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雑誌目次

雑誌文献

精神医学24巻5号

1982年05月発行

雑誌目次

巻頭言

精神病院体験入院

著者: 大原健士郎

ページ範囲:P.464 - P.465

 新入医局員の卒後研修に,何か生涯想い出に残るような教育をしてやりたいものだと,かねがね考えていた。そして,初年度のグループには,森田療法の絶対臥褥を体験させることにした。これは,かつて患者として森田療法を体験した大先輩から,「自分で絶対臥褥の体験もないのに,森田療法の研究発表をするなんておこがましい」としばしば批判されていたことも影響している。いざ実施となると,こちらも欲が出て,臥褥中の心理テストはもちろん,1週間ぶっ続けの脳波測定もすることになり,結局は絶対臥褥というより,遮断療法的な内容になってしまった。被検者である4人の研修医たちは,最初の2日くらいはよく寝た。しかし,その後は,何もしないで寝転んでいることの苦痛をいやというほど体験した。起床後の彼らの動務ぶりはまことに目を見張るものがあった。まさに「生の欲望」の権化であった(もっとも,これはそう長続きはしなかったが……)。起床して間もなく,私たちは座談会を開いた。私は「少しやり残した実験があるので,もう1度絶対臥褥をやり直したい」とからかってみた。彼らは互いに顔を見合わせ,「命令であればやっても良いが,できれば来年の研修医たちにお願いしたい」と主張した。
 次の年の研修医たちには,精神病院に体験入院をさせてみたいと思った。これから,生涯精神科医を続ける彼らに,精神障害者とは何か,精神病院とは何かを医師としてではなく,まず患者として体験してほしいと考えたからである。5人の研修医たちは,私の計画を聞いて,全員が諸手をあげて賛成した。しかし,入院の日が目前に迫ると,彼らは口々に,「本当にやるんですか」と不安がった。前日はあまり眠れなかった者もいた。この計画は何も思いつきで出たことではなかった。私はフレッシュマンの頃から7年間,精神病院に住みつき,家族ぐるみで患者たちにつき合った経験がある。その病院は土地が低く,1年間に2,3度は洪水のためにわが家は水びたしになった。患者たちは病室から出てきて腰まで泥水につかりながら,息子を肩車し,家財道具を運んでくれた。息子は毎晩,私の廻診についてきては,患者からせんべいをもらったり,患者と相撲をとって遊んだ。私は若い医師たちに,患者を異分子としてみるのではなく,人間味あふれた,われわれと同じ人間であるという体験をしてもらいたかった。それだけで十分である。

展望

児童精神医学の動向—とくに生物学的側面から(そのⅠ)

著者: 山崎晃資 ,   林雅次 ,   片岡憲章

ページ範囲:P.466 - P.479

Ⅰ.まえがき
 わが国における児童精神科医療は,さまざまな問題を内在しながらも着実な発展をとげ,臨床と研究の裾野をひろげてきている。とくに,近年,一般精神医学における生物学的研究が急速に発展し,関連する基礎的研究が飛躍的に進歩するに伴い,児童精神医学における生物学的研究が注目されてきている。
 1960年代から脚光をあびてきた児童精神医学における生物学的研究は,それまでの心理学的および社会学的側面からの研究に対するある意味でのアンチテーゼとして登場したものであるが,同時に顕在行動(overt behavior)の生物学的解釈による精神病理学とのインテグレーションの1つの試みでもある。児童精神医学においては,対象児の年齢が低いほど言語を媒介とするかかわりは乏しく,行動の変化によって障害の性質を探ることが必然的になされており,精神障害児と器質性障害児および感覚障害児の行動の比較検討が重要な課題となってきている。すなわち,それぞれの障害において特有な行動とされてきた行動が,他の障害においても認められるようになり,異常行動の発達的研究がなされてきている。

研究と報告

慢性覚醒剤中毒の臨床的研究

著者: 佐藤光源 ,   中島豊爾 ,   大月三郎

ページ範囲:P.481 - P.489

 抄緑 最近の覚醒剤中毒者の臨床を把握し,抗精神病薬がなかった戦後の第一次乱用期における立津らの調査結果と比較するために本研究を行った。10施設を過去3年間に受診した慢性覚醒剤中毒者108名を調査し,次の結果を得た。1)覚醒剤使用以前の患者の状況―ぐれた生活史,暴力団との関係,低学歴と高率の中退,離婚,20%にのぼる精神障害の遺伝負因,高率にみられるmultiple use―は,時代,文化的背景が一変した今日でも,戦後の調査結果と不変であった。2)覚醒剤中毒の入院における臨床像は,DSM-Ⅲ精神分裂病診断基準の急性期症状の大部分を占め精神分裂病との鑑別が困難であること,しかしいくつかの鑑別点を指摘できることを示した。3)抗精神薬の使用で,第一次乱用期にくらべ,幻覚妄想状態はより早期に消褪した。4)「意識障害を伴う」幻覚妄想状態→「意識混濁のない」同状態→著明な器質性人格特徴へ推移する臨床経過,高率にみられた履歴現象型の急性再燃などを示し,幻覚妄想状態を通過症候群ととらえる立場から考察した。

チック及びGilles de la Tourette症候群における声の現象—心理治療の経験に基づいて

著者: 森谷寛之

ページ範囲:P.491 - P.501

 抄録 チックやGilles de la Tourette症候群に関する研究論文は従来から報告されているが,その声の現象自身に焦点を当て,論じた報告は筆者の知るかぎりみられないように思われる。ここでは心理治療に携わった5症例をもとにして,特に声の現象を中心に報告し,症状としての声の意味について考察を行った。
 チック症者は声や音を出すことに強い抵抗を持っているが,一方,声や音を通じて強い自己主張を行う。
 家族との争いと和解は,声や音,特に音楽や歌という形で表現されることが多い。家族力動の要として,音声の問題が現われる。
 チックの声は決して無意味な騒音ではなく,奇声という形ではあるが,やはり他者に声を掛けているのであり,その呼びかけに如何に応答し,コミュニケーションできるかが治療の鍵となるように思われる。

分裂病様病像を呈したLennox症候群の成人例

著者: 宮内利郎 ,   横井晋 ,   北村清 ,   原実 ,   菅野道 ,   梶原晃 ,   砂田嘉正

ページ範囲:P.503 - P.512

 抄録 11歳時,強直・間代発作で発症した晩発型Lennox-Gastaut症候群に,13年間の通院経過中,3度の非発作性・可逆性の分裂病様病像のepisodeを観察したので報告した。
 本症例は,39歳であり,Lennox症候群での報告例の最年長者症例である。また経過中に,脳波・臨床上種々の変化をみており,本症候群の予後を知る上で,興味ある症例と考える。
 Lennox症候群の精神症状として,分裂病様病像を呈したという報告はなく,てんかんと分裂病の関連という点で,従来の側頭葉てんかんを重視する立場に一考を要するものと思う。
 3度の分裂病様状態について,脳波,てんかん発作,薬物等の関係を論じた。本症例は高度の脳波異常を呈する難治てんかんであり,従来の報告とは異なる結果を示した。また第3回目のてんかん発作—分裂病様病像という一連の経過は,clonazepamを中断した後に起こったものであり,離脱症状として考えられるものである。

早期幼児期に発症した発語失行の1例

著者: 小林宏 ,   中川実

ページ範囲:P.513 - P.518

 抄録 症例は36歳の男性。満1歳頃重篤な疫痢に罹患。その後発語発達がなかったが,社会生活では特に問題なく経過した。34歳になり,流誕と語唖を主訴に初めて受診し,顔面失行を伴う構音失行(発語失行)と考えられた。その後自ら歌を練習したりして発語訓練に積極的である。
 本例は高度の脳室拡大を伴い,それと関連した基盤をもとに生じたと思われる発語障害で,浅川らの言う発達性失行性構音障害に属するものと考えられる稀な症例である。本例の特徴は軽度ながら発語が改善された点である。それには顔面失行が比較的軽度なこと,放棄していた発語意欲がでてきたこと,singing therapyの効果などが考えられる。

短報

Zimelidineのヒト成長ホルモンおよびプロラクチン分泌反応に及ぼす影響

著者: 澤温 ,   小渡敬 ,   鈴木孝尚 ,   中澤恒幸

ページ範囲:P.519 - P.522

Ⅰ.緒言
 うつ病の治療は1950年代後半よりimipramineに始まる三環系抗うつ剤が主流であったが,その効果発現の遅いことや末梢性抗コリン作用等の副作用が時に治療の障害になると指摘されている1)
 近年,非三環系抗うつ剤として,二環系抗うつ剤,四環系抗うつ剤が出現したが,これらはいずれも効果の発現が早く,上記欠点の少ないことを特徴としている。特に二環系抗うつ剤でbromophenylpyridylallylamine系誘導体であるzimelidine(図1)は,作用機転の上でも中枢ならびに末梢でセロトニン(5-HT)neuronに選択的に作用し,ラットに経口投与した実験では,その脳における5-HT再取り込み抑制効果はclomipramineの約6倍であると報告されている2)
 われわれは,これまで三環系うつ剤であるclomipramine,desipramineについて血中成長ホルモン(GH)の分泌反応について検討してきた。その結果,ノルエピネフリン再取り込み阻害作用を主作用とするdesipramineは,健常ボランティアにおいて明らかな分泌反応を示したが,5-HT再取り込み阻害作用が相対的に強いclomipramineはほとんど影響を及ぼさないことが明らかになった3)
 一方,中枢性抗ドーパミン作用を有するneurolepticaは随伴的に血中プロラクチン(PRL)値を上昇させることが知られている。抗うつ剤に関してもsulpiride,amoxapineは抗ドーパミン作用を有することから血中PRL値を上昇させることが知られている。さらに三環系抗うつ剤であるimipramineおよびamitriptylineについても血中PRL値を上昇させるとの報告4)もあるが,否定的な見解5)もある。PRL値の生理的役割はまだ解明されていないが,血中PRL値の上昇に伴う安全性には十分留意する必要がある。
 今回,われわれはclomipramine以上に中枢での選択的5-HT取り込み阻害作用を有するzimelidineを健常ボランティアに使用する機会を得たので,本剤投与による血中GHおよび血中PRL分泌に及ぼす影響を検討した。

古典紹介

Robert Gaupp—精神医学的認識の境界域について

著者: 曽根啓一 ,   飯田真

ページ範囲:P.523 - P.534

 皆さん! 精神病は脳病であり,精神医学は内科学の一部門である--という見解は,Griesinger時代以来我々には周知のことになっており,これに反論する医師は殆んどいません脚注1)。内科学は内科学でまた自然科学の一分野であり,その基盤となっているのは経験です。病理学に与えられている課題は,経験的事実のすべてを互いの関係のなかで,つまり相互の条件のなかで認識するということです。病理学は,その本質からして病態生理学であり,正常人の生理学の場合と同一の考察法に基づくのです。さて,現代生理学が一切の生気的な学説を排斥して身体的な生命現象を普遍妥当な分子機構の法則から理解しようと,つまり一切の器質的な現象を物理-化学的な変化から演繹しようと努力しているのは,理解できる,恐らく当然でもあるこの学問の自負なのです。神経系での事象も,この学問にとっては合法則的な経過をたどる運動現象に過ぎないのです。エネルギー保存に関する学説は,人間の大脳における複雑な過程さえも,錯綜した物理学的な出来事であると自然科学に考えさせることになりました。しかしこの場合,意識という現象の有無は全く顧慮されていません。あの全く陳腐な物質主義に凝り固まってしまうことを望まなかった者は,精神-身体平行論説の中にある一つの理論を見出しました。つまりその理論とは,研究者が得た自然科学的な確証を彼自身の内的経験と一致させることを可能にする理論です。しかし,一切の意識現象と結び付けられた物質的な脳事象は,一切の物質的な出来事と同様に物理学の法則に従うしかないのです。従ってそこでは精神生活が自然科学者から殆んど無視され続ける可能性があるということになります。と言いますのは,精神生活に対応した形で積極的に物質の運動現象が起こる場所などどこにも無いからです。内的経験とは,それ自体一つの世界であり,自然科学者がそのまま科学的な研究の対象となしえないものです。敢えてそれをやろうとすれば,彼は自分自身の本来の研究領域から離れてしまいます。
 皆さん! 上に述べたことはまさに,我々の医学界においても科学的に正しいと認められる見解であり,その認識論的な特性をDubois-Reymondがすでに30年前に明らかにしております。先に述べました様に,精神医学は医学の一部門であり,医学自身は自然科学の一分野だと定義したとしますと,そこから意識という事象を無視し続ける精神医学に従事する時にだけ我々が自然科学者として厳密に科学的に対処しているのではないかという理論がどうしても出てきます。しかしながらこれは当然無意味な要請です。肝臓や腎臓の病理は,自然現象の認識が進めば分子機構の法則から恐らく余すところなく脚注2)把握されるでしょう,そして我々は我々が欲しまた必要とするものをなし終えるでしょう。しかしこの様な認識では我々の学問の課題は解決され得ません。我々が我我の患者で理解したいのは,なんと言いましても正常なものと病的なものとが一緒になっている感覚,感情,表象,意志表示といったものであり,単に彼らの脳皮質の分子変化だけではありません。このことから次の事が結論されます。即ち,我々の学問は,自然科学的な医学の一部門であるばかりではなく,大部分は自然科学者が取り扱わない別の研究領域であり,その研究が我々精神科医に課せられた義務であるような諸現象が含まれる分野でもあります。ここに我々の学問の特殊性があるのは周知のことです。しかしながら同時にまたここに,精神医学の認識の及ぶ境界が他の医学部門に比べてはるかに狭いという理由があります。何故かと申しますと精神医学以外の医学における認識の絶対的境界は,自然現象の認識の境界と直接的に関連しているからです。その時々の事実上の境界は,生理学が身体的な生命現象を自然科学的に解明し,機構化することに成功するにつれて拡がってゆきます。一切のものは物質の運動であり,かかるものとして原則的に認識可能です。しかしながら精神医学では,物質的な脳事象についての認識だけではなく,精神的な諸関連の探究ともかかわり合うという特有な問題と直面します。哲学界にあっては一元論的な世界観が,物質的な過程と精神的な体験との経験的な比較不能性から生じてくる一切の困難を解明し得るかもしれません。しかし我々精神科医は,この困難を回避するわけにはいきません。この困難をはっきり認識することは,我々の避けられない前提となるのです。この前提がなければ我々は絶望のあまりユートピア的希望や無責任な仮説に溺れてしまうのです脚注3)

資料

米国精神科専門医試験(そのⅡ)—第2次(口頭)試験

著者: 丸田俊彦

ページ範囲:P.535 - P.541

Ⅰ.序
 すでに「米国精神科専門医試験—第1次(筆記)試験」(精神医学,24;445〜450,1982)において,専門医試験の背景と筆記試験の内容について述べたので,ここでは,近年かなりの論議を引き起こしている第2次(口頭)試験に関し,受験者・試験官両者の立場から述べることにする。
 筆記試験は,問題数が多く(>360題)「コンピューターによる客観的判断」が行われるため,「受験者のいかなる能力を測定しているのか」との疑問に対する明確な答えがないままでありながら,受験者からの苦情も,学会における論議も少ないようである。これが,試験官の主観がはいる可能性,というよりは,ともすれば試験官の(学問的背景をも含んだ)主観が合否を決定する危険のある口頭試験の場合,試験そのものの是非に関してかなりの議論がある1〜6)。ただ残念なことに,この口頭試験是非の議論自体が体験的,主観的である場合が多く1,3〜6),客観的方法をもってその是非を論じたものは少ない2,6)。恐らく,口頭試験がどのくらい客観性(validity & reliability2))を持つかは,半永久的課題であろう。

特別講演

WHO International Pilot Study of Schizophrenia—その着想と意義

著者: 林宗義

ページ範囲:P.543 - P.564

Ⅰ.IPSSの誕生と意義
 加藤正明氏より,IPSS註1)が日本にも紹介されていたこと,PSE註2)という,研究上きわめて重要な道具が日本語にも翻訳されていることを知って心強く思った次第である。長崎大学の高橋良氏が第2次のIPSS 10ヵ年計画に参加されていることは御承知と思う。
 これから,WHOのIPSSはどのように着想されたか,また,どのような意義があるかを主としてお話ししたいと思う。つまり,一体どうして私がこのようなことをやり出したかということ,これが将来の精神医学の発達,とくに国際的な精神医学の交流や比較文化精神医学の研究などにどれほどの意義をもつであろうかに主眼を置きたい。

追悼

澤 政一先生を偲ぶ

著者: 相田誠一

ページ範囲:P.565 - P.565

 澤政一先生は昭和56年12月16日直腸癌による肝転移のため新潟大学病院外科病棟に於て63歳の生涯を終えられた。
 5年前に下腹部に異和感を訴えられ,年齢からして悪性の病気の可能性も考慮されて,手術をされたが,以後格別のことなく,翌年は教室同窓会主催の還暦のお祝いの時も誠にお元気であられた。しかし昨年秋頃より時折休養をされなければならない事態となり,ついに御逝去の事実をみたことは誠に残念至極なことである。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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