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研究と報告
内言語と発語運動—幼児,聾児,失語症者の文字の読みかたについて
著者: 後藤弘1
所属機関: 1日本大学医学部神経科教室
ページ範囲:P.85 - P.93
文献購入ページに移動 Ⅰ.序言 内言語とはもともと内観によりえられた概念であつて,内言語を客観的な実証的な操作による研究の対象とすることは困難である。従来のこの方面の業績がとかく思弁的な傾向に流れたのはやむをえないことだつたと思われる。もし,これを実証的に追求しようとするならば,内言語とみなしうる過程の発生条件を実験的に設定するのが適切であるかと思われる。
しかしまず内言語とはどのようなものか,ということを規定する必要があろう。これは複雑であいまいな概念であり,その意味するところも学者により異つている。しかし,一般には内言語(innere Sprache,inner speech)とは「言語の運動的行動に先行し,あるいは,ある音を聞いて,そこに言葉として特定の意味をとらえようとするときに生じるところのもの」であると規定される。Goldstein1)はこれをつぎのような2つの過程に大別している。すなわち,第1は外言語形態(äussere Sprachform)を生ぜしめ規定する動機としての内言語形態(innere Sprachform)であり,第2の過程は,言語のようなものとして感じられる運動的とも感覚的ともいえない特異な体験をもつことであり,そこに象徴の性格がともなうか否かは問題ではないという。また,Schilling2)はこのGoldsteinのいう第2の過程ときわめて似たものとして,inneres Sprechenという語を用いているが,そのさい彼は発語する自我の能動性や運動性に重点をおいている。
しかしまず内言語とはどのようなものか,ということを規定する必要があろう。これは複雑であいまいな概念であり,その意味するところも学者により異つている。しかし,一般には内言語(innere Sprache,inner speech)とは「言語の運動的行動に先行し,あるいは,ある音を聞いて,そこに言葉として特定の意味をとらえようとするときに生じるところのもの」であると規定される。Goldstein1)はこれをつぎのような2つの過程に大別している。すなわち,第1は外言語形態(äussere Sprachform)を生ぜしめ規定する動機としての内言語形態(innere Sprachform)であり,第2の過程は,言語のようなものとして感じられる運動的とも感覚的ともいえない特異な体験をもつことであり,そこに象徴の性格がともなうか否かは問題ではないという。また,Schilling2)はこのGoldsteinのいう第2の過程ときわめて似たものとして,inneres Sprechenという語を用いているが,そのさい彼は発語する自我の能動性や運動性に重点をおいている。
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