icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

精神医学4巻6号

1962年06月発行

雑誌目次

展望

精神分裂病の心理療法の近況について

著者: 阪本健二 ,   笠原嘉

ページ範囲:P.359 - P.373

はじめ
 前回(第3巻第7号)われわれは分裂病の心理療法の歴史を概観したのであるが,今回は主として1950年以後に提出された諸問題のうちのいくつかをとりあげてみたい。
 すでにのべたごとく,1950年代への転換期にはFromm-ReichmanとRosenの著作が公けにされ,はなはだエッセイふうにではあつたが,それまでの彼らの業績のひとつの決算として,それぞれの立場からの総括的な方法が示されたのであつた。それに続く50年代の半ばから後半にかけては,個人の著作のほかにシンポジウム形式による討論が増え,それによつて各個の業績の中に最大公約数を求めようとする動きが出てきたのが特徴であろう。なかでも分裂病の心理療法過程をコミュニケーションの観点からながめ,分裂病症状自体をもここからとらえようとする動向がもつともめだつた。以上の業績のおもなものをあげてみると,E. B. BrodyとT. C. Redlich編の「分裂病者の心理療法」(1952),G. Bychowskiの「精神病の心理療法」(1952),M. A. Sechehayeの「分裂病心理療法序説」(1954),L. B, Hillの「分裂病への心理療法的介入」(1955),C. A. Whitaker編の「慢性分裂病者の心理療法」(1958),G. BenedettiとC. Müller編の「第1回および第2回分裂病心理療法国際シンポジウム報告」(1958)H. F. Searlesの「非人間的環境」(1960),K. L. Artiss編の「コミュニケーションとしてみた分裂病症状」(1959),A. Burton編の「精神病の心理療法」(1961),J. G. Dawsonら編の「分裂病者の心理療法」(1961)がある。ところで以上の集大成とシンポジウムという2型式に加えて,新たに第3の傾向が生まれていることを,書き加えておきたい。それは最近までの治療者自身による研究の発表というかたちではなく,Temple大学のEnglish, ScheflenらのようにRosenの治療を第3者として側面から長期にわたつて研究し,そこに何が行なわれているかを知ろうとするこころみが始められたことである。これにっいてM. W. Brodyの「直接分析の観察」(1959),A. E. Scheflenの「分裂病の心理療法:直接分析研究」(1961)などの著作がすでに公刊されている。
 他方ヨーロッパにおいては精神医学的現存在分析を初めとする哲学的人間学派からの治療問題に関する発言がようやくめだつたものになつてきた。もつともこの潮流は元来第一義的に治療論ではないから,以上の米国の研究と同列に論じられるものではないし,またすぐさまわれわれが利用できる性質のものでもないが,以上の米国の方法の大部分が「適応」概念によつて代表される,すこぶる楽観的な人間観にもとついていることを考慮にいれるなら,分裂病者を人間の存在様式からとらえようとするみかたは単に批判としての意義のみにとどまらず,分裂病の心理療法に対してなんらかの積極的な寄与をなすことが今後期待される。
 ところでこのような一連の研究は当然また精神分裂病の精神病理学的追求のため有力な手段をわれわれに提供する。つまり分裂病者に対する接近の成功と失敗を通じて,患者の心的力動を確かめることができるし,また神経症者の場合のような文化社会的要因による複雑さが分裂病者の対人的力動ではほとんど拭い去られてしまい,人間の精神発達史上における要因がむき出しの原始的なかたちで露呈されるから,人間理解への恰好の手段となりうる。しかしこの種の分裂病研究の方法にはまた,いくつかの弱点のあることも事実である。疾患単位としての分裂病把握に対する混乱は別としても,分裂病者との接触の不安定性および逆転移の占める大きな比重という問題が治療者側の課題として浮かび上がつてくるとともに,そのコミュニケーションの複雑性は治療者の絶えざる緊張と明敏さを長期にわたつて要求することになる。だがそのような長時間の配慮が要求されるにしても,この方法が今後分裂病の精神病理学的追求に対して多くの可能性を含んでいることは否定できないと思われる。
 またさらにこの研究方法は以前から主張されている分裂病症状を新しい観点のもとでみなおさせもする。たとえばE. Bleulerが分裂病の基本症状の一つにかぞえたAmbivalenzは,その後分裂病症状のすべてをひとつの標識のもとにとらえようとする動向のためにそれほど重視されることなく過ぎたようであるが,心理療法が分裂病者との接触の経験を増すにつれて,分裂病者の対人態度の重要な特徴としてふたたびこの両価性が注目されるにいたつた。そして後述するごとく,操作論的側面からは両極性(bipolarity)として,また家族研究において,とりわけ分裂病因的な母親の研究においては二重結合(double bindedness)として指摘された。
 その結果,こんにちでは分裂病者とある程度の接触ができあがったあとには,いかにして彼らの両価的対人態度に対処するかが治療促進上の決定的契機のひとつになつているといつても過言ではたいほどなのである。
 以下,Fromm-Reichmannの業績,Rosenの直接分析に対する第三者的立場からする研究,操作主義的方法に関連してAmbivalenzについての若干の考察,欧州の精神医学的現存在分析の治療への寄与と,米国の治療方法との比較対照などについて,ごく簡単にふれたいと思う。

研究と報告

分裂病者における表情知覚に関する実験的研究

著者: 鈴本浩二

ページ範囲:P.375 - P.384

 1.音分裂病者におけるempathic abilityを,顔の表情の受け取りかたから実験的・系統的に調べた。20枚の表情写真の実物大映写を実験刺激とし,各100名の被検者からなる正常群・分裂病群について,各表情における感情状態をのべせしめた。
 2.亀分裂病群の一部には表情の受け取りかたにおける誤りの少ないものがみられたが,分裂病群は総体として,正常群よりも誤りが多かつた。一般に表出の抑制された表情が誤られやすく,誤つて受け取られたものが一様に特定の情動のものに歪められるというよりは,むしろ広く各種のものに分散する傾向が示された。その結果,分裂病群は受け取りかたによつて幾つかの型に分けられた。
 3.正常群における実験成績は,被検者の性,年令,教育程度に関係なく,矢田部ギルフォード性格検査による被検者の性格とも関係をもたなかつた。
 4.分裂病群における実験成績とその臨床像との間にある種の関連が見出された。とくに患者の予後との間に興味ある関連が見出された。
 5.分裂病群における実験成績とZテストにあらわされた人格構造との間に,一定の関連が見出された。

Laurence-Moon-Biedl症候群の2症例について

著者: 松本啓 ,   朝田芳男 ,   浜中昭彦

ページ範囲:P.385 - P.388

Ⅰ.緒論
 Laurence-Moon-Biedl症候群(以下L-M-B症候群と略す)とは肥胖症,性器発育不全,網膜色素変性,精神薄弱,指趾過多を主症状とする遺伝性疾患をよんでいる。しかしながらこのような諸症状をすべて兼ねそなえているものは比較的少ないといわれ,多くの研究者によつて以上の諸症状のうちで1〜2の症状を欠如する不全型が報告されている5)11)
 L-M-B症候群についてはLaurenceとMoon(1866)が網膜色素変性をともなう不全型について初めて記載し,Bardet(1920)はさらに肥胖症,性器発育不全,指趾過多をBiedl(1922)は精神薄弱をこれに加えた。以来数多くの症例がおもに眼科医などにより報告されてきた1)3)4)5)6)7)8)9)10)11)14)15)18)。Burn(1950)1)は2例のL-M-B症候群を報告するとともに聾症状が高率に本症候群に出現するのを記載している。われわれは最近本症候群の不全型と考えられる2症例を観察する機会をえたので,ここに報告する。

心因性摂食過多の1例

著者: 木村定 ,   長岡靖子 ,   芦田美彌子 ,   橋本智慧子 ,   永松ルミ子 ,   三好暁光

ページ範囲:P.389 - P.392

I.はじめに
 摂食行為の障害においては,単に身体的要因のみならず,種々の心理的要因,ことに小児にあつては母子間の積極的関係が重要な役割をはたしている。これらの食不能の異常のうち摂食過多Polyphagiaは,神経性食欲不振Anorexia mentalisや異物摂食Picaなどに比べてあまり研究されておらず,ことに成人にあつては,内分泌疾患や,精神薄弱症,分裂病などの場合をのぞいては,その報告例はきわめて少ない。最近われわれは摂食過多を主症状とするヒステリーの症例を経験したので,以下に本症状の有する意義を考察してみた。

森田療法治療過程における要求水準の推移

著者: 大原健士郎

ページ範囲:P.395 - P.399

I.はじめに
 われわれが一つの課題に直面した場合,つねにそれに対して要求しまたは期待をもつものである。そしてこの要求または期待は,われわれの行動の全過程において,刻々に変化しうるものでもある。そのときにおける次回の固有の作業への要求,期待あるいは目標設定の全体を,そのときにおけるその人の要求水準という。この概念は,F. Hoppeによつて初めて実験心理学に導入せられ,Demboによつて紹介された。Hoppeによれば,目標を達成して,それに対応する要求の満足と緊張の解消を生ずる成功体験であろうとまた失敗体験であろうと,そのいずれも作業成績の客観的な成績の良し悪しには依存せず,要求水準の高さに依存している。同一成績であつても,そのときの要求水準の高さによつて,あるときは成功として,またあるときには失敗として体験される。一般に要求水準が存在しない場合には,作業成績はなんら固有の成功,失敗体験を生ぜしめるものではない。
 できるだけ高い要求水準で成功しようとする方向の力を仮りに正の方向の力とすると,なるべく失敗を回避しようとする負の方向の力とは,通常相互に反対の方向を意味するものであるが,いずれも自我水準をできるだけ高く保持しようとする力であり,元来は同一の力学的根本傾向である。清野は,源流を同じくするこの二つの力の衝突から導かれる典型的な葛藤事態が,要求水準移動の種類,方向を決定する根本事態であるとしているが,さらにDemboは,上記正負の二要求のほかに要求水準を次回に達せらるべき作業水準にできるだけ近づけようとする要求があり,以上3種の要求により,要求水準の移動が規定される,としている。J. D. Frankも最低目標,現実目標,希望目標の差をあげて,これらがおのおの,失敗を避けようとする傾向,できるだけ低い目標を選ぼうとする傾向,できるだけ高い目標を選ぼうとする傾向の3つの目標設定に対応するものであると考えた。
 この論文においては,森田神経質症の診断のもとに,森田式入院治療を受けた38名の患者の人院時,起床時,退院時の各時期における要求水準の変化を観察し,考察した。

Phenothiazin誘導体併用によるInsulinけいれん療法

著者: 藤田貞雄 ,   河村国高 ,   小笠原健彦

ページ範囲:P.401 - P.404

 1)激しい興奮,あるいは躁状態が長期間続き精神病治療薬,電撃療法で効果の少ない患者9名に種々のphenothiazin誘導体の投与を行ないつつInsulinを注射し,けいれんをおこさせることによつて,劇的に興奮や躁状態の消槌をきたすことを見出した。
 2)積極的にけいれんをおこさせるInsulin療法をInsulinけいれん療法と名づけた。
 3)激しいけいれんをきたすので,危険を予想したが,結果は原法に比べてはるかに安全で,Insulin昏睡による後遺症も少なく,患者に与える苦痛も少なかつた。

新抗幻覚剤Rubigenの臨床治験

著者: 田中善立 ,   秋谷浩 ,   清水隆磨 ,   芦谷博幸

ページ範囲:P.405 - P.408

Ⅰ.まえがき
 HallucinogeneまたはPsychosomimeticaによつて誘起された人工精神障害の阻害剤がいわゆる抗幻覚剤(Anti-hallucinogene)である。AzacyclonolすなわちFrenquelは最初,LSD25による人工精神障害の阻害剤として特徴的効果があることがFabing1)により報告された。以来,抗幻覚剤というとFrenquelのことをさすようになつた。最近,さらに特徴的抗幻覚剤として,Phenothiazine系誘導体に属するFluphenazine(Flumezin)があげられよう。このように,特殊症状に対する治療薬の出現が,現在の精神疾患治療学にとつて重要なことではないだろうか。今回,われわれは上述の抗幻覚剤のいずれとも異つた化学構造を有する一新抗幻覚剤Rubigen(Rol-9569 NITOMAN Tetrabenazine)を,弘前大学神経精神科において使用する機会をえた。その臨床治療経験はなお浅いとはいえ,精神科薬物療法2)に一つの進歩をもたらすごとき結果をえたので,つぎにその使用経験のあらましと臨床成績とを報告する。

てんかんに対するGEMONILの使用成績

著者: 佐藤久 ,   光川ウメ子 ,   丹道男

ページ範囲:P.411 - P.414

Ⅰ.緒論
 てんかんに対する治療は古くはBrom剤がもつぱら使用されていたが1912年にPhenobarbitalが導入されたのを初めとし,最近10年余の間にはProminal,Aleviaiatin,Minoaleviatin,Mysolin,Phenuron,などがつぎつぎと出現しこの難病の治療を容易にしてきた。しかしこれらの薬品をいかに駆使すれども,患者の約1/3は発作から完全に解放されることなく病苦の責めを負つているのが現状である。それゆえにさらに強力で安全度の高い新薬の出現が望まれている現況である。
 Gemonil(Metharbital)は,1950年Perlstein1)BARBITAL系の抗てんかん剤の化学構造式によつて初めて臨床報告がなされたBarbital系の抗てんかん剤である。PerlsteinによるとGemonilは真正てんかんよりむしろ器質性病変にもとづくてんかんに対して効果があるという。われわれは,大日本製薬より本剤の提供を受け,2ヵ月間にわたり試用できた。短期間,かつ少数例ではあるが,その成績を報告する。

動き

精神医学領域におけるPhysical Therapyの趨勢(2)—第3回世界精神医学会議に出席して

著者: 広瀬貞雄

ページ範囲:P.415 - P.422

 New Yorkから大西洋を横断してLisboa(Portugal)に飛んだのが6月24日であるが,ご承知のとおり,LisbonはPsychosurgery発祥の地であり,PsychiatryのProfessorであるH. J. Barahona-FernandesとNeurosurgeryのProfessorでCentro de Estudos Egas MonizのDirectorをしているAlmeida Limaの大歓迎をうけ,6月26日の午後3時から同講堂でPsychosurgeryの講演をさせられた。幸い夏休み前であつたのでLisbon大学医学部の教授や助教授が多数聴講してくれ,いろいろと質問があり反響があつた。その記事が翌朝の新聞DIARIO de NOTICIASにのり,また,Portugalの医学雑誌O Médico(No. 516,July 20,1961)にもその要旨が掲載された。
 Barahona Fernandesは若いころドイツに留学し,KleistやKurt Schneiderの所でGehinpathologieやPsychopathologieを勉強した人で,Lobotomy後の人格変化をregressive Syntonisierungとよんだのも彼である。Montrealでも彼は,PsychopharmacologyのChairmanをやらされたり,Atypical endogenous psychosesのpanel discussionで発言したりして活躍していた。LimaはかつてMonizの片腕となつて働いた人で,1935年にMonizのideaを実行に移して,初めてprefrontalleucotomyを人間に行なつたのも彼の偉大なる業績のひとつである。現在ここではLobotomyはほとんど行なわれておらず,Moniz以来Portugal全体で350例くらいしか手術されていないという話を聞いてちよつと意外に思つたのであるが,Monizの偉大な業績は1949年度のNobel賞受賞を記念して1953年に新築されたHospital de Santa Maria(1,600床からなるLisbon大学付属病院)の中にCentro de Estudos Egas Monizとして永久に残されており,資料室には,Antonio Egas Moniz. För hans upptäckt av den Prefrontala Leukotomiens Terapeutiska värde vid vissa psykoser.(精神病に対して価値のある前頭葉白質切截術の発見に対して)。Stockholm den 27 October 1949. Kungl Karolinska Mediko-Kirurgiska Institutetと記されたNobel賞を初めとして数々の賞状が飾られており,彼の考案したLeucotomeやAngiographyに使用した器具が大切に保有され,血管撮影を行なつた100枚近く行のみごとなレントゲン写真が順序よく並べられていた。彼の生前の著書の中には多くの専門書のほかに,AVIDA SEXU-ALを初めとして,wineやトランプに関する著書もあり,中年のころ革新派内閣の外務大臣をつとめたという変わつた経歴をもつ活動家としての面目躍如なるものが偲ばれた。Babinski宛の書簡の中にParkinsonismusのTremorやRigiditatに対する脳手術の構想が記されたものが保存されていたのをみて,かかる症候群に対する昨今のStereotaxic encephalotomyの急速な進歩を考えると感慨ひとしおのものがあつた。しかし,彼の旺盛な意欲も,政治力によつてそのロイコトミーですら迫害を受けたのである。すなわち,反対党に所属する精神科の教授Sobral Cid (1941歿)によつて,あらゆる角度から,あらゆる手段をもつて迫害を受けたための影響が尾を引き,発祥の本国ポルトガルでは,わずかに350例をもつて正にピリオドをうたれようとしているが,彼の功績はNobel賞に輝やき,世界中で追試されたのは,すでに諸家の熟知するところである。Monizの最初からの共同研究者Limaは,Portugalが世界に誇れるものはFish, wine and leucotomy!であると私に語つた。

紹介

Kurt Kolle:PSYCHIATRIE

著者: 島崎敏樹 ,   小見山実

ページ範囲:P.425 - P.429

 ここに紹介するのはKurt Kolleの「Psychiatrie」の第5版(1961)である。彼は1898年生まれ,1952年にKraepelin,Bumke,Stertzと続くMunchen大学精神神経科教授に就任している。その業績をみると,精神療法,性精神病理学,妄想論,精神医学における遺伝学的方面,社会的方面など広汎である。この教科書にもこうした広い知識が豊富におりこまれている。
 総頁数は418頁で,本文は総論,各論,応用精神医学,科学としての精神医学の4部に分かれている。本文の記述のしかたは,ちようど講義をしているように,具体的な症例をあげながら問題を考察していき,主要点を一括して各項の初めに掲げてある。本文の後には約20頁にわたる註解がつき,文献と本文をさらに進めた考察が加えられているのが特徴となつている。

“Founders of Neurology”から(3)

著者: 安河内五郎

ページ範囲:P.431 - P.432

Cral Weigert(1845-1904)
―K. T. Neuburger
 Carl WeigertはドイツSilesia地方Münstenbergの産。Breslau,Berlin,Viennaの各大学で医学を修めたが,生理のHeidenhainと解剖のWaldeyerからとくに強い感化を受けたという。1868年卒業と同時にBreslauでWaldeyerの下に助手となる。1870年から71年にかけての普仏戦争中は,現役として軍務に服し,その後Breslauの臨床医Lebertの下で働いたことがある(1871-73)。1874年Weigertの天然痘の病理に関するがつちりした論文を読んですつかり敬服したCohnheimが,Breslauの病理研究室における彼の最初の助手となつた。1878年WeigertはCohnheimとともにLeipzigに転じたが,1879年には早くもそこの病理の助教授に栄進した。1885年(そのころCohnheimはすでに他界していた)Frankfurt-am-Meinに移りSenckenbergの病理学解剖学研究所の病理部長の任についた。この「研究所」は設備の悪い古い一民家にすぎなかつたが,1900年代の初めごろはWeigertのほか他の部門の主任にはEhrlichとEdingerがいて,これら3人の大物―もの静かな思索家で努力型のWeigert,闘志溢れる元気者のEhrlich,つねに新しいアイデアを着実に実行に移していくEdinger―を擁して,ドイツの国内の他の大学に比べ決して遜色のないものであつた。
 Weigertは約40年にわたる間に100篇ほどの論文を発表している。彼の最初と,そして最後の論文はどちらも神経系に関するそれである。最初のものは彼の学位論文であつて「De nervorum lesionibus telorum ictueffectis(銃創による神経の損傷について)」と題するもの,最後のそれは脊髄癆における脳病変についての論考である。彼は細菌の染色を最初に手がけた1人でもある(1871)。炎症,凝固壊死,結核のpathogenesis, Bright氏病,神経喰細胞のmorphologyおよび細胞のbiology等々に関する彼の諸研究は,われわれ後進にとつて有益な指標となるばかりでなく,彼の興味の範囲が病理学のあらゆる領野にまたがつていたことを物語る。彼は細胞の性質や機能を調べることよりも,細胞を染めることのほうに興味をもつていたなどといわれるけれども,彼を単なる染色方法の発見者にすぎないとみるのは大まちがいだ。しかし神経学において彼の名を不動のものとしたのは彼の染色法であることもまた事実である。Weigertはアニリン色素を導入したが,このことについては,彼がEhrlichのいとこであつたということは単なる偶然以上のものがあつたろうと思われる。彼はまたSchiefferdeckerによつて1882年に始められたチェロイジン包埋の方法を完成した。彼による線維素,弾力線維,髄鞘,膠質細胞などの染色法やヘマトキシリン-van Gie son染色の変法は,いまもなお各地の一般および神経病理の研究室で役だつている。髄鞘染色の手技はクローム塩を媒染剤とすれば,髄鞘が選択的に酸性フクシンまたはヘマトキシリンに染まるという彼の観察にもとづくものであるが,この方法によつて幾多の脳および脊髄疾患への究明の道が新たに開かれたのである。膠質細胞の染色法はWeigertにいわせると「悲運の子」であつた彼は1895年にこれを発表する前に7年間研究をかさねている。そしてそれを改良するのにさらに9年間を要した。Weigertは弟子のRaubitschekにしばしばいつたという「こんど発表した染色法に自分は10年もかかつたよ。だけどこいつの変法を誰かが3週間もかからずに考え出すかもしれんなあ。それでも別に驚きはしないがね……」と。AlzheimerがかつてWeigertを評して「われわれのための道具をわれわれに作つてくれる名匠」といつたのは決してまちがいではなかつたようだ。

海外文献

精神病と遺伝問題—Penrose, L. S.: Discussion on implications of recent genetic research in psychiatry

ページ範囲:P.373 - P.373

 精神疾患について生化学的な知見が進んでいるが,生化学的異常を招く酵素変化は染色体に存在する。いままでのところでは染色体の数と形の変化が開拓されているにすぎない。さて正常の常染色体は22対,性染色体は♂XY,♀XXであることが,骨髄・末梢血・上皮・間質の細胞についてそれぞれ確められている。その数の異常ではhaploid(23個),tetraploid(92個),triploid(69個)などが人体のある種の細胞で報ぜられている。aneuploidは植物にはあるが,動物では発育を許さぬようである。染色体の構造が変わつているのは人体でもみられる。さて,知能発育障害・パラノイドをともなうKlinefelter症候群(性腺無形成)では,性染色体がXXYでXが1個多い。時にはYに異常のあることもある。モンゴリズムは肉体的にさまざまの奇形・異常があり,また知能障害をもつが,その常染色体は第21番が3個(trisomy)ある。これはたぶん,配偶子形成時の母親の年令が老いていて,減数分裂のときにXの1個が分裂しないために発生するのであろう。モンゴールの精神機能は精神病に類似している。以上のような染色体異常は偶然発生ではあるまい。随伴体をつけている第13,14,15,21などの染色体では分裂障害をおこしやすいとみえる。第13〜15番あたりの染色体のどれかにtrisomyがあるという先天奇形が見出されているからである。モンゴリズムとKlinefelterとが同一人におこることもある。これはXと21番のnondisjunctionである。母親の年令が老いているためと思われるのは3/4で,残る1/4はたぶん遺伝的と思われる。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up
あなたは医療従事者ですか?