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雑誌目次

雑誌文献

精神医学3巻6号

1961年06月発行

雑誌目次

展望

精神分析学の展望(2)—主として自我心理学の発達をめぐつて

著者: 小此木啓吾

ページ範囲:P.447 - P.467

第2部
 Ⅰ.精神療法におけるS.Ferudの基本的態度
 現代自我心理学の人間理解の基本方向は,Freudの精神療法家としての治療的実践に含まれた人間理解に発している。第1部でのべたように,すでに1910年ごろにはAdler, Jungが,1925,6年からは,Ferenczi,Reich,Horney,Rank,さらには,Annna Freud,Melanie Kleinによる児童分析やPaul Frdernによる精神病の精神療法などが,Freud以外の操作主体として,操作的自覚の過程に参与し,数々の貢献を残すとともに,cerebral psychiatristとして出発したFreud自身も,これらの操作主体たちの批判にこたえ,また彼らの貢献を摂取しながら,しだいにpsychotherapistとしての自分のよりどころを明らかにし,精神分析療法の特質を明確にしていつた。これらは「技法論」(1904〜1920)1)の中に,——実は,さらにさかのぼつて,すでに「ヒステリー研究」2)の中にも——さまざまの形でのべられているのであるが,とくに晩年(1937〜9)にいたつてFreudは,自分の精神療法に関する説明のしかたにかなりの発展を示し,「分析技法における構成の仕事」(1937)3)や「精神分析学概説」(1939:遺稿)4)では,もつとも明確な表現を与えている。
 たとえば,「構成の仕事」では,analystがanalysandの精神についてうる了解は,従来「解釈」Deutungとよばれていたが,むしろ「構成」Konstruktionまたは「再構成」Rekonstruktionとよぶほうが適切であるとのべ,この「構成」の過程は「analystの構成(了解)の伝達Mitteilung→analysandの主体的反応(analystの伝達に対する肯定Jaまたは否定Nein=自我の主体的活動)→再構成・その伝達→analysandの主体的反応」というかぎりない試行錯誤的な交渉過程を経て徐々に実現されてゆくものであると,方法論的思索をのべ,同時に「分析療法は,二つのまつたく異つた部分から成り立つていて,それぞれ独立した舞台の上で展開され,おのおの別個の課題をになつている2人の人物によつて行なわれる」と語り,そこでFreudは一瞬「なぜこの基礎的事実にずつと以前から気づかなかつたのだろう」と自問し,「それは一般に知られた自明の事実なのだが,いままでは,ある特殊の意図によつて抽象され3その一部分だけ切り離して問題にされているにすぎなかつたのだ」と説明し,さらにこの「構成→伝達→反応→再構成」の仕事を,古代の遺跡を発掘・再現する考古学者のそれにたとえ,ただ,analystのほうは「破壊された物体を相手とするものではなく,現に生きているもの(主体性あるもの,構成の伝達に対して主体的な否定を行なう可能性をもつもの)について仕事をする」という好条件に恵まれており,analystにとつては,この「構成」は本来の目標,相手を変化させる準備にすぎない点が考古学者のそれと異るとのべている。analystの「構成」過程は,試行錯誤的な,患者との相互否定的な,動的な開かれた発展過程であつて,決してそれは,analystが主観的に,静的に対象化された無意識を解釈する閉ざされたもの(深層心理学)ではなく,治療者自身の主体的な変化を媒介にして初めて発展しうるものである。この点が第1部でのべたような,魔術的な催眠や権威的な暗示や説得と,ある時期からの自由連想法を基本とした精神分析療法を根本的に区別する特徴であり,このような合理的な治療的人間関係の形式——筆者はこれを対話的な協力性dialogic partnershipとよぶ——こそ,精神療法の分野に遺したFreudの最大の貢献であろう。Freudは,きわめて晩年にいたつて,たぶん精神療法家(操作主体)としての50年にわたる操作的自覚の道程を経て,初めてこれを——Freud流のひかえめなまわりくどいいいまわしで——概念的表現にまでもたらしえたのである。とくに興味ぶかい事実は,自分の治療的実践について,もつとも適切な概念的表現をのべたこの論文の中で,初めて歴史的真理historische Wahrheitという言葉を用いて精神療法上の真理をのべている事実である。さらにFreudは,「精神分析学概説」(1939)の中で,「分析医の自我と患者の弱化した自我は,現実の外界によりどころをおいて同盟(契約)を結び,当面の敵であるエス(本能)の要求と上位自我の要求に対してともに闘う。われわれは互いに連合するのである。患者の自我は完全な誠実さvollste Aufrichtigkeitを,つまり分析医の要求にしたがつて自らの自己観察Selbstwahrnehmungにあらわれる材料を提供し,それを,分析医に操作させる契約を結ぶ。一方われわれは,患者の自我に厳格な分別ある態度strenge Diskretionを守ることを保証し,無意識に支配された患者の材料の解釈にわれわれの経験を役だてる。われわれの知識は患者の無知を補い,精神生活の失われた領域に対する患者り自我の支配権を回復させる。このような分析医と患者の間に結ばれる自我の同盟(治療契約)Vertragを基盤として,分析状況analytische Situationは成立するのである」と明言しているが,筆者は,この言葉の中に,精神分析療法に関するFreudのもつとも究極的な記述を見出す。以下にわれわれは,それまでに書かれたFreudの技法論文の中から,精神療法家としてのFreud(註43)の基本的態度―ひいてはそれは,精神分析療法の精神療法としての人間理解の特質を意味すると思われるが―をかえりみ,それらを列記してみたい。このこころみは,Erik Eriksonのidentityの概念(第3部で後述)にしたがえば,精神分析療法における治療者の治療者(analyst)たる本質すなわちtherapist's identityまたはanalyst's identityの解明を意味するものである(註44)。このような解明のこころみを経ることによつて初めて,その後の精神分析療法の発達における「Freud的なもの」の修正や批判,ほかの精神療法との比較・検討,各国(たとえば日本)における精神分析療法の適用の妥当性とその限界―精神療法の背景となるいわゆる社会的・文化的諸制約との関係―の究明,ひいては精神療法を各国民の社会的・文化的特徴を研究するtranscultural studyの研究方法とするくわだても可能となると思われる。

研究と報告

精神疾患患者の開放管理について

著者: 柴原堯

ページ範囲:P.469 - P.476

Ⅰ.緒言
 精神病院の入院患者の大部分は精神分裂病によつて占められ,しかもその大半は発病後相当長期間を経過し,種々の治療によつても回復せず,高度の人格欠損,あるいは痴成の状態を示す慢性分裂病である。したがつて,このような病者について,その失われた自発性,社会性をふたたび回復し,少くとも家庭における日常生活の遂行を可能とする程度の主体性を得るような状態にもたらすことは,現在の精神病院に課せられたもつとも大きく,またもつとも重要な問題の一つである。このため最近にいたつて,薬物療法とならんで,作業,レクリエーションなどのいわゆる生活療法が重要視され,多くの精神病院において積極的に取り上げられるようになつた。精神疾患患者の開放管理はこのような目的で,生活療法の一翼として考えられるものである。
 開放管理,あるいは開放療法という言葉が盛んに用いられるようになつたのは極めて最近のことであり,それまでは限られた精神病院において4),このような試みが,実験的に行われていたにすぎない。従前の精神病院の内部には,精神療法,あるいは強力な精神看護は見られず,病者は集団として取扱われてその個人性を認められず,無気力に沈滞しているという状態であり,このような状態が長続きすれば,ただでさえ荒廃におちいりやすい精神疾患患者の内面的生活はますます単調となつて行くことは当然である。このような考えから開放管理は従前の閉鎖管理が中世紀的な世界観より習慣的に生じて来た精神医学的根拠に乏しい管理形態であり,これが加わることによつて病者の荒廃はより高度となるという立場に立つて,1793年Ph. Pinel5)が数々の抵抗を排除して精神病老を鉄鎖から開放することにおいて開始された。Pinelは精神病者について徹底的に過去と現在についての個別研究を長期間にわたつて行うことにより,その治療態度を決定し,病者に対して忠告や優しさが無効である場合にも決して一足飛に体罰的な行動や激情的な言葉に移行しないで,一種の中間的な説得,激励などの方法によつて相対し,病者になお残されている健康な精神をひき出して行こうと考えた。このPinelによつて開始された精神病者の解放とその根本に横たわる新しい精神療法は,その後徐々にではあるが世界の精神病院において行われるようになり,H. Barukの“道徳療法”1)あるいはV. Franklの“ロゴテラピー”2)において一層の理論的発展を見るようになつた。

価値喪失うつ病

著者: 蔵原惟光

ページ範囲:P.479 - P.483

はじめに
 Kräpelinにより疾患単位の確立された躁うつ病は一般に確固とした単位疾患として承認されてきた。そして躁うつ病とくにうつ病のPathogenese,その他の根本問題についてK. Schneider1),H. J. Weitbrecht2)らにより論じられ始めたのは最近10年間のことである。有機的性格をもつ悲哀感情,罪業感,抑制症状などはうつ病の中核群にみられるものに違いないが,Schneiderも認めるように循環病性うつ病を決定する第1級の症状は存在しないのであり,中核群にみられるこれら症状もgenetischに多義的でありうることの認識からうつ病の現代的再検討が始つたように思われる。
 しかしうつ病発生に対する精神的環境的役割の問題はくりかえしSchneiderにより,最近ではWeitbrecht,B. Pauleikhoff3)らにより論じられているが,いぜんとしてSchneiderに代表される主流的見解に依存している。異常体験反応としての抑うつ状態以外では,発病動機は単に生機的な力として働き,疾患の状態とは意味連関性がないとされ,その症状はProzessgeschehenに経過すると主張されている。しかしこれらの点も妄想主題選択に関する考察や下層抑うつの見解のうちに,彼自身若干の矛盾を表明している。すなわちうつ病にみられる各種妄想は単純に「症状」としてProzessgeschehenに導かれるものではなく,人間の超個人的原不安の抑うつによる曝露であるとものべ,主題選択については病前人格の影響を重視し,また下層抑うつの内容に特定の心的動機を認め,内因性と反応性うつ病の間にひろがる未解決の領域に一つの示唆を投げかけている。
 一方Weitbrech亡は戦後,身心の各種要因ならびに環境因子に左右されて生ずる躁うつ病うつ状態とも異常体験反応ともいい難い一群を調査し,endoreaktive Dysthymieと命名した。このWeitbrechtの業績はうつ病を続る問題の一翼を担うものとして讃意を惜まないが,誘因となつた条件と患者の精神生活との内的連関性の追求が十分でない。ともあれ本症は明瞭に反応性と内因性の間の架橋の役を果している。
 以上を要約すると最近のうつ病研究の動向は,従来二大別されていたうつ病に対する二者択一的態度への疑問,内因性重視に対する再検討,個々の症状についての人間学的意味把握への努力,症状発生に対する縦断的生活史的探求および人格的要因の重視などをあげることができよう。なお従来反応性か内因性のいずれに属するか不明という意味での非定型うつ病の研究は,みな内因性の側に立つて考察がすすめられ種々の病像4)が報告されている。
 これに反しH. Hafner5)の実存うつ病とA. Lorenzer6)の喪失うつ病およびH. Volkel7)の神経症性うつ病に代表される類型は,両者立場を異にするが上述した諸問題の担い手として興味がもたれる。三者に共通な点は状態像が有機的性格をもつ定型的病像を示すが,Schneider的見解にしたがえば動機として了解の範囲をこえている現実危機の意味を鋭く摘出し,内因性の側にたたないで考察をすすめていることである。しかし発病契機についてHafnerは自己の価値実現の本質的挫折という,実存者としての人間のあり方の現実的破局の意味を強調重視し,直接精神反応的に抑うつ症状の発生を了解する。これに反しVolkelは力動的感情心理学の理解のもとに全生活史にわたる分析を行いつつ,深い時間的経過のなかで織りなされた葛藤緊張と現実危機との解遁の意義を把握し,抑うつ状態発生の根拠を理解しようとする。そしてLorenzerはいわば折衷的態度をとり,とくに危機体験すなわち価値実現の可能性の喪失を患者のもつ病前の価値の世界と人格特性との内的連関においてとらえ,喪失と所有衝動の関係を深層心理学的に解明しようとする。それ故ここでもつとも問題となるのは発病契機に関する了解性と生活史追求の課題であろう。これらの点はとくにVolkelならびにLorenzerがのべているのでくりかえさないが,われわれはその際心的力動性の方向と内容を規定する価値観の問題が体験の意義を理解するのに重要である点を強調したい。価値の問題は近時科学の進歩とともに人間性自覚の立場から種々の領域で論じられ,心理学,精神病理学においても重要な主題となりつつある。精神病理学の領域では,なかんずく心的力動性の源泉としての意義が強調され(W. Janzarik8)),また価値希求の態度を生の意味の本質として人間性の回復をめざすLogotherapieは有名である(V. E. Frankl9))。

うつ病の精神身体医学的考察

著者: 伊東高麗夫 ,   池上新

ページ範囲:P.485 - P.492

Ⅰ.緒言
 私共は臨床的にうつ病と診断せられる例について,主として精神身体医学的に観察してみたいと考えた。ということは,うつ病における身体的因子,たとえば胃腸疾患,糖尿,高血圧,脳疾患等々が,いかなる意義を有するかという問題に直面するのであるが,しかも実をいえば,観察と考察の結果は,意外な方向に導かれ,恐らくはうつ病の週辺を探るということになつた。その推移をここにそのまま述べてみたいと思うのである。

3才5ヵ月の幼児にみられた心因性無言症の1例

著者: 正橋剛二 ,   矢後章三 ,   熊田智彦

ページ範囲:P.493 - P.497

 3才5ヵ月の男児(第1子)で,ある種の驚愕を直接の契機として症状を発し,約1ヵ月間にわ允つて完全な無言状態をたもつた1例を経験し,以後1ヵ年間にわたつて経過を観察した。
 その生育史の分析と臨床症状の観察から,本症例は環境における葛藤に基因し,心因性に発病し『たものと考えられた。すなわち,患児の1才8ヵ月のときに妹が出生し,これと関連して母親の態度に極端な変化(屈従・過保護的から冷淡・拒否的へ)が示され,患児には情緒的不安定状態が準備されていた。このころ偶然発生した爆発音を契機として驚愕反応が誘発され,ひき続き無言状態におちいつたものである。症状は単一的でほかの随伴症状をほとんど認めなかつた。第10病日に入院し,母子関係の調整をはかり,児童に対しては主として遊戯療法を行なつた。第30病日よりしだいに自発言語を回復し,2ヵ月後に退院した。退院後の観察では,性格的なかたよりと退行を示し,母依存的な傾向があり,一時夜尿を認めた。しかしその後も面接を続け,退院後9ヵ月ごろからはしだいに独立的となり,社会化が進み,夜尿も改善された。
 この患児の鑑別診断,症状発現の要因と症状とし,無言症を発現した心理機制の考察を行なつた。

慢性麻薬中毒者におけるNallineおよびDaptazolの使用経験

著者: 藤田千尋 ,   高橋義人 ,   遠藤四郎 ,   佐々木三男

ページ範囲:P.499 - P.505

 Morphine antagonistとして知られているN-allylnormorphine(Nallin)3〜4mgおよび2:4Diamin-5-phenylthiazole Hydrochloride(Daptazol)150mgを主としてMorphine,Heroinの慢性中毒者に試用した結果,つぎのごとき成績をえた。
 (1)中毒者で,禁断症状出現前の例(A群)ではNalline注射後その過半数に欠伸,流涙,鼻漏,発汗,悪寒,せんりつ,鵞皮,振戦などの禁断症状を認めた。
 (2)すでに禁断症状を経過している例(B群に)おいては,半数に禁断症状を認め,その症状の程度は弱かつた。
 (3)Daptazo1使用例においては,その約1/3に禁断症状を認めたにすぎなかつた。

欠陥分裂病に対する7843 R. P.(Thioproperazine)の臨床知見

著者: 錦織透 ,   遠坂治夫 ,   前田正典 ,   稲本雄二郎 ,   三好郁男 ,   中江育生 ,   川合仁

ページ範囲:P.507 - P.513

 新しいPhenothiazine系薬物Thioproperazine(7843R. P.)を12名の欠陥分裂病者に試用し,1名の寛解,2名のいちじるしい改善,6名のかなりの効果と看護上の改善例をえた。ほかのPhenothiazine系薬物と同様欠陥状態にあるものでは,おおむね対症的療法の域を出ず,持続投薬と精神書療法そのほかの療法が併用される必要がある。しかし患者の分裂病性人格障害におよぼす治療的作用は従来のいずれのPhenothiazine系薬物にも劣らないと期待される。主観的分裂病症状期にはおおむねDampfungの効果が目だち,客観的分裂病症状期の患者には心的エネルギーの上昇,精神活動性の増大への効果が認められた。副作用はあらかじめ知つてさえおれば多彩というほどのものではないが相当に強い。

PT 360(Myamin)による精神疾患者の治療経験について

著者: 柴原堯

ページ範囲:P.515 - P.520

Ⅰ.序論
 精神病院の入院患者の大部分を占める精神分裂病の治療は,最近種々の薬物の出現,あるいは新しい病棟管理様式の出現によつて活発に行なわれるようになり,またその効果もいちじるしいものが認められる。しかしながらこれらの薬物はいずれも分裂病の急性期あるいは発病当初の時期には急激な効果をおさめうるが,入院中の精神分裂病の中でも,ことに発病以来相当の長年月を経過し内閉的で自発性のきわめて乏しい高度の痴成像の状態で沈滞している慢性分裂病に対しては比較的効果が乏しく,また副作用などの点で長期間の連用が困難であり,したがつていちじるしい効果を期待しえない例が多くみうけられる。
 PT 360(Myamin)は5-phenyl-2-imino-4-oxo-oxazolidinの白色結晶性粉末であり,Schmidt2)およびLienert1)らの実験によれば覚醒アミンとリタリンなどの中間の中枢興奮作用を有し,ラッテにおける動物実験では有効量は5mg/kgで,作用は45〜60分で出現し,4〜5時間継続するといわれ,毒性試験においても急性毒性は500mg/kgで強い興奮作用があらわれるのみでほかに有害な副作用は認められず,また慢性毒性も100mg/kg3ヵ月投与にさいしても血液学的,組織学的変化は認められないといわれている。従前までの人体実験において,健康者では本剤10mgの投与で0.2grのカフェインと同程度またはそれ以上の作業能率の向上あるいは疲労状態の軽快がみられるが,著明な覚醒作用は認められず,またLienert1)らがのべているように比較的疲労している場合のほうがより明瞭な精神賦活作用が出現するといわれている。

PZC散・ヒベルナ併用による神経症の治療

著者: 蔵原惟光

ページ範囲:P.523 - P.530

I.はじめに
 昔から神経症の治療として心理療法と薬物および物理化学的方法によるいわゆる医学的療法が行なわれてきた。しかし現代の神経症理論はその原因として心理的要因を重視し,医学的療法を補助的とみなす現況である。だが精神衛生的知識の低い地方では,神経症性苦訴をもつて医師を訪れる患者の多くは医学的療法を期待し,お説教(ある患者は洞察療法的助言をこのように表現した。)を聞くためではないという露骨な表現に驚かされることも珍ししくない。われわれもむろん心理療法を重視し,実践しているのであるが,時間的制約と患者のこのような意図のために,速効的に不安,緊張感をしずめ,後の心理療法的操作を軌道にのせ,改善をはかることこそ患者を根強くはびこる民間療法に走らせない第1の鍵であり,われわれの務めといわなければならない。
 われわれはこのような目的にかなつた薬物の効果を検討してきたが,今回PZC散およびヒベルナ併用(以下併用療法と記す)により,従来の薬物,たとえばChlorpromazine,Prochlorperazine,Acetylpromazine,Methopromazine,Promazineなどの単独投与,あるいはVegetamin錠,狭義のTranquilizerの使用よりいつそう適確な有効性が期待しうることを認めたのでのべてみたい。
 対象患者は足利日赤病院神経科で昭和35年6月末より同年12月にかけ扱った各種神経症128例中,併用療法をなした43例である。

Phenilisohydantoin(5-Phenyl-2-imino-4-oxo-Oxazolidin)の使用経験

著者: 篠崎哲郎 ,   杉田力 ,   森ひとえ

ページ範囲:P.533 - P.540

 抑うつ状態および正常者に対し,Myaminについて,Placeboをも投与しつつその効果を検討した。(M)では846%に,(P)では33.3%になんらかの効果がみられ,抑うつ気分,抑制などの症状にかなりの効果があることが認められた。

紹介

Frieda Fromm-Reichmann:論文集「精神分析と心理療法」—Psychoanalysis and Psychotherapy 1959, University of Chicago

著者: 小川信男

ページ範囲:P.541 - P.542

 分裂病の心理療法に深い経験をもつF. Reichmannの渡米後20余年にわたる論文がほとんどおさめられている。彼女の理論を体系づけた名著"Principles of intensive psychotherapy"(1950)以後,彼女は若干の修正を加えてきたが,その道程もうかがわれる。彼女は意味内容の分析を主とする古典的精神分析からしだいに脱皮しつつ,治療者-病者間の対入関係の力動機制に焦点を向けるSullivanのよき協力者であつたが,さらにそこからも自由に抜け出している境地がみられる。精神分析の伝統のよい面を十分生かしながら,psychoanalysisからpsychoanalytically oriented psychotherapyというふうに移り変わつてゆく。そこには比類のないborn therapistとしての彼女の資質がなだらかなわかりやすい文章の行間ににじみ出ている。いろいろの立場の人がここからいろいろのものをくみとれるであろう。女の人らしいやさしさとともに,正確な表現をもつ理論も欠けてはいないが,彼女のいうように,解釈はいくつも可能なのであつて,いずれが正しいかという問題より,いずれがhelpfulであるかということのほうが問題なのであり,いつていることの立派さ(それ自体も傾聴すべきものが多いが)よりも,行なつたことの立派さに頭が下がるような本である。
 5章に分けられ,Ⅰ.On the phliosophy of the problem,Ⅱ.On psychoanalysis and psychotherapy,Ⅲ.On schizophrenia,Ⅳ.On manic-depressive psychosis,Ⅴ.On general psychiatric problems,Ⅵ.Epilogueとなっているが,やはり白眉は分裂病の項と,遺稿On lonelinessなどであろう。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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