文献詳細
特集 学校精神保健—教育との連携の実際
文献概要
■はじめに
現在,私が勤務しているのは東京練馬区にある私立学校で,中・高一貫教育を掲げている女子校である。
私が養護教諭として本校に勤務したのは1964年で,当時は昼休みになると学校の体育館や校庭は元気な生徒たちや教師であふれていた。放課後のクラブ活動も活発で生き生きと活動している姿が保健室からもよく眺められた。
それが1970年代半ば頃から,教室で遊んでいる姿が目立つようになり,体育の時間になると様々な理由をつけては保健室に逃避してくるようになり,運動クラブに参加する生徒も徐々に減少,廃部寸前になってしまう部もあった。
この頃から,「生徒たちのからだに何か異変が生じているのではないか」と,養護教諭の間で盛んに話題に上るようになった。ちょうど登校拒否児が増え始め,「保健室登校」ということばが使われ出したのと時期的に符合する。このような兆候は,まさに子どもたちの「悲鳴」であり,救いを求める「信号」だったのである。
こうした事態に対して,学校現場ではどんな対策をとってきたのか,簡潔に述べてみたいと思う。
現在,私が勤務しているのは東京練馬区にある私立学校で,中・高一貫教育を掲げている女子校である。
私が養護教諭として本校に勤務したのは1964年で,当時は昼休みになると学校の体育館や校庭は元気な生徒たちや教師であふれていた。放課後のクラブ活動も活発で生き生きと活動している姿が保健室からもよく眺められた。
それが1970年代半ば頃から,教室で遊んでいる姿が目立つようになり,体育の時間になると様々な理由をつけては保健室に逃避してくるようになり,運動クラブに参加する生徒も徐々に減少,廃部寸前になってしまう部もあった。
この頃から,「生徒たちのからだに何か異変が生じているのではないか」と,養護教諭の間で盛んに話題に上るようになった。ちょうど登校拒否児が増え始め,「保健室登校」ということばが使われ出したのと時期的に符合する。このような兆候は,まさに子どもたちの「悲鳴」であり,救いを求める「信号」だったのである。
こうした事態に対して,学校現場ではどんな対策をとってきたのか,簡潔に述べてみたいと思う。
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