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雑誌目次

論文

精神医学24巻8号

1982年08月発行

雑誌目次

巻頭言

老化性痴呆の医療と研究

著者: 室伏君士

ページ範囲:P.800 - P.801

 周知のように第12回国勢調査(昭和55年10月1日)では,65歳以上の老人が1千万人を越え(1,057万),総人口の9%を占め(国連の規定で7%以上を老人国),老人人口が10%以上の県が27となっている(第1位:島根県13.5%)。20年たらず先の昭和75年(西暦2,000年)には,現在の北欧なみに,日本は14.3%となり,1,900万人余りの65歳以上の老人を抱えることになる。
 さらに痴呆老人について言えば,老化性痴呆は65歳以上の老人の4.5%(長谷川)にあり(老年痴呆1.2%,血管性痴呆2.7%,その他の痴呆0.6%),世界の先進国も3〜5%と言われている。これは今後老人人口の急増に比例して,痴呆老人が増加する可能性を示している。同様のことは精神分裂病などの機能性精神疾患についても言えることで,65歳以上の老人の2.4%を占めるこれらの疾患も,当然増加してくることになる。

展望

慢性覚醒剤中毒における幻覚妄想状態の生物学的機序:展望

著者: 佐藤光源 ,   柏原健一

ページ範囲:P.802 - P.818

Ⅰ.緒言
 覚醒剤中毒における生物学的変化について述べる前に,ここでとりあげるのはその幻覚妄想状態であるという理由,および,同状態に対応した生物学的な変化をとらえるうえで重要となる諸現象について,簡単にとりまとめておきたい。
 まず,覚醒剤中毒の幻覚妄想状態を取りあげた第一の理由は,今回の乱用期において同状態が主要な臨床像になっていることによる。われわれの調査74)では,精神病院を受診した時の覚醒剤中毒患者の約90%が幻覚妄想状態にあった。今回の乱用期では,幻覚妄想状態が臨床像の前景をなしているという記載は他にもみられる55,90)。第一次乱用期82)に比べて情動障害が少なく幻覚妄想状態が多い理由の一つは,使用状況の違いによるものであろう。第一次乱用期においては,1cc中メタンフェタミン(methamphetamine:MAP)3mg含有のアンプルを少量から始め,長期間かけて次第に1日最高使用量(30ないし90mg)に増量するという使用状況82)が,多彩な臨床像をもたらせた可能性がある。一方,今回の乱用期では,いきなり初回から大量(約30ないし90mg)を1日量として用いているようであり73,74),このために出現する臨床像が幻覚妄想状態に画一化されたものと考えられる。
 第二の理由は,覚醒剤中毒における幻覚妄想状態が分裂病のそれと酷似していることである。多くは明らかな意識混濁を伴うことなく出現し,妄想の主題が現実場面と状況反応的なものが多い20,21,25,55,74)という特徴はあるものの,急性期における横断的な臨床像は,分裂病の同状態と鑑別困難である。すなわち,言語性幻聴,幻視,各種の被害,関係妄想,妄想気分を思わせる周囲意味感,思考伝播,作為体験などからなっており,DSM—Ⅲの分裂病診断基準にある急性期症状の大部分を占めている74)。分裂病とのこうした類似性から,慢性覚醒剤中毒が妄想型分裂病の研究モデルとされ,多数の国際的な研究報告が積み重ねられてきたことは周知のことである。
 幻覚妄想状態をとりあげたもう一つの理由は,同状態の臨床経過に逆耐性現象を認めた67,72,73)ことによる。これに類似した現象については次の項で述べるが,逆耐性としてとらえることにより動物でそれを再現することが可能になり,幻覚妄想状態に対応した薬理学的,生化学的あるいは組織学的な変化をとらえることが可能になった70,72)。今回は,本現象を手がかりとする立場から,覚醒剤中毒における幻覚妄想状態の発現と再燃にかかわる生物学的機序を整理してみたい。

研究と報告

精神分裂病の操作構造

著者: 松林武之 ,   西浦真理子 ,   福田俊一

ページ範囲:P.819 - P.825

 抄録 分裂病思考と幼児思考は,異なるが似ていると指摘される。そこで,我々は幼児思考に関してのPiagetの操作構造の視点に立って,分裂病自験例の病態を考察してみた。我々の症例は,知覚対象の局面で感覚運動的操作構造を完成していない。また,表象・概念の局面で具体的操作構造を完成していない。一方,幼児思考は,感覚運動的操作構造は完成されているが,具体的操作構造が完成されず,前操作期の状態であるといわれる。したがって,分裂病思考と幼児思考との相異点の一つは,感覚運動的操作構造が完成されているか否かに相応すると考えられる。
 また,分裂病思考のこの両操作構造が同時に完成されていない状態を,操作構造の発達の視点からは説明することができない。さらに,老化・退行の視点からも,これを説明することができない。つまり,これは分裂病思考の独自の障害であると結論できる。

抑うつ神経症をめぐる臨床の動向—一大学病院精神科の外来調査から

著者: 松本雅彦 ,   川越知勝 ,   田原明夫 ,   土戸光雄

ページ範囲:P.827 - P.833

 抄録 一大学病院精神科外来診療の実態調査を機会に,うつ病圏の臨床をその時代的推移に注目しつつ考察した。その結果,
 ①この20年間,全外来受診者のうち分裂病圏の患者の占ある比率はほぼ一定であるのに比し,うつ病圏の患者が着実な増加傾向を示していること,
 ②そのなかで,この10年テレンバッハ流のメランコリー概念が定着し,神経症性うつ病メランコリー型が一定の比率を占めていること,
 ③うつ病圏の患者の増加は,神経症とうつ病とのいわば中間型とでもいえる神経症性うつ病未熟型の増加によること,などが明らかとなった。
 この神経症性うつ病—未熟型は,その病前性格において,今一つの神経症性うつ病—メランコリー型の示す適応のよい社会的成熟度には達していない点で特異な位置を占め,それが近年のうつ病の「軽症化にしてかつ慢性化」の傾向を強く浮きだたせることになっている。この亜型が精神科外来治療で無視できない1群を構成しつつあることを報告し,この種の疾病の病前性格をも含めた新しい観点からの整理・解明が要請されていることを述べた。

精神分裂病患者の表情認知(1)

著者: 馬場謙一 ,   村山久美子

ページ範囲:P.835 - P.840

 抄録 精神分裂病患者が他人に対して抱く被害感,恐怖感などの基礎に,正常者と異なった表情認知があるのではないか,という疑問が持たれる。本研究は分裂病者と正常者に斎藤の表情写真を刺激材料として呈示し,(1)愛・楽しみ・喜び,(2)驚き,(3)恐れ・苦しみ,(4)決意・怒り,(5)嫌悪,(6)軽蔑の6カテゴリーに分類判断させた。その結果,基本的には分裂病者も正常者と類似の判断をしていることが分った。しかし両者間には多少の差も認められた。患者群のほうが正常者群よりも,表情写真を愛や喜びに多く分類し,全体の反応パターンも円環モデルで考えた場合,この方向への偏りがみられた。このような傾向を生じた理由として,精神分裂病患者は,俳優が意図的に作った顔の背後にある,俳優の真のパーソナリティのやさしさに,正常者よりも敏感に反応している可能性がある,と推測された。

口部ジスキネジアに対するCa-hopantenateの効果—表面筋電図による検討

著者: 大山繁 ,   末松みどり ,   武原重春 ,   宮川洸平

ページ範囲:P.841 - P.848

 抄録 長期間の神経遮断剤投与により惹起された口部ジスキネジアのある精神分裂病患者14例にCa-hopantenateを4〜12週間(平均9.9週間)投与して,その効果を肉眼的に,また表面筋電図により検討した。その結果総合判定では,著効6例,有効3例,不変4例,悪化1例であった。著効例は,女性に,口部ジスキネジアの軽症の者に,現在向精神薬や抗パーキンソン剤を服用していない者に,そしてCTで正常所見を呈する者に,より多かった。一方,脳波では異常を呈した者により効果が認められた。副作用は1例に消化器症状がみられたのみであった。悪化を呈した1例はRabbit症候群の例で,病態生理学的相違が,悪化の原因と考えられた。
 口部ジスキネジアの客観的定性定量化の一方法としての表面筋電図の有用性について述べ,またCa-hopantenateの口部ジスキネジアに対する作用機序につき若干の考察を行った。

短報

炭酸リチウム併用により著効を示した遷延性うつ病の2例

著者: 藤原茂樹 ,   神庭重信 ,   北村俊則 ,   工藤孝行

ページ範囲:P.850 - P.851

I.はじめに
 炭酸リチウムに反応するうつ病の一群がある1〜7)。双極性の場合には三環系抗うつ剤が効きにくく,躁転を防ぐ意味でも炭酸リチウムを第1選択とする意見があり8),またうつ病相のみを繰り返す患者で炭酸リチウムによりよく反応する群は,気分の易変動性があり,うつ状態時の食欲亢進,多眠を示す傾向があるという9)
 さらに三環系抗うつ剤に反応せず遷延するうつ病への炭酸リチウム併用による効果が報告されている10,11)。われわれもまた長期にわたり三環系抗うつ剤を使用しても改善のみられなかったうつ病患者に炭酸リチウムを加え奏効をみた2例を経験したのでここに報告する。

古典紹介

von Hans Binder—アルコール酩酊状態—第1回

著者: 影山任佐

ページ範囲:P.855 - P.866

Ⅰ.緒言
 アルコール酩酊状態についての文献を通覧してみると,単純なアルコール酩酊像とは異なった一定の酩酊状態について記述し,明確にしようと既に古くから著者たちが努力してきた跡を窺い知ることができる。この固有の状態はMania ebriorum acutissimaとかMania e potuと呼ばれていた。Heilbronnerは1901年と1905年の論文において,異常アルコール反応について初めて詳細な記述と考察とを行った。これらの業績の中に,基本的に重要な分類の観点が暗示的なものであっても既に与えられているのが見出せる。すなわち,Heilbronnerは急性アルコール摂取に対する異常反応を次の2群に分類している。
 1.単純酩酊(einfacher Rausch)からたんに量的に異なる反応で,尋常酩酊(gewöhnliche Trunkenheit)の個々の症状が通常の程度を超えて増強されているのが認められる。

資料

精神病院入退院患者の調査—医科大学関連病院の場合

著者: 山口昭平 ,   斉藤幹郎 ,   片桐端穂 ,   稲垣道彦 ,   鈴木定 ,   杉田力

ページ範囲:P.867 - P.878

I.はじめに
 順天堂精神医学研究所及び附属順天堂越谷病院(以下当院)は昭和53年末で10周年を迎えた。当院は埼玉県東南部の精神病院の病床数不足という現実的要請を踏まえ,一地域精神病院としての存在意識を持ちながらも幾分異なった成立ちの歴史を持つので,まず創立の歴史的背景を簡単に述べてみる。昭和40年頃から,順天堂大学精神医学教室において精神医療の臨床的拠点,同時に精神医学の臨床的研究の実践の場を創立しようという気風が起こり,討議を重ねた末に昭和43年に当院が創立された。定床172床の単科精神病院で順天堂大学医学部精神医学教室とは密接な関係を保持し,現在に至るまで常勤医師,非常勤医師すべてが同教室員として名を連ねている。創立後数年間の入院患者の大部分は,同教室精神科外来よりの紹介患者で占められていたが,昭和48年以降は地元越谷市を中心としてその周辺の人々の入院が急速に増加して,50%近くを占めるようになった(図1,2)。当院は埼玉県越谷市にあり,創立当初は全くの田園の中であったが,東京都のベッド・タウンとしての人口急増により数年前より市街化がめざましく進展した。昭和44年より51年までの実質8年間において,延べ人員数2000名の人々が入院治療を受け退院して,家庭へ,社会へ帰って行った。これら退院者の個々の治療の経験はもとより貴重なものであったが,退院者として一括しての枠組の中で,個々の精神障害者の持つ入院から退院に至る,診断的,治療的,家族的,社会的,経済的その他の諸要因を取り上げて検討するときに,そこに当院独自の,または精神病院共通の傾向が存在するかもしれず,もしもそれらの諸要因を抽出し得たならば今後の精神医療にとって,いささかでも役立てることができるであろう。また当院10年の歩みを顧みて治療上反省と将来の発展への資とする願いもこめてわれわれは,当院退院者の実態を統計的方法をもって検討した。

韓国の精神医療管見—2つの収容施設を見学して

著者: 塚崎直樹

ページ範囲:P.879 - P.884

1.はじめに
 欧米諸国が近代国家として形成される過程は,主要産業の農業から工業への転換,賃金労働者の形成,都市化などの諸側面と平行して進んできたことはよく知られている。
 これら近代化過程が,農村共同体の解体と共同体から排除された精神障害者の収容=精神科ベッド数の増大を伴うものであることは,精神医療にかかわるものにとって周知の事実である。日本においては,1960年代の経済の高度成長過程で,農村共同体の解体とともに,精神科ベッド数の激増が見られた。
 日本の隣国である韓国も,1970年代において,年間7.0〜16.5%のGNPの伸びを伴う経済の高度成長がみられており,これに伴う精神科ベッドの変化は,精神医療の比較近代化論的な興味を引くと思われる。
 筆者は,1981年5月に韓国忠清南道大田市付近の2つの施設を見学し,若干の資料を得た。韓国の精神医療について,日本での報告は少ないと思われるので,紹介したい。

動き

「WPA京都シンポジウム」報告

著者: 大橋博司

ページ範囲:P.889 - P.895

 「WPA地域シンポジウム京都」(WPA Regional Symposium Kyoto,1982)は日本精神神経学会とWorld Psychiatric Association(WPA)との共催,文部省,厚生省,日本学術会議後援のもとに1982年4月9日から同11日まで京都国際会議場(Kyoto International Conference Hall-KICH)において開催された。
 同シンポジウムの組織委員会が組織された後,Secretary Generalの大役をおひきうけしてWienのWPA事務局との直接の接触をはじめたのがほぼ1年前のこと,準備期間その他の制約もあって,種々思うにまかせぬことも少なくなかったが,とにもかくにも会期を無事に終えることができて,やっと重荷を下した思いのこの頃である。

第6回ドイツ語圏失語学会に出席して—ドイツ語圏神経心理学界近況

著者: 浜中淑彦

ページ範囲:P.896 - P.899

 ドイツ語圏の失語学会(正確には失語研究および治療のための研究共同体Arbeitsgemeinschaft fur Aphasieforschung und-Behandlung)はドイツ脳外傷臨床脳病理学会Gesellschaft für Hirntraumatologie und Klinische Hirnpathologie(これは更に全ドイツ神経科医会Gesamtverband Deutscher Nervenärzteの一分科会である)の一部会として1975年に発足し,1981年現在,Aachen工科大学医学部神経科(主任Prof. K. Poeck)に事務局(係はToken Testの研究で知られる心理学者B. Orgass―会長なく主催者の持ちまわり)を置き,毎年秋に定期的学術研究会を開いているが,1980年9月末から81年6月までの滞独中,筆者は1980年11月7日/8日,オランダのMaastricht大学で行われた第6回例会に参加する機会を得たので,神経心理学領域の近年の活動情況があまり知られていないドイツ語圏および隣接諸国の実状の紹介をもかねて,筆をとることとした。
 今回の開催地Maastrichtはオランダ東南部の一角を占めるLimburg州の首都で,人口約10万の小邑ながら,市名の語源(Maastricht "Trajectum ad Mosam",つまり「Maas河〔フランス語圏ではMeuse河〕の渡踄点」)が示すごとく古代ローマ時代に遡る歴史を持ち,6世紀からカロリンガ朝時代に由来するオランダで最も古い聖Servaas教会や,11世紀建造のロマネスク様式のO. L. Vrouwekerk(フランス風に言えばノートルダーム教会)といった重要文化財を中心に古い町並を残す落着いた町である。会場にあてられたMaastricht大学本部の講堂(図1)もロマネスク風の教会を模した趣のある建物である。今回の主催者は,オランダのRotterdamのErasmus大学の神経心理学部門部長F. van Haarscamp博士で,近年ではたとえばToken Test簡易版に関する研究(Neuropsychologia,15;467,1977)や小児失語例の報告(Brain & Language,6;141,1978)などで知られている。

特別講演

予防精神衛生—学校精神衛生を含めて

著者: 林宗義

ページ範囲:P.901 - P.907

I.はじめに—予防精神衛生は可能か
 今回の主題はおそらく,もっとも魅力のある主題であると同時に,もっとも魅力に乏しい主題ではなかろうか。
 魅力の理由は,もし予防が可能であれば,われわれの仕事は大幅に楽になる。この可能性に思いを致せば,きわめて魅力的な主題である。しかしその現実性を考えるとき,非常に困難で,多くの人は嫌って避ける。予防と聞くだけで,そんなことができるのか,と尻ごみする人が出てきがちである。
 しかし,私が台湾で仕事をはじめた時,なぜか,この問題に非常に興味を抱いた時期があった。なぜなら,端的に言って,医者の数が少なく,精神科医をいくら訓練しても間に合わないことが見えている。とすれば,何か別の人の力を借り,別のシステムを利用し,別の方法を使って,協同で予防ができるかどうか。その可能性をさぐることに思い至ったのであろう。とにかく少数の人的資源を有効に使って予防ができたら,と考えた。一方台湾は,当時としては総体として,比較的,公衆衛生の発達していた国であった。熱帯の地に日本入を移住させて全島の開発をはかった日本の植民地政府にとって,公衆衛生と交通は二大重要施策であった。その結果,公衆衛生のシステムは全島に広がっていた。このネットワークを何とか利用しようと思った。しかし,どのようにして—それは非常に難しいことで,参考になる本も,モデルもないのが実状であった。
 もう1つ,にわかに予防が可能でなくとも,予防という概念を念頭に置いて,医師,看護婦,保健婦を訓練すると,狭義の医療あるいは慢性患者の収容を中心とした制度でなく,やがては,ある程度まで予防,少なくとも急性患者の初期治療,を中心とした医療制度が育ってゆくのではないか。そう考えると,予防という概念はすぐにもわれわれの教育および訓練に必要ではなかろうか。公衆衛生においては,第一次予防,第二次予防,第三次予防というが,第一次予防はかなわずとも,第二次,第三次の予防が可能なシステムに精神科医療制度をもってゆこう,―そう私は考えた。それは1950年のはじめであったが,あたかも,そのころハーグレーヴス博士が来島された。WHOの第1代精神衛生課長をつとめた,すぐれた方であるが,今も記憶しているけれども,4月6日に私と食事を共にした際,「林先生,あなたのところへアメリカとイギリスから留学生を送りたい」といわれた。私は「いや先生,酒の上の冗談はよして下さい」と答えたところ「いや,そうではないのだ。とにかく,予防,疫学,地域社会精神衛生という発想のもとに,はじめから精神衛生という計画を立てて,人を訓練しているところは世界でも他にあまりない。われわれは今まで留学生をいわゆる未開発国から先進国に送ってきたが,20年,25年後には,潮流は変るだろう。いや,変えなくちゃならない。むしろ,未開発国に習うべきものがある」と言われた。私は狐につままれたような気持になり,半信半疑で話を聞いていたが彼は,翌日もまた帰国の際にも同じことを言うのる。予防だけで1つのシステムをつくるのでなく,全体で1つのシステムであり,予防はその一分野である。幹のまん中から左へ行っている大枝は地域社会精神衛生であるが,実践の中で,次第次第に予防という枝がそこから出て来た。そして,公共精神衛生と学校精神衛生の2方向に動き,さらに進んで地域社会の予防精神衛生となった。このように有機的に発展した中の一分野であるとご記憶ねがいたい。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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