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雑誌目次

論文

精神医学39巻5号

1997年05月発行

雑誌目次

巻頭言

「実証君」と「直感君」の会話

著者: 小出浩之

ページ範囲:P.454 - P.455

 医局で耳にした実証君と直感君の会話。
 「やあ,久しぶりだね。最近は,君の好きな,本質直感なんて言葉にはとんとお目にかからないが,元気かい」

特集 学校精神保健—教育との連携の実際

学校精神保健活動の実際—精神科医はどう学校に関与するか

著者: 北村陽英

ページ範囲:P.456 - P.463

■はじめに
 児童青年精神科を受診する児童青年はそのほとんどが学校児童生徒である。当然のことながら治療は学校教育を視野に入れ,直接的にしろ間接的にしろ学校と連絡をとりながら行わざるをえない。児童青年は現代社会の中で成長と発達の途上にあり,家庭生活と学校生活の影響下で何らかの問題を抱えて治療あるいは相談を受けに来ている。病み悩む児童生徒について,病・悩みの原因をさぐるとき,例えば不登校のような場合は学校との関係において,いじめで自殺を考える児童生徒の場合は同級生との関係において,家庭内暴力の場合は家族関係において問題を生じているか,あるいは自閉性疾患や精神分裂病の場合には児童青年個人にその主たる原因がある疾患で相談治療に来ているといったように,我々は学校,同級生,家族,児童青年自身のどれかに原因を求めがちである。しかしこれらの問題事象の大部分は原因の所在を学校,同級生,家族,本人自身のどれか1つだけに求めようとすると大きな間違いを起こす。ましてやその治療の在り方は,学校,家族,本人,往々にして同級生など,本人を取り巻く人々と本人が置かれている環境を配慮して行われねば,治療効果は上がらない。
 治療・相談に応じるにあたって,児童青年が,小学校中学年までの児童期,小学校高学年から中学生の思春期(青年期前期),高校生相当年齢の青年期中期,20歳前から20歳代の青年期後期のどの成長発達段階にあるかをよく認識した上で,対応されねばならない。現代においても,児童期青年期の成長発達において,第二自己主張期(第二反抗期)の出現の意味は極めて大きく,性の発達と成熟,社会性の発達・他者の中での自己の確立,自我理想の形成と自己実現は,いずれ迎える成人社会生活をその人なりに送るために必要な,児童期青年期に取り組んで一定の発達を遂げておかねばならない発達課題である4)
 また,児童生徒の日常生活感覚は時代とともに大きく変化しており,治療・相談に応じるとき,現代の生活感覚をあらかじめよく理解しておく必要がある。治療者の姿勢としては,「決めつけ」「突き放し」をしないこと,成長の途上にある児童生徒であること,多くが回復し,軌道修正が可能であることを念頭に置いて,希望を捨てないことが肝要である。

学校保健室の新しい意味—保健室登校をめぐって

著者: 杉山信作

ページ範囲:P.465 - P.469

■はじめに
 いじめや欠席,なかでも延々と繰り返されるいじめや一見これといった理由のない長期欠席など,児童期のトラブルに接していて,驚かされることも増えている。迫害不安や被害妄想,引きこもりや自閉は精神医学になじみのテーマである。こういった問題が,学校を場に深刻なことになっているようである11)
 発達途上にあり,絶えず変わりゆく子どもの世界を普遍化することは,評論にはなっても,あまり成功しないことのように思う。子ども達の理解し難い言動を嘆くのはいつの世にも繰り返されてきたことである。「近頃の若い者は……」といらだつ大人に「……だから大人は……」と心を閉ざす。せいぜい,こんな旧くて新しいギャップを取り出すしかないだろう。
 こんな親子の葛藤や世代間の不安が近頃は精神科医のもとにも持ち込まれる。そのわかり難さのゆえに,その背景に隠された意味への関与を求められているものと思われる。医療が病いの痛みや悩みを和らげ,猶予を与え,自然な力を発露させようとするかぎり,あるいは,病いの中に何らかの癒しや成長のプロセスを見ようとするかぎり,集団生活のもつれschool bullyingや学校生活のっまずきschool refusalをはじめとする,こういった問題は,これからも医師に持ち込まれて来るだろう8,1)
 地域における医療と同じようなことは学校における保健室にも言える。先の子ども達のある者はそこを訪ね,そこで,ある救いを得ている。しかし,養護教諭の力にも限りがあり,専門家からのネットワーク的な支援が求められている。保健室は,我々にとって連絡の取りやすい,臨床に開かれた窓である。その実際を知ることは,精神医療が地域社会へかかわる通路を見いだすことにもなろう。
 筆者が主治医としてかかわったケースの中から,近年ごく普通のことになってしまった保健室登校4),つまりそこをホームルームにせざるをえなかったケースを通して,以上のようなところを見直し,校医の体験や,医療と教育や福祉の接点での臨床経験から検討してみたい。

養護教諭との連携

著者: 堤啓

ページ範囲:P.471 - P.477

■はじめに
 筆者は昭和43(1968)年から個々の治療ケースを通じて養護教諭と連携し合うようになった。昭和55(1980)年から,福岡大学医学部精神医学教室の思春期精神医療活動の一環として,福岡県筑後地区,しばらくして筑豊地区の養護教諭による精神衛生研究協議会に助言者として赴くようになった。その間,幾度となくいくつかの高校の保健室を訪れ,養護教諭と生徒とのやりとりに接する機会にも恵まれた。数年前から,福岡市のある進学高校の学校医となり,精神科医として養護教諭と生徒の心の問題について話し合う機会が増えた。つい最近では,福岡県内の10名の経験豊かな養護教諭と共に保健室活動の実態を様々な事例を挙げて,1冊の本にして著した7)
 さらに,昭和47(1972)年から教室の思春期精神医療活動の1つとして毎年夏に行ってきた,不登校を中心に神経症圏内の生徒を対象とした思春期心理療育キャンプ(3泊4日)8)に,若手から中堅の養護教諭数名に参加していただいた。
 以上のように,筆者は様々な形で養護教諭とのかかわりを持つことができた。そのような筆者自身の経験をもとにして,本稿を書いてみたい。

通級学級,身障学級,養護学校での教育相談と就学指導

著者: 内山登紀夫

ページ範囲:P.479 - P.484

■はじめに
 本稿では児童精神科医と特殊教育とのかかわりについて筆者の経験を中心に述べる。精神科医が関与するのは主に発達障害を持つ子どもたちであり,その診断はDSM-Ⅳ分類1)の精神遅滞,自閉性障害,多動性障害,学習障害などである。文部省通達などに使用される教育行政用語ではこれらの障害を持つ子どもたちは「精神薄弱者」,「言語障害者」,「情緒障害者」などに分類される。

学校保健の推進と精神科医—学校精神保健コンサルテーションの経験から

著者: 牧原寛之

ページ範囲:P.485 - P.491

■はじめに
 学校精神保健における精神医学的な理解と実践の必要性は,つとに唱えられてきたところである。例えば日本児童精神医学会は,すでに1966年の第7回総会シンポジウムで「学校精神衛生」を取り上げている。さらに近年の不登校や摂食障害の児童生徒の急増は,学校保健に占める精神保健の重要性をますます高めている。このため同学会は1985年,第26回総会のシンポジウムのテーマに「学校精神保健における児童精神科医の役割」を選んでいる。第7回総会での試行的模索的な論議に比し,第26回総会では明らかにより緊急で現実的な問題として児童青年精神科医の経験と反省,問題提起がなされ5,6),また学校現場からの精神科医への危惧6)も表明されている。
 実際に我が国で学校現場に精神科医が直接かかわってきた記録・報告としては,1968年に開始された大阪大学精神科のグループによる特定の中学での活動がよく知られている12,13)。同グループは1972年に「思春期精神医学」を著し,その中で清水13)は実践方法と結果,さらには同グループの方式の功罪についてまで論じている。その後現在まで,全国各地で学校保健にかかわる精神科医は増加しつつあるが,それぞれの活動は地域ごとに大きく相違する。これは一方で,それぞれの地域による人的資源,歴史的背景,教育委員会を含む政治経済的状況など,様々な活動を規定する要因の違いが大きいことによる。しかし他方で,精神科医の学校精神保健へのかかわり方が,講演,研修会,教師個人や集団への指導,児童生徒や親との面接,様々な形でのコンサルテーションなど多彩なものであることによる5,11,16,17)

精神保健福祉センターにおける教師へのコンサルテーション

著者: 吉川領一

ページ範囲:P.493 - P.497

 学校精神保健の分野において,教師へのコンサルテーションは,以前から活発に行われている。当センターの学校精神保健活動(表1)の中でも,教師へのコンサルテーションは重要な位置を占めている。特にこの数年は,精神科医や臨床心理士が学校からコンサルテーションを要請される機会が増加している。
 今回,当センターにおける教師へのコンサルテーションを紹介し,その重要性と注意点について述べる。

学校精神保健における一次予防と初期介入—保健授業を通して

著者: 亀井よ志子

ページ範囲:P.499 - P.504

■はじめに
 現在,私が勤務しているのは東京練馬区にある私立学校で,中・高一貫教育を掲げている女子校である。
 私が養護教諭として本校に勤務したのは1964年で,当時は昼休みになると学校の体育館や校庭は元気な生徒たちや教師であふれていた。放課後のクラブ活動も活発で生き生きと活動している姿が保健室からもよく眺められた。
 それが1970年代半ば頃から,教室で遊んでいる姿が目立つようになり,体育の時間になると様々な理由をつけては保健室に逃避してくるようになり,運動クラブに参加する生徒も徐々に減少,廃部寸前になってしまう部もあった。
 この頃から,「生徒たちのからだに何か異変が生じているのではないか」と,養護教諭の間で盛んに話題に上るようになった。ちょうど登校拒否児が増え始め,「保健室登校」ということばが使われ出したのと時期的に符合する。このような兆候は,まさに子どもたちの「悲鳴」であり,救いを求める「信号」だったのである。
 こうした事態に対して,学校現場ではどんな対策をとってきたのか,簡潔に述べてみたいと思う。

学校と教育研究所の連携—学校でのいじめをめぐって

著者: 日野宜千

ページ範囲:P.505 - P.511

■学校での問題行動
 教育の現場で校内暴力や不登校・いじめが取り沙汰されてから久しい。
 「学校嫌い」と呼ばれ,理由もなく欠席を続ける子どもたちの数が文部省から毎年発表されている。1994年度は小学校で12,240人,中学校で51,365人の子どもたちが年間50日以上も不登校状態を示している。1995年度の速報値では,年間30日以上こうした不登校状態を示す小・中学生が82,000人に達している。こうした子どもたちを一般に「登校拒否(school refusal)」と呼ぶが,現実にはその数倍の子どもたちが登校拒否状態を示しているとも言われる(図1,2)。

研究と報告

万能的な核を持つ境界例患者の精神病理—社会的枠組との関連から

著者: 津田均

ページ範囲:P.513 - P.520

 【抄録】万能的,自己愛的な核を持つ境界例4例を取り上げ,その核の位置づけを,患者と社会的枠組との関係から論じた。患者には,枠や制限の設定を伴う役割構造が受け入れられていないことを示し,それと,ライバル関係の止揚がなされないことが関係していることを論じた。患者の万能的な核は,役割構造の制限を受けない親切心,ライバル関係を完全に超えて他人に認められるような能力,美質の主張であると考えられた。さらに一見役割構造の介在が存在しないように見える,愛,友情をめぐる二者関係においても,患者は,自分と他者を出口のない関係へと導き,安定した関係を築くことが困難なことを論じた。考察と関係する治療の留意点についても付言した。

攻撃性が早期に出現する抑うつ症例について—産業精神医学の経験から

著者: 小野博行 ,   内海健

ページ範囲:P.521 - P.528

 【抄録】今日,うつ病病像の現代的変容が注目されているが,我々は産業医としての臨床において,一群の特性を共有する抑うつ症例を見いだした。それは,若年成人の企業人で,内因性の症状を備えながらも,軽症にとどまり,出社の意志そのものは失われてはいないが,職場への忌避感や直属の上司への攻撃的感情が病相早期から出現し,他部署への異動を患者自身が強く望むというものである。4症例を呈示の上,両価的傾向の乏しい攻撃性が病相早期から出現する現象を最大の特徴ととらえ,疾病分類的に独自の位置を占める可能性を示唆し,基底的な病理構造として「しがみつきの希薄化」を抽出して,抑うつ病像が軽症にとどまるメカニズムの説明を試みた。

幻聴に対する認知療法的接近法(第2報)—幻聴の治療のためのパンフレットの利用法とアンケート調査の結果

著者: 原田誠一 ,   岡崎祐士 ,   吉川武彦 ,   亀山知道

ページ範囲:P.529 - P.537

 【抄録】筆者らは,幻聴に対する治療をより有効なものにすることを目的として,患者・家族向けに「幻聴の治療のためのパンフレット」を作成した。第1報で,このパンフレットの内容全体を紹介したが,今回の第2報では,パンフレットの内容に関して若干の補足説明を行った上で,臨床場面で実際に用いる際の留意点を述べる。さらに,このパンフレットを手渡して説明を加えた患者・家族を対象としてアンケート調査を行い,①本パンフレットの内容が理解可能であったか否か,②有用性があったか否かを調べたので,その結果を報告する。

短報

円錐動脈幹異常顔貌症候群(CAFS)に精神分裂病を合併した1症例

著者: 松永裕紀子 ,   北西憲二 ,   牛島定信 ,   高尾篤良

ページ範囲:P.539 - P.541

■はじめに
 近年の分子遺伝学の進歩に伴い,精神疾患の遺伝学的研究も盛んに行われつつある。精神分裂病の病因として家族内集積性から遺伝因子の関与が論じられ,家系研究,双生児研究,養子研究などに加えて,最近では他の疾患と同様に病因遺伝子の同定に関する研究もなされている。その中で注目を浴びているのがCATCH22症候群11,12)である。染色体22q11.2の欠失を認める先天性の心疾患であるが,精神障害,特に精神分裂病の合併が一般成員よりも多いことが指摘されている2,3)。染色体22q11.2と精神分裂病との関連性が示唆されるが,連鎖を否定する報告もあり,今後の研究の進展が期待されている。
 今回,我々はCATCH22症候群の経過中に精神分裂病を合併した症例を経験した。染色体22q11.2と精神分裂病との連鎖を考える上で多くの示唆を与え,また,このような症例の報告は筆者の知るかぎり本邦では少なく,若干の考察を加えてここに報告する。

消化管出血後の両側淡蒼球壊死による特異な人格変化の1例

著者: 下清水博明 ,   丸井規博

ページ範囲:P.543 - P.545

 消化管出血後に両側淡蒼球に壊死を生じ,自発性の低下を主要症状とする精神症状を持続させていると考えられる1例を経験したので報告する。
 発症7か月後の精神科初診時には,分裂病の残遺状態も疑われる状態であった。その後,頭部CT,MRIで両側淡蒼球壊死が見いだされ,これに関連した精神症状であると考えられた。

紹介

Life Skills Profile(LSP)日本版の作成とその信頼性・妥当性の検討

著者: 長谷川憲一 ,   小川一夫 ,   近藤智恵子 ,   伊勢田堯 ,   池淵恵美 ,   三宅由子

ページ範囲:P.547 - P.555

■はじめに
 精神科リハビリテーションの領域では,国際障害分類(ICIDH)の整備にも励まされて,慢性精神疾患患者が持つ機能障害,能力障害,社会的不利の各レベルに応じた対策をとる必要性が認識されるようになっている。その際,生活に現れた障害を評価することは不可欠であり,いくつかの評価尺度が考案されてきている2〜4)。しかし,精神科リハビリテーションの現場,特に地域で生活している患者を対象にした実用性のあるものは少なく,評価方法の検討が端緒についたところである5)といえる。
 筆者らは,こうした評価尺度として,1989年にオーストラリアのRosen,Parkerら6,7)によって開発されたLife Skills Profile(LSP;生活技能プロフィール)に着目した。LSPは平易,簡潔であり,現場に導入しやすい評価法である。これを日本でも使用可能にすることは,精神科リハビリテーションの実践上,また地域精神医療研究を進めるためにも有用であると考えた。そこで筆者らは,原著者の了解を得てLSP日本版を作成した。本論文では,LSP日本版の作成過程と,その信頼性と妥当性の検討結果について報告する。

私のカルテから

クロミプラミンにリチウムを追加投与することにより改善をみた妄想性うつ病の1例

著者: 副田秀二 ,   吉村玲児 ,   阿部和彦

ページ範囲:P.556 - P.557

 妄想を伴ううつ病は,妄想を伴わないうつ病に比べて抗うつ薬への反応がよくないといわれている1,3)。今回我々は,長期にわたり職場不適応と精神科への入退院を繰り返した妄想性うつ病に対し,clomipramineにリチウムを追加投与することにより,症状が軽快して職場復帰することができた1症例を経験したので若干の考察を加え報告する。

「精神医学」への手紙

Letter—皮膚寄生虫妄想(Dermatozoenwahn)は妄想知覚か?/Answer—レターにお答えして—皮膚寄生虫妄想には,妄想知覚と考えられる症状も存在することがある

著者: 立山萬里 ,   林拓二

ページ範囲:P.560 - P.561

 初老期皮膚寄生虫妄想(präseniler Dermatozoenwahn)は,実際にはいないのに体(皮膚)に「虫が寄生している」と確信する単一症状性の妄想で,Ekbom1)によれば,①皮膚の異常知覚(?痒感やパレステジー)と②妄想性解釈から成り立っている。本例は,「虫」の標本として皮膚垢やゴミなどを集めて持参したり,「虫」と主張して図示したりする。このような視覚性の体験は,「皮膚寄生虫妄想」が強い時に,感情的に誘発された錯覚性誤認(Schneider, K)2)と解釈されるが,最近,林氏3)はこの体験を妄想知覚とみなしている。
 Ekbomは本例に「幻覚,被害・関係念慮などの分裂病性症状はすべて欠けている」と述べており,もし「皮膚寄生虫妄想」例に妄想知覚がみられれば,Schneider流にいえば分裂病になるわけで,この初老期の妄想症にそれを当てはめることには,慎重でなければならない。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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