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雑誌目次

論文

精神医学31巻7号

1989年07月発行

雑誌目次

巻頭言

わが国の精神病理学の明日によせて

著者: 木村敏

ページ範囲:P.684 - P.685

 生物学的精神医学の目覚ましい発展と反比例して,欧米諸国の精神病理学からはひところの活気がすっかり失われてしまった。精神疾患の身体的基礎についての新しい発見と,そこから導かれるよりよい治療法の開発が,精神病理学にとっても歓迎すべきことであることは言うまでもないのだが,それによって「精神」とか「こころ」とか呼ばれるものの病が身体や脳の病に読み変えられて,精神科医の前から姿を消してしまうものではあるまい。精神科の患者にとっての一切の苦痛の根源,精神科医の究極の治療目標は,なんといっても精神の病なのだから。精神の病を精神の病として研究する精神病理学がその仕事を放棄すれば,生物学的精神医学にとっての確実な道標も失われてしまうことになるだろう。
 ひるがえってわが国の精神病理学の現況を見ると,ここには欧米での退潮ぶりが嘘のような活気が残っている。何年か続いた「精神病理懇話会」が「精神病理学会」として正式に発足したのも,そのひとつの徴しだろう。なによりも喜ばしいのは,本来の専門領域としては生物学的精神医学を標榜している研究者たちの多くが,精神病理学にも熱心な関心を向けていることで,これは欧米ではまず見られない現象である。

展望

アルコール症と治療—自然経過と治療効果をめぐって

著者: 斎藤学

ページ範囲:P.686 - P.699

I.はじめに
 慢性疾患には自然治癒が多く認められ,治療効果と自然寛解との区別が難しい。アルコール症(alcoholism)もまた慢性に経過する障害であって,治療効果を自然経過から峻別することは困難である。慢性疾患の場合,この辺の議論に結着をつけるのは長期縦断研究である。同じ精神障害でも,精神分裂病については,長期予後についての資料が蓄積され,その自然経過の大略がつかめるようになってきたのに対し,アルコール症ではこれが大幅に遅れた。ようやく1980年代に入って,Vaillant, G. E. 63)による超長期経過研究が報告され,いくつかのcohort(観察対象集団)からのアルコール症の発症と経過と転帰が明瞭になってきた。そしてこの報告は,従来の短期で不適切な予後研究に基づく,誤解や思い込みの誤りを明らかにし,アルコホリズムの臨床に携わる者たちに深刻なショックを与えた。小論では,まず近年のアルコール症治療の動向について概観し,次いでアルコール症の自然経過に関するVaillant報告を紹介し,最後に自然経過と治療効果との関連を検討してみよう。
 小論における用語法についてVaillantの用い方に準じている。Vaillantは「アルコール乱用(alcohol abuse)」と「アルコール依存(alcohol dependence)」の用語を,DSM-Ⅲ4)に従って用いているが,時々「アルコール症(alcoholism)」という古い慣用語も使っている。それらの使い分け方をみると,アルコール乱用とアルコール症をほぼ同義としており(ただし,そう断ってはいない),アルコール依存はアルコール症(=アルコール乱用)の一部を指すものとしている。DSM-Ⅲでいう「アルコール依存」は,ICD第9版でいう「アルコール依存症候群(alcohol dependence syndrome)」に相当し,これは我が国の厚生省診断基準2)で「アルコール依存症」と呼ばれているものと同義である。

研究と報告

アルコール酩酊下における自殺—抑うつ型と攻撃性反転型

著者: 影山任佐 ,   青木勇人 ,   那須匡 ,   柴田洋子 ,   中田修

ページ範囲:P.701 - P.707

 抄録 自殺とアルコールとの関係については,従来慢性中毒やアルコール症との関係が研究上重視されてきた。急性中毒(酩酊)は専ら暴力犯罪との関係から論じられ,これと自殺の問題についての研究は未だ未解明の諸問題が多く,研究も十分ではない。本論において我々は刑事事件の精神鑑定例からアルコール酩酊下で自殺を計った6症例,7事例について酩酊下で放火した他の2症例と比較しながら主に検討した。これを次のような2群に分類した:A賦活群,B突発群。後者の突発群の特徴である,酩酊時に突然生じる自殺の解明を試み,後者の群に従来指摘されてきた「抑うつ型」の亜型以外に「攻撃性反転型」の亜型があることを明らかにした。この特徴は,(1)複雑酩酊状態で激しい興奮と他者への攻撃性が出現する。(2)攻撃対象人物が本人以外突然全員消失する。(3)この状態と状況で攻撃性が自己に向かい,自殺に至る。また攻撃性の転換に他者(家族)→家屋→自己へ向かう方向性の順序があることを指摘した。(4)この「攻撃性反転型」自殺における自宅放火の意味と役割の重要性と親和性について触れた。

ジャルゴン失語の長期経過について—5年間の経過観察例の報告

著者: 波多野和夫 ,   浅野紀美子 ,   藤村亜紀 ,   加藤典子 ,   井上有史 ,   浜中淑彦

ページ範囲:P.709 - P.716

 抄録 語新作ジャルゴン失語の1例の5年間の臨床経過を検討した。失語症状群としてはあくまで語新作ジャルゴン失語の範疇内であったが,経過と共に英語表現が増大し,英語(様)の意味性語新作または記号素性錯語の出現が観察された。本例の言語現象の変化を理解するためには,(1)語新作ジャルゴンより意味性ジャルゴンへの症状変化(Alajouanine),(2)博言家失語における言語混合現象とスイッチ機構障害(Perecman),(3)ストレスを回避し心的平安に向かおうとする生体の防御反応様式(Weinstein),という3つの観点が重要である旨指摘した。

前思春期に発症し思春期中期に増悪したうつ病例—境界人格障害との関係

著者: 弟子丸元紀 ,   荒木邦生 ,   蒔田多津子 ,   仁木啓助 ,   倉元涼子 ,   宮川太平

ページ範囲:P.717 - P.724

 抄録 2症例共に11〜12歳に,抑うつ状態で発病,発病初期は過同一性,情動面の不安定性,母に依存と攻撃的態度また逃避反応的な不安発作を示した。その後,増悪と軽快の波を示していたが,16歳の第2の分離個体化の時期に,抑うつ気分に加え,激しい怒り・感情易変性・対人不安・衝動性・問題行動(暴力,自傷)・摂食異常・盗みおよび自我障害症状を示した。基調をなす単極性のうつ状態は自我の成長の様態により変化を示した。性格特徴は11歳時は幼児性格(infantile personality)を示し,16歳時は境界人格障害と診断しえた。また薬物反応は低年齢時は抗うつ剤,抗不安剤が効果的であり,人格障害が加わった時期は抗精神病薬の効果が認められた。本例は発病初期から情動不安定さ・衝動性などの情動面の調節障害,対人関係障害,現実吟味の乏しさが存在しており,境界人格障害は幼児性格から発展したものと考えられる。また,境界人格障害と感情障害との関係について考察した。

Maternity bluesの臨床内分泌的研究

著者: 岡野禎治 ,   野村純一 ,   蒔田一郎 ,   蒔田晶子 ,   山口隆久

ページ範囲:P.725 - P.733

 抄録 健康妊婦122名について心理的状況および甲状腺機能(T3,T4,FT4,TSH)と副腎皮質機能(血中cortisol)を,妊娠初期から産後1カ月まで縦断的に観察して,産後にmaternity bluesを発症した群と正常であった群における心理的状況と内分泌機能との差異,さらに産科的要因との関連について検討した。このうちmaternity bluesと診断されたものは14名(11.5%)で,産後1カ月後に産後うつ病と診断されたものは4名であった。maternity bluesの症状としては,涙もろさ,不安,抑うつ,情動不安定,困惑などを示すことが特徴的であり,またこのような症状は産後1カ月まで精神的な影響を残していた。甲状腺機能検査についてはいずれの時期においても両群の間に差異はなかったが,産後3〜4日目のcortisol値はmaternity blues群で有意に高く,maternity bluesの内分泌学的背景としては視床下部—下垂体—副腎皮質系の機能昂進があるのではないかと推定された。

悪性症候群の病態に関する考察—抗セロトニン薬が著効を示した症例から

著者: 山脇成人 ,   若宮真也 ,   岡田正範 ,   谷口千恵 ,   大谷美奈子 ,   盛生倫夫

ページ範囲:P.735 - P.739

 抄録 抗セロトニン薬であるシプロヘプタジンが著効を示した悪性症候群の1症例を報告し,その病態に関して考察した。
 症例は31歳の精神分裂病の男性。抗精神病薬の種類の変更(ブロムペリドールからハロペリドールへ)および抗パーキンソン病薬(プロメサジン)の併用中止が契機となって発熱,意識障害,錐体外路症状,自律神経症状などの悪性症候群を呈した。ダントロレンとブロモクリプチンにより治療したがその効果は不十分であったため,シプロヘプタジンを追加したところ著効を示した。本症例から悪性症候群の発熱や意識障害などに中枢(とくに視床下部)のセロトニン代謝亢進の関与が示唆された。また筆者らがすでに報告した動物実験結果を考慮すると,このセロトニン代謝亢進はセロトニン作動神経終末内のカルシウム代謝異常によると考えられ,視床下部での細胞内カルシウム代謝異常が悪性症候群の病態として重要であると考察した。

抗精神病薬服用中の精神分裂病者の抗利尿ホルモン分泌動態—水中毒との関連において

著者: 更井正和 ,   東司 ,   松永秀典

ページ範囲:P.741 - P.747

 抄録 抗精神病薬服用中の精神分裂病患者における抗利尿ホルモン(ADH)の分泌動態について調べた。その結果,分裂病群の血中ADHは対照群より低く,尿浸透圧も分裂病群が低いことが判明した。また,分裂病群の血漿浸透圧-ADH分布の回帰直線の勾配は対照群より小さく,分泌閾値も低かった。これは,今までに指摘されていない異常であると考えられた。これらの結果を基に水中毒のメカニズムとして,(1)中枢性の異常によるもの,(2)末梢性の異常によるもの,(3)中枢-末梢-系の異常によるものを区別した。特に(3)については,抗精神病薬服用中の分裂病者において,尿浸透圧の血漿浸透圧の変化に対する利得(△urine osmolality/△plasma osmolality)が小さく,体液浸透圧の恒常性を維持する機能に欠陥があることを指摘した。最後に服薬していない分裂病者の水中毒についても若干の考察を加えた。

重篤な意識障害を示した水中毒の2症例—頭部CT所見とMannitol療法

著者: 榎田雅夫 ,   新井一郎 ,   樋口輝彦 ,   山内俊雄 ,   山縣博

ページ範囲:P.749 - P.756

 抄録 やせ願望から多飲して半昏睡状態を来たした接枝分裂病と,空腹,口渇からの多飲と一過性抗利尿ホルモン分泌異常症(SIADH)の合併から昏睡状態を来たした精神分裂病,各1例の水中毒を報告し,頭部CTスキャンの診断的意義とmannitolによる脳浮腫治療の重要性につき言及した。
 両例とも発症時の頭部CTスキャンで両側シルビウス裂,脳溝,大脳縦裂の消失ないし狭小化と,側脳室の狭小化を認め,びまん性脳浮腫と診断した。脳浮腫治療を目的に高張利尿剤のmannitolを投与して,多量の利尿と意識障害の著明な改善をみた。頭部CTスキャンのびまん性脳浮腫所見は診断,治療的に重要と考えられた。重篤な意識障害と神経症状,びまん性脳浮腫を認める水中毒例には脳浮腫治療を積極的に行うべきで,mannitolは有効な適応であることを強調した。

短報

長期間の間隔をおいて水中毒によるけいれん発作を起こした1例

著者: 山岡功一 ,   関谷紫 ,   成瀬梨花 ,   友田桂子 ,   福田守男 ,   松井博

ページ範囲:P.757 - P.759

I.はじめに
 精神病院入院中の患者に強迫的な飲水と共に低ナトリウム(Na)血症やそれに基づく水中毒発作を起こす症例の存在することが知られている。このような低Na血症の原囚として精神科領域においては抗精神病薬による影響,SIADH,尿崩症あるいは心因性の多飲などによる水分過剰が問題となる。しかし,その病態は現在なお解明されていない。我々は30年間にわたり持続的な多飲を呈し低Na血症に伴うけいれん発作を15年間の間隔をおいて起こした患者を経験したので報告する。

離脱症状として発熱とせん妄を示したナロン(新配合剤)依存の1例

著者: 功刀浩 ,   中込和幸 ,   広瀬徹也 ,   風祭元

ページ範囲:P.760 - P.762

I.はじめに
 昭和30年より発売されている市販の解熱鎮痛剤ナロンまたはナロン錠は,古くから依存性が指摘され,症例報告も多い1,10,22)。しかし解熱鎮痛薬製造承認基準の一部改正14)において昭和52年より解熱鎮痛剤の配合成分としてbarbiturateなどが認められなくなって以来,市販の解熱鎮痛剤への依存症は減少ないし軽症化し,新時代を迎えた印象がある。ナロン錠も配合成分が大きく変化した(表)。これまで依存性が指摘,報告されてきたのは旧配合成分のナロン錠(以下「旧ナロン錠」と記す)に対するものがほとんどである。しかし今回我々は新配合剤のナロン錠(以下「新ナロン錠」と記す)の長期大量服用により頭痛,全身倦怠感,易刺激性,情動不安定などの精神身体症状を生じ,服薬中止後に発熱,せん妄などの離脱症状を呈した症例を経験したので報告し,依存形成について若干の考察を加える。

有機溶剤乱用者の尿所見—特に,血尿と蛋白尿について

著者: 小泉隆徳 ,   長沼勝利 ,   金子誉 ,   佐藤章夫

ページ範囲:P.763 - P.765

I.はじめに
 有機溶剤乱用による精神,身体への影響について,これまでに多くの研究,報告がなされている。今回,我々はこれまで本邦においてほとんど指摘されていなかった,有機溶剤乱用による尿所見,特に血尿と蛋白尿に関して,若干の知見を得たので,ここに報告する。

緊張症候群を呈したてんかんの1例

著者: 岡村仁 ,   中原俊夫 ,   更井啓介

ページ範囲:P.766 - P.768

I.はじめに
 従来よりてんかん患者に精神病状態,とくに分裂病様病像がみられることはよく知られている3〜7)が,分裂病様病像の大半は幻覚,妄想であり,緊張症候群を呈することはきわめてまれと思われる。
 今回我々は,てんかんと考えられ,かつその経過中に典型的な緊張症候群を呈した1例を経験したので報告する。

躁うつ病を合併したDIDMOAD症候群の1症例

著者: 横山秀克 ,   星野仁彦 ,   八島祐子 ,   熊代永

ページ範囲:P.769 - P.771

I.はじめに
 DIDMOAD(Wolfram)症候群は,尿崩症(Diabetes Inspidus),糖尿病(Diabetes Mellitus),視神経萎縮(Optic Atrophy),および難聴(Deafness)を伴う稀な先天性疾患として1938年にWolframが報告した症候群であるが,精神障害の合併は我々が検索し得た範囲では報告されていない。
 今回我々は幼児期にDIDMOAD症候群と診断され,後に,躁うつ病を合併した1症例を経験したので,若干の文献的考察を加え報告する。

紹介

Puerto Rican SyndromeとEspiritismo—植民地と攻撃性の問題から

著者: 角川雅樹

ページ範囲:P.773 - P.780

I.はじめに
 文化が精神病理のあり方に影響を与えることはよく知られており,特定の文化に固有の症状は,“Culture-bound Syndrome”と呼ばれる。なかでも,中国の“Koro”やマレーの“Amok”,あるいは,アイヌの「イム」などは有名である。
 筆者はラテンアメリカの文化と,そこにおける種々の精神病理に関心を持つ一人であるが,今回,日本ではあまり知られていない,Puerto Rican Syndrome(プエルトリコ症候群)の紹介と合わせて,「植民地と攻撃性」の問題について考えてみることにしたい。

動き

デトロイト市でみた精神衛生活動

著者: 佐久間もと

ページ範囲:P.782 - P.784

 デトロイトは,豊田市に比較される自動車工業の都市である。しかし,デトロイトには,血生臭い事件が絶えない。事件に慣れたデトロイト市民といえども,精神障害者が警官に射殺されたというトップ記事(デトロイト・ニュース,10月18日,1988)には驚かされた。この昼下りの銃撃戦と同時刻,現場から約10km南にある市公会堂では,精神衛生地域活動に関する全国大会が開催されていた。つまり一方で,精神障害者に対する地域活動が,この患者の命を落すことで終焉となり,他方では,地域活動のもたらす医療上の成果を喧伝しあうという皮肉なめぐり合わせであった。
 この精神衛生大会は,精神衛生活動上の協力と,そのてだてを主題として立案された。10月16日から19日(1988)までの3日間,コーボー・ホール(公会堂)で催された。この大会は,デトロイトのあるミシガン州での歴史上,最初の大会であり,またこの大会の開催は実に,前大統領夫人ロザリン・カーターが精神衛生法制定の推進役を果たしてから18年目であった。ミシガン州の精神衛生局が作成した精神衛生活動に関する案を公にし,またこの活動についての現況を報告して討議し合う会と,その主旨にはうたわれている。つまり,官製の案を叩き台にして,地域活動の改善をめざす討議をしようという,あくまでも実務にのっとった会議である。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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