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雑誌目次

雑誌文献

精神医学4巻4号

1962年04月発行

雑誌目次

展望

幻覚研究の歴史的展望—A.精神病理学的方面

著者: 島崎敏樹 ,   宮本忠雄 ,   倉持弘 ,   中根晃 ,   矢崎妙子 ,   梶谷哲男 ,   小田晋 ,   小見山実 ,   須賀俊郎 ,   小久保享郎

ページ範囲:P.211 - P.227

Ⅰ.記述的精神病理学の立場から
1.K. Jaspersとその背景
 Esquirol(1817)以来,幻覚の定義はいろいろの変遷を経てこんにちにいたつたが,彼の示した概念は現在でもなお価値を失つていない。Esquirolの定義は「……という知覚を体験したと確信する」という心理的事項と,「外界の刺戟なしに」という外的事物に対する決定の2つの部分からなつている。これによつて,幻覚は初めて科学的に明確に定義され,研究の方向が示されたといえる。いまドイツの幻覚論を歴史的にながめると,F. W. Hagen(1837),K. Kahlbaum(1856)の感覚生理学的理論からK. Goldsteinの脳病理学的理論までと,K. Jaspers以後の精神病理学的研究とに大きく分けることができる。われわれはJaspersの理論の出発点となつたのがV. Kandinskyの偽幻覚の概念であるところから,まずKandinskyの学説から始める。
 Kandinsky(1880)によれば,大脳皮質の抑制機能が弱まつて,皮質下の感覚中枢の興奮が意識に達したものが幻覚であり,客観性という独自の性格をもつことで記憶像,幻想像と区別できる。この客観性格は心理学的に決定されるもので,彼はこれをX因子と名づけ,皮質下の神経節の興奮によつておこるとした。真性幻覚はこの客観性格をもち,一方,偽幻覚にはこれがなく,表象の現象として幻覚から区別される。これに対し,表象と知覚は相互に移行するというのがK. Goldstein(1908)の考えである。幻覚は表象性格をもつた主観的体験であり,誤つた実在性判断を有する偽幻覚なのである。以前におこつた知覚の痕跡が,外的刺激なしにあらわれる現象は,Goldsteinの考えでは回想像であり,内空間にのみ生ずる。この空間を外空間であると誤れば真性幻覚となる。彼はこの実在判断の誤りの原因を,意識の変化による判断能力の障害とした。幻覚はGoldsteinにとつては大脳皮質に起因する現象なのであつた。

研究と報告

うつ病にあらわれる「執着性格」の研究

著者: 平沢一

ページ範囲:P.229 - P.237

Ⅰ.序説
 執着性格は下田により初めて提唱された。この性格と躁うつ病(下田・王丸・向笠)および初老期うつ病(中およびその共同研究者)とが密接な関係を有することは,多数例においてすでに明らかにされているが,その具体的な性格像および執着性格により生ずるうつ病像の症候論的な研究は乏しいように思われる。
 著者は昭和33年10月より36年10月までに京都大学の精神科の外来および入院のうつ病患者の中から「執着性格」を示す105例を選び,つぎの諸点を検討した。

抜毛癖に関する考察—その発達史的・力動的機制について

著者: 木村定 ,   篠原大典 ,   国吉政一 ,   川端つね ,   三好暁光

ページ範囲:P.239 - P.242

 てんかんの2例,神経症の2例について,陳旧分裂病ならびに進行麻痺の症例と比較しつつ,抜毛癖を発達史的・力動的に考察した。抜毛癖は,それ自体としてはSolomonが爪かみについてのべた攻撃一否定一自己懲罰循環と同じ機制を有しており,未熟で対人的に閉鎖された人格が,ある程度の対人関係を強制されるような時期,つまり小〜中学校ごろにあらわれ,この症状自体がさらにいつそうの退行をうながす傾向のあることをのべた。かかる個体発生の見地からの考察のほか,元来母性愛の欠乏に由来すると思われる孤独という要因と抜毛癖の結びつきについて,これが愛情葛藤の自己愛的形式を通じての表現と考えられることに言及し,最後にかかる見地を綜合した治療の可能性にふれた。

てんかんの性格変化(4)—てんかん機制を有する精神障害者のロールシャッハ・テストについて

著者: 大熊文男

ページ範囲:P.245 - P.253

Ⅰ.緒論
 前論文5)において,豊田はてんかん性性格特微(きちようめん—融通性に乏しい,執拗—くどい,粘着性,爆発性……詳細は本研究(1)の後藤の論文1)参照)が明らかで,かつ主として発作性症状(とくにけいれん発作)以外の精神症状を訴える一連の疾患群について検討をこころみ,その本態がてんかんと関連するものと推論し,これら疾患群の鑑別にあたつててんかん性性格特微の意義を強調した。私は性格診断テストの1つであるロールシャッハ・テストをこれら疾患群に施行したのでその結果を検討しここに報告する。

精神神経症に対するTHÉRALÈNE(6549 R. P.)の使用成績

著者: 北嶋省吾 ,   高橋幸彦

ページ範囲:P.255 - P.259

Ⅰ.緒言
 クロールプロマジンの出現以来,精神科領域では薬物療法の一時代がひらかれ,精神科医は過去10ヵ年に記憶も不可能なほどの新しい精神薬剤を迎えた。臨床的スクリーニングの結果,なんらかの特徴をもつた薬物は残され,あまり特徴のないものでしかもさきに市販された薬物にまさる点のないような物質は,スクリーニングの末にかえりみられなくなりついには落伍していつた。
 精神科医は新薬に相当食傷ぎみではあるが,構造上従来の薬物と大同小異であるだろうと関心をもたないでいたものの中に案外個性のある臨床効果がみつけられることもあつて,まつたく無関心でいるわけにもゆかないのが現況である。

動き

病院精神医学の現況

著者: 井上正吾

ページ範囲:P.261 - P.265

Ⅰ.病院精神医学懇話会の歴史
 1)発足の主旨
 病院精神医学懇話会発行の「病院精神医学」第1集のまえがきに,会長の関根真一博士はつぎの言葉を書いておられる。「すなわち現代の精神病院は患者の治療の場であるとともに,きわめて有意義なる治療の器具としてその機能を発揮しなければならぬことが強く要求されるにいたつた。その観点から精神病院に勤務するものはつねに,患者を対象とし建物ならびにそこに従事する人的構成に対し,精神医学を基底とした研究をおしすすめていかなければならない。従来これらの研究について関心はもたれていたが,最近その発展の必要性が叫ばれるにいたつたので同志のものが相はかり病院精神医学懇話会なるものを誕生せしめた。」
 この趣旨を実現させるべく5年前に,前田忠重,管修上田守長,元吉功,江副勉,野口晋二,青木義治,岡田敬蔵,松本胖,小林八郎の諸氏が運営委員となり,関根真一氏を委員長として,会を発足させられたのである。

紹介

イギリスの精神医学におけるドイツ精神医学の位置

著者: 平井静也

ページ範囲:P.267 - P.267

 この小文はMiss M. W. Hamilton, B. A.(Lit. Hum.)(University of Manchester, Department of Psychiatry. The Royal Infirmary, Manchester)のクルト・シュナイダーの「臨床精神病理学」の英訳 "Clinical Psychopathology"(Grune & Stratton,New York,London 1959)と拙訳の交換の副産物である。いや,むしろ,表題のような事情を知るために,訳書の交換を提案したのだといつたほうがいいかもしれない。イタリー訳,スペイン訳,ベルギー訳,ギリシャ訳の訳者にも同様の提案をえたが,まだ返書を受け取つていない。本書簡は本年1月8日づけのものである。

“Founders of Neurology”から(2)

著者: 安河内五郎

ページ範囲:P.269 - P.272

Carl Wernicke(1848〜1904)
K. Goldstein
 Wernickeは当時のドイツ領上部SilesiaのTarnowitzという小さな町の生まれである。Breslauで医学を修めてのち,そこでNeumanの助手となりさらにBerlinの慈善病院でWestphalの下に働いた。Neumanの助手をしていたときに,6ヵ月間だけViennaに行きMeynertについて勉強したが,後年Wernickeの教室の講堂の壁にはMeynertの肖像だけがただ1枚かけられており,またMeynertの名はWernickeの講義中によく出てくる数少ない人の名前の1つであつた。1878年から1885年までの間神経科の医者としてBerlinで開業していたが,その後Breslauの母校に助教授として招かれたので喜んでこれを受け,1890年に精神科の正教授になつた。その後何年かたつて(1904)同じ資格でHalleの大学に転じたが,そこにおちついてまもなくのころThuringenの森をサイクリング中に事故にあつて死亡してしまつた。
 Wernickeは初めのうち解剖学を手がけていたが,Meynertの影響を強く受けている。彼の最初の研究業績は,大脳皮質の3つの原回転(“Urwindungen”)を区分したことである。続いてその当時の彼の若さからすれば驚異的な労作ともいうべぎ“Lehrbuch der Gehirnkrankheiten”3巻をものした。とくにおもしろいのは,彼がその中で後下小脳動脈の血栓症のさいにみられるはずの症状を,延髄の動脈分布に関する彼自身の解剖学的研究を基として推定していることである。この彼の推定は1895年Wallenbergによつて実証された。彼はまた球麻痺に随伴する稀有な症状として仮性眼球麻痺のおこることを予言した最初の人である。この症状をもつ患者は自分の意のままに眼球を動かしたり,視野の辺縁にある物体に眼を移したりすることはできないが,静かに動いている物体にはそれにつれてある程度眼を動かすことができる。したがつて本を読むときなど行に沿つてでたらめにやたら視線を動かしているうちに,その行全体の文句の意味をつかむことはできるのである。彼はまたこのLehrbuchの中で,いまや彼自身の名を冠せられている疾患,すなわち出血性上部灰白質炎の臨床症状を明らかにした。この病気の根本原因は血液脳髄関門の変化によつて血漿が脳実質内に浸出し,そのために脳の機能を損なうのだとわかつたのは,だいぶ後のことである。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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