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文献詳細

雑誌文献

精神医学38巻10号

1996年10月発行

文献概要

展望

家族療法の現況—日本とアメリカの場合

著者: 下坂幸三1 渋沢田鶴子2

所属機関: 1下坂クリニック 2カウンセリング・インターナショナル

ページ範囲:P.1022 - P.1034

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■はじめに
 家族療法といえば,その経験はないといわれる精神科医は多いであろう。しかし家族面接といえば,この経験を持たない精神科医はいない。そこで家族面接とは患者と家族とを含めた面接の謂だとすると,この経験者は相当に減る。個人精神療法の基本を踏まえながら,この意味の家族面接を続けることができるならば,それはすでにして家族療法だといえる。家族は治療者に出会い,言い分をよくきいてもらい,わずかの助言を得るだけで相当に安心するとしたものである。そしてこの家族の安心はただちに患者を支える力となる。「家族はやりづらかろう」という声を耳にするが,家族「療法」をしようと意気込まなければ,家族面接は造作もないはずである。これはわれわれの個人的経験だが,個人面接のほうが油断できない,緊張感が高くなる。家族面接は,少々へまをしても複数以上となった家族はわれわれに概して寛大である。渋沢の紹介するアメリカの家族療法は,さまざまな治療者の家族観と治療技法とが述べられている。しかし彼らのうちのなかにも,固有の技法以前の家族面接の経験を持った者がいたと推量する。家族療法の習得がそういった素朴な経験を欠いていて,はじめから名の売れた家族療法家のもとで,既成の技法を身につけることから始まるというのであれば,それはかえって不幸のような気がする。
 家族療法の動向は,相当長期にわたってシステム論一本槍であった。しかしどの精神科医にとっても必要な患者を含む家族面接が,ひとつの理論によって支配されるのは不都合である。家族成員相互のコミュニケーションパターンを循環的に理解することはもとより必要だが,歪んだものと映るコミュニケーションパターンを早急に改善しよう―自然さに乏しい逆説的介入もこの中に入る―とすれば,「冒険」になる。それに冒険は冒険者の力量に大きく左右される。
 コミュニケーションパターンへの介入に先がけて面接のつど大切なのは,家族各成員の言い分をそれぞれに理があるものとして一々確認していく治療者の働きである。これはさまざまな家族療法技法の前提となる。患者,家族,治療者の三方・三様の異なった見方・意見が参加者全員の耳にはっきり届くことに少なからざる意義がある。この過程を通して参加者全員の視点の移動・拡充・転換が可能となる。とりわけ,家族,治療者の如上の視点変化に支えられた患者の視点転換は,治癒を招来することすらある。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-126X

印刷版ISSN:0488-1281

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