文献詳細
特集 不安の病理
文献概要
■はじめに
「『不安』とはなにか」というテーマを本誌から与えられて最初に念頭に浮かんだのは,この機会に〈不安〉の変質と,不安と〈境界〉の関係について考えてみることであった。
まず,不安の〈変質〉について言えば,かつて私は1930年代を扱った「三木清と不安の時代」というエッセーを書いたことがある一方,3年まえ(1988)に多木浩二氏と『終末への予感』(平凡社)という長編対話を行ったことがあり,そのときの二つの時期の間に〈不安〉の著しい変質を感じたからである。それを単純化して言えば,現在では不安も終末もかつての〈暗がりの風景〉ではなく,〈しらけた風景〉として表象されるようになったことである。なお,先に〈不安の変質〉と言ったが,それは,不安が果たして変質したかどうかという問題を含んでいる。
「『不安』とはなにか」というテーマを本誌から与えられて最初に念頭に浮かんだのは,この機会に〈不安〉の変質と,不安と〈境界〉の関係について考えてみることであった。
まず,不安の〈変質〉について言えば,かつて私は1930年代を扱った「三木清と不安の時代」というエッセーを書いたことがある一方,3年まえ(1988)に多木浩二氏と『終末への予感』(平凡社)という長編対話を行ったことがあり,そのときの二つの時期の間に〈不安〉の著しい変質を感じたからである。それを単純化して言えば,現在では不安も終末もかつての〈暗がりの風景〉ではなく,〈しらけた風景〉として表象されるようになったことである。なお,先に〈不安の変質〉と言ったが,それは,不安が果たして変質したかどうかという問題を含んでいる。
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