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雑誌目次

雑誌文献

精神医学38巻5号

1996年05月発行

雑誌目次

巻頭言

精神病院と精神医療審査会

著者: 小池清廉

ページ範囲:P.454 - P.455

 一般科ではかなり以前から,患者のQOLやアメニティの論議がさかんとなった。癌のインフォームド・コンセントは真剣に討議されており,定着し始めている。精神科ではどうであろうか。入院告知についてはすでに法律で義務づけられた。病状や薬物の説明も,かなり行われていると思われる。しかし,精神分裂病の病名告知や薬物の副作用の説明や,審査請求権の説明などはなお不十分であり,討議も不足していると思う。
 精神医療のレベルが一般科のそれよりもかなり低いのは,1950年代の医療法施行令・通知がいまなお適用され,医師数,看護基準ともに一般科と格段の差がついたままで精神病院が運営されているからである。特別養護老人ホームと比べると,相当に狭い病棟に,避難所や収容所を思わせる60人もの多人数を入院させている現状が承認されている。これらの事実は,精神医療のレベルが,QOLやアメニティを論じる以前の段階にあることを如実に物語るものといえる。少なくとも私は,患者家族に自信を持って,精神病院への入院をお勧めできる現状にはないと,残念ながら思っている一人である。

特集 精神病理学の方法論—記述か計量か

臨床精神病理学の研究法の反省と模索

著者: 藤縄昭

ページ範囲:P.456 - P.458

■はじめに
 ここで「臨床精神病理学」という言葉を使うに当たって,一言弁明しておきたい。「精神病理学」は本来すべからく「臨床的である」という主張があることを知った上で,ここであえて「臨床精神病理学」というのは,実践的な臨床家が心得ているべきであり,精神科「臨床」で要求される「精神病理学」のことである。すなわち「実践的な臨床家が」というのは,いわゆる「精神病理学」をみずからの研究領域とし,そこに立脚している,いわば「専門」精神病理学者の議論を取り上げようとしていないということが1点である。第2はその研究所見が医学にとって,ここでは当然精神医学にとって「共有の財産」となりうるような精神病理学を考えている。すなわち,精神科医なら誰にでも理解され,臨床的に経験することの多い問題点を取り扱う。それは症状の評価法,記述方法といったものから,症例の理解,さらには症例の治療といった側面も含まれる精神病理学である。
 1994年4月に,有志の集まっている私的な研究会が小さなシンポジウムを持った。その時のテーマは「記述精神病理学vs計量精神病理学」というものであった。このたびの特集はそのシンポジウムを下敷きにしている。特集の主題が「精神病理学の方法論―記述か計量か」というのはその名残と思っていただきたい。そのシンポの時から2年経ち,執筆者諸氏はその間に考えるところがあったと思う。本特集では新たに書き下ろしていただき,張氏とKraus教授に参加していただくことにした。特徴といえば,上述のように「臨床精神病理学」を広くとらえているので,精神病理学領域を専門にしていないが,精神科臨床を深めるために,精神病理学へのいっそうの理解の必要性を感じている人たちが執筆していることである。

症例研究と多数例研究について

著者: 島悟

ページ範囲:P.459 - P.466

■はじめに
 今日,我が国における精神医学研究は,「生物学的精神医学」にリードされていることに誰しも異論はなかろう。対するところの「社会心理学的精神医学」は日増しに影が薄くなってきている感がある。前者の生物学的精神医学では,「科学的」にデザインされた多数例研究が行われており,後者の社会心理学的精神医学でも,昨今では「科学的」な多数例研究が症例研究を席巻しつっあるように感じている。もっとも生物学的精神医学における科学性については多くの議論があり7),この「科学的なるもの」の多義性について,最近興味深い論文が発表された2)
 筆者は,5年間の内科臨床を経て精神医学の世界に参入した輩である。内科臨床では,当時すでにかなりの程度に「科学的思考方法」が定着しつつあり,臨床検査結果と診断・治療マニュアルがあれば,一定水準以上の医療が保証されるように思えた。しかしながら実地臨床は,必ずしもマニュアル通りにいかない場合があり,同時にマニュアル化された臨床の中で,治療者・被治療者双方ともに,治療場面から疎外されているように感じたことが契機となり,大仰に言えば,「人間性の復権」を期待して精神医学の門を叩いた。

ライフイベント研究における葬式躁病の意義

著者: 坂元薫

ページ範囲:P.467 - P.475

■はじめに
 近年,精神医学の領域でも計量的手法を用いた研究が主流となってきていることは,いわゆるインパクト・ファクターの高い国際的学術誌において,こうした手法を用いない記述的症例研究を見いだすことが困難なことからも明らかである。このような状況下で,今日でも記述的な症例研究の意義が果たしてあるのか,あるとすればその意義をいかに見いだすべきかについて具体的に検討することが本稿の目的である。その具体例として,従前より諸家によりしばしば言及されてきた死別と躁病の関連性をめぐる問題を取り上げたいと思う。というのも,その問題の背景にある躁うつ病や精神分裂病などの精神疾患の発症要因を明らかにしようとする研究に関して,ドイツ語圏や我が国の精神医学と英語圏の精神医学の接近の仕方の相違を展望することが,「記述か計量か」の対比をめぐる論考の理解の一助となると思われるからである。

自殺研究における多数例研究の意義

著者: 張賢徳

ページ範囲:P.477 - P.484

■はじめに
 「多数例研究」というテーマをいただいたが,その意味が曖昧であるため,この論文における「多数例研究」をまず定義する。第1の要件は,対象が代表性representativenessを有すること。第2に,調査したい情報が質・量ともにできるだけ多く,しかもできるだけ客観性を有すること。第3に,用いる統計手法が要求する対象数を有することである。したがって,その結果は原則として再現性を持つと考えられ,実証研究empiricalresearchの意味に近い。以下では,実証研究で「多数例研究」を代用する。単なる症例報告の数を集めても,極めて稀な疾患でないかぎり,それを「多数例研究」とはみなさない。また,ここでは既遂自殺のみを扱い,自殺未遂は扱わない。
 この論文では,まず自殺の定義と自殺研究の歴史的背景を概観し,1950年代以降興る自殺の実証研究までの流れを述べる。次に,自殺の実証研究手法の中核をなす心理学的剖検psychological autopsyの意義と方法について述べる。そして,実証研究がもたらした成果を概観し,それを基に発展している次の段階の研究について触れる。実証研究(適切な調査方法を備えた「多数例研究」)の重要性が理解されることを期待している。

多数例研究の方法と批判

著者: 金吉晴

ページ範囲:P.485 - P.492

■はじめに
 統計的な手法を用いた多数例研究は,他の諸科学におけるのと同様,近年の精神医学においても,主流となりつつある。こうした潮流の必然性と意義については筆者もすでに述べたことがあるし5),またこの特集の別の稿でも触れられるので繰り返さない。本稿で与えられたテーマは,統計的手法による多数例研究の限界について批判的に振り返るということである。
 統計などの数学による学問の進歩という点では,経済学などの人文諸学にすでに先例がある。その際に重要なのは,すでに言われてきたことだが数学そのものではなく,数学に代表される論理的思考なのであろう。統計の手続きには当然のことながら限界があり,その足りない点を埋めるためには様々な臨床的な経験を総合しなくてはならない。ここで統計,と言っても意味が広いのだが,本稿で取り上げるのは,無作為標本によって母集団での変数の値を推測する推測的統計である。そのなかでも特に,帰無仮説を用いた仮説検定法について考える。これと並んで,対象データの情報を縮約したり,その相互関係を描出するものとしての統計学についても言及したい。

失語における計量と直感

著者: 波多野和夫

ページ範囲:P.493 - P.499

■失語学序説
 失語とは次の4項目によって定義される言語障害と考えられる。①後天的な言語障害である。発達性の障害は失語ではない。②器質性脳病変による。心因性・ヒステリー性言語障害,あるいは内因性精神病における言語障害は失語ではない。③聞・話・読・書を包含する言語システム全体の障害である。それぞれ1つのみの孤立性障害(純粋語聾・純粋語唖・純粋失読・純粋失書)は失語ではない。④その障害を要素的神経症状(発声構音器官の麻痺・失調,聴覚神経系の障害など)でも一般的精神症状(痴呆,意識障害など)でも説明できず,また他の神経心理学的症状(聴覚失認,各種失行など)によっても説明不能な言語障害である。したがって必然的に,失語は多くの個別的症状によって構成される症候群として理解されなければならない。
 失語はその初期の記載以来,いくつかの亜群,あるいは現象としての亜型が存在すると言われてきた。この考えはいわゆる「Wernicke-Lichtheimの図式」に代表される連合論的古典論の成立に結実し,現在の失語学に至るまで決定的な影響を及ぼした。他方,その古典論の代表者Dejerineに論争を挑んだMarie(1908)の掲げたスローガンは「失語は1つである」(“L'aphasie estune”)というものであった。この亜型を認めない(重要視しない)思想もまた様々な意味を付与されつつ,1つの失語学の潮流を形づくり現代に至っている(大橋8))。この対立は,疾患としての精神病を多とするか一とするかをめぐる精神病理学の論争に類似していないことはない。

精神科診断学と疾病分類における直観の重要性

著者: ,   角田京子 ,   津田均

ページ範囲:P.501 - P.510

■診断はどのようになされるべきか?
 精神医学における最近の診断学と疾病分類は―DSM-IVやICD-10といった診断マニュアルにみられるように―操作的な診断基準とその応用の明確な規定―いわゆるアルゴリスム―に基づいている。その内容は,主観的,個人的なものであって間主観的には信頼できないものとみなされている直観を,広範囲にわたって排除するものである。このことが学術理論の上で意味するのは,実証科学的なパラダイム(Glatzel)8)を選ぶという決断であり,それは人間学的に方向づけられた諸方法を広範囲に排除しながら行われている。
 精神医学における方法論的基本姿勢のまさに革命的なこの変化と承認は,精神科の診療と研究に対して深部にまで及ぶ影響力を持っているが,それは今のところ詳細には評価されていない。診断上の疾患単位を科学的に基礎づけるプログラムに則した試みは,DSM-IV,ICD-10両者の制作者によっても意図され,いまだ初期段階にはあるが,多くの伝統的な分類単位が解体していく過程へと至り,その解体過程はいまだ完了していない。とりわけ臨床家にとっては,今までのところ満足できるような安定した分類単位の新たな確立はない。それゆえ,操作的な診断学と分類は,何よりもまず実証科学的研究結果を国内外で交換するという点では疑う余地のない成果をおさめているものの,その成果は少なくともいくつかの診断においては疑わしいものに見える。もしも,部分的には直観に基づいている伝統的な分類単位が,直観的でもあり操作的でもあるというように,現在なお二重になっている精神科医の診断学から消え失せることがあれば,その時には,これらの解体過程の実際の影響全部が認識されるであろう。

研究と報告

精神分裂病の1例にみられた重複記憶錯誤様の陳述について

著者: 村井俊哉 ,   十一元三 ,   扇谷明 ,   栗本藤基

ページ範囲:P.513 - P.517

 【抄録】自分の同胞がそれぞれ5人ずついるという特異な陳述をした精神分裂病の1例を経験したので報告する。このような人物同定障害は,同じく人物同定に関する障害であるCapgras症候群やFrégoli錯覚と異なっており,Pick以降,器質性精神症候群として報告されている重複記憶錯誤reduplicative paramnesiaに形式的に類似するものと考えられた。精神分裂病ではこのような症候についてはこれまで注目されていないので,Capgras症候群などと比較しながら,その形式的特徴について若干の考察を加えた。

左海馬傍回に限局した脳梗塞により漢字に選択的な失読失書を呈した1例

著者: 下村辰雄

ページ範囲:P.519 - P.524

 【抄録】左海馬傍回にほぼ限局した脳梗塞により漢字に選択的な失読失書を呈した1例(62歳,男性,右利き)を報告した。発症当初より漢字に選択的な失読失書を認め,発症4か月目には漢字の失読は軽快し,漢字の失書のみとなった。本例では漢字の修得学年が高いほど,画数が多いほど,熟知性が低いほど漢字の失書は重度であった。書き誤りのほとんどが無反応であったが,写字およびヘンやツクリによる漢字構成は可能であったことから,漢字の失書の発現機序として漢字形態の想起障害が示唆された。MRIでは左海馬傍回にほぼ限局した病変を認め,従来の漢字の失読失書例の病変とは異なっていた。

高校生に対するアルコール教育とその効果

著者: 水谷由美子 ,   青木博行 ,   樋口進

ページ範囲:P.525 - P.531

 【抄録】本研究は,高校1年生を対象に行ったアルコール教育とその効果についての検討である。教育プログラムを実施したのは,神奈川県下の普通高校で,医師と臨床心理士がそれぞれプログラムを担当した。講義とロールプレイの二段構えで教育を行った2クラス(72名)と教育を行わなかった残り6クラス(180名)を自記筆のアンケート方式による調査票を用いて比較検討した。結果は以下のようになった。アルコールに関する知識の定着という点では,両群にはっきりとした有意差が認められ,教育プログラムの有効性が証明された。さらに今後の飲酒に対する姿勢に関しても,教育実施クラスに,より適応的な姿勢がうかがわれた。しかし現実的な飲酒行動では両群に有意差が認められず,飲酒行動そのものの改善には至らなかった。彼らの飲酒行動の修正には,継続的な介入や個別の対応の必要性が示唆された。

日本人男性喫煙者におけるニコチン依存症の実態

著者: 宮里勝政 ,   大原健士郎

ページ範囲:P.533 - P.540

 【抄録】日本におけるニコチン依存症の実態を把握する目的で,1994年10月に20,30,40,50歳代それぞれ約100人の無作為抽出した男性喫煙者408人を対象として郵送法による調査を行い以下の結果を得た。ICD-10での依存症候群(ニコチン依存症)には40.9%が相当し,年齢層別で差がなかった。依存度をみるFTQの得点別では,40歳代以上群ではそれ以下の群より中等度以上の依存が含まれる割合が有意に多かった。ICD-10の6項目すべてにおいて依存症群は非依存症群より有意に多く肯定していたが,FTQ 8項目中3項目では差がなかった。禁煙試行経験は59.1%に認められ,1日の禁煙が困難である者は58.8%,長期の禁煙が困難とする者は69.6%であった。若年群ほど喫煙開始年齢が早かった。

短報

30歳代に再発した周期性傾眠症の1男性例

著者: 磯野浩 ,   岡島由佳 ,   吉邨善孝 ,   岩波明 ,   宮岡等 ,   上島国利

ページ範囲:P.541 - P.543

 周期性傾眠症(periodic somnolence)は反復性過眠症(recurrent hypersomnia)とも呼ばれ,1925年Kleine5)によって初めて報告された1週間前後の傾眠期を繰り返す比較的稀な疾患である。本疾患は,男性に多く思春期に発症し成人になるとほとんどが自然治癒し予後良好であると報告されているが3,8),その病態生理は十分明らかにされていない。今回我々は,15歳で発症し24歳の傾眠期を最後に自然治癒したと考えられていたが,約9年の間欠期を経て再び傾眠期が再発した33歳の周期性傾眠症の1男性例を経験したので報告する。

特異な臨床経過を呈し急性リンパ球性髄膜脳炎の疑われた1臨床例

著者: 川西洋一 ,   佐々木恵美 ,   水上勝義 ,   白石博康

ページ範囲:P.545 - P.548

 急性リンパ球性髄膜脳炎(acute lymphocytic meningoencephalitis;ALME)は,急激に発症し,発熱,意識障害,けいれん,精神症状などの重篤な臨床症状を呈し,しばしば死に至る比較的まれな疾患である。その一方で,検査所見に乏しく,神経病理学的にも血管周囲腔のリンパ球浸潤を中心としたごく軽度の炎症性変化を示すのみという臨床病理学的解離を特徴としている3)。軽快例では宮ら6),内田ら9)が報告しているにすぎないが,病初期に様々な精神症状を呈することが少なくないため1,3,6,7,9),精神科診療において重要な疾患と思われる。
 今回我々は,ALMEが疑われた1臨床例を経験し,その臨床経過やSPECTから興味ある所見が得られたため,若干の考察を加え報告する。

特別寄稿

精神医学におけるシステム論の意義(第2回)

著者: ,   花村誠一

ページ範囲:P.549 - P.560

 次に臨床精神医学から若干の例を挙げる。反社会的(dissozial)な行動の「機能」注18について問う場合,以下のような仮説を立てることができる。反社会的な者は,例えば,犯罪行為や性的パートナーを次々と変えることにより,いつも新たに,自分こそその結果を引き起こした者であるという経験を手に入れる。彼らは特に知的な洗練も能力も,いわんや創造性も要することなく,もろもろの結果を自分に帰属させることができる。それゆえ彼らが好むのは,実際にはそんなもの持ってはいないのに,状況布置に対する統制能力,つまり自由度を持っているかのように錯覚させる行動である。こういう把握に従えば,彼らは他人に対し,その原因を自分に帰属させることのできる行為を誘発する確率を高めるため,共同世界の規範期待に反する行為図式を好むことになるだろう。期待外れにおいても,規範的に構造化された期待につながれていることに変わりはないわけで―そこでは,期待外れはいつも通り共同世界の側に制裁を加える反応の機縁を与えるが―,システム論的観点からみれば,そのように逸脱した行動に,基盤にある期待にもとついて高い「接続価値」(Anschlußwert)が配備されるのもうなづける。反社会的な者におけるフル回転する統制要求は,しばしば,強い不穏,不安定,過活動として現れるが,これらによって,彼らに接続の可能性が保証されることになる。彼らは複雑性の縮減によって信頼を十分に作り上げることができないため,彼らにとって,「何かを演じる」(Agieren)代わりに「何かと出会う」(Erleben)可能性は,あまりに危険が大きいか複雑すぎるのである。それで彼らは,何かを演じ切る(ausagierend)行動にとどまるわけである注19

私のカルテから

薬物による鎮静を行わずに介護した終末期せん妄の1例

著者: 森田達也 ,   井上聡 ,   千原明

ページ範囲:P.562 - P.563

■症例
 48歳,男性,結腸癌,肝,肺転移。
 患者は,1992年S状結腸切除術を受けたが,肝・肺転移を指摘されたため,1994年よりホスピス外来に紹介され,今回,急速に増悪する全身倦怠感のため1995年9月26日ホスピスに入院となった。

動き

第13回青年期精神医学交流会印象記

著者: 松本英夫

ページ範囲:P.564 - P.564

 1995年11月18日,千葉県市川市の厚生年金基金会館で第13回青年期精神医学交流会が齋藤万比古担当世話人(国立精神・神経センター国府台病院精神科)のもとに開催された。会場は駅前で,東京駅からも交通に便利な場所であった。例年のように会期は1日で会場も1つであり,参加者全員で提出された症例を検討することができた。
 発表された演題の数は10で,1演題について発表20分,討論10分が割り当てられており,討論するにはまずまずの時間であったと思われた。そして今年は最後に1時間のミニ・レクチャーが設けられた。演題は4つのセッションに分けられたが,各セッションごとにテーマが設けられてはいなかった。しかし概観すると摂食障害3題,精神分裂病2題,境界例2題,不登校その他3題であり,いずれも青年期の重要な障害に関する症例であった。その中でいくつか印象に残った演題を紹介したい。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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