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紹介
“Founders of Neurology”から(4)
著者: 安河内五郎1
所属機関: 1福岡県精神衛生相談所
ページ範囲:P.597 - P.600
文献購入ページに移動 Hugo Karl Liepmann(1863〜1925)K. Goldstein
Hugo LiepmannはBerlinの教養ある裕福なユダヤ系の家の息子として生まれた。初め哲学を修め,LeucippusおよびDemocritusの原子論に関する学位論文で文学博士の称号をえている。その後Schopenhauerに関しても論文を書いた。彼は哲学的な問題に深い興味をいだいていたが,それだけでは自ら満足できなくなり,より真実なもの,より確かなものを求めてついに自然科学と医学に転じた―と彼の友人の1人が書いている。彼は新カント主義哲学者としての名声を文字どおりなげうつて,解剖学者となるべくWaldeyerの門をたたいた。しかし彼の心の奥底には哲学への情熱が消え去つていたわけではない。そのことはのちに彼が,思考の過程と行為におけるideationの役割の解明という心身問題に,とくに深く興味を示したことからも明らかである。
Liepmannは1894年医師試験合格後しばらくの間精神科のJollyの下に助手として働き,同時にWeigertについて解剖学の勉強をした。のちBreslauに行きWernickeの薫陶を受ける。彼は最初は彼の師を非常に尊敬してその教えを受けていたが,のちにその説から離れ,根本的な点で強く対立することとなつた。
Hugo LiepmannはBerlinの教養ある裕福なユダヤ系の家の息子として生まれた。初め哲学を修め,LeucippusおよびDemocritusの原子論に関する学位論文で文学博士の称号をえている。その後Schopenhauerに関しても論文を書いた。彼は哲学的な問題に深い興味をいだいていたが,それだけでは自ら満足できなくなり,より真実なもの,より確かなものを求めてついに自然科学と医学に転じた―と彼の友人の1人が書いている。彼は新カント主義哲学者としての名声を文字どおりなげうつて,解剖学者となるべくWaldeyerの門をたたいた。しかし彼の心の奥底には哲学への情熱が消え去つていたわけではない。そのことはのちに彼が,思考の過程と行為におけるideationの役割の解明という心身問題に,とくに深く興味を示したことからも明らかである。
Liepmannは1894年医師試験合格後しばらくの間精神科のJollyの下に助手として働き,同時にWeigertについて解剖学の勉強をした。のちBreslauに行きWernickeの薫陶を受ける。彼は最初は彼の師を非常に尊敬してその教えを受けていたが,のちにその説から離れ,根本的な点で強く対立することとなつた。
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