち,わが国の飲酒文化と社会構造はアルコホリック・ソーシアル・システム(ASS)と慨念化することにより関連づけられた。次いでASSが大枠として維持されているがために許容と統制の統合メカニズムが作動し,多かれ少なかれその効果がアルコール問題深刻化に一定の抑止力をもっていることが導かれた。と同時にこの抑止力の作動の仕方は,社会変動の影響により多様な形をとり,このことによりアルコール問題のあらわれ方の地域的差異が結果されることも,高知と秋田の場合がとりあげられ考察された。社会変動が先行し再組織化さえ進んでいるとみられる東京なども含めて,今後とも社会変動の絡みでこの問題をみてゆく必要があろう。

アルコール依存症の病因—最近の生物学的展望

著者: 加藤伸勝

ページ範囲:P.1281 - P.1290

I.はじめに
 わが国の年間酒類の消費量は昭和40年を100とすると昭和54年には192.2となり,15年間に2倍に増加している。成人男子の90%,女子の45%が飲酒しており,1日平均純アルコールにして150ml(日本酒5合弱)を飲用する大量飲酒者は,昭和54年に推計174万人を数えるに至っている。大量飲酒者の増加は,アルコール依存者の増加の指標ともなることで,わが国のアルコール問題は年と共に深刻化の度を加えつつあるといえよう1)。そこで本項では,アルコール依存症の一般的病因に触れる中で,わが国のアルコール問題に言及してゆくことにする.
 アルコール依存症は薬物依存一般と共通する成立機序が考えられているが,それは大きく3つに分けられる。
 まず,依存薬があること,それを受け入れるヒトがいること,依存薬とヒトを結びつける場があることである。
 アルコール依存症の場合,もちろん,依存薬はアルコールであり,依存薬とヒトを結ぶ環境は社会ということになる。
 そこで,これらの3つの要素につき,個別的に吟味することによって,アルコール依存症の病因を探って見たい。
 疫学的立場からは,しばしば作用因(agent),宿主(host)と環境(environment)の3区分が行われるが,本項においてもこれに準じて項目を分けるが,環境としての社会因子については割愛する。したがって,主として生物学的観点からその病因を探ることとなろう。

アルコール依存症候群と病態生理

著者: 小片基

ページ範囲:P.1291 - P.1301

I.はじめに
 アルコールに関連した医学用語は混乱したまま使用されている。この傾向が近い将来,完全に異論がないほどに整理されるとは思われない。そこで,小論をすすめるにあたり,日本アルコール医学会用語委員会による中間報告18)の要点を表1にまとめておく。筆者はここで,alcoholismをアルコール症,alcohol-related disabilitiesをアルコール関連障害,withdrawal syndromeを離脱症候群という訳語を用いて記述をすすめたい。
 第10回精神研シンポジウムで筆者に与えられた課題はアルコール依存症の症状と病態生理であった。今回,その時の口演内容にいささか加筆してまとめるに際して,後述する理由から,「アルコール依存症候群と病態生理」と表題の変更を行った。

アルコール依存症の治療—病院医療から地域医療へ

著者: 三船英男

ページ範囲:P.1303 - P.1312

I.はじめに
 アルコール依存症の患者は,他の病気とは違って,内科領域からも精神科からも歓迎されない存在で,“アル中”として嫌われている5)。家庭生活も社会生活も破綻に瀕し,自らの健康を損いながらも治療を拒否し,大量の連続飲酒を繰り返し生命の危険まで冒している。しかし世間一般の無知と偏見のために,患者・家族共に医療機関への相談.受診が遅れてしまうことが多い。また相談を受けた病院,保健所,福祉事務所等では相当の努力と苦労をしていても,個々の諸機関が孤立的で連携が不十分なたあに効果をあげにくい面もある。さらに,専門治療病棟を有する病院が極端に少ないために,受診希望者を十分に受け入れられず,特に緊急患者への対応は困難である。一方,緊急受け入れ可能な病院では特別な治療プログラムをもっていないことが多く.これらの事情のためにせっかく治療ルートにのっても再飲酒を反復する患者が多い。
 このように困難な問題が山積しているアルコール医療状況にあって,専門治療病棟をもつ国立武蔵療養所の治療活動を報告し,あわせて病院医療の重要性と地域医療への方向性について述べてみることにする。

研究と報告

成人型境界例についての臨床的考察

著者: 森省二 ,   大原貢

ページ範囲:P.1313 - P.1321

 抄録 境界例は最近注目を集めている(臨床)疾患単位の1つである。それは発病年齢,病像,精神病理などの点から青年期に特有の病態とされている。しかし臨床場面において,稀ではあるが青年の境界例(青年型境界例)とよく似た病像や精神病理をもつ大人の患者に出合うことがある。このような大人の境界例(成人型境界例)に関する言及は,これまであまりなされていないようである。われわれは成人型境界例と思われる4例を経験したので報告するとともに若干の考察を加えた。彼等はうつ状態を呈して来院することが多いので,はじめに笠原・木村のうつ状態の臨床的分類に照合し,次にDSM-Ⅲの「境界人格障害」を「分裂型人格障害」に照合して臨床診断学的に「境界例」であることを確かめた。更にそれらの成人型境界例と青年型境界例を比較することから,成人型境界例の特徴を浮き彫りにすることを試みた。

初老期以後のせん妄—5年間の臨床統計およびhypoactive delirium(Lipowski)について

著者: 高橋三郎

ページ範囲:P.1323 - P.1332

 抄録 最近5年間に観察した50歳以上の患者にみられたせん妄について,臨床的検討を行った。
 新患663名中,初診時にせん妄を認めたものは73名(11.0%)で,男性は329名中51名(15.5%),女性は334名中22名(6.6%)であり,加齢とともにその頻度は漸増した。基礎疾患では脳動脈硬化症(または多発梗塞性痴呆),心因反応脳血栓などが多く,せん妄の誘因としては入院直後の環境変化,疾患に対する不安感,薬剤使用などが高頻度であった。
 臨床像では,夜間不眠で日中ウトウトするhypoactive delirium(Lipowski)がしばしばみられ,その1典型例を報告した。また基礎疾患に関係なく,大部分は2週間以内にせん妄が消褪した。
 以上の結果に基づき,とくにhypoactive deliriuim,誘因としての薬剤,せん妄への対策などにつき考察した。

慢性覚醒剤中毒の幻覚妄想状態にみられる逆耐性現象と抗精神病薬の再燃予防効果

著者: 佐藤光源 ,   秋山一文 ,   中島豊爾 ,   大月三郎 ,   原田俊樹 ,   船越美保 ,   長尾卓夫

ページ範囲:P.1333 - P.1340

 抄録 慢性覚醒剤中毒で幻覚妄想状態を来した21症例を報告した。まず,その臨床経過に履歴現象(臺)を認めた16症例について記載し,長期連用時と再注射による急性再燃時の幻覚妄想状態について考察した。そして,それが注射後の一過性の自己または自我意識の変容であり,分裂病の自我解体と趣きを異にすること,およびその基本的な障害が「外界との適切な関係の途絶」であるとした。第2に,常用していた量よりも少ない量の覚醒剤1回再注射で幻覚妄想状態が急性再燃した4症例,ストレスによる急性再燃もみられた1症例を記載した。そして,覚醒剤中毒の幻覚妄想状態にみられる履歴現象が覚醒剤への異常過敏反応性,すなわち逆耐性現象によることを示した。また,この異常過敏反応性が1年7ヵ月後にもみられ,長期持続性の脳内変化によることを示し,ついで,有機溶媒嗜癖で過去に幻覚妄想状態を来したことがある症例は覚醒剤の連用で早期に幻覚妄想状態に陥いる傾向があることを指摘した。この傾向とストレスによる自然再燃を逆耐性の交差現象としてとらえた。第3に,抗精神病薬服用下でひそかに覚醒剤を再注射していた8症例を記載した。このうち7症例は,ハロペリドール3mg/日といった比較的少量の服薬で急性再燃が抑制されていた。この結果をわれわれの一連の実験的研究成果を取り入れながら考察し,覚醒剤中毒における幻覚妄想状態の再燃しやすさが,断薬後も長期にわたって持続する脳カテコラミン作動系の過敏反応性に由来するものであり,中脳辺縁ドパミン作動系にみられる薬物受容体の増加がその一因を成すと推論した。

一登校拒否児童の治療経過と「家族」画の変化

著者: 上野郁子 ,   石川元 ,   鈴木康譯 ,   大原健士郎

ページ範囲:P.1341 - P.1348

 抄録 いわゆる登校拒否の研究は,最近になり内外ともに活発となってきたが,その診断・分類・治療については,取り扱う立場によりかなり異なっている。今回われわれは,幼稚園時期より断続的に登校拒否をくり返している10歳(小学校4年生)の男子に対し,患児の知能がborderlineであること,患児をとりまく環境(家族内力動,担任教師)にも問題がある点を考慮し,多くの治療法の中で,描画(合同動的家族描画)を選択した。登校拒否の治療経過で,描画を用いた報告は数多くあるが,単なる評価尺度として,また家族のダイナミズムを知ろうとする目的で施行されているものがほとんどである。本症例は,施行された家族画が,前記の目的だけでなく治療においても,大きな意義を持つものであることを示唆していると思われたので,ここに報告する。

幻覚妄想状態をもって6歳2ヵ月で急性に発症した精神分裂病が疑われる1例

著者: 栗田広

ページ範囲:P.1349 - P.1356

 抄録 6歳2ヵ月の男児に急性の幻覚妄想状態が生じた。患児にはお化けによって自己の身体が改造されるという妄想や,幻聴の存在が推定され,幻覚妄想状態は抗精神病薬により約9ヵ月で軽快した。治療中断後,三環抗うつ剤服用後に急性増悪し,再び抗精神病薬により軽快した。8歳で普通学級に復帰したが,間もなく登校を拒否し,小学3年より心障学級に通っている。しかし4年後も発症当時の幼稚園の友人,教師には被害的な構えを有し,暦年齢10歳1ヵ月で田中ビネー式IQは71であり,知能,人格の水準低下を認める。病前の身体,知能発達に遅滞はなく遺伝負因はない。神経学的所見はなく,脳器質的ないし症候性精神病を疑わせる臨床所見もない。脳波,CTスキャン,アミノ酸代謝異常スクリーニング検査などに異常はない。幼児自閉症近縁の発達障害とも異なり,DSM-Ⅲなどによれば精神分裂病の疑いが最も高く,妄想を有する小児例としては,最年少に属する例と思われる。

精神分裂病様状態の先行した若年型ハンチントン舞踏病の1例

著者: 喜多成价 ,   柏井洋平 ,   林剛 ,   岡本重一

ページ範囲:P.1357 - P.1362

 抄録 若年に発病し,舞踏病顕現の約10ヵ月前から分裂病様状態の出現していたハンチントン舞踏病の1例を報告し,若年発病と分裂病様状態の先行の2点に関し,文献例とともに考察した。1)若年発病はそれほど珍しいことではない。一般的には否定されているが,一部にはAntepositionを示唆する家系がある。若年発病例は大多数が父親から因子を継承しており,同胞発病の場合は異母兄弟例を含めて全例が若年発病の点で一致し,従って非発病親(多くの場合母親)からの因子に影響された結果とは考え難い。2)ハ病に分裂病様状態の出現は珍しくない。多くはかなり進行した時期の痴呆を背景としたものであるが,早期ことに舞踏病に先行出現するものもあり,その場合は分裂病とまぎらわしい。分裂病との合併として期待しうる数字よりはかなり頻繁で,ことに本例のごとく症状面でも分裂病像とは些か趣を異にする場合,ハ病の初期症状に属するものが多い。

短報

右後頭葉内側部の出血で方向定位の障害を呈した1例

著者: 三山吉夫 ,   徳丸泰稔

ページ範囲:P.1364 - P.1367

I.はじめに
 方向定位の障害は視空間失認に属し,地誌的障害の一症状であり,右後頭葉にその機能の局在が推定されている。視空間失認は初老期痴呆の代表的疾患であるAlzheimer病でもみられ,臨床診断上重視される症状でもあるが,Alzheimer病では病変がびまん性であるために,この症状と脳の病変との関係を検討することは必ずしも容易ではない。われわれは右後頭葉内側部に限局した病変を有し,方向定位の障害が唯一の症状であった症例を経験した。本症例は,大脳半球の機能を検討するのに都合のよい症例と思われるので報告する。

原発性全身痙攣発作の治療予後

著者: 久郷敏明 ,   森光淳介 ,   細川清 ,   平田潤一郎 ,   辻治憲 ,   中岡清人

ページ範囲:P.1368 - P.1371

Ⅰ.緒言
 てんかんの予後規定因子として,発作型の相違および外因の存在が大きく影響することが知られている1,2)。とくに,外因が存在する場合,発作の転帰が難治となりやすいのみではなく,精神症状を合併することが多く,社会適応は不良となる傾向がある3,4)。ただし,この場合の予後は,てんかん自体の経過により規定されるというよりも,外因となった疾患そのものの後遺症状を反映している可能性が強く,このことが問題をさらに複雑にしている5)
 そこでこのたびは以上の視点から,外因の影響がなく,病態生理からも均一と考えられる発作型を対象に,より純粋なてんかんの治療予後規定因子を明らかにすることを目的として,原発性全汎発作とくに強直間代性全身痙攣発作を単一に示す症例を取り上げ,種々の角度から検討を加えた。

IgE高値を呈したSyndrome Malinの1例

著者: 河北英詮 ,   市川薫 ,   鈴木守

ページ範囲:P.1373 - P.1375

I.はじめに
 向精神薬の重篤な副作用に悪性症候群Syndrome Malin1)(以下SM)がある。SMは向精神薬使用者に突然,高熱,無動緘黙,意識障害とともに,筋強剛,振せんなど錐体外路系症状,流涎,発汗,喘鳴,呼吸困難など自律神経症状,末梢循環不全を来し,ときに致死的な症候群として報告されているが2〜4),その本態はまだ不明である。著者らは,アレルギー関与が推定されるIgE高値を呈したSMの1例を経験したので報告する。

古典紹介

Pierre Janet—迫害妄想における諸感情—第2回

著者: 加藤敏 ,   宮本忠雄

ページ範囲:P.1377 - P.1388

V.浸透感情(sentiments de pénétration)
 精神の浸透はジェームスの観察例ですでに明瞭だったが,しかしそれは思考奪取と緊密に混じり合っている。この浸透は別の感情でもっと鮮明になることがある。私は以前しばしば神秘家たちについて現存感情(sentiment de présence)を強調したことがある原注22)。同じ観点からのこの感情の注目すべき記述はLeuba氏原注23)の著作にも見いだせる。すでに示したとおり,この感情は宗教感情の障害に特有というわけではないし,いつも神の現存を対象とするわけではない。たとえば,マドレーヌは祭壇を部屋にしつらえる時に,自分自身や事物について現存感情をもった。この感情は催眠現象のなかでたくさんの事物について確認されている。神が問題になる場合でも,神はひとりの人間と考えられていて,障害は一般的には,患者が,ただ一人でいるのに,またどんな感覚によってもその人物が知覚されないのに,患者のいる場所に一人の人間が現存するという感情から構成される。
 この感情は迫害妄想のなかで,あるいはその妄想に傾きやすい患者たちにたいへん頻繁に現われる。この感情の始まりはケート(女性,25歳)にみられるが,彼女は今のところ胃腸障害や多少とも重い抑うつしか呈していない。落ち着いた状態で床に入るのに,いざ寝つく段になると苦しくなって,目をさましてしまう。彼女には,自分の部屋にだれかがいて,その人がベッドの前を行ったり来たりするように思われる。彼女は明りをつけ,だれもいないことを確認する。消灯して,眠りに身をゆだねるとすぐ,また同じ感じが現われる。人がドアを叩いているように思われ,つい,お入りなさいと言ってしまうが,だれも入ってこない。彼女で問題なのは羞恥による戸惑いではなく,これらの人びとがむしろ敵であるかのような不安である。こういうことは,夜毎に数回,完全に寝入ってしまう前に,繰り返される。そして,彼女が夜のあいだしばらく眼ざめていても事情は変わらない。《私はそんな時いつも部屋でいやな人びとが息をしたり,ひそひそ話をしたりするのを感じます》。私は同じ感情を,同じ条件下で,つまり半眠の状態で,Tyr.(女性,43歳)にも見いだしたが,彼女にはやはりこの妄想へ傾きやすい素質があった。

特別講演

日本の精神医学・精神衛生をみて

著者: 林宗義

ページ範囲:P.1389 - P.1398

Ⅰ.訪日にあたっての目的
 日本へ昨年やってきた時に,私は3つの希望を持っていた。最大の目的は,日本的な精神医学,あるいは日本の社会と文化に根ざした日本の精神医療をもう少しはっきり知りたいことであった。
 色々な国をまわり,色々な仕事をしているうちに,私の頭に最後に残った大きな問題は,やはり,精神医学はそこの文化,その土壌に根づかなくてはほんとうにそこの人間の精神医療に役立たない。また精神医学もほんとうに伸びないんじゃないかということであった。この「リレヴァンシー」(relevancy)という言葉が,ここ30年間,世界を駈けずりまわって最後に到達したいちばん大きな問題であった。私の最近発表する論文の中にはこのrelevancyということばがよく出てくるのもそのためである。とくに東洋,その中でも自分の出身した漢民族,あるいは中国というか台湾というか,その辺りにおける精神医学はどういう根を持つべきか,を考えて,私は最近アーサー・クラインマン(Dr. Arthur Klienman)と一緒に1冊の本を編集した。それは『中国文化における正常行動と異常行動』(Normal and Abnormal Behavior in Chinese Culture)であるが,その時に,もしできたら次にはRelevancy of Psychiatric Treatment in Chinese Cultureを書こうと思って,今考えているところである。そのあかつきには,こんどは日本について,Relevancy of Psychiatric Treatment in Japanese Cultureをもっと知りたいと思っている。できたら本にまとめたい。そういう希望があった。そして,これが私の今度の1年間の滞日のいちばん大きな主題であった。

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精神医学 第24巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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