icon fsr

雑誌目次

論文

精神医学40巻3号

1998年03月発行

雑誌目次

巻頭言

改定GCPと新しい臨床試験の在り方

著者: 青葉安里

ページ範囲:P.232 - P.233

 我が国における臨床試験は今不幸な時代にある。医薬品メーカーは新薬の開発を躊躇し始め,また医療機関や多くの医師たちは,臨床試験から一定の距離を置くようになってきた。いわば臨床試験の空洞化といわれる現象が起こっているのである。この空洞化をもたらしたものは何か。ここ数年,我が国では臨床試験データの改ざん,ねつ造といった事件,また血液製剤で代表される臨床試験の私物化,さらには臨床試験の経費にかかわるスキャンダルなどが散発的に起こり,それを多くのマスコミが報道してきた。これらの多くは,あたかも我が国における臨床試験のすべてが悪質なものであるといったようなネガティブキャンペーンであった。臨床試験バッシングである。
 1997年4月,厚生省は旧来の医薬品の臨床試験の実施基準(Good Clinical Practice;GCP)を省令として改定した。これは我が国のGCPを欧米とハーモナイズさせることにより,臨床試験の質を飛躍的に向上させることに眼目がある。具体的には試験プロトコールを厳密に審査するための治験審査委員会(Institutional Review Board;IRB)の構成メンバーを整備すること,薬事法に裏打ちされた形で臨床試験の監視機能を高めること,そして倫理的な側面から患者の人権を厳守すること,という3点が改定GCPの柱となった。これを完全に遵守することによって,我が国の臨床試験の質は飛躍的に向上するはずである。患者の人権も確保されるであろう。しかし,空洞化といわれるほどの我が国における臨床試験の現状と,新しく改定されたGCPの目指すものとの間にはあまりにも大きな隔たりがある。

展望

摂食障害の長期的転帰とcomorbidity

著者: 加茂登志子 ,   笠原敏彦

ページ範囲:P.234 - P.246

■はじめに
 Hsu45,46)とSteinhausen81,83)はanorexia nervosa(以下AN)の予後予測因子を含めた追跡調査follow-up studyの先駆的存在であるが,この両者がそろって,10年に満たない短い期間に自身の総論の再評価を試みたことからも,この研究領域の混乱した状況と資料の膨大さをうかがい知ることができよう。Russell76)は転帰調査の結果がまちまちである要因として,主に(1)ケース選択におけるバイアスと,(2)診断基準,方法論のバイアスの問題を指摘したが,Hsu46)はこれに(3)調査期間のバイアスを追加している。
 ケース選択における問題として,Vandereyckenら96)は摂食障害の治療で知られる専門的なセンターには長期化した難治例が紹介される傾向にあったり,またセンター側でもすべての患者を受け入れるわけではないこと(例えば病歴の長い患者,複雑な病歴を持つ患者など治療に困難が予測される患者の排除など),また治療やfollow-upからドロップアウトをするケースが比較的多いものの,これらの症例についてはほとんど調査されないことを挙げている。診断基準に関して問題を複雑にしているのは主としてbulimia nervosa(以下BN)の登場である。周知のようにBNはRussell77)によって提案された用語であるが,その診断基準はDSM-IIIのbulimia以来混乱し(BNという用語が採用されたのはDSM-III-Rからである),あたかも内因性精神病におけるKraepelinの二分法のようにANとBNの境界は常に論争の的であった。またFairburnや笠原のように,相互移行的,重複的な臨床形態として1つのスペクトラムを形成しているとする立場をとるものも多い。方法論としては他の精神疾患領域の研究と同様,多面的なバッテリーを駆使したprospective研究が望まれている。また調査期間については,ANが周期的な軽快と再発の起伏を伴う経過をとる慢性疾患であり,治療の直後の改善がそのまま直接的に長期の治療成果に反映するとは限らないことから,最低4年間のfollow-upがMorgan & Russell65)によって推奨されている。これは,BNにもまた言えることであろう。

研究と報告

ビデオ画像変形身体イメージ測定装置とEating Disorder Inventory(EDI)で評価した摂食障害患者の身体イメージについて

著者: 中井義勝

ページ範囲:P.247 - P.252

 【抄録】自家開発したビデオ画像変形身体イメージ測定装置とEating Disorder Inventoryを用いて摂食障害患者(123例)の身体イメージを評価し,健常女性(80例)と比較した。自己像を,神経性無食欲症(AN)は過大評価せず,神経性大食症(BN)は過大評価したが,健常女性と有意の差がなかった。体重率で補正した理想像の認知指数は不食型AN(AN-R),大食型AN(AN-B),AN既往BN(BN-A)で健常女性に比し小さく,アンケート調査では明らかとならない潜在的なやせ願望の存在が明らかとなった。今回の成績から身体イメージの認知は,現在の体型の影響を受けること,身体イメージ測定装置は摂食障害患者,特にAN-Rに潜在的に存在するやせ願望の評価に有用であることが示唆された。

非行少年における親の養育行動認知の特徴—EMBU調査票を用いた高校生との比較

著者: 門脇真帆 ,   染矢俊幸 ,   高橋三郎

ページ範囲:P.253 - P.261

 【抄録】日本語版EMBU(Egna Minnen av Barndoms Uppfostran)調査票を,少年院に収容されている非行少年と普通高校に通う男子生徒に実施した。一人っ子を除くそれぞれ56名と112名を分析対象とし,非行少年における親の養育行動認知の特徴を高校生との比較により明らかにした。その結果,各下位尺度得点の分析では,非行少年は高校生に比べて両親の「過保護」得点が高いことが示された。各下位尺度に含まれる項目別得点の分析では,懲罰的・拒否的・過干渉的・本人をひいきする養育行動を表す項目については,非行少年が高校生よりも得点が高く,支援・本人の意思を尊重する養育行動を表す項目については,非行少年が高校生よりも得点が低かった。

非言語的フィードバックが精神分裂病患者の注意機能に与える効果—Continuous Performance Testにおける指標を用いた分析

著者: 石垣琢麿 ,   丹野義彦

ページ範囲:P.263 - P.269

 【抄録】精神分裂病の注意障害を鋭敏に反映するといわれているContinuous Performance Testに非言語的フィードバックを加え,精神分裂病患者の認知と行動の変化を観察した。また,信号検出理論から導かれる弁別力の指標d'の変化と,陰性症状評価尺度(SANS)との関連について調べた。聴覚,視覚フィードバックは,Continuous Performance Testにおける正反応数とd'を有意に改善させた。時間フィードバックでは,かえって成績が悪化する傾向がみられたため,刺激提示の時間的不規則性に対する脆弱さが考えられた。また,聴覚フィードバック条件でのd'とSANSの非社交性得点に高い相関があり,注意障害が社会的活動に影響を与えていることが示唆された。

キセノンCTによる精神分裂病患者の局所脳血流について

著者: 森和彦 ,   寺本勝哉 ,   長尾正嗣 ,   原田能之 ,   柏木紀代子 ,   入澤卓 ,   長尾邦雄 ,   藤川徳美 ,   横田則夫 ,   堀口淳 ,   山脇成人

ページ範囲:P.271 - P.277

 【抄録】精神分裂病患者101例(分裂病群)にキセノンCTを用い安静時の局所脳血流を測定し,健常者21例(正常対照群)と比較した。分裂病群は後頭部を除いて正常対照群より有意に大脳全般の脳血流が低下していた。両群とも加齢により脳血流は低下するが,その度合いは等しかった。また局所脳血流に影響を与えると思われる因子について重回帰分析を用い検討した。その結果,抗精神病薬の服用量は,左右の視床の血流と有意な回帰関係にあった。抗精神病薬の服用量と視床の血流との有意な負の相関から,抗精神病薬が視床を介し精神症状に効果的に作用する可能性が考えられた。

成人病による慢性脳障害の画像疫学—第2報:大脳白質・基底核・脳幹障害の危険因子群のロジスティック解析

著者: 苗村育郎 ,   菅原純哉 ,   菱川泰夫

ページ範囲:P.279 - P.287

 【抄録】計1,311例の精神科受診者でみられたMRI上の脳障害を分類し,これらに関与する可能性のある成人病などの危険因子を,ロジスティック回帰分析によって検討した。その結果,(1)高血圧は,大脳白質と基底核領域において,ラクナ(LI)やleukoaraiosis(LKA),T2 high intensity spot(T2 spot)などを生じさせる傾向が著明であるほか,側頭・海馬の萎縮とも有意な関係を持つことが示された。(2)アルコール過飲は,前頭・側頭の萎縮と脳溝および脳室系の拡大を生じる傾向が強い。(3)高脂血症はアルコール過飲と同様の前頭萎縮を生じるほか,大脳白質の外縁部と基底核領域にT2 spotを出現させる傾向がある。(4)糖尿病は,橋底部のLKAおよび大脳白質のLIと関連する。(5)基底核のLIとLKAは痴呆に有意な関連を持つ。大脳白質のLIとT2 spotは,grade 2以上であれば痴呆に関連することが示された。

Trazodone 150mg投与中に生じたセロトニン症候群の1症例

著者: 佐藤俊樹 ,   濱村貴史 ,   李陽明 ,   山田了士 ,   秋山一文 ,   黒田重利

ページ範囲:P.289 - P.294

 【抄録】71歳男性。肺気腫による在宅酸素療法中,うつ状態となり,trazodoneを300mgまで使用。肺炎による著しい低酸素状態のため6日間の向精神薬中止の後,trazodone 150mg,sulpiride 100mgを再開したが,せん妄,四肢のミオクローヌス,振戦,軽度筋固縮,微熱が出現,血液生化学検査は異常なし。セロトニン症候群と判断,trazodoneを中止しtiapride投与にて,早期に症状改善した。頭部CTで前頭葉,側頭葉に中等度の萎縮を認めた。本症例は,慢性の低酸素状態,脳萎縮という脳機能の脆弱性を基盤として,常用量のセロトニン作動薬単剤投与によってセロトニン症候群が起きたと考えられた。

クモ膜嚢胞や巨大大槽を認めたパニック障害—4症例の報告

著者: 清田晃生 ,   穐吉條太郎 ,   山田久美子 ,   堤隆 ,   五十川浩一 ,   郭忠之

ページ範囲:P.295 - P.301

 【抄録】パニック障害でクモ膜嚢胞または巨大大槽を伴う各2症例を報告した。これは当科外来パニック患者87名の2.3%に相当した。脳ドック受診者との比較では,巨大大槽は脳ドック受診者より有意に多かった。当科外来の大うつ病,精神分裂病患者との間には有意差はなかった。
 クモ膜嚢胞の1例は側頭部に存在し辺縁系や脳幹部を圧排しており,このことが発症に関与している可能性があると考えられた。他の1例は後頭蓋窩に存在し,小脳の軽度圧排を認めた。巨大大槽の1例でも小脳の軽度圧排がみられ,解剖学的観点などから,小脳とパニック障害との関連の有無が今後の問題として考えられた。

短報

Carbamazepineに関連する無菌性髄膜脳炎を併発した自閉性障害の1症例

著者: 石川正憲 ,   水上勝義 ,   白石博康

ページ範囲:P.303 - P.306

 無菌性髄膜脳炎は細菌や真菌が原因ではない髄膜炎を総称し,そのほとんどはウイルスが原因と考えられているが,近年,薬剤起因性の無菌性髄膜炎の報告が少数ながら散見されるようになった。今回我々は易刺激性,興奮,てんかん発作などを認めた自閉性障害の患者の治療にcarbamazepineを投薬した後に無菌性髄膜脳炎を呈した1例を経験した。これまでcarbamazepineによる無菌性髄膜炎の報告は極めて少なく2,6〜8,11,13),貴重な症例と思われたのでここに報告し,若干の考察を加えた。

せん妄に重なって嫉妬妄想を呈した老年期の2症例

著者: 藤本敦子 ,   岩井一正 ,   石金朋人 ,   中田潤子 ,   加藤温 ,   山方里加 ,   横山恭典 ,   笠原敏彦

ページ範囲:P.307 - P.309

■はじめに
 老年期の妄想状態に関しては,これまで脳血管障害や痴呆などとの関連から論じられることが多かった。しかし我々は,身体的要因,心理的要因および環境的要因など多方面から統合的に理解する必要のある嫉妬妄想を呈した老年期の2症例を経験した。本稿では,その発症機序や治療経過などについて若干の考察を加え報告する。両症例とも,心筋梗塞や肺炎といった身体疾患のために入院し,その後せん妄状態を呈した。さらに各種の心理的要因が加わり,嫉妬妄想を発症したと考えられた。

胃切除4年後に発症したウェルニッケ脳症の1例

著者: 岡田真一 ,   中里道子 ,   井上博 ,   榊原隆次 ,   山内直人 ,   児玉和宏 ,   佐藤甫夫

ページ範囲:P.311 - P.314

■はじめに
 ウェルニッケ脳症の誘因として,アルコール大量摂取のほかにまれではあるが,妊娠悪阻3),絶食によるもの2),不適切な中心静脈栄養によるもの6)などが報告されている。
 最近我々は,胃切除4年後に通常の生活をしていたにもかかわらずウェルニッケ脳症を発症した1例を経験した。症状が比較的軽度であったため診断が遅れたが,幸い予後は良好であった。自戒をこめて若干の考察とともに報告する。

紹介

英国における触法患者に対する法律体系と病院ネットワーク—1症例を通じて

著者: 堀彰

ページ範囲:P.315 - P.319

■はじめに
 英国の精神保健法1983年(Mental Health Act 1983)1,4,7)の強制入院に関する民事的条項には,第2条(評価のための入院),第3条(治療のための入院)および第4条(緊急入院)がある。触法患者の強制入院に関する条項には,第35条(被告人の精神鑑定のための病院移送),第36条(被告人の治療のための病院移送),第37条(入院命令),第41条(制限命令),第47条(拘留中の受刑者の病院移送),第48条(拘留中の被告人等の病院移送)および第49条(制限命令)がある。一方,保安を要する患者のための医療施設としては,高度保安施設である特殊病院,中等度保安施設である地区保安病棟および軽度保安施設である一般精神病院の「集中治療病棟」がある2,3)
 本邦においては英国の精神保健法についての解説12)および保安病棟についての紹介8,10,11,13)がみられるが,触法患者らの処遇に対する精神保健法と保安施設の実際についての報告はみられない。筆者は1995/1996年の1年間,ロンドン大学の司法精神医学の大学院課程に留学した際に,実際の症例を観察する機会があった。そこで,どのようにして法律体系と病院ネットワークが有効に機能しているか,症例に基づいて紹介する。

特別寄稿

APA分裂病治療の臨床指針—概要と解説

著者: 井上新平 ,   岡田和史 ,   泉本雄司 ,   掛田恭子 ,   西原真理 ,   喜井大

ページ範囲:P.321 - P.330

■ガイドラインの概要
 APA(American Psychiatric Association)は,過去に大うつ病や摂食障害の治療についての指針を出しているが1,2),今回は分裂病の治療指針がまとめられた3)。作業の過程は,(1)分裂病の臨床と研究に携わる精神科医による作業グループが第1次草稿をまとめた,(2)包括的な文献レビューが行われた,(3)15の機関と90人による広範な見直しをもとにいくつかの草稿が作られた,(4)さらに3年から5年かけて修正作業が行われたというものである。文献収集には,MEDLINE,PsycLIT,MEDLARSが用いられた。
 ガイドラインの構成を表1に示した。「前文」でガイドラインを読むにあたって精神科医が心得るべき事柄について簡単に触れられ,次いでここで扱われるのは18歳以上の患者であると断られている。さらに上述の作業過程が手短にまとめられている。続いて「推奨する治療の要約」が書かれているが,これがもっとも参照しやすい。「治療原則と選択肢」と「治療の計画と実行」の項目では各論的な内容が詳しく書かれているが「推奨する治療の要約」は「治療の計画と実行」の忠実な要約である。「定義・自然史・疫学」では疾患概念的なことが述べられ,「治療に影響する臨床的・環境的特徴」では別の切り口で臨床的に重要な事項が扱われる。最後の「研究の方向」ではこれから重視されるべき研究方向が短く述べられている。

シリーズ 日本各地の憑依現象

山陰地方の狐憑き

著者: 福間悦夫

ページ範囲:P.331 - P.334

 古代山陰道は神々の歩いた道である。古事記によると,大国主命は出雲(島根県)から伯耆(鳥取県)を経て因幡(同)へとたどり,傷ついた兎を癒すことによって記録に残る我が国最初の医薬医療の施術者となった。“八雲立つ”と謳われる出雲はこうした神話のふるさとであり,素朴な信仰や伝承が生き続けるところであったが,やがてこの地を中心に我が国でも特異な社会病理が生じ地域を被うことともなった。人びとを不安に駆り立てた狐憑きもその1つである。
 まず,昭和30年代後半から40年代初期(1960年代)にかけて山陰地方で私の遭遇した事例を挙げてみたい。

動き

「第27回日本脳波・筋電図学会学術大会」印象記

著者: 松岡洋夫

ページ範囲:P.336 - P.337

 第27回日本脳波・筋電図学会学術大会は,九州大学医学部脳研臨床神経生理教授の加藤元博会長,同医学部神経精神医学教授の田代信維副会長のもと,1997年11月19〜21日に福岡市のアクロス福岡において開催された。
 この学会の歴史は古く,前身の“日本脳波学会”は1952年に発足し,これから通算すると今回の学会は実に46回目となる。会員数は3,000人近くにも及び,臨床神経生理学を中心に,精神科,神経内科,小児科,脳神経外科,整形外科,麻酔科,耳鼻科,眼科やさらに基礎系の専門家も参加するユニークな学際的学会である。

「第17回日本精神科診断学会総会」印象記

著者: 平島奈津子

ページ範囲:P.338 - P.339

 第17回日本精神科診断学会総会が1997年11月14,15日の2日間にわたって,日本大学会館大講堂(東京)で開催された。
 日本精神科診断学会は,1981年に発足した精神科国際診断基準研究会が1992年に学会に移行したものである。本学会の前身である研究会は,我が国に国際診断基準を導入すべく,その検討と研究を主軸としてきた。本学会も設立当初はその流れを汲み,国際診断基準に関する研究が主要なものとなっていたが,国際診断基準が普及し,臨床場面で用いられるようになった現在,学会々員の関心は国際診断基準だけにとどまらず,精神科診断に関する幅広い領域に向き始めている。そのような近年の動向を背景にして,今年度の学会総会は日本大学の小島卓也会長のもと,「精神科診断に関する幅広い研究を討論する場」として位置づけられて開催された。

書評

—カプラン HI,サドック BJ編著/融道男,岩脇淳監訳—臨床精神医学ハンドブック

著者: 岩崎徹也

ページ範囲:P.341 - P.341

 このたびH. I. Kaplan,B. J. Sadock編著による“Pocket Handbook of Clinical Psychiatry第2版,1996年”が邦訳・出版された。本書の親本である“Comprehensive Textbook of Psychiatry”は1967年に初版刊行以来,精神医学の発展を忠実に取り入れながら,30年間に6回の改訂,増補を重ね,今や3,000頁を超える大著に成長している。その間一貫して,アメリカにおける現代精神医学の最も標準的な教科書として評価され,国際的にも学問的,臨床的な意義を果たし続けている。一方,この教科書には初版以来Synopsis,つまり要約版が刊行されており,我が国でもその第7版が1996年に順天堂大学精神医学教室の諸氏によって『カプラン臨床精神医学テキスト』として翻訳出版されている。このたび,東京医科歯科大学神経精神医学教室の融道男教授らの監訳によって刊行された本書,『カプラン臨床精神医学ハンドブック』は,それをさらに要約して携帯にも便利なようにした原著,“Pocket Handbook of Clinical Psychiatry,1996年”を邦訳したものである。原著者が序文で述べているように,本書は親本のいわば「エキス」のようなものである。「DSM-IV診断基準による診療の手引」という副題にも示されているとおり,内容はDSM-IVの診断分類に沿って構成されている。我が国の精神科臨床にDSMが浸透している現在,第一線で活動する精神科医,レジデントが白衣のポケットに入れて常用するのに大変便利な一書であるのみならず,医学生,心療内科医,臨床心理士,ケースワーカーなどにとっても,精神医学の基礎を正しく系統的に把握するのに大変使いやすい手引き書である。
 DSM-Ⅳで挙げられている各障害について,概説(定義,歴史),症候論,診断,病型,疫学,原因論,検査,鑑別診断,経過と予後,治療などが,要領よくまとめられている。またそこでは生物学的視点から,精神力動論や社会的なかかわりまで,公平にとらえられている。文章は簡潔,明快な箇条書きが多く,また約100に及ぶ表が用いられていて,読者の整理を助けてくれる。本書を読む過程でさらに深い知識を求める場合のために,各章ごとに親本の相当箇所が明示されているばかりでなく,本訳書には上記Synopsisの邦訳書,つまり『カプラン臨床精神医学テキスト』で相当する部分も加えられており,我が国の読者にとって親切な配慮がなされている。

—Springer SP,Deutsch G著/福井圀彦,河内十郎・監訳—左の脳と右の脳 第2版

著者: 岩田誠

ページ範囲:P.342 - P.342

 一時期,「右脳思考」という言葉がはやったが,今でもそのような言葉が使われることは稀ではない。個人のレベルでも,社会のレベルでも,思考が行き詰まってしまった時には,発想の転換が必要になる。そんな時に突然,思いもかけなかったすばらしいアイディアが浮かび出てくると,どういうわけだかそれは「右脳思考」であるとされることが多い。一般社会の「科学的」常識では,論理的,演繹的な思考に対する直観的な水平思考は右半球の働きであると信じられているようだ。一方,「脳の右側で描け(Drawing on the Right Side of the Brain)」という有名な本を著したBetty Edwardsの絵画教育は,造形芸術の実現が右半球の所産であるという信念に基づいている。しかし,彼女の提唱する描画の学習法は極めて分析的,かつ論理的であり,決して直感に頼った感覚的描画法を教えてはいない。したがって,彼女の提唱する描画教育の結果,ヒトは本当に右脳で描くようになるのかどうか,それははなはだ疑問である。これらの考え方は,様々な局面において困難に立ち向かった場合,新しい発想法により自らの能力を飛躍的に高め,その困難を一挙に解決したいとの願いを実現してくれる「右脳信仰」の表れなのである。
 ヒトの精神活動の基盤となっている様々な知的機能を,左右の半球に各々分担させて考えることを,二分法(dichotomy)理論という。失語症の病変はほとんどが左半球にあるため,ヒトの言語機能は左半球に偏在しているであろうと考えられたことに対し,それでは右半球は何をしているのだ,という問題が浮かび上がってくる。これに答えるために様々な臨床的事実や実験結果が蒐集された結果,左半球と右半球には,それぞれ反対側の半球は持っていない得意な能力があり,ヒトの知的活動は右と左の半球が分担して実現されているという考え方が一般的に信じられるようになった。その結果,ヒトの知的機能の大部分が,右半球か左半球かの特異的な能力に由来すると考えられるまでに至っている。これが二分法理論であり,これによって生まれてきたのが,右半球能力の重要性を極端に強調する「右脳信仰」なのである。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up
あなたは医療従事者ですか?