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文献概要
追悼
荻野恒一先生を悼む
著者: 近藤喬一1
所属機関: 1町田市民病院神経精神科
ページ範囲:P.224 - P.225
文献購入ページに移動 1991年10月15日午後7時20分,荻野恒一先生は肺炎のため逝去された。享年70歳であった。以前から体調を崩されて療養中ではあったものの,にわかの訃報であった。先生が亡くなられたことで,我が国の精神医学界は,とりわけ比較文化精神医学と現象学的精神病理学の分野におけるかけがえのない指導者を失ってしまった。
先生が精神医学者としての生涯を通じてたどってこられた広博な足跡と,それに加えて,既成の類別の枠組みの中では納まりがつかないような先生の器の大きさは,我々の先生についての知識や理解のどれもが一面的なものでしかないとさえ思わせてしまう。そこで,一斑を見て全豹を卜すおそれのあることをあらかじめ承知の上でしか言えないのであるが,先生のお仕事やご経歴を,だいたい3つの時期に分けて考えることもできるのではないかと思われる。つまり,京都大学の精神医学教室に在籍されていたころと,パリに留学されて帰国後南山大学に奉職されていたころと,最後は東京都の研究所で仕事をされた時代がそれぞれ第1,第2,第3の時期に当たる。
先生が精神医学者としての生涯を通じてたどってこられた広博な足跡と,それに加えて,既成の類別の枠組みの中では納まりがつかないような先生の器の大きさは,我々の先生についての知識や理解のどれもが一面的なものでしかないとさえ思わせてしまう。そこで,一斑を見て全豹を卜すおそれのあることをあらかじめ承知の上でしか言えないのであるが,先生のお仕事やご経歴を,だいたい3つの時期に分けて考えることもできるのではないかと思われる。つまり,京都大学の精神医学教室に在籍されていたころと,パリに留学されて帰国後南山大学に奉職されていたころと,最後は東京都の研究所で仕事をされた時代がそれぞれ第1,第2,第3の時期に当たる。
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